柴犬カンの日記 2003年6月



過去の日記 インデックス
おかんちんの隠れ家 (生後311日) 2003,6,30
 実はこのホームページの他に私は二つのページを持っている。というと、たいそうなことだと思われるかもしれないが、実は表紙だけしかないホームページだ。
 できるだけローコストでHPを作りたいし、一方たくさんの容量が欲しいため、ヤフーやらインフォシークやらに間借りしてこのHPを作っている。それぞれのプロバイダーのページに表紙だけ付けているのだ。名前も「子犬と花のワルツ」を分割して「子犬のワルツ」と、「花のワルツ」である。是非探してみて欲しい。といっても中身は同じで、違うのは表紙だけである。表紙を作っておくとあとでいろいろな操作がしやすい。私はホームページビルダーというソフトで、ワープロ感覚のページを作っているので余計にそうなのである。
 この二つは、まあ、私にとっての隠れ家とでもいおうか。
 カンは囲いの中に秘密のスペースがあるだろうか。与えた犬用ガムなどは、すのこの下に隠してしまうし、お気に入りのボールはすぐ小屋の下に入れてしまう。
 ハリーポッターみたいに秘密の部屋でもあれば、たいしたものだけれども。

カサブランカ・ダンディー  (生後310日) 2003,6,29
 カサブランカが咲いた。百合の品種の一つで、大型の花が咲く(画像…うまく撮れなかった)。
 久しぶりの晴れ間だったことと、カンのカン毛が落ち着いてきたことから、カンシャン(カンのシャンプー)を決行した。
 洗い始めると、今まで以上に悲鳴を上げはじめる。外の人からは虐待しているのではと疑われるような、大きな鳴き声だ。3ヶ月ぶりだったが、その間ますます意気地なし犬になってしまったのか、甘えが強くなってしまったのかはわからない。程なくあきらめたのか。おとなしくなってきた。良く拭いてあげたあと、囲いの中に戻すと、案外気持ちよさそうに寝ていた。気化熱で涼しかったのだろう。それくらい今日は暑い一日だった。
 乾いてくると、浮いてきた毛を抜いてあげ、さらさらのヘアーになって、ずいぶん男前になった。
 カンは、かつてのハンフリー・ボガードの様に、カサブランカ・ダンディーといったところに変身を遂げた。

阪神強し!!   (生後309日) 2003,6,28
 今年の阪神は憎らしいほど強い。今日も横浜に勝った。
 なぜ強いのか分析してみると、一つは補強がうまくいったということがあげられるだろう。金本や片岡、そして伊良部の加入だ。ここ数年FAを利用していい選手がとれた。
 次に星野監督の采配だ。前監督の野村監督の緻密なデータ野球は阪神の選手には合わなかったようだ。星野式の気合い野球が選手の志気を鼓舞し、好成績につながった。
 思えば、1985年の前の優勝の時、私はセリーグ優勝を決めたあの神宮の場にいた。外野でファンがグラウンド内に入らないようにガードするアルバイトをしたのだ。実はにわか阪神ファンであった当時の私は、友人に頼んでこのアルバイトをやらせてもらったのだった。あのときの熱狂も凄まじいもので、掛布、岡田、バース、中西らの選手の活躍が思い出される。
 さて、現在の私は西武ライオンズの応援をしている。(ファンクラブの会員でもある)
 埼玉に就職し、ここに居を構えたことから、西武の応援をしようと思ったのだ。毎年数試合西武ドームに観戦に行く。この球場はとても見やすい。さらに、3000円の会員費を払えば、数点のグッズと4試合分のただ券(内野指定もある)が手にはいるので、時間さえあれば気楽に観戦できる。
 今年は阪神VS西武の日本シリーズが見たいが、今日もダイエーに敗れているので阪神の相手はおそらくホークスではないだろうか。

くちなしの花が  (生後308日) 2003,6,27
 ♪くちなしの花が 花の香りが♪
 渡哲也の「くちなしの花」である。我が家でもこの花が咲いている。(画像…八重咲きです)
 確かに匂いが強い花だ。でも私はこの花がどんな花であるか、3年前にガーデニングに目覚めるまで知らなかった。そういえば「千と千尋の神隠し」では、「カオナシ」というのが出ていた。
 「くちなしの花」はカラオケで良く歌われるポピュラーな曲だ。そういえば最近、演歌でこのように皆が知っているような大ヒットは出なくなってしまった。私は、時に演歌を歌う。「すきま風」「おまえと二人」佳境に入ってくると「つぐない」「時の流れに身をまかせ」といったテレサテンを歌う。心の震える名曲は他にも数多くある。最近好きな曲は、夏川りみの「涙そうそう」であるが、これは演歌といえるのだろうか。
 そういえば、先日同僚とカラオケに行ったとき、50歳を過ぎた人たちが一曲も演歌を歌わなかった。アリス、松山千春、吉田拓郎、グループサウンズの歌などを選曲する。あと20年もすると、演歌は消滅してしまうのではと危惧してしまう。
 人の人生の悲哀を描く演歌の心は、いつまでも普遍だと思うのだけれど。

