過去の日記 インデックス
Bon voyage! (生後220日)
2003,3,31
5泊7日に及ぶフランス旅行もやっと終結し、今夜10時に無事帰宅した。カンはすでに我が家の囲いの中で待っていた。久しぶりにあった割にはあっさりとした喜び方のように感じたが、我々の方がカンより嬉しかったかもしれない。カンはこの7日間、大好きなおじいちゃん、おばあちゃんの家で、「はな」と楽しく暮らしていたから、寂しさはあまり募らなかったのかもしれない。少し下痢をしたようだが、すぐに治り、至って元気だったとの連絡を受けた。
フランスでの出来事や、感じたことについてはこれから画像とともに皆さんに紹介しようと思う。今回は、デジカメで「花と犬」。フィルムのカメラで人間を撮った。これらは別にホームページで独立したコーナーを、おいおい作っていこうと思う。
我々が不在だった間の日本はずいぶん暖かくなったようだ。今日暗い中、庭を点検したところ、水仙が8割方咲いていた。フランスでも水仙はずいぶん使われており、現地名で「ナルキ(シ)ス」と呼ぶのだそうだ。あのギリシャ神話の「ナルシスト」に由来するとのことである。また、桜もいつの間にか7分咲きだ。パリは日中20度を超える日が続いて、日本よりもずいぶん暖かいなあと感心していたが、どうやら日本も同じだったようだ。下の画像は、チュイルリー公園の脇の道から見た桜だ。この道をまっすぐ行くと、歌で有名なシャンゼリゼ大通りに繋がる。このあたりは要人の公館や、大使館が多く、時節柄自動小銃を持った警察官が見受けられた。何日か前にここで大きな反戦デモがあったそうだ。ただ、人々はそんなことを気にする風もなく、おしゃべりしながらシャンゼリゼを散策していた。陽気がよかったせいか大変な人出だった。(現地26日)
書き始めるといくらでも続きそうなので、今日はこのあたりにしておこうと思う。ただ、明日も朝から会議続きで、2,3日は群馬に出張だ。疲れが抜けそうもないので体調に注意していきたい。
GOOD LUCK! (生後214日)
2003,3,25
いよいよこれから出発だ。でもその前にカンを義父母に預けに行く。元気にしてろよ。父さん、母さんの言うことをよく聞けよ。お土産期待するなよ。「はな」と仲良くするんだよ。えさをしっかり食べなさいよ。いいうんち出せよ。
まあいろいろ言っておきたいこともあるが、カンを信頼して任せよう。それよりも我々が無事帰ってこれるよう祈りたい。時局がどう変化するか分からないから。
GOOD LUCK!
そよ風 (生後213日)
2003,3,24
今日は長袖のシャツ1枚でも過ごせそうな、本格的な春の1日だった。夕方カンの散歩に行ったときも、カンについていこうと走ると、少し厚着をしすぎてずいぶん汗をかいてしまった。毎度のことながら、春の夕景は物寂しさを募らせる。特に今日は欧州旅行の前日ということもあり、何となく落ち着かない。我々夫婦の間ではそれを「お寂し病」と呼んでいる。どこか旅行から帰ってきて、現実にかえったころに激しい虚脱感にとらわれるときが、その病気の最も発症しやすいときだが、今回私は行く前から何となく心が不安定だ。季節のせいかもしれない。年度の変わるこの時期が、日本人には最も変化のある季節だ。例えば今日、転勤でしばらく会えないだろう人数名と挨拶を交わした。そんなことを考えると無性にやりきれない切なさがこみ上げてくる。
今回はカンを残して初めての長い旅行だ。それも「事前お寂し病」の原因の一つになっていよう。なま温かいそよ風にうたれるたびに、初恋のあの人を思い出したときのように、ずんずんと私の心に杭が打ち付けられていくのを感じるのであった。
PS・・・画像はカンを預ける先にいる「はな」です。
気を引きたい! 生後(212日)
2003,3,23
昨日の日記で書いたが、今日もカンは鳴きまくった。特に午後ひどく、1時間半続いた鳴き声に辟易とした私はカンを家の中に入れてやった。しばらく姿が見えないなあと思っていると、隣の部屋で「うぅ、うぅ」という声がする。すると妻が「カンがうんこしちゃった〜」と、大騒ぎだ。結局うんちがしたくて我々にアピールしていたようだった。
その後散歩に行き、えさも与えてからもふいんふいんはおさまらない。これは甘えだろう。いつも夜になると小屋の中に入れてある肌がけ布団をひきずり出したり、与えてある靴を振り回す。これらは我々に対するアピール、すなわち気を引こうとする行動と見られる。
人間だって誰かの気を引きたいものだ。私はときどき妻の気を引くためちょっかいを出す。かまってもらいたいのだ。妻も気分次第で私にあれやこれやとつっかかってくることがある。誰しもがこういうことはある。
中にはマイナスの形でも気を引こうとすることもある。例えば、小学生が好きな女の子にわざと嫌がらせを行ったりするケースだ。誰かの心の中に自分が存在していたい、できれば一番の場所を占めていたい、と願うのは皆同じだ。我々は基本的に生後すぐ、母親によってこの経験をさせてもらっている。(これらについてはR・D・レインの『自己と他者』や『ひき裂かれた自己』などに詳しい)
悲しいのは、だまされているにもかかわらず悪い男に貢ぎ続ける女性や、愛してもくれない親の関心を引こうと、従順に振る舞い続ける「アダルト・チルドレン」たちだ。北朝鮮を一個の人格と見れば、あの大袈裟なTVの発表や核施設再稼働は、誰かに関わっていてほしいという現れだと解釈するのは深読みが過ぎるだろうか。孤独は誰にとっても恐ろしいものだと思うけれども。
