柴犬カンの日記2003年4月


過去の日記 インデックス

寿命   (生後250日) 2003,4,30
 今日は、妻の実家で飼われていた白い雑種犬「ゴン」…メス…の1周忌だった。最後は病に苦しんでかわいそうであった。冥福を祈りたい。
 グリムの昔話に「寿命」という話がある。神様が世界を作り、動物に寿命を定めることになった。ろばに30年の寿命を与えると、ろばは荷役に苦しむ生涯が30年続くのは長すぎると訴え、神様は18年減らして12年を寿命とした。次に犬も年老いて、ものを噛む力がなくなり、ただうなっているだけではたまらないというので、12年減らして18年の寿命が与えられた。猿も30年は長いというので、10年減らして20年の寿命となった。
 ところが人間だけは30年は短い、長生きがしたいというので、神様がろば、犬、猿から取った年を人間にくれることになり、人間の寿命のみは70年という長さになる。
 こうして人間は70年生きることになるが、人間らしく生きられるのは最初の30年だけで、その後の18年はろばのように重荷に苦しみ、次の12年は犬のように隅っこに横になってうなるだけ。最後の10年は猿のように間抜けになり、子供の笑いものになる、というのである。
 示唆に富んだ話だ。私の寿命は、カンの寿命は、神様だけが知っているのであろう。
 PS…この話の原典はグリム童話ですが、それが載っていた河合隼雄著『「老いる」とはどういうことか』講談社+α文庫、からほぼ抜き書きさせてもらいました。
 画像はモッコウバラとコデマリの間に見えるカン。

隣の芝生   (生後249日) 2003,4,29
 今日、昼頃柴犬「はな」に会いに行った。「はな」は義父母のところにいる。生後6ヶ月半だ。しばらく我々夫婦を歓待してくれた後、「はな」がいろいろ技を見せてくれた。まず、手をかざしただけで「おすわり」をする。むろんえさなしだ。次に「お手」だ。見事に決まった。カンのように中途半端に手を挙げたり、えさがないとしなかったり、口も一緒についてきたりすることはない。さらに、「ちんちん」だ。立派なものである。しかし見ていて一番感心したのは、アイコンタクトがしっかりできていることである。「はな」は、必ず飼い主の方を注視する。(画像参照)きちんとした飼い主→犬という序列ができている。かといってかわいがってないということはない。なぜ?どうして?うちのカンは?「はな」の飼い主さんは、雄と雌の違いもあるかもよ、と慰めてくれる。
 帰りがけ、妻と、うちはしつけに失敗したかもね、なんて話した。昨日など、家の中に入れて、外に出すとき、まて!といっても逃げ回るだけでちっともいうことを聞かない。これからでも間に合うかしら?と妻が聞くので、たぶん大丈夫だ、と答えたが、我々の態度が変わらなければ、同じことだろう。
 他人のことがよく見えてくることは誰にでもある。私など、同僚の姿を見て、何で俺ばかり仕事が回ってきてしまうんだ、とか、あいつはいいよな出世コースで(出世するつもりもないのに)、とか、タフな人を見て、何で俺はこんなに弱いんだろう、とか、お金のある人を見てうらやましくなったり、何事にもこんな有様だ。それでよく考えてみると、自分の方が楽をしていたり、恵まれていたり、経済的にも良かったりということに気付いたりする。
 ただ、劣等感というべきか、雑草魂というべきか、怨念というべきか、こういった感情が、時に人を動かす。そしてこの感情を長く忘れず、かつその仕返し?のため努力を継続できる人は、なにがしかの世界で成功者となろう。残念なことに私はすぐ、「まあいいや」と口ずさみ、程なく忘れてしまう。これでは成功者になれないかもしれない。

ルバイヤート   (生後248日) 2003,4,28
 チューリップのおもて 糸杉のあで姿よ、
 わが面影のいかばかり麗しかろうと、
 なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は
 土のうてな(台)になんか飾ったものだろう?

 もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
 生きてなやみのほか得るところ何があったか?
 今は、何のために来たり住みそして去るのやら
 わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!

 この道を歩んでいった人たちは、ねえ酒姫(サーキィ)
 もうあの誇らしい地のふところに臥したよ。
 酒をのんで、おれの言うことをききたまえーー
  あの人たちの言ったことはただの風だよ。

11世紀のペルシャの詩人オマル=ハイヤームの『ルバイヤート』・・・4行詩からの抜粋。
日本では古今和歌集が作られた頃だ。オマル=ハイヤームは当代随一のイスラム知識人だった。この詩には近代が垣間見える。
 疲れたときときどきこの詩集を開く。
 画像は満開のモッコウバラです。

美しい一日   (生後247日) 2003,4,27
 昨日の日記で、1年のうちほとんど調子が悪い、というようなことを書いたが、今日はそんなことをいうと罰が当たりそうな陽気だった。暑からず、寒からず、湿気もない。あまりの心地よさに10:30まで寝てしまった。
 午後は少し作業をしようと思って庭に出たが、体から力が抜けて何もする気が起こらない。ぼうっとしながら、そよ風を浴びて、満開のモッコウバラを眺め続けた。コーヒーを入れて、煙草を2〜3本ふかしながら、作業をする気が起きるまで待ってみた。
 2時半になってやっとその気になったので、液肥を与えたり、植えてある植物の引っ越しをさせて庭の構成を変えたり、シクラメンの鉢替えをしたりした。雑草取りが課題になっていたが、今日はできずじまいで、29日にすることにした。
 夕方カンの散歩に行ったとき、少し驚いたことがあった。小さな四つ角にたたづんでいた白い野良猫にカンが引っかかれたのだ。口の上あたりに鮮血が吹き出した。たいしたことはなさそうだったのでそのまま散歩を続け、帰宅してから拭いて、オキシドールで消毒をしてあげた。
 換毛しきっていないので、少し暑いとはあはあしてあまり走らない。涼しくなるととたんに元気が出てくる。昨晩21時頃に少し夜風に当たろうとカンを連れ出してみると、ぐいぐい引いた。
 とにかく今日は年に何回もない美しい一日だった。
 画像はサカタの種から購入した「ベネジオアークトチス」の匂いを嗅ぐカンです。

