柴犬カンの日記2003年2月



過去の日記 インデックス
忙中カンあり   (生後189日) 2003,2,28
 2月は逃げる、というが確かにあっという間に今月も終わってしまった。今週は仕事で、神経を使うことが多く、心身共に疲れた。こんな忙しい中にあって、帰宅してカンに会うと、少し心が安らぐ。もちろん疲れや神経の高ぶりが全ておさまるわけではないが、いなかったときと比べると違う気がする。夕方の散歩から帰ってくると、もやもやしていたものが晴れてさわやかに感じる。
 妻も同様のようだ。昨晩は仕事で気の重くなることがあった様で、鬱々としていたが、「こういうときはあの茶色いのを入れよう」なんて言って、中に入れるとひとしきり遊んだり抱いたりしていた。カンはやや迷惑そうな顔をしていたけれども。
 植物にも同様の効果がある。私は暇があると庭に降り、新しい芽が出ていないか目を凝らす。これが最近の日課だ。鉢植えでも同じで、つぼみが付くとわくわくする。11年前に心身共に不調に陥ったときから植物には助けられてきた。
 忙しくても、カンの散歩と、植物の水やりは忘れないようにしよう。「忙中閑あり」だもの。
 

狩猟本能?   (生後188日) 2003,2,27
 風に舞う落ち葉を見ると反射的に飛びつく。これはカンの癖だ。今日みたいに強風が吹き荒れると、枯れ葉がアスファルトの上を踊る。それを見つけるたびに飛びつく。車通りが多い道では冷や冷やする。突然カンがダッシュをかけるからだ。手綱をしっかり握っていなければならない。
 そもそも柴犬は中部山岳地方の山里で、小獣猟用、鳥猟用に飼育されていたものの子孫で、現在のように家庭犬が主とされたものではなかった。日本犬保存会も普通の展覧会のみならず、実猟審査会を実施している。以上は誠文堂新光社の犬種ライブラリー『柴犬』に書かれている説明だ。歯がそろっていなければいけないのも猟のためだそうだ。
 近くの草原に小さなバスケットボールが落ちている。子供たちが置いていったもののようだ。妻がこれを蹴って、カンが追いかける遊びをここのところやっている。今日私がこの草原に行くと、カンはボールを探し始める。見つけると一目散に走っていき、遊んでくれとせがんだ。仕方がないので私もこれを軽く蹴って、カンに追いかけさせる。綱を持っているので私も一緒に行かねばならない。ひとしきり遊んで帰ろうとすると、渋る。そこを強引に家まで連れて帰った。
 動くものを追っかけるというのも、狩猟本能によるのだろう。
 時間があるとき、好きなだけ遊んでやるよ、カン!
 追記・・・今日獣医さんのところで体重を量らせてもらったところ、8.8kgでした。

梅の香   (生後187日) 2003,2,26
 「東風吹かば 匂いおこせよ カンのくそ あるじ不在(なし)とて 散歩忘るな」
 もちろんこれは菅原道真公の「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ(送ってくれよ) 梅の花 主人なしとて春な忘れそ(春を忘れるなよ)」のパロディーだ。
 帰宅して、散歩を待ちわびていたカンをつれて、今日は少し長めの、畑を縫う道を行ってみた。この道沿いには梅畑が随所にある。今日は暖かかったせいか、梅の香がずいぶん私の詰まった鼻の穴にも入ってきた。早春の味わいがする。ちょうど薄暮の頃で、民家の明かりがぽつぽつ灯り始めた。このころの灯りは特に美しく切なく感じる。昨晩車から見たさいたま新都心の高層ビル群の光も、春の空気に映えて妙な輝きがあった。この季節特有の鈍い輝きだ。
 カンと畑のあぜ道を通った。軟らかい土に足がめり込んで、転びそうになった。カンは初めて来たこの道に興奮していた。
 画像はあぜ道に行く前の取り付け道です。

ペリクリーズ   (生後186日) 2003,2,25
 今夜は彩の国埼玉芸術劇場にシェイクスピア原作、蜷川幸雄演出の『ペリクリーズ』という芝居を見に行った。3時間半の大作だった。相変わらず市村正親と白石加世子の芝居はうまい。この2人はまさに天性の役者だ。蜷川演出もいつも通りで、和服と洋服のミックスや、人形ならぬ人間浄瑠璃のスタイルで芝居が進められていった。三味線も使われていた。上から物が落ちてくるパターンも踏襲されていた。
 この物語は主人公ペリクリーズが逃避行しながら冒険に出る前半と、その際別れ別れになった妻と娘に、かなりの歳月がたってから再会するという感動の後半に分けることができる。私も最後はぐっと来た。「瀬をはやみ 岩にせかるる瀧川の われても末にあはむとぞ思う」という崇徳院の歌が浮かんできた。
 こんな冒険譚は現代にはあり得ないだろうか。プチ冒険はあるかもしれないが、こんな、人生をまたにかけてのドラマチックな経験は、普通の人には訪れないだろう。北朝鮮から帰国した人たちに、あれだけの脚光が当たるというのは、現代人にはない何かを人々が感じるからだろう。私も良く言えば平穏無事な毎日を送っている。それに感謝せねばなるまいが、時にはプチ冒険も必要だ。心が老いてしまう。カンにも冒険させよう。『柴犬カンの冒険』なんて本が書けるように。