椎名林檎の歌に「繋がっている」というフレーズが頻出するが、私はこのことを指していると思っている。私だってこのささやかなHPや日記を通じて、誰かと繋がっていたいと願うものだ。ただ、やはりネット上だから、常に限界があるということを肝に銘じていなければならない。ネットを通じての様々なトラブルは、上記の心性が基本的な原因になっていると思うからだ。
ちょっと話が飛躍しすぎてしまった。カン、君は十分に我々の気を引いているよ。君は我々の心の一番重要な場所を占めているよ。
鳴く犬 (生後211日)
2003,3,22
ここのところのカンはよく鳴く。例えば朝起きて、ファンヒーターのスイッチを押すと、しばらくして火がつく音が「ガチッ」と鳴る。この音に反応して、雨戸が閉まっているにもかかわらず、「ふいんふいん」始める。もうこれは散歩に行くまで続くので、我々はせき立てられるような気分で朝食を取ることになる。
昼間も、私が植物に液体肥料を与えているときに、私がカンから見て死角に当たるところに行くと、同様に「ふんふんふん、ふいーん」と鳴く。赤ちゃんじゃあるまいし、いないいないばあ!をやっているような感じだ。今日などは私が見えなくなると悲鳴に似た「きゃ〜〜ん」という声を出した。何事かと思い「どうちた、どうちた」なんていいながら、囲いの中に入ってみると、なんてことはない、ボールをくわえてもってこいをせがむだけだ。
夕方も、まだ15時なのに、散歩に行けと鳴き始める。「くんくんくんクイーン」仕方がないので軽くおしっこだけ行ってあげたが満足できないようで、私が2階に上がってベランダからそおっとカンを見てみると、すぐ見つかってしまい、またふんふんふんふいーんだ。
元々甘えん坊の性格なのか。確かにカンは生後45日過ぎても母犬「あやめ」のオッパイを飲んでいた。それとも飼い方の問題なのか。よく分からないが両方だろう。われわれにも平日の日中不在であるという負い目があるので、一緒の時間をできるだけ濃密に過ごしたいと思うから、ついつい甘やかしてしまう。
カン、もう7ヶ月だ。そろそろ強い心を持ってくれ。
彼岸過迄 (生後210日)
2003,3,21
今日は春分、彼岸の中日だ。
夏目漱石の『彼岸過迄』という小説がある。誠実だが行動力のない内向的な性格の主人公須永と、従兄弟の千代子の恋愛問題を主軸に、自意識をもてあます内向的な近代人の姿を描いている。漱石の小説をいつ読んでも、これが百年前に書かれたとは思えないほど、共感を覚えることがある。漱石の時代からみれば、今より江戸時代の方が近い。しかし、インテリの意識は圧倒的に現代との距離の方が近い。明治維新は、というより近代化は、人々の精神構造までも大きく変えてしまったのだろう。
しかし近代化はある意味で「パンドラの箱」だ。対峙せねばならない自意識という怪物が姿を現したのだ。私も日々これと格闘している。卑近な例を挙げれば、今度の戦争における立場性を決定しなければならない。二元論という亡霊が私を行き止まりの路地へ追い込む。
かつて漱石がロンドンに留学した際、「夏目狂セリ」と知人に称されるほどの錯乱があった。私も学生期にヨーロッパに1ヶ月ほど旅行したとき、若干そういう雰囲気を持った。すぐに慣れてしまったけれど。おそらく日本の近代化が欧州に追いついた証だろう。漱石の頃とはだいぶん違う。今度フランスに行くときは、どういう心持ちになるだろうか、ある意味で楽しみだ。ちなみに私の好きなデザイナーの山本耀司もパリ留学中に、漱石と同様のことがあったらしい。
この『彼岸過迄』の中で、「高等遊民」という言葉が出てくる。今風にいえば、「モラトリアム」ということだろう。漱石の頃は少数であったこのような人々は、今や大衆化し、「ひきこもり」、「フリーター」、「ピーターパン・シンドローム」といった言葉によって表されている。もちろん私もその1人だ。いつまでたっても社会に順応せず、夢ばかり追い、一方で傷つきやすく、自尊心が強い。私もお金さえあれば、仕事をせずぶらぶらしているに相違ない。
近代犬カンは今日もごろごろ「高等遊犬」だ。暑さ寒さも彼岸まで、というが、カンにとってはこれからの暑さの方がきっとつらいだろう。
PS・・・水仙が咲きました。
開戦 (生後209日)
2003,3,20
いよいよ武力行使が始まった。石油の利権など、報道されず、我々には分からない裏の事情もあるのだろう。しかし、無関係な人々が犠牲になるのは忍びない。こうなった以上、一刻も早く終戦して、平和が戻ることを期待したい。
私たち夫婦は、25日からフランスへ行く。妹の結婚披露宴があるからだ。通常なら行かないところだが、今回は強行して行くつもりだ。今日のニュウスによると、成田やシャルルドゴール空港のセキュリティーチェックも大変に厳しいそうだ。例えば、ペットボトル1本でも中身が危険かどうか確認されるそうだ。全く参ったことだ。ブッシュ君、サダム君、金正日君、頼むよ。
フランスは当初武力行使反対を唱えていたが、ここへ来て石油利権からはずされそうになるや、トーンダウンして見守る姿勢を示している。我々はエール・フランスで行くので、テロリストがフランスは裏切り者だと逆恨みして、爆弾を仕掛けないことを祈る。また、空港も危険な場所だから、長居をしないようにしたい。
今日のカンは、下痢も治って、えさもそこそこ食べたので、もう大丈夫だと思う。カンは、地球の裏側で何が起こっているか、分かってないだろうなあ。見るからに平和そうな顔をしているもの。
少し、日記の色を変えてみました。気分転換です。
PS・・・この画像はホワイトハウスの公式HPから拝借したものです。ごめんね、ブッシュ君!