カン毛期   (生後246日) 2003,4,26
 とうとう本格的な換毛期が始まった。妻が今日ブラッシングしたところ足を中心に、ぎゅっとつぶしても野球のボール2個分くらいの毛が抜けたという。妻はカン(柴犬)の入室禁止令を発令した。私は入れたくてもじもじしているところだ。
 それにしても毛が抜けるわけである。特に午後になってから暑かった。しかも蒸し暑い。湿気を含んだ南風が頬をなでていく。私は1日室内で仕事であったが、途中少しだけ外へ出たとき、その蒸し暑さにむせてしまったほどだ。
 私は1年を通じて調子のいい時というのはあまりない。夏の暑さは逃げ場がなくて、最も苦手だ。クーラーも体の調子を狂わせてしまう。例年9月が待ち遠しい。冬は寒いし、暗い。日が短くなると気分が優れないときがある。2月から4月の半ばまでは花粉に悩まされる。かつては一番好きな季節だったのに、発病以来釣りにすら行きたくなくなる有様だ。ということで残りの4月下旬から6月中旬、そして9月下旬から11月くらいまでが私にとって過ごしやすい季節なのだが、あいにくこの時期は仕事の忙しい時期となっていて、季節を味わう時間がなかなかとれない。いつか、この過ごしやすい季節に長期の休みを取って、旅行に行ったり、ぶらぶらしたりするのが夢だ。
 慢性疲労症候群、ではないと思うのだが、ストレスポイントが低い私は、少し仕事や私事で負荷がかかると疲れてしまう。この疲れがなかなかとれないのだ。これを私は「蓄積疲労」と勝手に呼んでいる。特効薬は寝ること、ごろごろすること、何も考えないようにすること、ストレスから遠ざかることだ。蓄積疲労が臨界点に達して、簡単には回復できない、本当の病気になってしまったことがある。こうなると何をやっていても楽しくない。だから、その前に適当に休むのが大切だと思っている。自分を守るのは基本的に自分なのだから。
 画像は、今が盛りの「ハナミズキ」です。

日記書く暇なし   (生後245日) 2003,4,25
 今日は職場の歓送迎会で、帰宅が12:30分になってしまった。明日も仕事があるので、日記を考えて書く暇がない。せっかく各リングに加盟したばかりなのに残念だが、もう寝ることとしよう。
 画像は山野草の「みやまおだまき」です。

ブルーベリーの花   (生後244日) 2003,4,24
 我が家の庭では、引き続き様々な花が次々と咲き出している。モッコウバラがぽつぽつ花開いた。ハナミズキは今が盛りだ。山野草の、「みやまおだまき」も咲いた。あと、たいつりそう、シャガ、西洋シャクナゲ、オキザリス、ツルニチニチソウ、シラー・カンパニュラータ、コデマリなどだ。雑草も花を付けている。
 中でも実を楽しむブルーベリーの花を知っている人はあまりいないだろう。(下の画像)この木は、柴犬はなのいる義母の家からもらったものだ。毎年実を付け、食べたりするが、一昨年は鳥にほとんどやられてしまった。昨年はネットをかぶせて鳥から守った。おかげで多めに収穫することができた。
 今日いくつかのホームページリングに登録を申し込んだ。どうしようか悩んでいたのだが、花のページも見てもらいたいし、またそれについてのご意見もほしかった。また、最近では、各コンテンツよりも日記にかける比重が強くなってきているので、それも多くの人に読んでもらいたかった。日記はご存じの通り、カン(柴犬)だけでのことではなくなりつつある。もちろんカンのことや、カンをとおして様々なことを見ていく視点はこれからも続けていきたい。
 早速、呟きリングのマスターさんから登録済みとのメールが入った。ありがたい。他の方のHPもおいおい見て(読んで)いきたい。もちろん柴犬リングは、最初に登録させていただいた、私にとって原点であるので、大切にしていこうと思う。
 多くの人に見てもらいたい、という欲望と同時に、恥ずかしいとか、人様に見せるほどのものもないとか、心中の吐露が自己完結しているとか、慎ましくやっていけばいいんだといった感情と相反し、均衡している。でもまあ、もうスタートしてしまったのだから、きっと何とかなると思おう。
 新しくご覧になった皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

レッズ戦   (生後243日) 2003,4,23
 今日、仕事帰りに浦和の駒場競技場に、ナビスコカップ予選リーグの浦和レッズVSジュビロ磐田を見に行った。チケットを買ってあったことを忘れていて、2〜3日前に思い出したので見に行くことができた。4500円のとても良い席だった。結果は引き分けだった。中山ゴンなどが出場していなかったが、随所に面白い部分があった。
 レッズ戦は今年初めてである。昨年、ワールドカップを見に行ったことをきっかけに、サッカーづいて、Jリーグも数試合見に行った。W杯前も何試合かは行ったことがあったけれども。
 私は、野球では西武ライオンズのファンである。ファンクラブにも入っている。といっても熱烈なファンというわけではない。西武球場で野球を見るのが好きなのだ。先頃結婚したY氏は、福岡出身の熱烈なホ−クスファンだ。二人で行って、かたやライオンズ、かたやホークスと違うチームを応援しながら観戦する。これがまた楽しい。今年も何試合か行きたいと思う。
 一方、サッカーは浦和レッズのファンだ。実は、Jリーグ発足当時は、静岡市出身と言うこともあり、清水エスパルスファンになろうと思ったが、いつの間にか洗脳され、レッズファンになった。今年こそ一つタイトルを取ってほしい。
 スポーツ観戦の良さはいくつかある。まず、スタジアムの祝祭的空間だ。日常を忘れ、非日常に没頭することができる。観客の反応や、サポーターの応援も見ていて楽しい。次に、最高レベルのプレーを楽しむことだ。生活を賭け、日々鍛え上げたアスリートたちの真剣なプレーは、一見の価値がある。3つ目に、チームスポーツの場合、戦術や、選手交代の妙など作戦面の面白さだ。この部分は、日頃の仕事におけるマネージメントの参考になろう。
 これからの季節、スポーツ観戦には最高の季節だ。また、行きたい。
 自分がやるのは、運動音痴の私にはちと厳しい。カンとサッカーするくらいで収めておこう。

