柴犬カンの日記2004年1月

過去の日記 インデックス

春の兆し  (生後525日) 2004,1,30
 今日、仕事の関係で健康診断をするため病院に行ったときに、医者に少しのどがいがらっぽくて、顔が火照る感じなんだと告げると、熱を計ってみなさいということになって、計ったところ37℃少しあった。平熱が低い私にとってこれは熱があると言っていい。体温計を見た瞬間がっかりしてしまった。明日あさってと重要な仕事があるし、来週も金曜日まで休めない。ああどうしよう、これ以上熱が上がったら。明日の仕事も休むわけに行かない。今日、ドクターに処方してもらった薬が効くことを祈るばかりである。なんとか来週末まで自分の体が持って欲しい。それにしても偶然病院に行って見てもらうことができたのは幸運というべきだろう。
 話は変わるが、立春まであと5日。それからようやく春の兆しが感じられるようになる。画像に載せたのは、昨年9月に種を播いたパンジー。庭の福寿草も、つぼみを出し始めた。薔薇も新芽が出てきている。植物は、こんな真冬にも季節の移りを感じているのだと、不思議に思った。
 ps・・・冒険記はしばらくお休みにします。

ぼお〜とするぞ  (生後524日) 2004,1,29
 昨日から急に仕事が忙しくなった。息つく間もないといった感じで、しかもやらなければならないことが山積していて、何から手を付けていいか分からないほどだ。こういうときは、優先順位を付けて、期限が迫っているものから先に手を付けなければならない。また、個人の仕事より、チームでやるものを優先した方がよいだろうと思う。持ち帰りの仕事もある。私は、できるだけ家で仕事をしたくないのだが、こういうときは仕方ない。もっとも、元来仕事をするのがあまり好きではないので、できれば仕事をしないでのんびり暮らせたら最高だ。でも、現代社会の中でそれは許されないだろう。ご飯を食べていけないからだ。また、仕事が無くなると、案外退屈な人生になってしまうかもしれない。だから、定年後のことも少しは考えておいた方がいいのかもしれない。定年前にリストラされてしまうかもしれないのだけれども。
 ということで、今日はカンの冒険記のアイデアを思い浮かべる暇がなかったので、お休みといたします。ああ、今週は土、日も休めない。その次の土日を楽しみにしよう。ぼおーとするぞー!

青い鳥   (生後523日) 2004,1,28
 起きてみると、ジークとソシア、それからジークの家族、父親、母親、妹たちが食事をしていた。カンも木の器に入れられた肉片を食べていた。
「起きたのかい?君の愛犬は随分食欲があるよ。君の分まで食べてしまいそうだよ。」ジークは笑ってそう言った。私もジャガイモとトナカイの肉の煮物と、パンを食べさしてもらった。
「さて、これからどうするかだ。」白髪の交じったあごひげを長く伸ばして、バンダナをしたジークの父親がそう言った。この家の者はみな、不思議な模様の綿の羽織のようなものを着ている。私は、昔訪れたアイヌの村の様子に似ていると思った。
「とにかく透き通った青い玉を何とか取り戻したいのです。きっとまもなく邪悪な連中もここに探しに来るでしょう。」ソシアは言った。
「そのムルとか言う鳥を探せばいいのでしょう?」ジークの妹が言った。「私たちの世界にもムルに似た鳥がいるわ。だいたい70〜80cmくらいで、灰色をしている鳥よ。」
「そうじゃな。我々の世界ではランタと呼んでいる。あの鳥たちは、他の動物たちに比べて格段に霊力が強い。特に、ランタのなかでもときどき真っ青なやつがいる。滅多にお目にかかれないやつじゃ。一生に一度も拝めないものがほとんどだが、その青い鳥は、ランタの中でも格別に神聖な霊力を持ち合わせておる。もしかしたら、その青いランタが、その玉を持っているのかもしれない。」ジークの父親が言った。
「親父、そいつは無理だよ。俺は1回も見たことがないぜ。どうやって探すんだよ。」
「そうじゃ。わしは一度だけ見たことがある。遠い遠い街にトナカイの毛皮を売りに出かけたときに、ストロー山脈の峠を越えるときに見た。しかしあっという間に空の向こうに消えてしまったんじゃ。」
「ストロー山脈ね。結構遠いな。ここからは1ヶ月はかかるぜ。」ジークが言った。
「そう、それに雪深い、険しい山脈だ。今の季節は無理だろう。後1ヶ月は待ってからじゃないとな。」父親がそう言ってため息をついた。「まず待つことじゃ。雪が溶けて、旅がしやすいときまでな。」
 「分かりました。それでは少し待ちます。そうしたらムル、いや、ランタを探しに行きます。お願いです。それまでしばらくここに置いてください。」ソシアが言った。それから私が口をはさんだ。
「私たちもストロー山脈に行かせてください。私もカンもきっと役に立ちますから。お願いです。」

タイタス・アンドロニカス (生後522日) 2004,1,27
 今日は物語はなしにして、夜、彩の国埼玉芸術劇場で行われ、私と友人のYさん(この劇場のすぐ近くに住んでいる)と一緒に観た、「タイタス・アンドロニカス」という芝居について書きます。
 これはシェイクスピアの芝居で、演出は蜷川幸夫だ。上演前に彼が舞台にいるのを発見した。実は、彼の芝居を何回か観ているのだが、本人を見るのは初めてだった。役者陣は主役のタイタス・アンドロニカスに吉田鋼太郎。悪役の女性に麻実れい、他に、萩原流行、鶴見辰吾、真中瞳、岡本健一らが出演していた。
 筋書きは、古代ローマ帝国が舞台で、将軍のタイタス・アンドロニカスが皇帝らに裏切られ復讐を遂げるというもの。ただ、最後に彼も死んでしまうのである。また、最後に彼の孫が(子役だった)が、絶叫して終わるという仕立てだった。ラストに子役を使うというのは大胆な演出で、かえって子役がうまくやれるかが心配になってしまった。
 正直、約3時間の上演時間が長く感じ、疲れた。内容が復讐ものだということもあろう。昨年観たペリクリーズの方がもっと長かったが(終わったのが10時半をまわっていた)、終盤はこちらの方が飽きさせなかった。ただ、ときどき芝居を観ることは、私の感性を豊かにするために必要だと思う。だから今回の観劇も、後になってじわじわよい効果をもたらしてくれるのではないかと思っている。
 そう言えば最近映画を観ていない。レンタルで借りることもしていない。余裕があったら観てみたいと思う。もちろんよい芝居があれば、探して観てみたい。