紫陽花の詩   (生後307日) 2003,6,26
 今日も夕方雨が降った。我が家の紫陽花も濡れていた。でもこの花ほど雨が似合うものは他にない。確かにこの時期、夏椿、ザクロ、クチナシ、タチアオイ、百合などが咲いている。これらも雨に映えて美しい。でも梅雨の王様は紫陽花だ。
 カタツムリやナメクジもかなり目立ってきている。これらも梅雨の主役だ。
 陽が当たらず、湿気が多いせいか、害虫もつきやすくなっている。今日午前中仕事が休めたので、薬剤を散布した。しかし、どうもカンの様子がおかしい。薬剤はやはり嫌なようだ。そこで近くのホームセンターで木酢液と噴霧器を買ってきた。今後はこれでやっていくことにした。カンや人間にとってこの方がよいだろう。
 それにしても梅雨はあと3週間は続きそうだ。さすがに飽きてくる。晴れが恋しい。
       雨音も 聞かぬ 紫陽花 つぶやきて
       かたつむり どこ行く 吾も 連れて行け 
 
    

雨に濡れても   (生後306日) 2003,6,25
 今朝、カンの散歩に向かう際雨がやんでいた。
 出発してしばらくすると、ぽつぽつ落ちてきた。それは次第に大粒になり、私の服やカンを濡らしていった。
 梅雨もどうやら、前半のしとしと型から、後半の驟雨型に変化してきたようだ。いつものコースを少し短めにして帰ってきた頃には、お互いだいぶん濡れてしまっていた。
 散歩の最中、「雨に濡れても」の歌が心に浮かんだ。原題は「Raindrops Keep Falling on My Head」だそうだ。先日紹介した「雨に唄えば」よりも、私はこちらの方が好きだ。バート・バカラック作曲の名曲で、映画「明日に向かって撃て」の挿入歌だ。キャサリン・ロス、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードが出演する、従来のインディアンいじめの西部劇とは趣を異にした、いわいるニューシネマの一つである。
 主人公の悪党二人は最後に銃撃を受け、死んでいく。その場面はストップ・モーションで表現されているが、彼らのわがまま、冒険、夢、青春の終わりを象徴している。
 今日の午前中は埼玉地方、ずいぶん強い雨が降った。カンの囲いも横からの風にあおられ、だいぶん雨に打たれたことだろう。カンは「雨に濡れても」飼い主の帰りを辛抱強く待っていたのであろう。

雑誌   (生後305日) 2003,6,24
 情報化社会のまっただ中に生きる私にとってテレビ、ラジオ、新聞は貴重な情報源であることは、昔から変わらない。ただ、幼い頃は純粋にそれらの意見を信じていたのだが、今は疑いの目半分で情報を見ている。朝日新聞を購読しているのだが、天声人語、素粒子などのコラムは、時に怒りすら覚えることもあるほどだ。(特に素粒子の質はここ数年きわめて低い)
 雑誌も情報源の一つだ。毎月買うのはPIAと趣味の園芸くらい。犬系の雑誌も最近はあまり見なくなった。7月にはいるとバーゲンだが、その直前だけ「メンズCLUB」を買うこともある。どんなものがはやっているかをチェックするためだ。
 ただ、意識して情報を得ようとしないと、世の中で何が起こっているか分からなくなってしまう。それをしなくなったということは、最近の私は世の中にコミットしようという気があまり起こらなくなってしまっているのかもしれない。
 というわけで、週末にでも本屋に行って、興味のありそうな雑誌をランダムに買ってみようかと思う。