ゲーリー・ムーア (生後208日)
2003,3,19
どうもカンのお腹の調子が悪い。今朝も我慢しきれず囲いの中にうんちをしてしまったし、妻が、朝あまりに鳴くので、早々に連れ出したところ、いつもはうんちをしないすぐ近くの草原で、すぐ、くるくる回ってしたそうだ。さらに私が、その後、本格的な散歩に連れ出したところ、中間点を少しすぎたところの路上で、かなり緩いうんちをした。シャベルですくうのがほとんどできないような、はっきり言って下痢便であった。その後はご飯を食べようとしない。夕方の散歩に行ったあと少しだけ口にしたが、それ以外は食べない。
どうしたのだろう?私が出張でいなかった間に何かあったか妻に聞いてみたが、これといって思い当たらないと言う。私がいないので寂しくて調子を崩したのだろうか。それとも、我々が見ていないうちに変なものを拾い食いしたのか。または、冷たい雨に当たり冷えて、お腹を崩したのか。風邪でも引いたのか。(それにしては散歩は元気いっぱいだし、鼻も健康そうにしめっている)虫が湧いたのか。あれやこれやよけいな詮索をしてしまうが、しばらくはカンの自然治癒力に任せて、様子を見ることにした。それでも3〜4日治らない場合は、医者へ連れていかざろう得ないだろう。
季節の変わり目で、人間の方も体調を崩しやすくなっているので気を付けたい。
ちなみにゲーリー(下痢)・ムーアとは一昔前のギタリストです。ゲーリーがつけば何でも良かったわけです。
話が下品っぽくなったので、口直しに沖縄の海に沈む夕陽の画像を載せてみました。
カンとまったり (生後207日)
2003,3,18
土日の代休で今日は1日ゆっくりした。本屋に行った以外は家にいて、カンとまったり過ごした。少し軟便で、えさもあまり口にしないので心配したが、夕方の散歩は元気いっぱい、綱をぐいぐい引っ張った。昼間は、時々カンを家に上げて遊んだり、または外にあるカンの囲いの中に入ってボール遊びをした(最近私が囲いの中にはいるとテニスボールを探し、くわえてきては、もってこいをやってくれとせがむ)。
外にいたとき鶯(うぐいす)の鳴き声を聞いてびっくりした。どうやら本格的な春は目の前のようだ。一方、梅の花も今が盛りだ。特に、私が梅の中で最も好きな「豊後」が満開だ。白に薄紅の差した花で、遠くから見るとピンクに見える。カンの散歩中に家々の梅の花を楽しんだ。
我が家の豊後は一昨年に買った八重咲きのものだ。ところが昨夏に上半分を枯らしてしまい、2週間前に一重咲きのものを新たに購入した。少し高かったが曲幹(幹がぐねぐねしたもの)造りのものを選んだ。まだ植え替えておらず、植木鉢に入ったままだ。
「梅に鶯」。花札ではないが、こんな都市化の進んだあたりでもこのような状況を体験できるとは幸せだ。今日は夕方1時間くらいカンと歩いたが、明日もこの早春の佇まいを楽しみながら、カンと歩いてみたい。
ただいま!カン (生後206日)
2003,3,17
久しぶりにカンに会った。わざわざ妻が、私を迎えに来るときにカンを連れてきてくれた。ところが私に対しては無反応なのだ。手を差し出せばぺろぺろとなめるくらいだ。どうやら、車が苦手なため、それに耐えるのが精一杯なようだ。よだれがたれてきそうな雰囲気だし、耳が外側に倒れかかって、困ったような表情をしている。でもまあ家までは10分位なので我慢してもらおう。
家に着いて、妻に、お土産として買ってあった犬の絵の付いたトレーナーを渡した。そう言えばカンにはなんのお土産も買ってこなかったことに気づいた。まあしょうがない。その分いっぱい散歩に連れて行ってあげよう。それが何より嬉しいのだから。
3月の下旬から4月の頭にかけて、また私は不在になる。妻も不在になるため、義父母のところに泊めてもらうことになる。またしばらく辛抱させなければならない。
そういえば今日カンは囲いの中でうんちをしてしまったそうだ。妻は、雨が降っていてあまり長く散歩に行けなかったためではないかと言っていた。
そういうこともあるよね。ということで、夜10時をすぎて簡単に近くを一回りしてあげた。明日はもっと遠くに行こう、カン!