野球の夢   (生後521日) 2004,1,26
「それで、君たちはどうしてここに?」ジークは続けた。
「私たちは、ただ散歩をしていたんだ。その途中、神社の裏にあった石を除けてみると薄暗いトンネルがあって、そこをしばらく歩き続けたらここに着いたんだ。この犬は「カン」というのだけれど、彼がここに導いてきた気がする。とにかくこの犬は不思議な犬なんだ。前も一度一緒に不思議な世界を冒険したことがある。ある種の特別な能力を持っているんだと思う。」私はそう話した。
「ほう。それは頼もしいね。その力を借りるのはまたしばらく後にして、今は少し休むがいい。」ジークはそう言って、さっきまでソシアが使っていた部屋に私たちを案内して、そこで休むように指示した。そこには堅そうな布団が敷いてあった。カン用には小さな座布団のようなものを用意してくれた。私は早速横になると、あっという間に眠りに落ちていった。
 どれくらい寝ていただろう。私は、自分がまだ小学生だった頃の夢を見ていた。怪人二十面相や名探偵ホームズ、怪盗ルパンを読んでいた頃だ。私は野球をしていた。実は私は野球がとても下手で、いつも補欠か、ときどき試合に出ても三振か、ぼてぼてのピッチャーゴロだった。守備はライトが多かった。自分のところに打球が来てかっこよく捕りたいと思うのだが、大概打球を見失ってチームのピンチを拡大してしまうのだった。ところが、夢の中では違っていた。私は代打で登場し、チャンスで外野の間を抜けるランニングホームランを打った。その後、マウンドに立ち、ピッチャーとしてばったばったと三振を取った。ところが、試合が終わりかけたとき、球場に怪しい連中が十数人現れて、「試合は中止だ。ここをどけ!」と、脅しをかけてきた。仲良くやっていた両チームのメンバーは、不気味な連中に震え上がった。でもここをどくわけにはいかない。私たちは話し合って、戦うことを決意したのだった。そしてやつらのところにみんなで立ち向かい激突していったのだった。ところが、連中には歯が立たない。あっという間にみんなやられてしまった。私も連中のひとりに捕まって、ひどく殴られ続けていた。ああ、死んでしまうかもしれない。そう思ったときに目が覚めた。
 窓の外は真っ暗で、夜のようだった。ただ、星の光が見える。雪はやんだようだった。

怪鳥ムル   (生後520日) 2004,1,25
 「ソシア、一体君はどうして玉を無くしてしまったのかい?」ジークが聞いた。
「実は、私はここへ来る前にある研究所の研究員だったの。そして、その不思議な玉の秘密を探っていたのよ。ところが、ある晩、私が遅番で研究所に残っていたら、突然、ムルという怪鳥があらわれて研究所の中に侵入してきたの。そして玉がしまってあったガラスケースを突き破って銜えて持っていってしまったのよ。私は随分責められた。それで研究所をやめて、玉を探す旅に出たというわけ。怪鳥ムルはどうも邪悪な組織に操られていたらしいといわれていたわ。ところがムルは、玉を捨悪な組織に渡さなかったという話なの。だから組織は総力をあげてムルを捉えてまわっていた。ムルたちは次々と殺されていった。いまや、ムルは、私たちの世界で100羽いないくらいになってしまったの。私は、南の島に残されたムルを探しに行った。それでムルたちの巣のところに向かったの。するとそこは洞窟になっていて、私は奥へ奥へ進んでいった。何時間も暗闇の中を進んでいくと、扉があらわれて、この白銀の世界にたどり着いたという訳なの。」
「ところでその玉はどんな秘密が隠されているの?」私は訊いてみた。
「ごめんなさい。今は言えないわ。その玉は世界を変えられるという。しかも8つ揃うと恐ろしい力が働くというの。一つだと小さな力しか働かないけれども。だから、誰もがその玉を欲しがっている。この玉に魅せられて命を落とした人は、数知れない。もしかしたら私も虜になったひとりかもしれない。こんなところまで探しにきたのだもの。」
「なるほどね。我々のところにもムルのような鳥がいるよ。それがムルかどうか分からないがね。神や悪魔とつながりがあると、言い伝えられている鳥がね。君たちの世界とここが繋がっているのなら、ムルはこっちにも来ているかもしれない。落ち着いたら探しに行くんだね。できる限りのことはしてあげるよ。」ジークはそう言ってソシアを励ました。

世界の果ての村  (生後519日) 2004,1,24
 ソシアは大柄な女性だった。身長180cmはあるだろう。黒髪で、肌はベージュ。西洋人とも東洋人とも言えない顔立ちだった。ソシアが床に座って、ジークが山羊の乳をソシアに勧めた後、口を開いた。
「さあて、どうしてここに来たのかな。教えてもらおう。どちらから聞こうかな。やっぱり一足先に到着したソシア、君からその訳を教えてもらおう。」
 ソシアは、ミルクを半分くらい飲んだ後、少しうつむきながら暗い表情を一瞬見せた。それから顔を上げて話し始めた。
「ごめんなさい。最初に断っておくけど、詳しいことは言えないの。それからどうして私がここにたどり着いたかも、よく分からない。ただ、私は玉を探しているの。薄緑色の透き通った玉。とても大切なものよ。世界に8個しかないといわれている。そのうちの一つが、私のせいでなくなってしまったの。それを追いかけていたら、薄暗く狭いトンネルの中に入っていったわ。そうしたらここへ出てきたの。」
「僕らもそうなんだ。僕たちは何の理由もなくトンネルに入ってしまったけれど。」私はつい口をはさんでしまった。
「なるほど、トンネルね。確かにこのあたりは、行き先を失ってしまった旅人がよくたどり着くところなんだ。我々の村はジーツという名前なのだが、言い伝えによると、過去や未来、それから聖なる世界や、邪悪な世界と繋がりやすいところだという。私たちの村はこの地方では中くらいの大きさの村で、30軒くらいの家があるけど、どの家も精霊や、神々に仕える役割を持っている。この地方では世界の果ての村、と呼ばれているくらいなんだ。」
ジークがそう説明した。
「世界の果てか。」私はそうつぶやきながら、随分なところに迷い込んでしまったと思った。