おかんちん宮殿   (生後304日) 2003,6,23
 その宮殿に向かう道はどこを通っているのか知られていない。その宮殿は何のためにあるのかは分からない。その宮殿になぜ人は向かうのかは謎だ。誰に聞いてもそう答えることだろう。
 その宮殿の南には小さな黒い犬が、北側には大きな黒い犬が番をしている。門扉を開けると、戦車が2台、敵襲に備えている。戦車の脇を通ると、巨大な木が5本立っている。葉っぱが真っ赤な不気味な木である。そこを抜けると道沿いに色とりどりの草花が植えられ、見る人を楽しませる。ようやく内門が見えてくるとなにやらかぐわしい匂いがする。線香の匂いのようだ。
 おかんちん宮殿が見えてきた。宮殿の周りには敵からの攻撃を防衛するためか、頑強な青い鎖でできた網のようなものが張り巡らされている(決しておかんちんの逃亡防止のためではないという)。
 網の向こうに褐色の宮殿がぼんやり見える。かなりの距離があるようだ。近づいてみると、人間界でいうログハウスのような、巨大な丸太を組み上げて作られた高床式の宮殿だ。その周りは、やはり人間界でいう、ウッドデッキのようなものが敷き詰められている。
 おかんちんがいた。滅多に会えないらしいので、幸運である。さらに幸運であったのは、おかんちんの食事を盗み見ることができたことだ。舶来の、なにやら不思議な動物の肉や、古代メソポタミアで食されていた不老長寿の穀物らが混ぜられた、科学減肥社製の特製料理だ。銀製の器に入れられている。水も銀製の器に入れてあるが、ヨーロッパアルプスの麓から湧き出た神秘的な水だという。毎朝晩従者たちが食事の支度をする。
 おかんちんは、音の出る不思議な毬で遊んでいた。周辺には動かない動物たちが付き従っていて、よく見ると、おかんちんの逆鱗に触れたのか、食い破られている。
 おかんちん宮殿には様々な謎があるという。それは次回にしたい。

月に吠える   (生後303日) 2003,6,22
 久しぶりにカンに会った。
 2泊3日の出張はとても疲れた。でもカンに会ったら癒された。
 遊んで遊んで攻撃が凄まじかった。ボール遊びをしてあげた。
 夕飯を食べていると。カンが何かに吠えている。
 月に向かって吠えているのだろうか。
 それは、今日が夏至だからだろうか。

桜桃忌   (生後300日) 2003,6,19
 今日は太宰治の死を記念する桜桃忌である。
 中学2年の時に初めて彼の著作に触れて、私は言葉を失い、彼の世界に引き込まれ魅了されていった。敗北の文学とか、転向したとか、前衛的でないとか、様々な批判があるが、彼はそれどころではなかった。思うようにいかない「自分の魂」に苦悩し振り回され、そして死んでいったのである。私は未だ、太宰マニアである。
 『トカトントン』より。
ーーー拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二十八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者をおそれよ。」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意に近いようです。このイエスの言に、霹靂(へきれき)を感じることができたら、君の幻聴は止むはずです。不尽。ーーーー
 『斜陽』より。
ーーー僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きていくのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きてきたのも、これでも、精一ぱいだったのです。ーーー

雨に唄えば Singin' in the Rain(生後299日) 2003,6,18
 ジーン・ケリーの名作『雨に唄えば』も口からでなくなるほど毎日毎日雨降りである。
 おまけに台風が近づいてきているという。週末の出張が心配だ。
 今日は、夕方散歩に行く前はそこそこ降っていたのでカッパを着て出発したのだが、まもなく雨は上がってしまった。あとは、通気性のない安物の長袖長ズボンのカッパを着て歩き続けなければならない。下はパンツの上に直にはいていたので、脱ぐこともできずだ。
 帰ってきた頃には蒸し風呂状態で、呼吸するのもつらい。おまけに、泥がはねたカンの足を洗おうと水をかけると、強烈に抵抗する。拭いてやる段になっても嫌がる。柱に引っかけてあったリードが私の首に巻き付いて、あわゆく窒息するところだった。
 でも、心には歌を忘れたくない。散歩しているときは口ずさんだり、心で歌ったり。
 アリーのところでも書いたが、歌が好きなのだ。歩きながらでたらめに作曲することもある。もちろんカラオケバーも好きだ。(お酒は飲めないけど)
 雨が降ってもカンと合唱しながら歩きたい。

腰痛   (生後298日) 2003,6,17
 今日、仕事を1時間早上がりして整体医院に行って来た。4月の頭から痛かった腰が少しの改善もないからだ。
 先日近くの総合病院で診察してもらったところ、第4腰椎分離(骨折)、第5腰椎、せん椎間のヘルニアの疑い濃厚という診断だった。ここの病院では、安静にして、良くなってきたらストレッチ、腹筋などをしなさいと言う指示だった。
 しかし、それでは時間がかかりそうな気がしたので、職場の人に紹介してもらった整体医院に行くことにしたのだ。今日は、問診と針治療、最後に骨の位置を直す、ボキボキ治療(これは初体験だったのでびびった)をした。あと3回くらい通えばだいぶ良くなるでしょう、とのことだった。信じたい。
 カンの散歩は土手沿いの道を最近よく選ぶ。舗装されていないので腰にいいのではと思うからだ。また散歩の時は腰バンドを巻いていく。これははじめて1週間くらいだが、帰ってきたあと楽な気がする。パソコンに向かうときの姿勢にも気を付けているし、夜はストレッチに腹筋背筋にも精を出している。できる限りのことはしたい。
 犬に腰痛があるかと言えばあると思う。4本足だから負担は軽いのだろうが、晩年のボンは腰が抜けたようによろよろとしていた。腰にガタがきたのだと思っている。
 カンも今はまだ元気はつらつだけれども、年老いたらそうなってしまうのかもしれない。