みぞれ   (生後185日) 2003,2,24
 今日は24日。8月24日生まれのカンはちょうど半年になる。区切りと言っていい。日本の季節のうち、半分は体験したわけだ。子犬期もそろそろ終わりといっていい。
 そんな記念すべき日も朝からみぞれが降り続いた。気温は日中になるにしたがって下がっていったようだ。室内は暖房で暖かい。この温度差がなぜか眠気を誘う。昼過ぎに職場で、ついうたた寝をしてしまった。夕方の散歩も短めに切り上げた。その後、カンを家に上げると、拭いたにもかかわらずフロアーには梅花模様(足跡)だらけになってしまった。昨日妻が一生懸命掃除したにもかかわらず、元の木阿弥だ。
 明日から国公立大学の2次試験だ。18年前私も受験した。私立大学を含め3校受けた。静岡から東京に出てきて、お茶の水のホテルに泊まり、受験会場へ向かう。いよいよ春からは上京し、親元を離れ一人でやっていく。受験の不安と、温室を離れることの寂しさから、かなり不安定な気分になっていたのを記憶している。『上を向いて歩こう』という寂しい歌が頭の中を巡り、ホテルの部屋で知らずに涙がこぼれだした。受験が終わって静岡に帰る新幹線の中で、これで1年は緊張感を味あわなくてよいと、ほっとしたものだ。結局国立大は落ち、唯一受かった私大に進んだわけだが。
 受験生の皆さん、がんばってください!
 

なぜなしに生きる犬   (生後184日) 2003,2,23
 椎名林檎の3枚目のアルバムの発売日が今日だった。3年前に彼女の歌を初めて聴いたときの衝撃はとてつもない大きさで、私の生き方を変えるほどといっても大げさではなかった。早速買いに行って聴いてみた。ますますある種の不条理で狂気の世界に突き進んでおり、メロディアスなものが好きな私の趣味からはやや離れていっているが、そのオリジナリティーは輝きが褪せることはなかった。
 このアルバムの1曲目の『宗教』の歌詞に「待て」「伏せ」という部分がある。また、6曲目の『茎』には「仙人草(クレマチス)」というところがある。もちろんこれらは直接に犬やガーデニングについて歌ったわけではなく、メタファー(暗喩)としてコラージュ(貼り付け)されていて、全体としてあるイメージを生み出そうとしたものだ。1曲目では人間の家畜化、被
支配をイメージさせようとしたことが考えられる。ただ、犬と草花が好きな私はそこでひっかっかってしまう。
 話は変わるが、先日の日記で「人生の意味」について触れたが、昨晩読んだ『快読シェイクスピア』・・・松岡和子(シェークスピアの翻訳家)、河合隼雄(ユング派心理療法家)共著・・・の中になるほどと思う部分があった。河合氏の発言の中に「なぜなしに生きる」という言葉が好きだ、というところがあった。これはマイスター・エックハルトという人の言葉だそうだが、続けて
 …生きるのに「なぜ」なんてないですよ。生きていること自体がものすごいんであって、何かをするために生きているっていうのは、ちょっと偽物めいている…
と続く。確かにそうかもなあ。でもロマンチストの私はその何かを考えてしまう。
 カンは何も考えてないよね。生きているだけで立派だもの。