沖縄の花々 (生後205日)
2003,3,16
沖縄はこれで4回目だ。行くたびに楽しみなのは花を見ることだ。ハイビスカスやブーゲンビリアが当たり前のように街路樹に使われている。熱帯性のランタナがこの時期でも花を付けている。インパチェンスが雑草化して道ばたに咲いている。もちろんペチュニアもプランターなどに植えられ、すでに花を付けている。
昔体調を崩し、それが回復した直後に、職場の同僚とともに沖縄に親睦旅行に来た。このときが初めての沖縄来訪だった。ちょうど今頃だ。やっと体が回復して、心も落ち着き、すばらしい仲間とともに最高の旅行だった。前にも書いた初老の同僚はこのときも同行した。彼はシクラメンだけでなくハイビスカスも好きで、沖縄の街角の枝を切って埼玉に持ち帰っていた。これを挿し木するのだ。温かくて、日に当て、水を切らさなければ、土に挿して置いたものが1ヶ月くらいで根を張る。そうすれば10月頃まで花が楽しめる。私の園芸への興味は、この人の影響が多大にある。決して人を悪く言わない人だ。どんな人でも良いところを見つけて褒める。それが嘘っぽくない。当然私も言われて、ついいい気分になったものだ。私にはまねできない。私はどちらかといえば毒舌だし、皮肉や批判をする方だ。影で人を悪く言ったりもすることがある。だからこの初老の先輩は私のあるべき目標だ。永遠にこうはなれないだろうけれども。でもたぶん私には私の良いところがあるのだろう。私が気付かないだけで。そう思わないと自己嫌悪になってしまう。
そうだろ、カン!
美ら(ちゅら)海 (生後204日)
2003,3,15
沖縄の海は美しい。珊瑚礁でできている島だから、砂も珊瑚が砕けたもので、関東近辺の黒っぽいものと違って、白い。方言でちゅら海(美しい海)というのだそうだ。
こんな景観を普段見ることのできない私は、仕事の合間を縫ってビーチでシエスタ(うたた寝)した。気候は関東あたりのゴールデンウイークくらいだ。17日はそれよりもっと暑く、梅雨時のように湿気があり、日差しも強かった。こんな気分でのんびりしたかったが、以外と仕事が忙しく、あたふたしているうちにあっという間に4日間が過ぎてしまった。
今沖縄の珊瑚礁が危ないらしい。白化(はっか)現象といって、珊瑚が死滅しつつあるのだそうだ。おそらく生活排水や、土木事業などで流れ込む富栄養化した水が、オニヒトデなどの異常繁殖をもたらし、それが珊瑚を痛めているようだ。また、地球温暖化の影響か、海水温が高い状態で、かつ海水の移動が少なくなっていることも影響を与えているようだ。
ビーチで昼寝をしていたとき、美しい沖縄の娘さんが私を起こし、沖縄の海に関してのアンケートを求めてきた。内容は上記のことを知っているか、またその対策はどうしたらよいかを問うものだった。沖縄国際大学の学生さんだった。
かつて慶良間諸島に行ったことがある。ここは本島にまして海が美しいところだ。開発もあまり進んでなく、そのままの自然がある。動く貝。蟹。野生化した猫(おそらく現地の山猫と持ち込まれた飼い猫が交雑したものだろう)。是非皆さんにもここを訪れてほしい。
環境と開発の狭間で沖縄の人たちは苦しんでいることだと思う。できることはやりたいと思う。
PS・・・この画像と次の画像は、私が撮ったものでなく、ネット上でのフリー画像(もちろん沖縄のもの)です。
戦争 (生後203日)
2003,3,14
14日は沖縄に行った日だ。(この日記を書いたのは18日)ブッシュ氏がいよいよ開戦の指示を出さんとしている。私はこの戦争は無理筋だと思う。はっきりした大義がない。石油のためだと思われてもしょうがないだろう。しかし一方で、フセイン氏をどこかで退陣させなければ、世界の不安定要因は残ったままだ。難しい問題である。
沖縄に行く際の空港でのセキュリティーチェックはやや厳しくなっているように感じた。基地が多い沖縄は本州と違ってより戦争が身近だ。戦争が始まれば沖縄への観光客も激減するだろうし、我々にとっても石油やガソリンの高騰は避けられないだろう。迷惑千万である。
話が少しそれるが、宮崎駿が昔作った(25年前くらい)テレビアニメ『未来少年コナン』(NHKで放映。詳しくはhttp://www.bandaivisual.co.jp/conan/index.html)が、私は大変好きだ。宮崎氏の最高傑作だと思っている。このアニメでは世界最終戦争後に生き残ったわずかな人類の、文明を維持し、好戦的な人たちと、自然を愛する人々との対立が描かれている。