  画像は「はな」。はなも眉毛犬だよ。姉妹みんなそうらしいです。(もぐ、さくら)

Ally McBeal   (生後297日) 2003,6,16
 この週末、雨天曇天であったことや、腰痛が芳しくないことから、ずっと家にいて過ごした。カンの散歩には出かけたが、あとはすることがなかったので、ビデオ屋に行って『アリー・my・love5』を10巻借りてきて(本当は11巻あるのだがNO5が借りられてなかった。)ほぼ一日中見続けた。
 5年くらい前に初めてNHKで見て以来このアメリカ製のドラマにはまってしまった。昨年のパート5をまだ見ていなかったので今回こういうことになった。5で完結とのことである。
 原題は『Ally McBeal(マクビール)』という。30歳前後の女性弁護士アリーが、恋に仕事に悩んだりふざけたりと、アメリカ東部の北の町、ボストンを舞台に活躍する話である。ほぼ毎回裁判のネタがあり、しかもこれが信じられないような内容を争うことが多く、例えば10歳に満たない少年が神様を訴えたりするなど、半分はギャグで、かつヒューマンドラマの設計になっている。
 都市に住む青年後期の人々の恋愛(かなりきわどいお下劣な部分が多い)や、仕事の悩みなど、もちろんドラマであるので大袈裟だが、人種も文化も違う日本で私が見ても、ぴんと来ることが多い。啓発されることがあった。同じ都市文明下に生きているからだろうか。
 アメリカでも人気があるようで、ゲストにスティング・マライア・キャリー、ジョン・ボン・ジョビ、ボズ・スキャッグス、エルトン・ジョンなどそうそうたる顔ぶれが並ぶ。このドラマは音楽ドラマと言っていいほど作品中に歌が頻出する。歌好きな私にとってそれも好感を持つ理由の一つだ。
 孤独な都市に住む若き弁護士たちが右往左往しながら生きていく様は、個人主義が唯一の原理である都市に住み、その匿名性にかくまわれ、一方孤独に耐えて生きている私にとっては、なぜかほのぼのとした気分にさせてくれるのだ。
 もちろん全編にわたってのウイットに富んだギャグが現実を忘れさせてくれる。

父の日   (生後296日) 2003,6,15
 日中誰にも相手にされなくて少しふてくされ気味だったカンも、夕方になると俄然はしゃぎまわった。なぜなら、私の父と、妻の両親が同時にカンに会いに来たのだ。
 私の父は犬に目がなく、会いに来ると必ず犬用のスナックを買ってくる。(今日はささみチーズと軟骨だった)そしてカンが欲しがるだけあげてしまう。車の音がしただけで早くもきゅるるきゅるると鳴き始める。
 妻の両親は、はなを飼っているだけに良識的に対応してくれるが、二人とも犬が好きで、良くカンの相手をしてくれる。この二人が現れるとカンのトーンも一段とボルテージが上がる。
 父の日のプレゼントとして今年も両方にあげたのだが、それよりもカンの接待が一番喜んでくれたのではないかと思う。
 ところで会う人会う人みんなカンの顔がおかしいね、と言う。確かにその通りだ。早く毛が抜け替わってハンサムなカンになって欲しい。
 カンよ。君の父は私なのだが、何かプレゼントしてくれるのかい?
 君がそこにいるだけで十分なんだけど。

花菖蒲   (生後295日) 2003,6,14
 昨日にもまして高温多湿な1日だった。夕方カンの散歩に行く頃に雨が降ってきて、結構強く降っていたものだから、カンも私もびしょびしょになってしまった。帰りがけに獣医さんに寄ってフィラリアの薬をもらってきた。9・5kgだった。
 雨の中に咲く花として紫陽花と並んで美しいのは花菖蒲である。2年前に植えたものが、今年は大株に育ち、ずいぶんたくさん花を付けた(画像)。曇り空の中で風情を感じる。
 花菖蒲はいわいる「アイリス」の仲間だ。他に、あやめ、かきつばた、ジャーマンアイリスなど多種多様である。日本では古来人々に愛されてきた。万葉集に早くもカキツバタを歌った詩があり、伊勢物語にも記述が残されている。最も有名なのは、江戸時代に尾形光琳が残した『燕子花(かきつばた)図屏風』だろう。微妙に遠近法が使われて、狭い室内をより広く見せる効果を持たせてあるそうだ。また、光琳は蒔絵(小さな調度品などに描く絵)でもカキツバタを描いている。
 私の住んでいる町のそばに、菖蒲町というところがある。花の名前が町の名になっているところは他にはあまりないそうである。この町では花菖蒲が群生している観光スポットがある。