ソシアとの出会い  (生後518日) 2004,1,23
 建物は意外としっかりできていた。太い丸太が組み合わせられて、板で覆われていた。我々はドアを開けて中に入らせてもらった。中も思ったより広い。そして温かかった。私には何よりそれが嬉しかった。靴を脱がして貰い、トナカイらしき動物の毛皮の座布団に座った。足の裏がじんじんと暖まってくる。カンは丸太にくくりつけた。奥に暖炉があり、赤々とした炎が見えた。温かいのはこのためだろう。ジークは奥の方から器を二つ持ってきて、私たちの前に差し出した。
「寒かっただろう?こいつを飲みなよ。山羊の乳だ。暖めてある。」
 カンの分まで用意してくれた心遣いに感謝した。それを飲んでみると、とても甘く感じる。牛乳より少し濃いが、体の芯から暖まってくるようだ。カンもぺちゃぺちゃと飲み始めた。
「君たちムントを追ってここに来たんだって?」
「そうです。あの白い一角獣。」
「あいつはね、このあたりの森に住み着いた半分妖精の動物なんだ。きっと君たちが行く先がなかったんで、ここを案内したんだと思うよ。ムントは結構いいやつなんだ。でも、ときどきいたずらをしたり、人間を困らせたりする。」
「ジークさん、いろいろありがとう。私たちは今行き場がなくて困っているんです。しばらくここに置いてくれませんか?」私はお願いしてみた。
「うん。そうね。あんまり長い間はダメだよ。雪の季節が終わって、土が見えてきたらここを出て行ってもらおう。」
「雪の季節が終わるのは後どれくらいですか?」
「そうだなあ。もう1ヶ月と半月くらいかなあ。ああ、それと、ここでぼんやりしていても困るから、仕事を手伝ってもらうよ。働かざるもの食うべからずだからね。」ジークはそう言ってひとりで笑った。
「そうそう、君たちが来る前にもうひとりここに来た人がいるんだ。」ジークがそう言ったとき、奥の部屋からひとりの女性が出てきた。何とも形容できない不思議な衣装を着ていた。服には光を反射する水晶玉のようなものが無数に散りばめられていて、頭には金属でできた冠のようなものを付けていた。どうも現在のものではなさそうだ。宇宙から来た人のように見えた。
「よく眠れたかい、ソシア。」ジークが話しかけた。彼女はソシアというらしい。年の頃は20代だろう。
「ええありがとう。おかげで少し楽になったわ。」ソシアがそう答えた。

林の中の集落   (生後517日) 2004,1,22
 その白い毛で覆われた動物は、頭に40cmくらいの角が1本生えていた。すると、いきなりカンがその動物に向かって飛び出していった。私は綱を持ちながら、あわてて後を追った。雪が随分降り積もっているので、とても歩きにくかった。白い動物はしばらくは我々の様子を見ていたが、きびすを返して逃げ出していった。カンと私は深い雪の中を一生懸命追っかける。次第に靴の中やズボンの中に雪が入ってきて、あまりの冷たさに私は感覚を失ってきた。
 不思議なことに、白い動物は、我々と距離が離れると立ち止まり、我々の方をじっと見る。我々との距離が近づくと再び逃げ出していく。なんだか追いかけっこをしているようだ。または、我々をどこかに誘っているかのようだった。しばらくそんな風に白い動物を追いかけていくと、雪が踏み固められた道があらわれた。なるほど、獣道か、と私は思った。滑らないようになおも追いかけていった。
 小1時間追いかけただろうか。灌木地帯がやがて少し開けて、人間が住むような茅葺き屋根の家が数軒見えてきた。ああ、こんなところに人が住んでいたのか。まあ、とにかく助かった。私はそう思いながらその集落に向けて進んだ。集落の周りは柵が囲んでいる。ただ、雪が深く、その上半分しか顔をのぞかせていない。すると、集落の中央の方から、毛皮のコートのようなものを身に纏った男が出てきた。我々はカンとともに柵の前で立ち止まった。白い動物は、そこから2〜30m離れたところで我々の様子をうかがっている。
「君たちは一体どうしてここへ来たんだい?やれやれ、今日は客人が多いな。」
男は私たちに話しかけてから独り言をつぶやいた。どうもまだ若いようで、17〜8歳の青年だった。
「すいません。犬と散歩にきて、不思議なトンネルを抜けてきたら、白い動物に出会って、後をついてきたらここに来たんです。」私はそう答えた。
「やれやれムントのやつ。またいたずらしたのかな。」彼はそう独り言をつぶやいた。
「えっ何ですか?」私は訊いた。
「いや、独り言。気にしないで。それより寒いだろうから、中にはいんなよ。僕はジーク。よろしく客人。」
「ありがとうございます。」私は礼を言い、私の名と、カンを紹介した。我々が柵の中に入って、ジークの後に付いていくのを見届けたように、白い動物は林の中に消えていった。