ローマ人の物語   (生後242日) 2003,4,22
 ここのところ毎晩寝る前に、『ローマ人の物語』を読んで寝る。
 実は最初食わず嫌いで、手を出さなかったのだが、文庫が出たところで、文庫になっているもの全部を買ってみたというわけだ。私は高校の時世界史を習ったので、ローマについては若干の基礎知識はあったものの、今回読んでみて、その面白さを初めて認識した。
 特に筆者の塩野七生氏の視点に敬服した。氏のローマに対する愛情、と同時に、冷徹な歴史を見る目、慧眼に頭の下がる思いだ。毎晩古代の世界に引き込まれている。この時期忙しく、あわただしく1日が過ぎ去っていく中で、カンとの時間と並んで、現実から離れられるひとときだ。そういえば映画も見ていない。新しいCDも買っていない。
 ローマの宿敵カルタゴは、ポエニ戦争の際、象を多く使った。カルタゴがアフリカ大陸にある(現チュニジア)からだ。動物を様々なものに使うことは古代より行われていた。
 フランスではパリ北駅で、警察官に引かれているシェパード・・・警察犬を見た。いかにもどう猛そうで、口輪がされていた。
 世の中には、盲導犬、介助犬、予知犬、など様々に社会に役立っている犬たちがいる。
 もちろんカンも我々の生活に、大いに役立っている。

友達   (生後241日) 2003,4,21
 今日も夕方散歩の時に、「あれ柴ちゃんだ、かわいいわね〜」といわれた。愛犬でも興味・関心を持ってもらえるとなぜだか少し嬉しい。一方、私そのものに関心を持つ人はほとんどいない。これは寂しいことだ。職場では200人もの人間が働いているが、私に関心を持っていると思われる人はごくわずかだ。だから、私に関心がある人が、私は好きだ。中でも私を良く評価してくれる人が好きだ。その人のためには一肌脱ごうとも思う。人間なんて所詮そんなものだ。寂しがり屋なのだ。(こんなところがだまされやすさにつながるのだろう)
 以前の職場で、風邪を引いて寝込んでいたとき(まだ独身だった)、心配して電話をかけてきてくれた人がいた。とても嬉しかった。この人ならついていこうと思った。残念ながら今の職場にはそういう雰囲気はない。電話がかかってくると、「あれどうなってんの」とか、「早く来てこれを処理してね」というようなことばかりで、憂鬱になる。
 「ホーソン工場の実験」というものがある。職場の人間関係が仕事の効率にいかに影響するかという、20世紀前半のアメリカでの社会心理学の実験だ。当然非公式な人間関係が活発なグループの方が生産性が良かったそうだ。
 友人というものは、互いにつらい状況の時ほど手を貸してくれたり、声をかけてくれるものだと思う。『杜子春』みたいに、金の切れ目が縁の切れ目、ではない。逆に私がそうしているかは、反省の余地がある。
 カンも犬の友人が増えてきた。画像は展覧会の時に友達になった「どん」ちゃんです。

癒して、癒して   (生後240日) 2003,4,20
 4月は、予想はしていたものの、疲労が溜まる。木曜日に休んだ貯金がもう尽きてしまったようだ。疲れるといらいらする。妻も同様だ。新しい人間関係、新しいシステム、前年度の整理、今年度の準備、仕事量もいつもの月より5割り増しくらいだ。
 おまけに暑かったり寒かったりする。今日の関東地方は最高気温が12℃くらいしか上がらず、前々日あたりとは15℃くらいの差がある。体もついていけない。
 夕方のカンの散歩はちょっとだるく感じた。でも行ってあげないと。やや遅くなってしまって19:00位に帰ってきた。霧雨が降っており、それも億劫になった原因の一つだ。仕方がないので、野口五郎の『19:00の街』を口ずさんで、自分を鼓舞しながらカンを引いた。
♪霧雨降る、ガラス越しに 19:00の街♪
 夕食後カンを室内に入れてひとしきり戯れた。うちではほとんどやらないカンコレを妻が始めた。いらなくなったTシャツだそうだ。(下の画像)
 私は体のあちこちが凝っているので、カンに背中に乗ってもらって「足圧マッサージ」をしてもらった。
 全く飼い主を楽しませて癒してくれるけなげな犬だ。今週5日頑張れば待望の連休である。何もしないでぼんやり過ごす予定だ。(HPの更新をそろそろしないと)5月3日に『ドッグ』ならぬ『キャッツ』を見に行くくらいが予定として入っている。1日くらいけなげな犬を河原で遊ばせてあげたいなあ。

Spring has come! (生後239日) 2003,4,19
 夕方から、私が所属しているスポーツの団体の歓送迎会があった。気心の知れている人たちと、くだらないこと、少しまじめなこと、冗談などを話していると心が和む。自分と感性が似ている人たちだからかもしれない。私のことにも興味を持ってくれるし、普段職場では話さないような腹を割った話しもできる。自分が孤独でないと感じるひとときだった。
 帰宅すると深夜12時近い。カンが出迎えてくれた。囲いの中にはいると、お腹を出してなぜなぜしてくれとせがむ。かなり長時間なぜてやった(10分くらい)。今までこんなことはなかった。服従心が芽生え出したのか、寂しかったのか。
 実はこの2〜3日カンの様子がおかしい。どうも発情しているようだ。推測するに、近所にシーズンを迎えた雌犬がいるのではないかと思う。遠吠えをしたり、ずいぶん大きな穴を掘ったり、ぬいぐるみを振り回し続けたり、もちろんマウントもする。心が千々に乱れているようだ。このことは大人になった証ともいえる。今後聞き分けがついて、忠誠心が発達してくれるようにと、前向きに解釈したい。
 画像はカンのために増築した囲いに付けた庇(ひさし)です。