    むらさきの あやめの脇に 座るカン (あやめはカンの母犬です)
    犬遊ぶ 菖蒲の庭で ワルツかな
    五月雨の けむる菖蒲の たたずみて

湿中行軍   (生後294日) 2003,6,13
 インペラトル(皇帝)・カエサル・ヒデヨシ・アウレリウス・カンタロヴィッチ・ソロモン・アメンホテプ・ミッシェルクァン・オカンチン・アウグストゥス・ラカンドルフ・ネブカドネザル・ゲルマニウス・ブリタニクス・コンスル・チンギスカン・ゴダイゴ・太宗李世民・タカウジ・アドミラルトウゴウ・ナポレオン・アッラシード・ルイ・アレクサンドロス2世が今日も湿度90%を超える中征服行に出られた。さすがの皇帝も行きは元気よく走っておいでであったが、帰るときは、とものものとともにばてばてで、ハアハア言いながら歩いてお帰りになった。途中従者が引っ張って、走らせてさしあげようとしたが、かなり拒否反応を示しておられた。
 ともの者の感想は「これからの季節、朝晩これでは参ってしまうよ。」であった。
 それでも、皇帝陛下は夜になると元気を回復され、今度はお付きの者の住まいの中をすたすたと悠然と歩き回り、「何かうまいものをくれ」と従者に命ずるのであった。そこそこ食べると、今度は狩遊びをしたいとおっしゃり、ボールをくわえてともの者に持っておいでになるのであった。
 ときには、画像のような猫じゃらしのようなものを好まれることもある。
 こうして皇帝陛下は、のんびり過ごした1日を終わられ、寝室に戻り横になられるのであった。

おかんちん帝国   (生後293日) 2003,6,12
 今日もまたおかんちんが領土拡大の征服行に出た。日に日に彼のテリトリーが広がりつつある。
 はじめていく場所は慎重にくんくん匂いを嗅ぎながら進む。敵が待ち伏せしているかもしれないからだ。時には吠えかかられて、しっぽを垂らして一目散に逃げ出すこともある。名誉ある退却である。
 うんちをする空き地が先に別の王が使っているときは、素直に順番待ちをする。人間がスーパーのレジに並ぶように、意外とマナーを守るのだ。
 征服した証にその場所の記念柱におしっこを引っかける。これがおかんちん流だ。
 こうして少しずつ蛮族を制覇していく。かつてのビザンチン帝国が1000年もの栄華を持続させたのを、再びよみがえらせるかのように。
 同じ頃東アジアでは、カン王朝が成立していた。これは魏の曹操に滅ぼされたものの、蜀の劉備玄徳のもとで、勇将としてカン羽が活躍したのは皆が知るところであろう。
 しばらくすると、モンゴル高原からチンギス=カンがユーラシア大陸を制覇した。
 そしておかんちんは、今日も征服行を続けるのであった。
 画像は古代ローマ帝国が、軍団とともに食料として運んでいた牛を追うために使っていた、「ロット・ワイラー」という犬です。(わんにゃん村)

日本代表戦観戦記 (生後292日) 2003,6,11
 今日夕方、サッカー日本代表対パラグアイ代表戦を見に行った。Yさんに頼んであったチケットが手に入ったとの連絡が月曜日にあり、急遽観戦することになった。日本代表戦は初めてだったので嬉しかった。Yさんに感謝したい。ちなみに一緒に行ったのは別のYさんである。
 スタジアムにはいると、乙武さんをみた。日本国内の注目度が高いことを象徴している。後でニュースステーションを見たところ、久米宏氏も来ていたようだ。6万人もの観衆がスタジアムを埋めた。ただ、昨年のワールドカップを見たときに比べると、少し様子が穏やかで、親善試合であることが感じ取れた。ハーフタイムにはウエーブも行われて、場内が盛り上がった。非日常、祝祭空間を十分楽しんだ。スタジアムは古代ローマのコロッセオそのものであった。
 内容はというと、正直凡戦と言わざるを得ないだろう。日本代表はともかく、パラグアイの選手たちはフィジカルは日本より上だが、テクニックはいまいちで、あそこにボールを出せば日本は危ないのに、と言う場面が見えていないということもあった。だから、わが浦和レッズから選出された坪井、山田暢久らのディフェンダー陣が試される機会は少なかった。危なげなかった。
 一方攻撃では、セレッソの大久保が目立ったくらい。和製マラドーナに近づいた。もちろん私が好きな中田英寿はそれなりにやっていたが、彼の守備が目立つようでは得点にはならない。中村俊介は華麗なテクニックで場内を沸かせるものの、それが決定的な場面につながるかといえば、あまり関係ないところでばかりだった。(画像は俊介のコーナーキック)逆にボールを取られて危ない場面もあった。高原を筆頭に福西や、中田浩二、宮本、アレックスらもこれといった印象は残らなかった。
 このままではありふれた批評になってしまうが「得点力不足」が続いてしまうだろう。中田のフィジカルに俊介のテクニックがある選手の登場が期待される。そうでもなければジーコの自由な発想のサッカーはただの無戦術のバラバラサッカーになってしまうだろう。この面子だとトルシエ流の管理サッカーに軍配が上がるだろう。ところでジーコはなぜ選手を1人しか替えなかったのだろうか?疑問が残る。ジーコの輝かしい過去に傷が付かないよう、結果を残してもらいたい。
 コンフェデ杯で、がんばれ日本!
 