白い一角獣   (生後516日) 2004,1,21
 どれくらい歩いたか忘れてしまうほど真っ暗な闇の中を歩き続けていった。だんだん嫌になってくると同時に不安も増してきた。と、その時、行き止まりにぶつかった。やれやれ、引き返さなければいけないのかなあ、と考え始めたところ、突き当たったところはどうも岩の扉になっているような、人工的な感じがあることに気が付いた。懐中電灯で良く照らしてみると、金属の取っ手がついていた。なるほど。これを開ければいいんだ。私は、思いっきり扉を押してみた。びくともしない。何回か押してもどうにもならないので、押してダメなら引いてみな、という諺にしたがって、引いてみた。するとどうだろう。扉が少しだけ開き始めた。いけると思い、踏ん張りを効かせて何回か引っぱってみた。すると、じわじわと岩の扉が開き始めた。しかし、入るときにしても、今回にしても、強烈な力を振り絞ったので、時間がたてば腰痛がひどくなっているだろうなと思った。
 どうやら人が通れるくらいに隙間ができると、外の光が差し込んできた。と同時に雪片も吹き込んできた。私は続けて人が通れるくらいまで扉を開けた。それからカンとともに外へ出てみた。一面銀世界だった。風はそれほどなかったが、かなり強く雪が降っている。雪で覆い尽くされた世界だったが、都市ではなかった。林間地帯という感じだった。落葉樹がまばらに、凍えて寒そうに立っていた。私たちが出てきたところは、岩山の麓のところで、帰り口が分からなくなってしまわないように何か印を付けなければと思った。近くの木の枝を何本か折ろうと、凍えた木に近づくと、その時だった。何か動くものが目に入った。それは動物だった。30mくらい先に鹿のような大きさで、角が1本頭から生えている。こんな動物見たことがない、と思いながら気が付いた。これは一角獣なのだ。その昔生存していて、絶滅したとされる動物だ。星座の名や、神話にはその名を残している。私とカンは、しばらく、その動かないで我々の方を見ている不思議な動物に見とれていた。

カンタロビッチの穴 (生後515日) 2004,1,20
 私は、重そうで、しかも随分年代物でありそうな石の蓋を開けてみることにした。鉄の取っ手を握って、思い切り踏ん張って横にずらすように引っぱってみると、少しだけ動いた。これはいけそうだ。そう思うと、少しだけ休んで何回か石の蓋を引っぱり続けた。カンはその様子をじっと注視していた。どうやら3分の2ほど開けることができた。中をのぞいてみると真っ暗だった。そこでいつもカンの散歩で持参している懐中電灯を取り出して中を照らし出してみた。すると、どうも穴があいていて、しかも斜めに、階段状になっていることが判明した。階段は蓋と同じように苔むした古い石でできていた。もう百年以上使われたことがなさそうで、それ以上昔に作られたように感じられた。私は、残りの3分の1を、引っぱって開けてしまうと、いよいよ中に入る決断をした。カンも行きたそうに中をのぞく。一歩踏み入れてみた。
 中は真っ暗で、予想以上に狭かった。カンが前を歩き、私が後を追った。薄ぼんやりした懐中電灯に照らされた階段状の狭い道は下へ下へとかなり続く。途中、勾配が急になったり、緩くなったりしていった。壁は土が固められたような部分と、岩の部分があった。私はかつて入ったことがある、沖縄のガマ(糸数壕)を思い出した。だからこの穴も、戦争中にシェルターとして掘られたものなのではないかと想像した。
 やがて、高さ2m幅50cmくらいの狭い穴は平坦になっていった。どれくらい歩いただろう。戻れなくなることは全く考えなかった。なぜならカンがいるからだ。カンは、前回の冒険の時、不思議の世界に行けば行くほど頼りがいのある犬になっていったからだ。今回もきっとカンが導いてくれるだろうと、勝手に想像していた。
 私はこの穴を、「カンタロビッチの穴」と勝手に命名し、少し興奮した心持ちで先へ進んでいた。
 

 画像は、先日私の父がきたときのカンとはな。

淡雪の朝   (生後514日) 2004,1,19
 今朝は雪の朝だった。ほんとに、ほんとにうっすらと積もっただけだった。淡雪というのだろうか。ちょうど通勤時間帯に雪の粒が大きくなって、しかもたくさん舞い降りてきて、フロントガラスの前の雪をワイパーでかき出しても、視界が悪いほどだった。
 しかしその雪も朝のうちで、昼頃には陽が差してきた。夕方はそれほど寒くはなかった。カンを連れて外に出たときは、あたりはもう真っ暗だった。私は、最近行き始めた散歩道を選んだ。駅前の大通りを渡って、向かい側の住宅地を歩くコースだ。ちょうど自宅からもっとも離れたところに寺院と神社が向かい合わせになっているところがある。寺は蓮華寺。神社は秋葉神社という。境内が背の高いクスノキに覆われた秋葉神社に少し寄ってみた。灯りがないので真っ暗闇だ。カンはいつもより妙に私を引っぱって行く。石畳の道を行くと建物があって、ご神体が祀られているのだろう。カンはその建物の裏の方に行こうとした。私は引かれるがままそちらの方に向かった。犬に引かれて神社参り、とはこのことかと思った。
 建物の裏は、林になっていて、もう19時少し前だと、暗くてよく道が見えない。持ってきた懐中電灯を付けてみると、電池がないためか薄ぼんやりとしか照らし出されないが、何やら四角い石がある。四方50cmくらいで、厚さが20cmほどだ。それには金属の引き手のようなものがついていた。カンはそこで止まった。いつものように匂いを嗅いで小便を引っかけるようなことはしない。私の方をちらちら見て、どうやらこの石を動かしてみろという感じなのだ。私は腰痛もちなのでどうしようか少し考えた。そして、カンが、もしかしたら再び冒険に行こうと考えているのではないかと思ったのだった。
 画像は年末に雪が降ったとき撮った、プリムラジュリアン。

蒼い空   (生後513日) 2004,1,18
 仕事から帰宅すると、ちょうど日没後に空が微妙に暗くなっていくところだった。蒼い空だな、と思った。埼玉地方の今日の日の入りは16時53分。日の出は6時50分。一日穏やかだった。こんな日は久しぶりだ。曇り空だったり、風が強かったりしていたから。カンは、こんな1日を大切に思うのか、陽の当たるところで四肢を伸ばして横になっていたという。
 私の方といえば、相変わらず春を待ち焦がれるような体調が続いている。明日からも金曜日まで仕事だから、覚悟を決めてのんびりやるしかない。途中どうにもならない心持ちになったら、少し休もう。
 蒼い空はやがて夜の闇へと消えていった。オリオンや昴、シリウスなどがその空で駆け回る。星々の英雄たちが疲れて眠る頃にまた太陽が顔を出してくる。朝がやってくる。どんな1日でも必ず朝日が大地を照らし出してくる。鳥たちのさえずりもまた始まるのだ。
 私は朦朧とした意識の中でコーヒーを流し込み、また仕事に向かうだろう。
 画像は年末のカン。