ものぐさ太郎   (生後238日) 2003,4,18
 ものぐさ太郎とは、カンのことではなく私のことである。
 まず私は仕事があまり好きではない。仕事に楽しみを見いだすとか、人生を賭けると言う世界とは縁遠い。むろん出世も考えてはいない。ほどほどに稼ぐことが出来、できるだけ労働時間が短くて、余暇にのんびりできれば言うことはない。このホームページのコンテンツを見れば「ガーデニング」やら「ヘラブナ釣り」やら「柴犬」といった、こういう言い方は語弊があるかもしれないが「道楽」が好きなのだ。かといって、持続的にそれにのめり込むかというと、そうでもない。案外飽きっぽい。だからこのHPもいつまで続くかは、神のみぞ知るといったところかもしれぬ。
 妹の旦那のO氏も仕事に行くのが好きではないと言っていた。私もそうだと言うと、とても喜んでいた。フランス人でも「ものぐさ太郎」はいるものだ。
 御伽草子の「ものぐさ太郎」は歌の才能を認められ、また生まれも良かったことが分かって、出世していく。私にはなんか才能があるだろうか。何かチャンスがあるだろうか。果報は寝て待てということわざに従って、ものぐさしながら好機を待つとしよう。
 ただカンのこと、草花のことは疲れてもやるときがある。画像は昨日種を播いた苗床です。

夏日   (生後237日) 2003,4,17
 フランスから帰国して以来、風邪を引いて休んでいた時を除いて毎日出ずっぱりで、今週の土日も仕事が入ってしまったため、連休まで休めそうもなくなった。そこで思い切って今日休みをもらった。今日起きたときは9時半だった。午前中はゆっくりした。午後に作業を開始した。
 とにかく暑かった。今年一番の暑さだろう。カンを観察していると面白い。今までは日が当たるところで昼寝をしていたが、今日は日陰を選んで移動していた。特にほとんど入らなかった小屋の中で寝ている時間が長かった。まだ換毛が始まらない。厚手のコートを着ているようなものだ。さぞかし暑かろう。
 まずすのこを買ってきて囲いの中に敷いて、土が露出する部分をさらに減らした。湿気防止のためだ。それからカンの囲いのひさしを広げた。これも日陰を増やすためと、雨のシーズンを考えてのことだ。
 カンにとって初めてのことも行った。一つは自転車による散歩だ。今まではカンの不規則な動きや、このあたりは車が多い、などの理由で避けてきた。しかし、我々が疲れていてどうにも動けないときのため、またカンの運動量を増やすために試してみることにしたのだ。運動については、先日の展覧会の時に指摘されたことや昨日体重を量ったら一段と増えてきたこと、獣医さんに12kgはいくと言われたこと、などがその理由だ。実際いってみると、最初こそ不規則な動きで冷や冷やしたが、その後は順調に行ってこれた。飼い主はずいぶん楽だ。ただ、おしっこ、うんこの時間は作ってあげないとまずいなと感じた。
 もう一つはご飯に肉を入れたえさを与えたことだ。フィラリアの薬を混ぜるためだ。以前ドッグフードにかけて与えたら、見事にその部分だけ残されてしまった。今回はペロリときれいに食べてくれた。(画像はそれを食べているところ)
 最後にジニア、ベゴニア、ペチュニアなどの種を播いた。例年より2週間遅れてしまった。忙しかったためだ。カンとともにうまく育ってくれればと思う。

 

月は東に日は西に   (生後236日) 2003,4,16
 夕方散歩に行くと、満月が東の空に上がらんとしていた。日はすでに落ちていたが、まさに蕪村の句はこのような状況を言うのだろうと思い、こんな景色の中カンと散歩できることの喜びを感じた。
 帰りがけに獣医さんのところによって、フィラリアの薬を貰いに行った。2,250円(1ヶ月分)と意外に高いなあと感じた。同時に体重を量ってもらったところ、9.4kgだった。下痢が治って少し増えたかな。獣医さんは12kg位いきそうだという。それは困る。今でも結構コロコロしていて、これから少し引き締めようと思っているくらいだ。子犬用フードも終わりにする時期かもしれない。
 さて昨日の続きで、展覧会のことについて少し述べる。
 「展覧会の意義」だが、これはないと絶対困る。なぜなら、誰かが柴犬という犬種を育成し、理想の形、最低でも現状を維持するように作出をしていかないと、一般の人がいざ柴犬が飼いたいと思ってもどこにも見あたらなくなってしまう。天然記念物だからといって、国の機関が税金を使って繁殖させるわけにもいかないだろう。だから、日本犬保存会、JKCなどの団体のボランティアは我々柴犬のファンにとっては大変ありがたい存在なのだ。ブリーダーさんたち個人の努力にも敬意を表したい。
 もちろん展覧会至上主義の弊害もあるかもしれない。しかし加熱した競争による問題はどこの世界にもある。今後とも日保等の団体にはエールを送っていきたいと思う。
 PS・・・画像はリンクの上で限界を迎えたカンです。