この中で、主人公の少年コナンに敵対し、後に味方となるモンスリーという切れ者の女性が出てくる。彼女は幼少期に大戦争に遭うが、このとき愛犬の「ムク」とともに被災してしまう。モンスリーは助かるが、ムクの行方は分からなくなってしまう。生き残った彼女はムクを探して号泣する。
私はこのシーンを忘れられない。平和であればこそ、犬と戯れ、共に生きていくことができる。イラクの人々や、米兵も家族がおり、犬を飼っている人もあろう。モンスリーにあったことが、現実に起こらないことを祈りたい。
PS・・・画像はモンスリーの少女期とムクです。
サンセットメモリー (生後202日)
2003,3,13
今日は久しぶりに春めいた暖かな陽気になった。もっとも私は明日から4日間沖縄に出張だ。現地の最高気温は20℃少しある。
こんな春風の中、夕方散歩に出かけた。カンと一緒に走っていたとき、ふと、
〜〜♪ブロンズの、風の中、輝くメモリー〜〜
という歌を思い出した。確か杉村尚美という女性歌手の歌だ。タイトルは「サンセットメモリー」だったと思う。この歌はTVドラマの主題歌になっており、このドラマの主人公は犬であったと記憶している。茶色い犬で、紀州犬くらいの大きさだったと思う。「リュウ」という名前だったのではないか。正確な記憶はないが。
なぜこの曲が印象に残っているかというと、かつて実家にいた黒柴のボンが来る直前にテレビでやっていたからだ。私が中2の早春にやっていたもので、ちょうど今の季節だ。もう、22年も前のことだ。ボンの子犬期とこのドラマがリンクしてとても懐かしいイメージが湧いてくる。
今日の散歩もちょうど日が沈もうとするところだった。これで4日間カンとの散歩ができない。少し寂しいが仕方がない。沖縄のビーチに沈む夕陽でも見ながら、この「サンセットメモリー」を口ずさんで、カンを思い出すことにしよう。
過食 (生後201日)
2003,3,12
最近カンの食べる量が多い。ほんの1週間くらい前には、食べる量が減ってきたため、もう成長期が終わって、安定期に入ったと思ったのだが。1日計量カップ2.5杯位だったのが、おととい、昨日あたりは、朝2.5、夜2杯の計4.5杯食べた。それもあっという間に平らげる。
つい原因を考えてしまうのだが、1つはまだ成長期が終わっていなくて、食欲周期のうち増大期になったということ。2つ目に、換毛期を迎え栄養を補給しているというもの。3つ目に、最近サイエンス・ダイエットのグロースを直輸入のもの(パッケージがみんな英語、近くのホームセンターで購入、安い)に変えたこと。日本の代理店経由ではないので、成分がちょっと違うのか、はたまた、開けたばかりなので新鮮でおいしく感じられるのか。
とにかく謎だ。それよりも実は私もちょっと過食気味なのだ。どうもストレスや緊張が強いられる仕事に直面すると、スナック菓子につい手が伸びてしまう。年度末の慌ただしさの中で、ポリポリだ。また飲み会も何件かある。最後にラーメン屋に寄ってしまいたくなる。
体重増加を防ぐには、過食が押さえられないのならば、カンとともに長距離を走るしかない。
カン!飼い主のダイエットに協力してくれ!
PS・・・今日も少し遠くの梅畑まで走りました。夕映えがとってもきれいでした。
静かな心 (生後200日)
2003,3,11
どうも最近気ぜわしく、落ち着かない。仕事も家庭もだ。おそらくこれは外部の問題よりも、私の内面の問題だ。仏教の唯識という教えでは、あらゆる現象はその個人の内面で発生すると説く。私の心に嵐が吹き荒れているのだ。
いつも安楽な心でいたい。これはなかなかかなわない。ゆっくりと過ごす時間がない。何かに追われ、心を休める暇がない。どうもここ何日か同じようなことばかり日記に書いて申し訳ないが、今の私はこれだけなのだ。というより、生まれてから今までずっとそうだった。これからも同様だろう。
静かな山里で、晴耕雨読の生活を送りたい。昔、中国の詩人たちは、隠遁生活を最も理想とした。盛唐の詩人、王維などはその典型だ。
ヘレニズム期の哲学者たちも心の平安を追求した。エピクロスは「アタラクシア」という平静の心境を一つのあるべき姿とした。