春色の汽車いずこ  (生後512日) 2004,1,17
 なるようになるさ、と思うしかない最近の体調である。こうなったら果報は寝て待て、ではないが、待つより他によい手がない。そしてこういう状態の時にこの季節思うのは、知らず知らずに春が顔を出し始めている庭のことである。
 水仙が、土の中から先端を出している。同様にスノードロップという球根植物も、並べて植えておいたら、その通り顔を出し始めた。冬もいつの間にか過ぎ去っていくはず。その代わりにいろいろなものが、春色に染まり始めていく。私が好きな松田聖子の曲に『赤いスイートピー』がある。中学3年生の今頃ヒットしていた。♪春色の汽車に乗って・・・♪と始まる。春色の汽車とはどんなものか分からないが、季節という汽車に乗っていれば、長く感じてもやがて春という駅に到着すると思うのだ。
 今日は雪が降るという予報が出ていたが、結局空振りしそうだ。2月に入って、春の淡雪が降る頃には少しでも良い状態になっていることを願うしかない昨今である。
 画像は年末のカン。

若いふたり   (生後511日) 2004,1,16
 明日は関東地方で雪が降るらしい。明日、あさってと車で移動する出張が入っていて、スタッドレスタイヤでない私は、どうしようかと困っているところである。幹線道路が積もらなければいいのだが。
 昨日、直木賞、芥川賞の発表があった。特に注目されたのは芥川賞だった。20歳の『蛇にピアス』を書いた金原ひとみさんと、19歳の『蹴りたい背中』を書いた綿矢りささんの受賞が決まったのだ。金原さんは、父親が大学の教員をしていて、不登校に陥った経歴を持つ、異色の人物だ。記者会見のファッションには賛否両論が出ていたけれども。私は彼女の経歴と私のそれとの類似性があって、共感するところがある。ただ、まだ、作品を読んでいないのでどうとも言えないのであるが、作品そのものは少し私の趣味ではないかもしれない。
 一方、綿矢さんはアイドルなみのルックスを持っていて、私の大学の後輩でもある。確かに写真を見る限り、清楚でかわいい印象を持った。ただこれも作品を読んでいないので何とも言えないところである。
 彼らの年齢の低さが話題になっている。確かに私も羨望の念を持つ。ただ、これから何を書くかが難しいだろうから、良し悪しなのかもしれない。
 今、多様化した世の中で、万人に共感を与える作品を書くことは至難の業だ。自分の体験に想像力をプラスして書いていくしかないのだと思う。それが世間に受け入れられなければ仕方のないことだろう。わたしも、来週から柴犬カンの冒険第2弾の執筆を予定している。より多くの人に楽しんでもらえるといいと思う。
 画像は我が家の若いふたり。

何かを探して   (生後510日) 2004,1,15
 今夜はある人が亡くなったので、お通夜に参列した。まだお若くて、大変残念であった。
 さて、新聞を読んでいたら、Jリーグのヴィッセル神戸を買収したインターネット販売会社楽天社長の三木谷浩史氏のことが載っていた。彼は一橋大学卒業後興銀に入り、その後地元である神戸が阪神大震災に見舞われ、親しい人を亡くして、命の有限性を痛感し、やりたいことをやろうと会社を辞め、楽天という会社を開いたという。それがものの見事に成功し、会社としてではなく、自らの資産でヴィッセル神戸を買収したのだという。
 お金持ちがプロスポーツのチームを持つことを道楽と捉える人もいるが、私は逆にありがたい話だと思う。スポーツにお金が流れれば、そのスポーツは盛んになり、それを見るものもまた楽しめるからだ。これからヴィッセル神戸が資金の力で強化されてくれればいいと、レッヅファンの私は思う。
 翻って、私は、限りある命の中で、何かやりたいことに勝負を賭けているであろうか。何かを探して、やってみたいものである。伊能忠敬は50歳を過ぎてから測量の勉強をして日本地図を作ったという。今からでも遅くはない。何かをやってみよう。ただ、楽天で買い物(私は結構買った)ばかりしていないで。
 画像は海辺のカン。

睡魔の攻撃   (生後509日) 2004,1,14
 何でこんなに眠いの・・・嘆きたくなるほど、1日眠かった。
 目覚ましが6時10分に鳴る。とても起きられない。うだうだ布団の中にいると、早々に起きて朝食の準備をしていた妻が、頭から角を出して、2階の電話機のベルを鳴らし始める。私は、ものすごい重力によって落ちていこうとする瞼を必死に持ち上げながら、意識朦朧とした中朝食を取った。ほんとに幸いなのだが、朝のカンの散歩は妻が行ってくれる。私はその間に少しでも目を覚まそうとコーヒーを飲み、体を伸ばす。
 もっとも問題なのは車の運転だ。こればっかりは、「眠かった。」といういい訳で事故は起こせない。必死の思いで職場にたどり着いた。
 職場でも、朝少し余裕があったのでソファーに座っていると眠たくなってくる。やばいやばい。給料泥棒になってしまう。机の前に座り、仕事をするふりをする。
 昼食を取るとまた眠くなる。つい、休憩時間居眠りをしてしまった。起きてからまた目が覚めない。しかし何とか仕事に復帰。
 こんなに眠いのはなぜだろう?一つは外気と家の中の温度差だろう。今日もまた外は北風強く寒かった。もう一つは私の体質なのだろう。こればかりは、怠けだと非難してもらいたくないというのが本音だ。もしなにかいわれても、聞き流すことにしよう。
 明日とあさっては朝、カンの散歩に行くことになっている。カンのためには何が何でも起きて散歩に行き、仕事に遅刻しないようにしよう。
 画像は、カンの画像入りのパーカーを着ている半ボケの私。