埼玉展顛末記その2   (生後235日) 2003,4,15
 埼玉展では、多くの人に迷惑をかけてしまった。この場を借りてお詫びします。
 なぜかというと、1つは歯の審査に時間をかけすぎ、他のワンちゃんを待たせてしまったということだ。やはり犬の集中力は、いくら鍛えていても限界があると思う。あとで撮った画像を見ると、カンの歯の審査に時間がかかっているとき、両隣の犬のハンドラーが、早くしてくんねーかなー、という感じでカンの様子をのぞき込んでいる。
 もう一つは、2審のとき、綱を持っている私の後ろにいるギャラリーのおじさんが、「にいちゃん、犬が審査員の方を向かないなら、家族の人に反対側に行ってもらって呼んでもらいな」という。私は緊張していたこともあって、真に受けて妻と見学に来てもらっていた義母に、そこへ行ってもらって声をかけてもらった。ところが、後で聞いたのだが、妻たちが怒られてしまったというのだ。妻の周辺にいたハンドラーに、「うるさい!他の犬が気が散ってしまうじゃねえか」といわれたそうだ。確かにその通りだ。他の人は、声を出さずに手を振ったり、好物のジャーキーの袋などを振って、犬の注意を引こうとしていた。やるならそれがまだましというものだ。全てが終わり、雌の成犬の部を見学していると、くだんのギャラリーのおじさんに話しかけられた。「あんたの犬は悪くねえと思うよ。ただハンドラーがだめだなあ。もっと慣れた人に引いてもらうんだね。」悪いのは確かに私だ。
 この展覧会に勝負をかけて、時間とお金と情熱を注ぎ込んでいる人たちを軽く見てはならない。中には生活をかけて取り組んでいる人もいよう。
 人間なにかしらに、周りの人が見れば異常としか思えないほど、執着することは良くあるのだ。今まで、ヘラブナ釣りの世界でも、ガーデニングの世界でも、スポーツの指導の世界でも、このように真剣に取り組み、全人生をかけている人たちを多々見てきた。私自身もこれから何かに命がけで取り組むかもしれない(今はないけど)。だから、こういう人たちを軽々に批判してはならない。少なくとも邪魔にならないようにせねばなるまい。
 というわけで、知らなかったこととはいえ反省したい。おそらく私が展覧会に夢中になることはないと思うけど。
 画像は審査員の気迫に圧倒され、へっぴり腰のカン。

埼玉展顛末記その1   (生後234日) 2003,4,14
 昨日の疲れもどこへやら、夕方は近所の子供と遊んで大はしゃぎ、散歩もいつもの梅畑までランニングをまじえて行った。
 埼玉展を振り返って、私なりの見方を述べてみる。まず、参加者であるが8割方本気で入賞を狙っている人たちだ。良血を選び、入念なトレーニングを施し、毎週どこかの展覧会に参加している犬たちの飼い主だ。残りの2割は私たちのような、記念参加組とみた。若犬1組でカンより下位になった犬たちは、おそらく全て記念参加だと思う。笑ってはいけないのだが(カンも十分あり得た)そのうちの1頭が、審査の最中首輪が抜けて脱走するという事態が起こった。本気組は逃げた犬が、手塩にかけた自分の犬とトラブルになるのではと心配していたようだが、私は内心仲間だなあと微笑んでしまった。あとで聞いた話によると、このワンちゃんは展覧会に出すというので急遽その前の日に首輪を新調したとのことである。これのサイズが合わなかったようだ。それにしてもあの逃げ方は、リンク内の緊張に耐えられず、勘弁してくれ〜という感じだった。ちなみにこのワンちゃんを捕獲したのは、我々のブリーダーさんの息子さんだった。
 また、カンのように歯の審査で鳴きわめく犬が他にも数頭いた。カンだけではなかったのでほっとした。本気組でも初めて出した犬や、記念参加が多かったんではとの話だった。(続く)
 画像は賞状とトロフィーとともに記念撮影するカンと我々です。
 

埼玉展速報   (生後233日) 2003,4,13
 やれやれ、暑くて長い一日が終わった。正直言ってくたびれた。とにかくカンも私も初めての体験だったのでお互い疲れた。
 今日は5時半に起きてカンの散歩に行き、7時45分には会場の越谷しらこばと水上公園に着いた。その後ブリーダーさんたちに合流し、受付を済ましてもらった。今回で出展3回目という黒胡麻の「どんちゃん」…雄…と初めて出会った。こういう出会いは嬉しいものだ。
 さて、カンの出場した若犬1組雄の部の1審が始まった。ブリーダーさんに綱を引いてもらった。ところが最初の審査から大変な騒ぎになってしまった。口の中を見せないのだ。飼い主呼んで、といわれ駆けつけて私とブリーダーさんと審査員で口をこじ開けようとすると、頑強に抵抗する。挙げ句の果てに「ぎゃい〜〜〜ん、ぎゃい〜〜〜ん」と会場中に響き渡る大声で鳴きまくった。周囲の人たちの失笑を買っていた。もちろん練習もさせずに出した私の責任が大である。妻はかわいそうで見ていられなかったという。
 2回に分けて口の中を見てもらいやっとOKがでた。歯とかみ合わせは大丈夫だったようだ。体高を計るときは比較的うまくいった。あとは歩いたり、立ち込みをしたりだから何とかなる。これで1審は終わりだ。次は午後2審の比較審査だ。この間はゲージに入れて日陰で休ませておいた。
 2審は私が綱を持った。しかし、審査員がいないときはしっかり立つのだが、審査員が来ると、午前中のトラウマか、へっぴり腰で後ずさりする。残念!見ていないときは凛々しく立っていたのに。
 そんなこんなで、こんなリンク態度では上位入賞は当然ダメで、また、他の犬を見ると良く鍛えられて筋肉隆々だ。カンはすこし運動がたりないと、ブリーダーさんに言われてしまった。結局出場19頭のうち9位であった。というのもカンより上位の犬の何頭かが、順位が決まる前に棄権してしまうようなのだ。
 そして、賞状とトロフィーをゲットすることができた。今日の収穫は、審査を最後まで受けることができたという1点につきる。歯の審査でカンに嫌な思いをさせてしまったが。
 ごめんカン!もし万一次に出すときは、歯の審査の練習をしてから行こうね!