ひとり遊び   (生後183日) 2003,2,22
 昨晩の帰宅がかなり遅かったこともあって、今日はゆっくり起きた。妻はもうカンの散歩から帰ってきたところであった。妻はその後仕事へ向かった。私は1日予定もなくぼんやり過ごした。特にやることもない。一人で過ごす1日だ。
 私は子供の頃から一人で過ごすことが好きだった。それも家の中でだ。本を読んだり、ごろごろ寝ころんで空想にふけったり。仮に外に出たとしても、1人で鉄道旅行に行ったり、自転車で静岡市内をぐるっと回ったりした。野球をするにしても壁をキャッチャーと見なして、1日何百球と頭の中で試合をしながら投げ続けた。釣りも1人で行くことが多かった。これは今も同様だ。ヘラブナ釣りは1人で行くことがほとんどだ。こういったことが人間関係作りの不得手さにつながっているのかもしれない。ところが、就職してから、なぜだか、1人で過ごす時間の過ごし方が下手になっているように感じる。時間に追われ、ノルマに追われる生活を繰り返している内に、空想の世界に遊ぶ方法を忘れてしまったのかもしれない。
 カンの散歩をしていると、決まった公園でいつも1人で遊んでいる少女(小学校高学年くらい)を見かける。一輪車に乗ったり、ブランコに揺られていたり。きっと友達がいないんだな、クラスでいじめられていないかなあ、空想の世界で遊ぶことができるんじゃないかな、などいろいろ想像してしまう。私の少年時代と重ね合わせて、少し胸が詰まる。私は中学校から高校までバレーボールをやったので、この場所で少し仲間と共同作業をする経験を得て、今現在何とか社会に適応できている(と自分では思っている)。それが自分の空想力に与えた影響はもしかしたら負に働いた可能性はあるが。
 感性を鈍磨させたくない。日々空気の匂いを嗅ぎ、鳥の声に耳を澄ませ、光の濃淡に目を奪われていたい。そして何より自らの内面の世界を豊かにしておきたい。今、私が考えていることである。
 カンは我々がいない日中、1人で遊ばざろう得ない。そのためのオモチャも山ほど与えてある。穴を掘ったり、小屋をかじったりもしている。でもやはり我々にかまってもらうことが嬉しいようだ。そういう私も誰かに誘われて、ともに時を過ごしたいと無性に思うことがある。でも、そうして誰かといるときでさえ思うことは、自分は孤独であるということだ。寂しいけれど。

ごたごた言わずに寝よう(生後182日) 2003,2,21
 今日は前の職場関係で飲み会があったので、夕方帰宅してカンの散歩を15分間だけ行った。おしっことうんちだけさせようと思ったのだが、うんちは結局しなかった。あとで妻が(彼女は残業で遅かった)行ってくれて、うんちをしたとの連絡をメールでもらった。
 もう、22日になってから最寄りの駅前でラーメンを食べ、自転車で家に向かった。しばらく行くとなぜだかチェーンが外れた。結局家まで自転車を引っ張っていくことになった。
 もう1時半をまわっていたが、カンが起きて歓迎してくれた。ただ、眠かったらしく程なく座り込んでしまった。私も疲れていたのでこの日記を書いてすぐ寝ることにしよう。それにしても律儀な犬だ。
 ラーメン店に知人とともに行ったのだが、お酒が飲めない私にとって、無理に勧められるのは少し苦痛だった。
 ごたごた言わずに寝よう。

ほら!陽が差してきた。   (生後181日) 2003,2,20
 今日は先日の日曜出勤の代休だった。しかしこういうときに雑用を済ませておかねばならない。パスポートを取りに行き、銀行で振り込みをし、郵便局に荷物を取りに行き、リサイクルショップで不要品を売り、釣具の修理を頼み、散髪をした。
 朝の内は小雨模様で、すっきりしない天気だった。午前中の用事を済ませて、一旦家に帰ってきた頃、柔らかな日差しがカンの庭を照らし出し始めた。薄暗かった午前中の鬱陶しさを振り払い、春を予感させるような光だ。昨日の私は少しブルーで、自己嫌悪状態であったが、これでまた明日から何とかやっていけそうな気分になってきた。
 「冬来たりなば春遠からじ」とは英国の詩人シェリーの言葉だ。鬱っぽくても必ずいつかは良くなってゆく。私は「パル」というグループの『夜明けのマイウェイ』という曲が好きだ。20年以上前のヒット曲だ。この歌の歌詞の中に、「悲しみをいくつか乗り越えてきました 振り返る私の後ろに ほら虹がゆれてるでしょう だからもう私は大丈夫です 今までと違う夢が 次第次第に 心の中にあふれ始めています」という部分がある。どん底から上がっていくような気分の時に、心の中で歌うことがある。
 さて、下の画像は、「箱入り息子」のカンが本当に箱(段ボール)に入っている様子です。

逃走計画?   (生後180日) 2003,2,19
 昨日カンの囲いの中を見ると、エアコンの室外機の下にかなり大きな穴が開いていた。かつてこの室外機の裏を通って脱走したことがあるので、今回も脱走を試みようと考えているのではないかと邪推してしまう。ただ、この下を掘り進めて、無事逃走が成功するには膨大な歳月がかかるであろう。確かに犬は1mくらいの穴を平気で掘ってしまうと言うが。
 昔見た映画で、『勝利への脱出』・・・ペレが友情出演したもの・・・や、『ショーシャンクの空に』・・・ハリソン・フォードが出演?・・・があるが、いづれも地下を掘り進めて、最後には脱出に成功する物語だったと思う。私はこのテーマが好きだ。暗く閉鎖的な日常(特に仕事だが)から遁走したいという願望が心の片隅から消えることはない。それは無理と分かっていても、ショーシャンクの青い空のごとく、自由な空のもとで自然に抱かれながら、澄んだ空気を思い切り吸い込んでみたいという衝動だ。そういえば今日も会議で嫌な思いをした。ただ、私には目が回るほどの借金があり、仕事を簡単に辞めるわけにはいかない。一方、この借金のおかげでカンを飼ったり、草花を育てたりできるのだが。
 カンから自由を奪うのは心苦しいが、かといって放し飼いにすることは、結局カンを不幸にすることになる。
 カンよ、分かってくれよ!