私はヘレニズム期の哲学が好きだ。仏教でも「無の境地」などの心の状態を求めるが、私には高尚すぎる。ヘレニズム期の人々の考え方は、人間くさい。人間の弱さが前提になっている。ちょうど現在に似て、アレクサンダーが大征服をしたあと、残された無秩序、無国境、先鋭化された個人主義があるから、シンパシーを感じるのだろう。
ああ、山紫水明のうちに静かに暮らし、静かな心でいたい。そしてカンと戯れながら、植物をめでて暮らしたい。
油断!! (生後199日)
2003,3,10
年度末は、期限の切られた仕事が多い。そのせいか最近の私は少しいらいらしたり、逆に物忘れをしたり、ぼぅーとしたりと落ち着かない。
今夕の散歩でも、帰宅が遅かったせいか、バタバタした状態で出かけることになった。やがて最後の草原までたどり着くと、なんだかほっとしたのか、考え事をしていた。
その瞬間カンの綱がするすると手から離れていった。「あっ!」と叫んだが、時すでに遅し。カンは自由にされたと勘違いして、草原を駆け回りはじめた。
追いかければ追いかけるほど逃げるのが犬の性格だ。まったくつかまらない。しまいに、道路に出て、家の方向に勢いよく走り始めた。私はカンの後を追って、全速力でダッシュした。ここ数年こんなに速く走ったことがないくらいだ。頭の片隅では、カンが車にひかれて「きゃいーん」と叫んでいる姿が思い浮かんだ。
30m位走ったところでカンが止まってくれた。やっと捕獲に成功した。やれやれだ。おかげでなぜか右の脇腹がひどく痛んでしまった。
先日は、妻が、朝の散歩のあと、カンの囲いの鍵をかけるのを忘れて仕事に行ってしまった。もしカンが、ドアに体重をかけたら開いてしまって、脱走したことだろう。このときもひやっとした。
カン君、我々も生き物だ。ミスもある。許してね。だから脱走しないでね。
嫌なものは嫌 (生後198日)
2003,3,9
3月は風の強い月だが、今日はその典型だった。
なかなか条件のいい日がなくて、カンのシャンプーができなかったが、今日は少し寒いけど決行した。
風呂場に連れて行こうとすると、察してか、拒否反応を起こしはじめた。(画像はそのときの様子です)しかし、洗い始めるとあきらめの境地に達したか、ただ耐えているだけだった。
乾かすのに、外は風が強く寒いだろうということで、室内に置いておいたが、拭いたにもかかわらず水があたりに飛び散った。おかげでさらさらヘアーのカンになった。
犬は、カンに限らず、嫌なものは嫌と意思表示をする。ところが人間の場合なかなかそうはいかない。言いたくもないおべっかを使ったり、お世辞を言ったり、頼まれると、やりたくもないのに受けてしまったりだ。こういうことは仕事のみならず、家庭生活においてさえあるだろう。ストレスとは、やりたくないことをやっているときに増大する。やりたいことをやっているときにはあまり溜まらない。溜まりすぎて、心身の不調に陥ることもある。
いつも自分に正直に生きていきたい。それができれば何も言うことはない。ただこれも、本当の自分の気持ちとはなんだろうと考えすぎると、出口のない迷路にはまってしまう。一方、やりたくないこともやらなければ、ご飯が食べていけないこともあるだろう。
カンよ、君ぐらいは自然に生きてくれよ。飼い主はそうも行かないから。
犬でひともうけ (生後197日)
2003,3,8
私はなにがしかのグッズ類をつい買ってしまう。西武ドームでライオンズ戦があれば、メガホンだ、タオルだと買う。浦和レッズ戦に行けば、やはりタオル、Tシャツだ。サッカーW杯、相撲観戦、旅行先のお土産品。枚挙にいとまがない。
当然犬モノも買う。実はカンが来る前から、すでに買い始めていた。妻も犬の模様が好きなのだ。犬の柄のついたReve De femmeのTシャツやパーソンズ・スポーツの犬の絵のついたトレーナー、EastBoyのビーグル犬の模様のついたものなどを買ってきて、自分で着たり、妻に着せたりしている。義母は「はな」の前に飼っていた「ゴン」…雌…の写真をパソコンに取り込み、プリンターで焼き付けたTシャツを着ている。先日も近くのスーパーに行って衣料品売り場を見ると、結構犬のがらのついたものが目につく。衣料品に限らず、陶器類、筆箱、カレンダー、雑誌etcだ。
ホームセンターに行けば、もちろんペット用品が山のように積まれている。こんなもの買う人がいるの?と思うようなものさえある。えさだけでも大変な種類がある。最近は、通信販売や、インターネット販売でもペット用品が数多く売られている。