いざ出陣!   (生後232日) 2003,4,12
 明日は埼玉展だ。カンは初出陣である。といってもなんの準備もしていない。うんと走らせているわけでもないし、立ち込みの練習や、歩く練習もしていない。ブラッシングも気が向いたときだけだ。結果は推して知るべしだろう。だけどもほんの少しだけ期待してしまうのが飼い主の心理だ。なにせ飼い主にとっては自分の犬が世界一なのだから。とにかく全国大会への切符を手に入れられるようがんばってもらいたい。
 昔黒柴ボンが若犬だった頃、父が静岡展に出したことがある。体高オーバーで失格になったが、何か賞状をもらってきた。何となく嬉しかった記憶がある。ただあの当時、展覧会会場には右翼の街宣車がいっぱい来ていて、少し怖かった記憶がある。たぶん日本犬だから右翼の人たちが大切にしていたのだろうけど、今はどうなのだろうか。
 今日は、雨が上がってから散歩に出かけた。雨上がりのためカンのお腹や足に泥がいっぱいはねてしまった。明日早朝散歩に行った後、少し拭いてやろうと思う。それだけが唯一の準備だ。なにせ8時までには会場に着かねばならないので、明日も早く起きなければ。
 カン!今日はゆっくり寝て、明日に備えなさい。

外交カン   (生後231日) 2003,4,11
 ここのところ毎日、飼い主以外の誰かしらがカンをかわいがってくれる。おとといは、はす向かいのIさんの坊っちゃん二人(小5、小3)がカンの囲いに入れさせてと訪れ、そのまま前の空き地でロングリードを付けた状態でボール遊びをえんえん30分はしてくれた。カンは興奮して走り回り、ぜいぜいハアハアしていたが、とても楽しそうだった。
 昨日はI家兄弟に加え、奥のNさんの兄弟(小4、小2)と、Nさんの奥さんとさらにN家で飼っている黒のパグ犬の「ブルー」君と隊列を組んで30分も一緒に散歩をしたとのことである。(妻が行った)
 今日は夕方散歩帰りに隣のYさんの家の前を通りがかると、Yさんの奥さんと二十歳くらいの娘さん、そして飼い犬の黒のラブラドール・レドリバー「ブレア」君がカンを呼んでくれて、娘さんがカンを触らせてといったので、触ってもらうと、「かわいいねー」なんて言ってくれる。
 3年前に引っ越してからカンが来るまでは、挨拶や回覧板程度のおつきあいしかなかったけれども、カンが来てからはより親しくおつきあいさせてもらっている。これも犬の外交官「カン」のおかげだ。それにしてもご近所がみんな犬好きでホッとする。中には犬や猫が嫌いだという人もいるからである。また無駄吠えをしない犬だと言うことも幸いした。
 カンよ、これからも外務省のお仕事、よろしく頼むよ!

バグダッド・カフェ   (生後230日) 2003,4,10
 バグダッドが陥落した。このことについてとやかく言うのはやめておく。
 私がバグダッドと聞いてまず思い出すのが『バグダッド・カフェ』という映画だ。西ドイツの映画である。内容はアメリカ西部のモハーベ砂漠にある小さなモーテルにドイツ人女ジャスミンが訪れ、人々の心を次第に和ませていく。ハイウェイ沿いを大きい鞄を持って歩いてくるジャスミンの姿と主題歌「コーリング・ユー」が流れるオープニングは物語にどんどん引き込まれる。モチーフとしては、砂漠を孤独な現代社会と見なし、そこに井戸としてジャスミンがあらわれ、乾いた人間関係を潤していくという筋立てだ。少しシュールで、幻想的、かつ人間味あふれた作品だ。音楽も良い。
 実は私は今職場の人間関係に辟易としている。時折自分は全く孤独なんではないかと思ってしまう。(決してそんなことはないのだが)この映画を今見ると、きっと涙がこぼれ落ちてくるだろう。
 フランスはカフェ大国だ。特にパリはそうだ。歩道にもイスとテーブルが並べられ、平日の昼間から大の大人が所狭しとカフェを飲んでいる。それが延々と夜中の2時過ぎまで続くのだ。私もついたその日からカフェ巡りをし、10件近くの店に入ったと思う。コーヒーが大好きな私にとってとても居心地の良い場所だった。普通にコーヒーを頼む(アン・カフェ・シルブップレ)と、日本の器の半分くらいのカップに入ったコーヒーが出てくる。これで2.25ユーロ(270円)だ。この一杯で1時間くらい粘る。煙草も吸い放題だ。(これも私は嬉しい。あまり褒められないけど)
 さて、画像のコーヒーは「カフェ・ド・フローラ」というパリの店のものだ。ここにはかつてサルトルやボーヴォワールら哲学者が良く集ったカフェなのだという。
 