小雨の中を走る   (生後179日) 2003,2,18
 帰宅してカンの散歩に行こうと思ったら、ぽつぽつと雨が落ちてきた。冷たい雨だ。予報では雪混じりになるかもしれないという。
 明日は24節気の「雨水」である。この時期の雨は、田畑を潤し、土を軟らかくし、やがて来る耕作のシーズンに向けて、とても重要なのだ。草花や木々も雨に打たれることによって、冬眠から目覚め、芽を出し、枝を伸ばし始める。そういえば梅もあちこちで咲いている。冬至梅や、白加賀(いづれも梅の種類)は、咲き出すのが早い。うちの「豊後」は3月に入ってから咲く遅咲きの梅だ。
 ここのところカンは散歩で走りたがるが、今日の夕方の散歩ではいつにもましてとにかくよく走った。私のほうをちらちら振り返りながらもっと走ろうよ、と私をせかす。しまいには綱をくわえて走ろうとする。私の方も、日頃の運動不足解消のためにつきあうが、途中息が上がってしまう。「ばて犬だ、カン」と言ってゆっくり行ってもらう。最後の方になると、ぐいぐい引っ張るので首輪にのどが絞められるせいか、ぜはぜはいいながら、それでも走ろうとする。
 雨に濡れたくないので早く帰りたいのか、それとも雨に興奮したのか、とにかく今日はよく走った。画像は、走る合間におしっこするカンです。足を高々とあげて。

三カン四温   (生後178日) 2003,2,17
 昨日の冷たい雨にもまいったが、今日も底冷えのする1日だった。午前中仕事場の暖房が全く効かなくて、震えながら仕事をした。午後にはいると腹痛が襲ってきた。おそらく冷えたためだろう。
 この時期は、やけに暖かいな、という日と、底冷えする日が周期的に繰り返す。それが三寒四温だ。寒気がこれくらいの周期で強まったり弱まったりするせいらしい。
 カンはここのところ小食になった。以前も食欲周期があり、大食いの時と、あまり食べないときがあったが、今回の小食は永続しそうだ。どうやらからだが成熟して多くの食事を必要なくなったらしい。かつては計量カップで、1日3.5杯食べていたが、昨日あたりは2杯くらいだ。
 さて、我が家の庭にも春の訪れが見られ始めたということは先日紹介したが、今日の画像はクロッカスという球根植物だ。スノードロップと同様に、草丈10cmくらいしかないが、可憐な花である。

ダンシング・クイ〜〜〜ン(生後177日) 2003,2,16
 今日、新橋に劇団四季のミュージカル『マンマ・ミーア』を見に行った。妻の趣味であるが、私も嫌いではない。終わって劇場を出ると雪が舞っており驚いた。また、歩道橋の上のビル風が凄まじく、えらく寒かった。最近、都心にはやけに高層ビルが各地に建てられている。
 『マンマ・ミーア』は、シングルマザーのドナに育てられた娘ソフィアが二十歳で結婚が決め、その結婚式に彼女の父親である可能性がある3人の男が呼ばれることによって引き起こされる騒動を描いたものだ。もとはロンドンで初演され、ブロードウェイでも上演された。前半はソフィアが、自分は何者であるか、自分の存在証明は、という問いが柱になっている。しかし後半にはいると一転、主人公は母親ドナに転じていく。ドナが父親の分からない子供を女手一つで育て、ホテルの経営にも身を削ってエネルギーを注いできたその半生が、結果として良い選択であったのか、どうかという、中年の男女の胸を打つテーマが全面に出てくる。シリアスなテーマと同時に、笑いと歌がほどよく織り交ぜられている。この作品には全般にわたってアバの曲が用いられて、懐かしさを誘う。私もかろうじてリアルタイムでこれらの曲を聴いた。小学生高学年の頃だろうか。中でもダンシング・クイーンは中心的に使われていた。
 さて、我が家のダンス王カンであるが、コンクリート・ブロックのお立ち台に立ち、くいーーん、くいーーんと歌いながら、パラパラも顔負けの素早い手の動きで踊る。下の画像は観劇から帰ってきた我々に、早く散歩に連れてけと踊っているところ。散歩に行く頃には雨はやんでいた。