カン落ち着く  (生後508日) 2004,1,13
 昨日、はなと別れてからのカンはぐったりとしていた。
 まず散歩に行ったとき、いつものようにぐんぐん走ろうとしない。何となく歩いている感じだ。夜も、我々が食事を終えた頃に、いつもはバタバタとガラス戸を叩いて、りんごをねだったり、遊んでもらおうとするのだが、昨日は囲いの中で丸くなって、ピクリともしない。たまりかねて妻が降りていって、あっちこっちをつついたり、抱き上げても無反応で、本当に疲れていたようだ。
 今日の夜は、散歩はまあまあ引くし、夜も家の中に上がって少しだけ駆け回った。それでも少し眠そうだった。
 やはり、別の犬とずっと一緒にいるということはただでさえ疲れるのに、それがヒート中の雌犬ときたので、余計に神経を使ってしまったのだろう(交配はできなかったけど)。
 ただ、今夜から北風が強まり、これから幾日かは随分寒くなるという。風が嫌いなカンは、新たなストレスを抱え込むことになるし、風邪など引かないようにして欲しい。もちろんそれは飼い主にも当てはまるのであるが。
 画像は、先日の静岡の海で。

交配失敗   (生後507日) 2004,1,12
 午前中、ブリーダーさんのところへカンとはなを持っていった。どうも我が家ではうまくいかないようだからだ。しかし、結果は同じだった。はなはやる気は十分だとブリーダーさんは言っていたが、どうもカンがその気にならないと言うことだった。まだ、性格的に幼いのではないかと言うことらしい。半年後の生理の時にもう一度チャレンジをするほかないだろう。
 ブリーダーさんは、はなはなかなか良い犬だと褒めてくれた。ただ、もう少しダイエットして絞ると良いという。はなの飼い主さんが4月の展覧会に出す気になれば、面白いのではないかと思う。
 今日は、カンの父犬三郎に会ってきたが、本当に仕草がよく似ている。甘えた性格と結構我関せずのところは父犬からの遺伝だろう。毛色や体型などは母犬あやめに似ている。まあとにかく私にとってカンが一番かわいいのは確かなことで、この3日間はながいたわけだが、やっぱりカンが、ブリーダーさんのところにいた犬を含めても、一番かわいいと思ってしまった。
 とにかく今回のことで交配というのは全く容易なことではないのだと思い知った。そして夫婦とも随分と疲れてしまった。

2日目も何も無し  (生後506日) 2004,1,11
 全く交配というものを甘く考えていた。
 今日は、妻が習い事の発表があるので、1日私がカンとはなの様子を見ていた。しかし何も起こらなかった。多少じゃれ合ったり、カンがはなの上に乗っかる仕草を見せるのだが、その後進展はなかった。日中になると日だまりで2頭仲良く眠っている。それにしても今日は北風が冷たい1日だったのだが、カンの囲いは南向きで、風の影響はあまりない。だから両頭ともゆっくり眠れたのであろう。
 夕方には散歩に行かねばならない。朝は妻が2頭いっぺんに連れて行ってくれたのだが、私は、暗くなってきていたことや、北風が強かったこともあって、1頭づつ行った。都合1時間と少し行ったが、とにかく寒かった。面白かったのは、カンは遠くに行っても、見知らぬところに行っても、うんしょんをするのだが、はなは家の近くでないと、うんしょんをしなかった。雌と雄の違いなのだろうか。メスはやはり散歩は楽だと思う。距離的にもオスほど遠くへ行かなくてもよいだろうし、いちいち立ち止まって、匂いを嗅いだり、おしっこを引っかけたりしないからだ。それでもはなは、あっち行ったりこっちに行ったり、人の家に入っていこうとしたり、普段カンばかり散歩していて、これが普通と思ったことが、そうでない犬もいるのだと知って興味深かった。
 今日私の父が犬を見に来たのだが、父がボンの交配の経験から教えてくれたことには、カンとはながまだ幼いからなのではないか、と言っていた。ボンは3回ほど交配のチャンスがあったが、2回成功して1回はダメだったらしい。
 さあ、チャンスは今夜と明日の朝だけになった。明日の昼にははなは飼い主の元に戻る。どうなることやら。

交配に挑戦   (生後505日) 2004,1,10
 今日、妻の実家のところにいる柴犬「はな」が我が家にやってきた。彼女がヒートを迎えたので、いよいよ交配をすることになったのだ。カンの囲いの中にはなを入れると、最初はカンもはなも元気にくんずほぐれずで絡み合っていた。カンがはなの上に乗る動作も見られた。我々ははなを押さえてみたが、うまくいく感じはない。しばらくすると、カンが飽きてしまう様なのだ。
 一方はなの方も、カンが乗ろうとすると嫌がって、う〜う〜という。基本的にはとても仲が良くて、ケンカになりそうな感じは全くないのだが、いざというときだけ2頭とも嫌がるのだ。その後、この動作が繰り返されたが結局何も起こらなかった。
 午後に私が仕事があったので、後は妻に任せた。やはり2頭別々の散歩は大変で、時間が随分かかってしまったようだ。
 えさをやると、はながどんどん先に食べて、カンのえさボウルの方も食べてしまう。仕方がないのでえさボウルをかなり離して置いた。するとやっとカンもえさを口にし始めた。はなは、人のうちに来ていると思えない程リラックスしていて、ドアを開けるとカンより先に家の中に入ってきてしまう。はなは野性味が強く、タフな雌犬なんだと思った。
 対照的に、カンは夜になると一気に元気がなくなって(散歩は元気一杯だったそうである)、家の中にあげても、ボーとしていた。
 夜9時をまわると、2頭が背中合わせになって横になって寝てしまった。交配は明日以降に持ち越しとなりそうである。
 とりあえず、連休の3日間は、我が家ではなを預かって、うまくいけば良しということにしたいと思う。犬の交配はこんなにも難しいこととは思わなかった。今日ははなとカンの里のブリーダーさんのところに2回も電話して、疑問点を聞いたのだが、やはり初めての犬同士だと難しくて、雌犬に口輪をすることもあるのだそうだ。
 なんだか気疲れした1日だった。