jardin・・・庭   (生後229日) 2003,4,9
 一晩開けて雨は上がったが、相変わらず風は強いままだった。ただこの季節、雨が降りそして陽が差すことによって、目に見えて植物は生育していく。色とりどりの花が咲き乱れ、ガーデニングには絶好シーズンとなった。
 フランスにおける個人の庭についてじっくり見たのは、妹の旦那の実家であるP家のものだけだった。とにかくよく手入れがされており、聞いてみると、毎日何らかの形で庭いじりをしているのだそうだ。私もガーデニングが好きなんですよ、と話すと、あなたは仕事があっていつ庭仕事をするの?と言われてしまった。実はP家の夫婦は3人の子供を育て上げ、仕事も50代半ばで早々に辞め、後は悠々自適な生活を送ってきているのだそうだ。近くの景勝地のバンガローを借りて小旅行に行ったり、遠くはイタリアに観光旅行に行ったり、家にいるときは旦那さんは日曜大工が上手で(私の壊れたカメラ用三脚をいともたやすく直してくれた)、奥さんはきれい好きで部屋のインテリアこぎれいにまとめ、まさに定年後の理想型がこの家にはあった。私の妻の実家も似たような感じだ。家庭菜園が趣味で、旅行好き。義父は我々がフランスに行った翌日からカナダにスキーに行き、昨日帰ってきたことがよい例である。
 話が定年後のことになりそうなのでもとへ戻すと、フランスの庭は総じて芝を利用し、整った形にまとめていく。整形式とでも呼べるような感じだ。イングリッシュガーデンのように雑多な宿根草を多く植えるようなことはあまりなさそうだ。現地のガーデニング雑誌を買った。日本でいえば『趣味の園芸』や『園芸ガイド』に当たるような雑誌で『jardin 100idees』というものだ。訳せば、「庭 100のアイデア」とでもなろうか。この手の雑誌が他にも数種類、小さな日用品店で売られているところを見ると、フランスでもガーデニングは多くの人々を引きつける趣味なのだろう。
 下の画像はP家の庭の一部だ。椿が満開だった。肥料には、日本では牛糞、鶏糞が多く使われるが、この家では馬糞のものを使っていた。ただ、雨が降るとリマース(ナメクジ)とエスカルゴ(カタツムリ)がたくさんはい出してきていた。植えてあるサラダ(野菜類)はあっという間に食べられてしまうそうだ。これを集めてこれから食べるんだよ、なんてジョークも飛び出す始末だった。(続く)

雨にそびえ立つ、天空の城   (生後228日) 2003,4,8
 午前中から降り出した雨が、午後になって風を伴い、まさに嵐という状況を呈した。せっかく満開を迎えた桜もどうやらこれで散ってしまいそうだ。南向きに開けているカンの小屋は、日本海を進む低気圧に吹き込む南風に雨が混じり、びしょぬれだ。かろうじて小屋の中は雨が吹き込んでこないようで、カンは1日この中でじっとしていたようだ。
 私が帰りしばらくすると、妻がカンを連れてびしょぬれで帰ってきた。カンは帰宅したとき雨よりもむしろ風の音におびえて、ずいぶん鳴いていたらしい。それで夕方は私の当番だったにもかかわらず、早々に連れ出してくれたとのことである。散歩後は良く拭いた後玄関にゲージを置いて、乾くまでおいておくことにした。
 フランスのノルマンディー地方に行った1泊2日も小雨が降り止まない陽気だった。あちらは海沿いで、内陸的なフランスの気候よりも海洋性のイギリスの気候によく似ている。住んでいる人たちの顔かたちも同様だ。雨の様子は全英オープンゴルフを思い出してほしい。あんな感じだ。しとしとしとしと傘がいらないほどの降りが1日中続く。名所「モン・サン・ミシェル」・・・モーリス・ルブランの『奇岩城』の舞台となったところで、8世紀から建造が始まり、修道院として、城郭として、牢屋として使われた・・・も曇天の中不気味にそびえ立っていた。(下の画像参照)
 日本は雨風に舞い散る桜もまた一興といったところかもしれないが、今の私にはそんな余裕はない。今日から職場復帰して、年度当初の特に忙しいまっただ中に身を置くことになった。風邪がぶり返さないように早々に寝よう。

日々是好日   (生後227日) 2003,4,7
 30時間寝続けたせいか、今朝になるとだいぶ楽になった。通例では37℃前後の熱が3〜4日引かないことが多いのだが、今回はスパッと下がってくれた。まだ、だるさは残っているが明日からは何とかなりそうだ。医者もただの風邪でしょうということだった。気分良くした私は夕方カンの散歩にまで出かけてしまった。やはり走るとまだつらい。ゆっくり行った。
 天気は最高だった。庭の水仙も次々と咲き、チューリップも花を付けた。パンジーのハンギングバスケットは、急速にボリュームを増し、バラなどの落葉樹はあっという間にみどりの葉を吹き出した。本格的な春の到来である。関東地方では桜はまさに見頃である。
 かつて西行法師が辞世の歌として
   「願わくは 花(桜)の下にて 春死なむ   その如月の  望月(満月)の頃」
 武士階級出身の西行は桜の下で死にたいと願い、まさにその通り死んでいったという。この歌に込められた深遠な意味は凡人には理解しがたいと小林秀雄は言ったそうだが、私にもその胸中は推測しかねる。ただ、日本人は季節に生き、そして死ぬという、自然に沿いつつ、その中に自らの人生を投影させて生きてきたんだろうことは、無学な私でも若干は推測できる。まだ私は死ぬことは考えてはいない。ただ単にそんな気はしないというだけなのだが。
 毎日を良き日と思いながら、しばらくはこの世に生かしてもらおう。
 PS・・・この画像はフランスのモクレンです。満開でした。

やられてしまった!   (生後226日) 2003,4,6
 やはり無理はたたる。
 土曜日の朝かなり強い雨の中、カンの散歩に出かけるとえらく寒く感じる。手が凍り付きそうで、頭もボオっとする。最後にいつもの草原にいった。カンが泥の斜面を登っていった。あわててついていくと、ずるずると滑り転倒。リードも離してしまった。ただ分かるのであろうか。逃げはしなかった。
 その後仕事に行くがどうも寒気がおさまらない。12時過ぎに早めに帰らせてもらった。家で熱を測ると38℃。体中の関節が痛む。お腹も痛い。とりあえず買って置いたポカリスエット2Lだけ、寝床の脇に置いて寝ることにした。寝ていてもつらい。生き地獄という感じだ。とにかくじっとしていなければと思い、うつらうつらする。2時間おきくらいに目が覚め、ポカリを口に挟んで、また寝る。そんなこんなを続けているとなんと、今日の夜7時になってしまっていた。やっとまともな食事を口にしたのがその後だ。
 今は逆に寝付けずに、日記を書いている。ただ、私は体はあまり強い方ではないので、長引くおそれもある。まさか「SARS」ではないとは思うけど、一応明日は病院に行こう。カンは妻に任せて。