さらに最近のTVのCMでも犬が、出ていないものを探すのが大変なくらい、何らかの形で登場している。「アイフル」のチワワを筆頭にだ。
少子化の現在、子供に高額の衣料品を買い与える、父母、祖父母がいる。これを6つの財布と呼ぶそうだが、ペットの場合も同様に、家計の支出のかなりの部分を占めつつあり、さらに今後も(不況下であっても)増え続けるのではないだろうか。
カン、君のための経費は、確かにある程度の%を占めているよ。でも君を恨んだりは決してしないからね。
PS・・・画像でカンが噛んでいるきりんのぬいぐるみは、私の父がカンのために買ってきたものです。
泥だらけの天使 (生後196日)
2003,3,7
近所の高校が卒業式だった。この雨では少しかわいそうだ。
それにしても今回の雨は長く降り続き、昨夕からだからもう24時間以上降っていることになる。しかも冷たい雨で、少し内陸にはいると雪模様だそうだ。
というわけでカンの散歩は3回続けて雨の中ということになった。カッパを着れば、行っている最中はなんとかなる。ただ、飼い主の靴の中に水が浸み通ってきたり、ズボンの裾に泥が付着する。どうしても草むらに行ってあげるからだ。カンは水たまりをいやがるし、少しでも濡れない知恵なのだろうか、塀の脇を歩こうとする。また、雨を遮るものがないときは、姿勢を低くし、耳を横に倒し、目を細めながら進む。
一番やっかいなのは帰ってきて、カンを拭くときだ。一番いやがる。うまく拭かせてくれず、うーうー唸ったり、逃げようとする。おまけに飼い主の手を噛んできたりする。カン用におろしたバスタオルもつきてしまい、人間用のを使ったら、あとで妻が、あれ気に入っていたのに、と怒られてしまった。
やっと拭き終わると、どうしても中に入れたくなる。ところが入れると床がカンの足跡だらけになる。100%きれいに拭けないからだ。今日など、帰宅したときにはすでに、カンの膝下は真っ黒だった。土のスペースで遊んでいたのだろう。
あーーカンよ。梅雨時はどうなることだろうね。匂いもきっと強くなりそうだし。
カメムシが〜〜!!(生後195日)
2003,3,6
昨日寝ようと布団にもぐると、目の前にカメムシが蠢いている。ゲー、と思い思わず振り払った。あとにはあの悪臭がぷーんと立ち上った。手にも匂いがついてしまった。
私の家の付近は秋口にカメムシが多く発生する。それが冬季は冬眠するようだ。部屋に置いてあるデンドロビュウム(蘭、ファーストラブ)は、夏には戸外に置いてある。どうもこれの葉の裏で冬眠していたものが季節を感じて目を覚ましたようだ。
そういえば2〜3日前に、カンが草むらで何かを追いかけていた。暗くてよく分からなかったが、蛙なのか、蛇なのか、虫なのか、きっとそんなところだろう。
今日は二十四節気の「啓蟄」だ。これは地中の虫や蛙などが地面にはい出してくる頃なのだそうだ。まさに暦通りだ。
これからカンが何かを追っかけることが多くなりそうだ。
PS・・・久しぶりに日曜日に生まれて間もない子犬を見ました。光の子だそうです。
カンも花粉症? (生後194日)
2003,3,5
今朝、カンの顔を見ようと窓を開けると、早く散歩に連れ出せ(おしっこ漏れちゃうよー)とバタバタやっていた。まあ待て、となぜているとカンは急に、くしゅんくしゅん、と2度ばかりくしゃみをした。ははん、さてはカンも花粉症だなと、とっさに思った。なぜなら犬も花粉症があるそうだからだ。(以前何かで読んだことがある)
私の花粉症歴は長く、16の歳から、早20年間悩み続けている。今年も2月早々に抗アレルギー剤をもらい予防に努めてきたが、ついに今週の月曜日から本格的に発症し、くしゃみ、鼻づまり、頭重、目のかゆみに悩まされはじめた。もうこうなったらシーズンが終わるのを室内でひたすら待つしかない。
かつては花粉症は患者が少なかったそうだ。杉林があまりなかったこともあるだろうし、人間の体内に寄生虫が結構いたからだそうだ。体内の抗体が寄生虫を攻撃し、花粉にはあまり向かわなかったからだそうだ。今は人間には寄生虫はほとんどいない。(最近有機栽培の野菜を通じて若干増えている。糞尿の肥料を通じて)もちろん犬も虫が少なくなった。カンは幼犬期に回虫がいたが、駆除した。今後も薬は飲ませ続ける。ということは、花粉症になりやすいと言うことだ。生まれて半年少しなのに、花粉症とは・・・
カンよ、花粉が舞っている屋外はつらくないかい?