福寿草   (生後176日) 2003,2,15
 朝、カンの散歩にいったあと、パンジーなどの草花に液体肥料を与えた。その際庭を見ると福寿草が見事に花開いていた。これは1昨年に、正月用の寄せ植えとして買ったものの、捨てるのがもったいないので庭に移しておいたもので、まさか生きているとは思わなかった。
 今日友人のYさん夫妻が我が家を訪問してくれた。今日聞いてびっくりしたのが、Yさん夫妻は昨日のバレンタインデーに入籍したばかりとのことだった。ちょうどそれをめでるかのごとく、鮮やかな黄色の花が彼らを迎えたのである。
 Yさん夫妻は二人とも犬好きで、両夫婦あわせて4人で散歩に行った。カンは特にYさん(旦那の方)にべったりで、こんなカンは見たことがないほど甘えていた。奥さんの実家にはシーズー犬がいるとのことで、犬扱いは大変見事であった。
 私は来月の披露宴に不義理で(やむを得ない仕事で沖縄に)出席できず、今日はお祝いの品を渡した。それは彼らからのリクエストにより、デジカメで、音楽を趣味にしているお二人らしく、音を2時間くらい録音できる機種である。またYさんはHPも持っているので、画像もたくさん貼り付けることだろう。
 今後とも、カン共々よろしくお願いしますね。


シクラメンの夏越し   (生後175日) 2003,2,14
 私はシクラメンが好きだ。10年以上前少し体調を崩した時期があった。このとき年配の同僚のオフィスにシクラメンがあった。彼の部屋でよくコーヒーをご馳走になった。気落ちしていた私を無言で癒してくれた。また、彼はシクラメンの絵をよく描いていた。私も真似て油絵を描いてみたことがある。むろん見るに耐えない駄作であるけれども。画材は押入の奥にしまってある。いつかカンの絵を描いてみたいと思っている。ボンの絵は描いたことがある。実家に置いてあるのではないか。
 かつてシクラメンの夏越しに2年続けて成功したことがある。10年近く前だ。ドライ法といって、5月に水を切って、乾燥した状態で夏を越させ、8月末から再び水を与えるというやり方だ。ところがそれ以来毎年ドライ法を試しているのだが、球根が腐って失敗続きだった。そこで今年はウエット法で夏を越させてみた。水をやり続け、葉を落とさせないように管理する方法だ。ただ、真夏の日差しが強すぎるので、日光がちらちら当たるところに置くのがこつだ。むろん水を適度に与えることも重要だ。その結果今年は下の画像のように、ここへ来て花がだいぶついた。とてもうれしい。もう一鉢もらったものがあるので、この夏は2つ夏越しに挑戦してみよう。もちろんウエット法で。

心配症   (生後174日) 2003,2,13
 カンの一挙手一投足に、飼い主の関心が注がれる。昨日の日記にも書いたように、カンの部分的な拒食が気になる。犬は1週間何も食べなくても平気、なんて強がって書いたけれども、内心は不安だ。
 まだカンが小さいとき、ソファーから飛び降りさせたところ、下がフローリングで滑ってしまい、足をくじいたことがある。たぶん2ヶ月半くらいの頃だ。カンはびっこを引いて歩いた。それを見た私は、青くなって、すぐ車に乗せて動物病院に向かった。医者は、たいしたことはないが念のため注射を打っておきましょうといい、3000円の注射を1本してもらった。結局その後何ともなかった。
 私が小さい頃、ハムスターを飼っていた。1匹800円くらいだと思う。ある時父が、その中の1匹を落としてしまい、そのハムスターはかわいそうに、下半身が動かなくなってしまった。父はその子をあわてて動物病院に連れて行き、1本2万円(たぶん)の注射を打ってもらった。結局この子は回復することなく、しばらくして死んでしまった。怪我以来、この子はビービー鳴くようになったので、「ビービ」と名づけられていたのが思い出される。今考えれば、2万円でハムスターが何匹買えたことだろうと思うと笑い話だが、父の動物に対する思い入れの強さは、感慨深い。
 一方母も、ボンやマミに対しての愛情の注ぎ方はある種異常といってもいいくらいだ。下手をすると実の子である私以上に愛を注いでいるのではないかと思ってしまうくらいだ。
 この両者の遺伝子を受け継いだ私の、動物への偏愛はいたしかたないことであろう。あまりに犬狂いにならないように、自省しながらやっていかねばなるまい。
 話は元に戻るが、カンは今日の夜やっとサイエンス・ダイエットのえさを食べ始めた。でも疑問は残る。どうして、妻の実家では一粒も口にしなかったんだろう?
 下の画像は、カンとはながじゃれ合っているものです。後ろを取られているのがカン。