春爛漫   (生後224日) 2003,4,4
 暖かくて、風のないよい一日だった。久しぶりに何もなく、ごろごろ過ごすことができた。命の洗濯ができた。ただ、花粉は未だに飛び続けている。今日も朝から目、鼻がぼろぼろの状態で、頭もぼんやりしていた。
 沖縄はさすがに花粉は飛んでいなかった。ところが予想外だったのは、フランスでも花粉が飛んでいたということである。現地についてどうも鼻が通らないなと思っていたところ、妹の旦那のO氏がさかんに鼻をかんでいる。聞いてみるとフランスでも今が花粉の季節なのだそうだ。杉や檜(ひのき)ではないかもしれないが。
 今、関東地方は檜が主流になってきたようだ。長年の病歴から鼻水の出方で分かるようになってきた。しかし檜だけではなく、様々な花木が花を付けている。むろん桜がその筆頭だが、ハナズオウ、ハクモクレン、ユキヤナギ、レンギョウ、カイドウ、ボケ、ジンチョウゲ、椿などだ。カン(下痢は治った)の散歩をしながら家々の庭を覗かせてもらうのが大変楽しい季節だ。
 午後、久しぶりにはなに会いに行った。相変わらず歓迎してくれた。ひとしきりはしゃいだ後、のどが渇いて水を飲んでいるのが下の画像だ。
 PS・・・獣医さんのところでカンの体重を量ってもらったところ8.9kgだった。ほぼ成長は止まったようだ。

疲労コンバイン   (生後223日) 2003,4,3
 フランスから帰ったのが31日の夜10時近くで、翌日朝から勤務。そして群馬の出張が2,3日と、さすがに疲れた。この日記を書いている際にもうとうとと寝てしまいそうになるくらいだ。(昨日は同僚らと夜中の2時過ぎまで話をしていた)とにかく一連の行事が全て終了して、やっと明日1日休みが取れた。久しぶりにカンとゆっくり過ごせそうだ。それから不在だった10日間の間に、春の草花がむくむくとふくらんで、花数が飛躍的に増えた。これもデジカメに残しておこう。また、夏、秋の草花の種もそろそろ播かねばならない。明日余裕があったら播きたいと思う。雑草もぐんぐん伸びてきている。「ほとけのざ」くらいだったのが、「めひしば」や、「かたばみ」も力を付けてきた。これらの除去もしておきたい。雨に備えて、カンの囲いの屋根の仕上げも残っている。やれやれあんまり休んでいられそうもない。土曜日も仕事が入ってしまったからだ。
 さて、カンはというと、また下痢が復活してきたようだ。昨日もとろとろの軟便を外でした後、家の中でとろとろをもう一発やったそうだ。さらに今朝は囲いの中にもうんちがしてあったという。どうしたのかな。心配だ。さらに続くようなら病院に連れて行こう。元気はあるのだけれど。
 私は逆にフランス滞在中に1回しか出ず便秘だ。お互い神経質なのかな。飼い主に似てくるというし。沖縄からフランス、群馬と疲労の結合(コンバイン)により疲労困憊の私は早々に風呂に入って寝るとしよう。
PS・・・画像ははな(左)のところにいたときのカン(右)です。

ヴェルサイユの犬の糞   (生後221日) 2003,4,1
 久しぶりに今日の夕方カンの散歩に行った。帰ってきたのが7時近かったのだが、できるだけ長く行ってあげたくて、いつもの梅林の道まで走った。暗かったのでうんちを拾うのが大変だった。おまけに軟便であった。
 フランス人はほとんどうんちを拾わない。従ってパリの街角のそこかしこにまだ湯気の立っていそうなものが落ちていた。通行人も時折踏みつけてしまうそうで、気を付けて歩いているのだそうだ。私は今回パリと、パリの西部にあるノルマンディー地方に行ったのだが、田舎であるヴィールという町の公園や歩道にもうんちが落ちていた。フランス人に言わせると田舎はまだましで拾う人もいるが、パリは全く気にかけないのだそうだ。どちらの地方でも、うんこ袋を下げている人を全く見かけなかった。この傾向は多かれ少なかれヨーロッパ全体に演繹できそうな気がする。日本はまだましということだろう。
 なんと、あの世界遺産のヴェルサイユ宮殿の整形式庭園にも糞が落ちていた。まず、庭園の中に犬が入れるということに驚かされるが、糞を拾わない人たちも驚異だ。おまけにヴェルサイユ宮殿は人間のトイレも極端に少なく、数少ない有料トイレに長蛇の列ができていた。きっとこっそりしてしまう人がいるのだろう。全体にアンモニア臭が漂っていた。(宮殿内も)
 その昔ルイ14世が(フランス絶対主義の最盛期・・・この王の時この宮殿が建てられた)初めてハイヒールの靴を履いたのだそうだが、その理由は王が低身長(162cm)だったことと、宮殿の内外が人間や馬などの家畜の糞で足の踏み場がなかったからという説がある。夏目漱石が訪れた頃のヨーロッパでさえ街の中は人間や家畜の糞でまみれ、人々は窓から汚物を捨てていたそうなのだ。そのせいかヨーロッパの都市では下水道がいち早く開発されたらしい。名残りか、パリでは煙草やそのほかのゴミが街角によく落ちていた。市当局もその対策か、あちこちにゴミ箱を設置していたが、その中に捨てない人も多いのだろう。日本でも一部、国道の脇のスペースなどがゴミだらけだったり、草むらが犬の糞だらけだったりする。これらはマナーの問題だし、パリの真似をする必要もない。
 下の画像は、ヴェルサイユの庭園を散歩する犬です。