加仁湯温泉   (生後291日) 2003,6,10
 日、月と行った加仁湯温泉は埼玉からは意外と時間がかかる栃木県の奥の方にある。東北道から日光・宇都宮道路に入り、今市インターで降り、川治温泉のところを左折して川俣湖(ダム湖)へ向かう。この道が細く、すれ違うのに気を遣う急カーブが連続する道だ。行き止まるところに女夫淵温泉がありそこに車をおいてさらに送迎バスで20分で目的地に着く。
 この温泉は昔の湯治場の雰囲気を残している。同時に日光方面の登山基地にもなっている。すぐ近くに八丁ノ湯がある。露天風呂(画像)は開放的で、女性専用が一つある他はみな混浴だ。私はまだ明るいときは、おばさんたちと一緒に入るのは少し抵抗があった。また、部屋から露天風呂の様子が丸見えだ。これもちょっと躊躇する。ただ、個室露天風呂というのがあり、そこは外から見えない。予約が取れて入ってみたが、快適だった。
 この辺りは、平家の落人が開いた部落だという。ずいぶん人里離れている感じだ。途中、ニホンザルを数頭目撃した。野生のである。料理も精進料理で、肉はいっさいでなかった。ただ、値段は1万円を少し超えたくらいでリーズナブルに感じた。
 翌朝は女夫淵まで歩いた。すがすがしく最高だった。女夫淵でまた温泉につかり、乗車して途中霧降高原の方に回った。ここも天上に開けたような世界だった。
 こうして、帰宅したが、温泉に入りすぎたのか、ずいぶんだるくなった。日頃の疲れも抜けてくれればと思う。
 関東地方は今日梅雨入りした。平年より2日遅いそうだ。

わんにゃん村   (生後290日) 2003,6,9
 日、月と栃木県の加仁湯温泉に泊まりに行ってきた。フランス旅行の時に、温泉でも行って口直ししたいね、と言っていたのが延び延びになっていたのをやっと実行した形だ。
 途中、高速道路を今市のインターで降り、川治温泉を経由して目的地へ向かう。その途中「日光わんにゃん村」というのが道沿いにあった。私が渋る妻を強引に説得して寄っていくことにしたのだ。
 入場料が1500円というのは少し高く感じた。さらに、犬とふれあったり、子犬に授乳したり、気に入った犬を散歩に連れ出すにはさらにお金がかかる。私たちは普段から大いに犬(カン)とふれあっているので、珍しい犬を見るだけで満足だったが、結構犬を散歩している人たちが多かった。ちなみにカンは、例によって妻の実家に預かってもらった。
 その中に、毛がない犬がいた。(下の画像)実は毛のない猫もいたのだが、両方とも、すごく奇異に見えた。きっと冬場は寒そうだな、でも夏はいいかも。と話しながら見ていた。何せカンのカン毛がひどくて、我々は参ってしまっているので、少しうらやましくは感じたけれども、とても飼う気にはなれない、宇宙人のような犬だった。(続く)