PS画像はカンの末弟の黒ベエです。
砂かけ婆 (生後193日)
2003,3,4
今日は一転、冷たい北風が身にしみる陽気だった。夕方の散歩の時、カンが例によってうんちをした。私はそれを拾うために、カンの後ろに回って、シャベルで取ろうとした。その瞬間カンは後ろ足で地面を2回、3回と蹴り上げる。もろに土が私にかかった。今までもこういうことはあったけれど、これほどまともに食らったのは初めてだ。
この犬の行動は、うんこを隠すためでなく、匂いを付けるためだそうだ。だから土を蹴り飛ばすのが、うんこの方向とずれてしまっても良いのだそうだ。
砂をかけると言えば砂かけ婆だ。鬼太郎でおなじみである。深読みすれば、高齢の寂しい女性が、砂をかけることによって他者の関心を得ようとする心理状態を具象化したものと言っていいかもしれない。もちろんこれは高齢の女性に限ったことではない。そのほかにもユバーバ、ゼニーバとか、ヤマンバといった魔女も各種のおとぎ話や、伝説に登場する。
私は基本的に女性は好きだ。しかし、女性は、すばらしい面と同時に、おぞましい面も持っていることを忘れてはいけないだろう。もちろんこれは男性にも当てはまる。
何事も多面的に見ていく癖が、年を追うごとに定着してきている。何かを単純に信じ切ることができなくなってきている。
カン君!君は飼い主を信じているかい?今日は君の足を2回もふんづけてしまったけれども。
PS・・・画像はカンの母犬「あやめ」です。
触れられたくないところ (生後192日)
2003,3,3
昨日噛まれたところが、今日になって痛み始めた。朝、カンの体を触ってチェックしてみると、左の前足の付け根をさすると、「きゃん」と鳴く。1日たって痛み出すのは、前に予防注射のあと痛がったときと同じだ。そのときも注射を打った部分をさわると、「きゃーん」といった。この声は痛々しくて胸が詰まる。しばらくしたら痛みが引いてくれることを祈るしかない。
昨日噛まれた場所もトラウマのせいか近寄らない。あんなに好きだったボールさえ触ろうともしない。カンはトラウマができやすいようだ。
そういう私も触れられたくないことはたくさんある。昔失恋したこと。大切にしていたものをなくしたこと。自信を持っていたことをけちょんけちょんに言われたとき。思い切り恥ずかしい思いをしたこと。・・・きりがない。
私が触れられたくないことを誰かに踏み込まれたときの反応は2つだ。1つは逆ギレして暴れる場合。もう一つはいじけてどこかに籠もってしくしく泣くかだ。日本の神話にたとえると、前者を「スサノオ」パターン、後者を「アマテラスオオミカミ」パターンということができる。こういう感情があることは、人間にとって至極当然で、その証が古事記などに記される日本神話だ。なぜなら神話は、どこの国のものであれ、人間の典型的な形を表出させているからだ。
今日は痛がっていたカンを少し甘やかしてしまった。こういうときはしょうがないよね。カンに「アメノウズメ」…アマテラスの元気を取り戻した女神…のダンスを見せるわけに行かないもの。
カン!噛まれる! (生後191日)
2003,3,2
久しぶりにカンのお里のブリーダーさんに寄った。柴犬好きな私にとってここはパラダイスのようなところだ。いい柴犬がいっぱいいるし、カンの父犬、母犬、兄弟犬がいる。今日の画像は父犬の「三郎」君だ。カンの血統書に記載されているところによると、展覧会で何回か入賞をしている。うまく撮れなくて、ちょっと耳が横になっている写真だが、我々を歓迎してわんわん吠えているところだ。
ブリーダーさんのところで、犬同士のケンカで、片方の犬が怪我をしてしまったという、恐ろしい話を聞いた。自戒せねばと思った。
帰宅して、5時過ぎに散歩に出かけた。いつも通り最後に草原でサッカーをしていると、カンより二回り大きな雑種と思われる犬を連れたおばさんが、近づいてくる。いつもは犬同士遊ばせるのを苦に思わないのだが、今日は嫌な予感がした。何も言わず近づいてきたおばさん。犬は、カンの鼻先の匂いを嗅ぐと、突然カンに襲いかかった。カンは仰向けにされ、雑種君が首もとにがぶりと噛みつく。カンの悲鳴があたりの空気を切り裂く。私はあわててカンとその犬を放しにかかる。おばさんも止めようとする。やっと何とか離れ、私はカンを抱きしめた。おばさんは謝りもせず、自分の愛犬を注意している。私も気が動転し、何の文句も言えずにその場を立ち去るしかなかった。後で考えると、蹴り飛ばしてやるか、賠償金を請求でもしてやればよかったと思った。まあ、よくよく考えると、逆の立場になることもあり得るので、一番無難なのは、危険を回避して、近づけないことだ。大きな犬を飼っている人は、どこかにケンカになっても自分の犬は怪我をしないと思っているのじゃないか。(もちろんそういう人ばかりじゃないと思うけど)
とにかく何となく腹の虫が治まらない。カンが臆病になったり、トラウマになったりしないことを祈る。ちなみに帰宅してよーく調べたが、特に異常はなかった。やれやれ。
おはなはん(カン生後190日、はな生後141日)
2003,3,1
今日は、はなにしてやられた。
週末はできるだけ妻の実家にいる雌の柴犬はなに会いに行くようにしている。今日も午前中様子を見に行った。はなは私が来ると大喜びして、服従の印なのか仰向けになって転がったり、ぴょんぴょん跳んで、それを表現する。今日も元気いっぱいだった。
1週間ぶりに見たはなは、だいぶ成犬に近づきつつあった。前歯が抜けてなかったし、心配していた耳もやっと立った。大きさはやはり雌のせいか、同時期のカンより若干小さいかもしれない。ただ、相変わらず筋肉質で、ふっくらしている。かといって動きは俊敏で、動作のスピードはカンよりいい。
12月に買ったU社製のダウンジャケットを着ていった。なぜなら今日は1日雨で、日中の気温もあまり上がらず、底冷えする陽気だったからだ。案の定、はなに噛み破かれ、中の綿が吹き出してきた。義父は、弁償しなくちゃなぁ、といったが、もうすでにカンに1度やられている。とんでもないです、とお断りした。
とにかく、はなが耳が立って、少し聞き分けが出てきて、安心した。子犬期と違ったかわいらしさが出てきて、私は今日見たはなが1番好きだ。
はなちゃん、これからも一緒に遊ぼうね。