他人行儀な犬   (生後173日) 2003,2,12
 今日、午後野沢温泉(長野県北部)から帰ってきた。1日目は雨と霧、2日目はかなりの雪(1晩で20cmくらい積もり、車が雪だるまになった)で、スキーはあまりできなかったが、温泉は大いに楽しめた。外湯といって、無料の温泉場が温泉地に13カ所ある。これらは江戸期から続いているそうだ。私はこのうち3つ入ったが、ホテルの内湯もなかなかよく、露天風呂に雪が落ちてくる風情は、特に旅情を感じることができた。
 埼玉に帰ってきたあと、カンを妻の実家に引き取りにいった。電話で、カンはえさを口にしないよ、と聞かされていたが、やはり我々が渡しておいたサイエンス・ダイエットのえさは結局、全く口にしなかったという。ところが、義母があげたはなに与えているドッグフードはよく食べたという。サイエンスのえさの中にはなのえさ(ペディグリー・チャムの幼犬用)を混ぜて与えると、ペディグリーの方を見つけ出して、それだけ食べるという。なぜ?サイエンスの方はまずいのか。これはあり得る。このえさはアメリカから輸入されているらしい。アメリカ人の健康志向は我々の想像を絶する。良薬口に苦し、というが栄養はいいが、まずいということはあり得る。ペディグリーの方は日本のメーカーじゃないかな?味に工夫している可能性がある。
 もう一つ考えられるのは、郷に入っては郷に従え、を実践したという可能性だ。つまりはなの家ではペディグリーを食べないと失礼だ、とカンが考えた?というもの。これはでも現実味はなさそうだ。我が家に帰ってきてからも、サイエンスのえさを全く口にしていない。犬は1週間くらい食べなくても死なないと聞いたことがあるので、しばらくは我慢比べということになりそうだ。ちなみに私の実家にいるマミは、カンが鳴いて喜ぶジャーキーを全く口にしなかった。こんなもの食えるか、という感じで、普段よっぽど飽食していることが想像できる。
 夕方散歩に行くと(これに行きたくて少し早帰りした)、走る走る。結局いつものコースのほとんどを走った。おそらくだが、他家に預けられて、お行儀よくしていてストレスがたまったんじゃないかと思う。枕が変われば眠れなくなる私のように、案外繊細な犬だ。ただ、はなとは終始仲良くしていたという。はなの口をなめてやったりしていたという。お兄さん犬になったつもりだったんだろう。
 3月には1週間も預けることになるので、良い傾向だと思う。でもサイエンスのえさは食べてくれよ。カン!

しばしの別れ   (生後171日) 2003,2,10
 明日あさってと、妻と二人でスキーと温泉に出かける予定だ。毎年この季節、建国記念日をからませて、小旅行に出かけていた。今年はカンがいるのでどうしようかと思ったが、たまにはカンを離して我々だけの時間を過ごすのも良いだろうということで、骨休みに行くことにした。
 3月には夫婦で、私の妹の結婚パーティーのためフランスに1週間ほど行くことも決まっている。今回は、このときの予行演習も兼ねている。ちなみに妹の夫の実家(ノルマンディー地方)には黒の雑種犬がおり、妹からは画像を送ってもらった。(いづれHPに載せたいと思う)フランス人の飼い犬は、大変よくしつけられていると聞くので、是非とも会って確かめてみたい。ただ、飼い主によるのだとは思うけど。
 今回も次回もカンを預ける先は、妻の実家の「はな」のところだ。犬なら何頭でも面倒見てあげるよ、なんて気前よくいってくれるので大変助かる。カンもここに早くなじんでほしい。
 明日早いため、今夜預けにいった際、カンとはなを対面させると、両頭とも大いに喜んで、ひとしきりじゃれ合った。これなら大丈夫そうだ。前回はちょっと険悪な雰囲気があったから心配していたけれど。
 「それじゃあよろしくねー」なんて我々が車を出すと、カンの悲鳴に似た叫びが耳に入ってきた。やはり飼い主に置いてけぼりを食ったと思ったんだろう。とてもせつなく、後ろ髪引かれる思いがしたが、義母が(犬飼のベテラン)、泣くのは当たり前気にせず行きな、といってくれたのでそのまま出発した。
 夜、いつもの習慣で、カンの様子を見ようとしてしまう。「あー、またキルト引きずり出してるよー」なんて、いつもの調子でぼやきたくもなってしまう。
 カンよ、君の存在感がいつの間にかこんなに大きくなっていたなんて、気がつきもしなかったよ。