勝ちたい病   (生後288日) 2003,6,7
 今日は1日とても疲れた。先週は金、土、日と宇都宮に出張し、そのまま今週は土曜日までの勤務だったからだと思う。おまけに今日は何となく湿気があって、どんよりとした曇り空だ。気候の影響もあるだろう。
 ストレス(緊張)の対処法として、『ストレス教室』という本にいろんな方法が記されている。先日の日記では「仕事編」を紹介したが、今日は一般編だ。全部で53もの提言がなされている。
 1,知らず知らずのうちに緊張の中にはまりこんでいかないように。
 2,自分が何をおそれているのか把握しておく。
 3,他人を非難しない。
 4,快適に自分の人生を生きる。
 5,他の人のために何かをする。
 6,一人になれる場所を用意する。
 7,一つの問題にいつまでも固執しない。
 8,決定を下す。
 9,細かいところまでやりすぎない。
 10,勝つことにこだわらない。
とりあえず今日は最初の10個を紹介する。私はこの中でダメなものは、3である。今日も人の悪口を言ってしまった。また、5も実践していない。カンのためには労を惜しまないが。9は日記に力を入れすぎてはいけないということかなと思う。10は、他の人のHPとヒット数を競わないなどか。
 一番競争してしまうのは実は妻である。本当につまらないことでもお互い勝とうとして、こじれてしまうことが良くある。カンを中に入れる入れない、などだ。とにかく自分の主張が通るように口論となる。冷静になったとき二人でこれは「勝ちたい病」だね、と笑う。一方、「負けて勝つ」という方法もある。これは高度なテクニックだ。わたしはなかなか使うことができない。
 画像は飼い主二人の矛盾した命令にとまどい、入っていいか困惑しているカン。

ラジオスターの悲劇   (生後287日) 2003,6,6
 金曜日はいつも9:00から18:00まで小林克也氏がNACK5で1日中DJをしている。とても聞きやすく楽しいおしゃべりで、これを聞くのは楽しみの一つだ(日中は仕事でほとんど聞けないが)。氏は私が高校生の頃は「ベストヒットUSA」というテレビ番組のMCもつとめていた。息の長い人である。
 月曜日にフジテレビで21:00から放送されているドラマ(名前を忘れてしまった)では、「ラジオスターの悲劇」という曲がBGMで使われている。私はこの曲が好きだ。ちょうど洋楽を聴き始めた、中学生の頃(25年くらい前)に世界的にヒットした曲と記憶している。ポリスの「孤独のメッセージ」なども同時期にはやっていた。私が長く暮らした静岡では「スカイハイ」…ジグソー…も大流行していた。これらの曲は忘れることのできないナンバーだ。もちろん先日の日記で紹介した「マンマ・ミーア」の主題歌、アバの「ダンシング・クイーン」もその一つだ。あのころ少年だった人たちが、今やテレビの制作の中心に位置しているのだろう。
 私が中高生の頃は、ラジオの深夜放送を聞くのがずいぶんはやっていた。ラジオは、TVの隆盛に押されて下火になるかと思われたが、どっこい今でも生きている。
 小林克也氏はまさに「ラジオスター」だと思う。

人の一生   (生後286日) 2003,6,5
 昨日、同僚の1人が亡くなられた。42歳の女性だった。
 私の職場は約200人の人が働いているので、正直、その方とは面識もなかった。なぜならその方は昨年4月にこの職場に転勤されてすぐ体調の不調を訴えられて、約1年間の闘病生活を送られたからだ。
 私とは6歳違う。しかし6年はあっという間にたってしまう。私がその歳まで生きられる保証はどこにもない。人の一生、そして自分の一生というものを深く考えさせられてしまった。
 今夕お通夜に参列させてもらった。生前話をしたことすらない方だったが、その方とその家族のため、そして自分の人生をを見つめ直すために参列した。
 私は今まで何かをした?何かを残した?生きているうちにしておいた方がよいこととは何?私が死んだら、誰か気にとめてくれるの?脳裏に様々な想いがよぎる。最近つとに、折り返しを過ぎたからだろうか、こんなことが去来する。
 以前、「なぜなしに生きる」ので十分だ、という河合隼雄氏の話を紹介したが、私はどうもそういう気分にはなれない。生に固執しているのか、死が怖いのか、物語がないと生きていけないのか。
 とにかく、彼女が無事成仏してくれることを祈念したい。
 画像は「シラン」の花です。

あれから1年   (生後285日) 2003,6,4
 ワールドカップの熱狂からもう1年が過ぎようとしている。
 昨年の今日は日本代表の初戦、ベルギー戦だった。テレビにかじりついて応援した。引き分けだったが、次のロシア戦、チュニジア戦には勝ち、決勝トーナメント進出。惜しくもトーナメント初戦のトルコ戦は負けてしまったが、日本戦がある日は、朝から胸がどきどきして仕事も落ち着かなかったことを覚えている。
 日本戦以外も夢中になってテレビを見た。1日3試合テレビで全部見た日もあった。非日常、祝祭の空気は1ヶ月間私の体内のアドレナリンを噴出し続けた。大会が終わったあとですらその余韻を忘れられず、Jリーグの試合を5試合くらい見に行ったほどだ。
 私にとってW杯最大のメモリーは、6月6日に埼玉スタジアムに参加した(あえてこの言葉を使うが)、カメルーン対サウジ・アラビア戦だ(画像はそのときの様子)。6万収容のスタジアムは満員。途中ウエーブも発生した。「カメルン、カメルン、カメルン」とアフリカの民族衣装を着た人々と日本人サポーターが声を張り上げれば、「サウディ、サウディ」とサウジサポーターも反撃する。へびつかいの笛も不気味に場内に響き渡る。まさにここは世界であった。 結果はカメルーンが、若きエース、エトゥのゴールを守りきり1−0で勝利した。
 今日、埼玉スタジアムでは浦和レッズとオランダのフェイエ・ノールトの親善マッチがある。さらにその後は福田正博の引退試合が予定されている。5万くらいは入りそうだ。埼玉ではサッカー熱が収まる気配はない。