コーヒーブレイク   (生後504日) 2004,1,9
 仕事が1日忙しかった。朝の朝礼から、昼食を取った20分間を除いて、午後4時半過ぎまであわただしく時が流れていった。やっと日が暮れてから落ち着いた時間ができたので、コーヒーを入れて飲んだ。これが何とおいしく感じられたことか。最近の缶コーヒーのCMも仕事中だの休憩中だのと妙なネーミングのものがあるが、今日のコーヒーは、一昔前にCMでやっていた、「いいホッ出ました。」というやつだった。職場のみんなでお金を出し合って、レギュラーコーヒーが買ってあるので、インスタントが好きではない私にとって大変ありがたい。砂糖とクリープを入れて飲むのが私の流儀だ。
 最近、といってもここ2ヶ月くらい、食器棚の奥にしまってあったコーヒー豆を挽く機械を取り出して、これで豆を挽いて飲んでいる。少しはまりすぎで、休日など1日4〜5杯飲んでしまうこともある。ただ、エルメスのアフリカや、リチャ−ドジノリのオリエントエクスプレスのデミタスカップで飲むことも多いので、がぶ飲みという程ではないのである。最初、ブルーマウンテンブレンドを買ってきて飲んでみたら、大変おいしく感じられたので、はまってしまったというわけだ。ただ、ブルマンは高いので、同じように苦みのあるキリマンジャロブレンドを買ってきて、ここのところはそれを飲んでいる。私はどうも苦みが好きなようなのだ。
 ただ、うだうだしている日に飲むよりも、今日のように、びしばし働いて、少し休んだときのコーヒーの方が、本当はおいしいのかもしれない。
 画像は、大学時代から17〜8年使っているコーヒー豆を挽く機械。

秩父おろし   (生後503日) 2004,1,8
 今日は本当に冷たい強風が吹き荒んだ1日だった。
 帰宅して驚いたのは、パンジーの花が株ごと吹き飛ばされていたのと、カンの囲いの屋根の一部がやはり吹き飛ばされていたことだった。カンにケガがなく良かった。その後散歩に行った。もちろん買ったばっかりのウインドブレーカーの下にかなり厚着をして、スローペースで走った。いつもなら良く立ち止まるカンが、今日はせっせと前へ進んだ。街の中が強風でがたがたと音を立てていて、それが嫌で、早く帰りたかったのではないかと推測している。
 私は、寒くても、風がなくて穏やかな日和ならそんなに苦にはならないが、今日のような強風が1日でも吹くと、もう冬はうんざりだと思ってしまう。これが2ヶ月続くと思うと、目眩がしてくる。風が1m強まるに連れ体感温度は1℃下がるそうだが、今日はそれを実感した。
 きっとインフルエンザも今日のような日を境に急激に増加していくのではないかと思う。
 画像は年末に小雪が積もったときに撮ったサザンカ。

都心   (生後502日) 2004,1,7
 昨日は小寒。寒の内らしい寒さが、埼玉県地方にも訪れてきた。
 アシックスのウインドブレーカー(マークのところが反射する)をインターネットで頼み、昨日届いたので、早速今日の夕方の散歩で着用してみた。また、カンの首輪にも反射材をくっつけて(アシックスでおそろいである)みた。効果があると良いのだが。
 さて、先日、池袋に行く用事があった。ほぼ1日この街をうろうろしたのだが、普段埼玉の郊外に生息している私にとって、たまに都心に行くとなぜか心が沸き立つ(不安定になる)。高校時代、静岡にいた頃から、東京に漠然としたあこがれを抱いていた。学生時代は都心の大学に通ったのだが、さらに中心の銀座や六本木、霞ヶ関などにはほとんど足を運ばなかった。ここが日本の中心部なのか。あの、2.26事件が起こった場所なのか。日本の政治経済が、ここを中心にまわっているのか。などと、お上りさんのような心持ちになる。
 就職して15年になるが、いっとき手首を怪我して、飯田橋の病院に半年に1度通ったことがあった。その都度、朝の都心のざわめき、多くの車が行き交う様、人々がかっかっと歩いているのを見て、憧憬の念を抱いたものである。
 とはいっても、都心に住みたいわけではない。まず、カンを飼うのも難しいだろうし、ガーデニングができる広さの土地も手に入らないだろう。だから、ときどき訪れるのがよいのだ。遊ぶといったって、銀座で豪遊できるわけもない。
 それでも、皇居のお堀を見ると、歴史と現在動いている日本の中心とを感ぜざろう得ないのだ。

飼い主いろいろ  (生後501日) 2004,1,6
 犬を飼う人にもいろいろいる。
 ときどきすれ違う白い雑種犬を連れている初老のおばさんがいる。カンより二回り大きな犬なのだが、ちょうどすれ違い終わったときに必ずダッシュをかけて、我々のお尻に向けてガウガウっとやってくる。もちろん最初はびっくりして、少し怖かったが、今は、また来るぞ、と警戒するからそれほどでもなくなった。さらに驚くのは、そのおばさんはその様子を、してやったりという風に見やり、○○、ダメよ〜と、全然叱る風でなく、犬に話しかけるのだ。その白い犬は、白いせいかもしれないが、見かけが汚く、あまり手入れされている感じがしない(偏見かも)。
 先日静岡で、谷津山に登ったときに出会った犬の飼い主たちは、みな紳士淑女に感じられた。カンは初めてその仲間に入れてもらったにもかかわらず、温かく受け入れてもらい、名前や年齢を聞いてくれる。さらにそのうちの一頭がカンの後ろに覆い被さろうとするや、カンがウ〜と唸ると、○○ちゃん、ダメじゃない、ワンちゃん嫌がってるわよ、あなたの悪い癖よ、と説諭し、なおかつ毅然としてやめさせていた。う〜ん、こんな仲間になら入りたいなあ、と感じさせる出来事であった。日が暮れてきそうだったので惜しい気持ちを抱いたままその場を去ったが、清々しい気分が残った。
 良く散歩の時挨拶をしてくれる人がいる。私は、自分からは苦手なのだが、挨拶されたら、必ず返事をしている。妻は積極的に挨拶する方だが、中には無愛想な人もいるそうだ。特に男性に多い。
 犬を飼う人も様々で、飼われている犬も様々だと思う昨今である。
 画像は谷津山で出会った犬たち。