黄昏カン兵衛   (生後170日) 2003,2,9
 昨日、今日とどこへも行かず、基本的には家でくつろいで過ごした。ここのところのシビアなスケジュールによる疲れも少し和らいだ。特に今日はこの時期としてはかなり暖かく、さいたま市で15℃くらいまで上がったようである。東京国際マラソンの選手たちも、暑さに苦労している様子がTVから見て取れた。
 夕方、5kmくらいのコースをカンと歩いた。(昨日もこのコースだった)このあたりもだいぶ都市化が進んでいるが、この道は畑を縫っていく。17時前後になると地平線に夕陽が静かに落ちていく。暖かなせいか、また夜来の雨のせいか土の匂いが少しする。早春のたたずまいだ。 私はこのころの季節が好きだった。やっと待ちこがれた春が訪れる。夕陽の色とカンの毛色はよく似ている。太陽の落ちる方角を向いて、どこか遠くを見ているカンの姿になぜか哀愁を感じる。晩秋とはまた違った、少しほっとしたような、でも終わったしまったあとのような、むなしさと似ているがまた少し違った微妙な感覚だ。(三島の『春の雪』の雰囲気に近い)
 花粉症を発病してからはこの季節に酔いしれることができなくなった。残念である。昨日近くの耳鼻科に行って薬をもらってきたが、今は30日分くれるので、忙しいと大変ありがたい。
 厚い毛皮(冬毛)のカンはずいぶんハアハアしていて、暑そうだ。もうまもなくこのコートを脱ぎ捨て、夏の装いに着替え始めることだろう。
 下の画像は「クリスマス・ローズ」という花で、真冬から花を咲かせる数少ない種です。先日の日記で紹介した「スノー・ドロップ」とならんで。
 

おもらし犬   (生後169日) 2003,2,8
 午後2時前に妻と買い物に出かけたついでに、妻の実家のはな(柴犬4ヶ月)にちょっと会って、3時半頃に帰宅した。カン!ただいま!と妻が囲いの中に入って、カンをさわると、なにやら濡れている。なんだろう?水をこぼしたかな?(以前はしゃいだ末に水をこぼしたことが数回ある)と思ったがどうやら違う。カンが寝ていた、引きずり出したキルトを見てみると、ものの見事に世界地図が描かれていた。妻は濡れてしまった手を嗅いで、うえ!アンモニア臭が!なんて言っている。
 どうしてこんなことになったのか。未だかつてこんなことは1度もなかった。囲いの中にするときは、ちゃんとはじっこのポイントに行ってしていた。確かにこのポイントは最近カンが穴掘りで使って、おしっこしにくくなっているが。
 また、前の家で業者が来てなにやら工事をしている。その音にびびってしまったのか。また、その家の子供と近所の子供がカンの囲いのすぐ前の空き地で、きゃあきゃあ遊んでいる。仲間に入りたくてうずうずして漏らしてしまったのか。(この子供たちにカンはよく遊んでもらっている)
 はてまた、飼い主が2人とも出かけてしまったので、寂しくて漏らしたのか。(こんなことはしょっちゅうだ)
 寝ているときになんか水に浸かっている夢でも見ていたら、漏らしていたのか。
 ううん・・・分からない。体調が悪いのかな?
 これから夕方の散歩に行ってみて、様子を見るとしよう。


甘やかしてるのは誰?   (生後168日) 2003,2,7
 「日本犬は悍威(かんい)、良性、素朴の本質をとても大切にしています。悍威とは、気迫と威厳、良性とは、忠実で従順。素朴とは、飾り気のない地味な気品と風格をいい日本犬が生まれながらにして持つ根本的な性質を言い表しています。加えてその表現は、小型犬と中型犬は感覚は鋭敏、動作は敏捷、歩様は軽快で、弾力があります。」
 以上は日本犬保存会のHPにかかれている柴犬の特性だそうです。(勝手にとってごめんなさい。)しかしカンの甘えた鳴き声を聞くと・・・。全く悍威(かんい)とは正反対です。これはイカン。
 こんなカンにしたのは誰だ!と、妻と私で口論になることがあります。そもそもカンは外犬で、家の中に入れることは想定していなかったんですが、いつの間にか夜は家の中にいることが多くなってきています。ちょっとバタバタガラス戸を叩くと(最近は雨戸を閉めたあとそれも外から叩く)あーよちよち、と中に入れてしまいます。
 掃除をしたあと、妻は、少し入れるの控えようよ、というのですが、私はつい入れてしまい、「あれ、もう入っちゃった。」なんてとぼけて、既成事実を作っちゃったりします。
 一方妻も、部屋が汚れてくると、やけくそでカンを入れっぱなしにします。この3〜4日は特に顕著で、本人も、カンがバタバタ入れろ入れろと騒ぐと、私のせいね、なんて照れ笑いをしています。
 困ったもので、教育に一貫性がありません。もうしょうがないです。あまりにカンがかわいいので(飼い主にとって)、仕方がないのです。 