武蔵野   (生後284日) 2003,6,3
 初夏の風が窓越しに吹き抜けた。昼食後、頬に風を受けながら椅子に座っていると、睡魔が忍び寄って、私をシエスタ(午睡)へ導く。15分位うとうとした。ここは私の職場である。
 目が覚めて外を眺めると、静かな田園風景が広がる。ちょうど農夫が田植えをしている。昔ながらの手植えだ。太陽の光が田に張られた水に時折乱反射する。あまりにも静寂で、平和な風景である。民家が田圃(たんぼ)の中にぽつぽつと見える。その北側には防風林があり、風に揺られている。春には枝だけであった落葉樹も、今が最も枝葉を伸ばす時期だ。先端だけ黄緑色の新芽が吹き出し、早く吹いた芽はもう濃い緑色に変化し、陽光をおなかいっぱい吸い込んでいる。
 この辺りはその昔武蔵野と呼ばれた一帯だ。今もかろうじてこのような風景が残されている。国木田独歩が『武蔵野』を描いた頃は今と比べてどうであっただろうか。思いは時を遡る。
 夕べには、田の水面に、落ちていく夕日が映る。昼間より少しだけ涼しい風が吹く。武蔵野の静かな1日が終わろうとしている。
 画像はアマリリスです。
 

羊をめぐる冒険   (生後283日) 2003,6,2
 カンが羊になってしまった。実はもともと羊だったのではないか。羊犬。もちろん牧羊犬ではない。顔の周りだけ毛が抜けて、周辺部がもかもかだ。しかも背中のあたりは綿毛が抜けているにもかかわらず、側面は綿毛でいっぱいだ。どうにも不格好である。
 夕方、羊をめぐる冒険に出た。羊は下痢ピーだった。昨日あげたビスケットのせいだろうか。それとも暑かったから?地面にお尻をこすりつけて、肛門付近の毛についたうんちをせっせと取ろうとしていた。45分くらい冒険した。
 帰宅すると、えさを食べ始めた。朝あげたものは口にしていなかったので、丸一日ぶりの食事だ。少しホッとした。
 羊で思い出し、本棚の隅にあった村上春樹の『羊をめぐる冒険』を10年以上ぶりに取り出してパラパラとめくってみた。1982年の作品で、彼を一躍人気作家にした作品でもある。シュールで、かつ西欧近代、高度資本主義、自我の拡大といった、もちろん現代でも人々を(私を?)悩ませている主題を描いている寓話だ。学生の頃夢中で読んだ。私の大学の、しかも同じ学部の先輩でもあったからよけいにだった。
 でもなぜ羊だったのか。従順にシステムの歯車の構成員になっているから?聖書で良く出てくるから西欧文明を象徴しているから?北海道が舞台だから?
 とにかく青年期を終えようとしていた村上春樹の傑出した作品だ。
 

月見草   (生後282日) 2003,6,1
 昼咲月見草がそろそろピークを過ぎようとしている。(画像)
 実は本当の月見草は白い花だそうで、ピンクのものは昭和の初期にアメリカ大陸より入ってきた外来種なのだそうだ。しかし、月見草の名に値する花だと私は思う。3年前にタネから作ったのだが、大量にできてしまった。それで庭だけでなく職場などにも植えておいたのだが、ものすごい勢いで増える。抜いても抜いても翌年生えてくる。しぶとい雑草モードの花だ。
 太宰治が「富士には月見草がよく似合う」と書いたという。
 また、野球の野村克也氏は「長島がひまわりなら、わしは月見草や」といったとも伝えられている。ちなみに氏の奥さんはひまわり志向のようだが。
 つまり月見草は、ひっそりと、地味に、脇役で、ウォッチャーで、傍観者で、けれどもしたたかに、強く、大地に根を張って、ということを象徴している。私はかくありたいと思う。踏まれても、切られても、除草剤をまかれても、したたかに生き延びていくような・・・でも私は弱いからなァ。