早梅…そうばい  (生後500日) 2004,1,5
 今日は晴れていても風が冷たく、埼玉地方は10℃まで上がるかどうかといったところだった。
 ほんの少しだけ日が長くなって、太陽の角度も少しだけ高くなってきたような気がする。まだまだ光の春と言うには早すぎるのであるが、季節がゆっくりと歩みを始めたようでとても嬉しい。
 そう言えば、今日、夕方の散歩の途中梅がほころび始めているのを2カ所見た。一つは白梅。白加賀か冬至梅か。もう一つは紅梅。名前は分からない。
 今年の正月は暖かくて、箱根を走るランナーたちも、例年と違って暑さ対策を練らねばならない程だったそうだが、そんな陽気に誘われて何輪か咲き始めたのだろうか。それとも例年通りなのだろうか。
 我が家の梅は2種類あって、鉢に入れてある冬至梅。もう一つは地植の豊後。両方ともつぼみはふくらみつつある。まず冬至梅が咲く。豊後は3月に入ってから。
 
 早梅の 3つ開かば 春恋し
 胸はやる わずかに梅の 咲くを見て

  はま 

 今日でカンは生まれて500日たちました。・・・特に変わりありません。

都会の休憩所   (生後499日) 2004,1,4
 今日の午後、近くのO市に買い物に出かけた。カンの散歩時に着るウインドブレーカーを探すつもりだった。夜暗くなってからの散歩が多いので、反射材がついているものをといろいろ探したがなかなか見つからない。そうこうしているうちにふらふらと○井に入ってしまった。
 バーゲンで若い人たちでごった返している。ふたりの知っている人に会った。いつの間にかウインドブレーカーそっちのけでそれ以外の自分の衣類を探し始めてしまった。私は洋服を買うのが好きだ。特にバーゲンの時は(よりよいものを安く買うため…なかなか掘り出し物は多くない)。そこで2枚シャツを買って、そのあと近くのDコーヒーに入ってお茶をすすりながら考えてみたのだが、自分に会う衣服を探すと言うことは、結局自分探しなのではないかと。または、自分って一体何なのか。自分は自分をどう位置づけているのか、を確認する作業のようなものなのではないかと、そう思い至った。
 Dコーヒーの店内を見回すと、私が入ってすぐ隣に座った青年は『ローマ人の物語…迷走する帝国』を取り出して読み出した。私も今読んでいる最中なので、どこまで読んだか聞いてみたくなってしまった。奥の少し髪を茶色に染めた女性は、資格試験の勉強だろうか、一生懸命本を読んでいる。その隣の女性は、買ったばかりの服が入った大きな紙袋を横に置いて、私と同じように店内をきょろきょろと見回している。ひとりの人が多い。私はこの雰囲気が好きだ。都会の休憩所という感じなのだ。もちろんカップルもいるのだけれども。私は、コーヒーを飲み干して、夕方のカンの散歩に行くために家路についた。

お騒がせ旅行   (生後498日) 2004,1,3
 1月1日から2泊3日の静岡旅行は無事終了した。カンにとっては初めての長旅だったが、途中疲れも見せず元気一杯だった。途中、首都高に乗り、東名高速に乗り、ちょっとした渋滞も経験し、太平洋に足をつけ、慣れない私の実家の居間で2泊を過ごし、静岡市内を一望できる谷津山に登り、今日は再び高速道路に乗って、埼玉の「はな」のところに行った。ところがはなは2度目のヒートに入って、ベランダに隔離されていたので、遊ぶことができなかった。ようやく我が家のカンの囲いに戻ったのは昼過ぎであった。
 さすがのカンも疲れたのか、四肢を伸ばして目を閉じ、休んでいた。それでも午後4時をまわると、再び散歩に連れて行けとバタついて、いつもより少量の散歩に行ってうんちを1回した。
 大晦日の除夜の鐘に合わせての吠えまくりから始まって、今日帰宅するまで、カンに振り回されっぱなしだった。実家でもいろいろしでかしてくれたし、また、海や山で楽しませてもらった。
 カンよ、また旅に出ようね。
 画像は谷津山の尾根から見た静岡市内。

除夜の犬   (生後496日) 2004,1,1
 皆様明けましておめでとうございます。今日は私の実家から書いていますので短めに。
 さて昨晩のことですが、曙が負けて、紅白が終わった頃、我が家の周辺でも除夜の鐘が鳴り始めました。ところがその低く響く音に大いに反応したのが我が家のカンでした。1回鳴るたびにバウバウと吠えます。各所で鳴るものだからカンはわんわん鳴き続けました。いくら大晦日だから近所の人々も起きている人が多かろうけれども、これでは迷惑です。そこで家の中にゲージを置いて中で寝させることにしました。しかし、響く鐘の音は家の中でも充分聞こえるのか、鐘がなるたびに、バフバブと、唸ります。結局眠かった我々も、鐘の音が完全に聞こえなくなるまでの1時過ぎまでそれに耐えなければなりませんでした。まあ、一吠え一つ煩悩を消し去ってくれたと考えましょう。でも、108回以上は吠えたと思うんですが・・・
 今日は静岡にいるわけですから、途中休憩を含めて5時間のドライブをしました。場所が変わって興奮しているのか、日記を書いている夜10時まで、うろうろ落ち着きません。母はうろうろ落ち着かなくてかわいそうね、と嘆いています。このたびの顛末はまた詳しく書きたいと思います。今日のところはこれくらいで。