大人になったの?   (生後167日) 2003,2,6
 カンが成犬になった証は数々ある。まずは体が大きくなったこと。ほぼ成犬並みになったと言って良いだろう。大きくなるとしてもあとほんの少しだ。
 次に歯が生え替わってきたこと。先日書いたように、犬歯が生え替わり、乳歯は抜けた。
 さらに足上げおしっこ。今日あたりは4回に1回は足上げだ。また、おしっこを何回かに分けてするようになった。以前は1回の散歩で2〜3回くらいだったのが、今は10回を超える。明らかに匂い付けである。自分のなわばりを主張しはじめているのであろう。
 また、吠えるようになってきたことがある。隣家の窓が開いて、がさがさ音がすると、それに向かって吠える。しかも以前のような小さな声でなく、かなりドスがきいた、遠くまで聞こえそうな響く声で吠える。他に今日は三輪車の音に吠えていた。こんなことは以前はなかった。どうもカンは、自分が好まない音には警戒心をあらわにするようだ。
 そして穴掘り。これは前からやっていたが、今日帰ると、ずいぶん深い穴を、エアコンの室外機(かつてこの裏を通って脱走した)の下に掘り進んでいた。これは自分の身を自分で守るために身を隠すためなのか?
 本格的な春が訪れる頃には、カンも立派な成犬になっていることだろう。


儚い命   (生後166日) 2003,2,5
 カンを飼い始めて時々思うことの一つに、命とはいったいなんだろうということだ。カンのことは、生まれて10日目から我々は知っている。そして普通であればカンの方が早く死ぬだろう。カンはこの世に生まれて何か意味があるのだろうか。そして何で死んでいくのだろうか。
 こんなことが気になるのは私自身のことが常に頭にあるのだ。この問いかけは同時に私に対しての問いといっても良い。昔の人は世の東西を問わず、死ねばあの世に行くと信じていた。しかし今、近代科学のもとでは単純にそんなことは信じることはできない。生物学的な死は確かに存在するのだろうけれど、人間にとって何らかの物語がなければ、死はとうてい受け入れられない。
 私も人生の折り返しが来ている。カンのような小さな命を見るに付け、命というものの儚さを感ぜざろう得ない。長い宇宙の歴史からすると、私もカンもほんの一瞬のきらめきにもならないだろう。そしてあっけなく、まるで春の淡雪のように、跡形もなく、消えていくのだ。
 カン、君と出会えたことは、単なる偶然?それとも何かの宿命なの?よく分からないね。難しそうだから、あまり考えないようにしようか。


春は名のみの   (生後165日) 2003,2,4
 今日は立春。暦の上では春が始まった。ただ今日は1日底冷えする陽気だった。私はここのところの連続勤務でやや体が衰弱しているせいか、寒く感じて仕方がなかった。特に足が暖まらず、一方頭は熱もっているような感じだ。風邪の始まり?と感じる状態だ。
 夕方カンと散歩に行った。ひと頃に比べると日が暮れるのが遅い。気温は低くとも光は徐々に強さを増してきている。今日のカンは元気だった。走ろうと引っ張る。綱もくわえて私をせかす。カンは春を感じているようだ。
 そういえばカンの歯の生え替わりが進んでいるようで、昨日見ると、犬歯が2重に生えてきている。まもなく乳歯のほうは抜け落ちていくのだろう。新たに生えてきた永久歯は、まるで季節を忘れず頭を出し始めた球根類のようだ。水仙、チューリップ、シラー・カンパニュラータ、クロッカスとわずかに先端が土を破り姿を現しはじめている。
 右の画像はスノー・ドロップという種類の花だ。草丈わずか10cmくらい。最も早く花を咲かせる春告げ花だ。我が家では2株咲いている。
 春本番もそう遠くないことを、カンも草花も感じているのだろう。


魔よけ犬   (生後164日) 2003,2,3
 カンの名の由来は、あのサッカーW杯でMVPを取ったドイツの守護神カーンから来ている。すなわち我が家の守護神になってほしいと言うことだ。現実的に不審者が現れたときはおそらく吠えて威嚇してくれることと思う。しかしカンの存在はより精神的な面に置いて重要度を増す。気持ちの中で厄をはらってくれる、魔を遠ざけてくれることを期待しているのだ。もちろんこれは飼い主の勝手な思いこみが強く、カンにとっては我知らないことだと思う。
 私はこの3月仕事で沖縄に行くが、この地では門や屋根に「シーサー」と呼ばれるライオンのような犬のような動物をかたどった置物が魔よけとして置かれている。これはおそらくインドから伝わった風習で、本来はライオンだったはずだ。2頭のシーサーが置かれるのが通例だ。
 我が家は1頭だけども魔よけとしての活躍に期待している。わたしももうじき厄年が訪れる。
 今日は旧暦の大晦日、すなわち節分だ。「鬼は外、福は内」は有名で、昔の人々は1年の様々なものを祓い、新たな新年に臨んだことだろう。うちは豆まきはやらないが、気持ちだけでもカンとともに気分一新明日から臨みたいと願う。


犬になりたい   (生後163日) 2003,2,2
 先週今週と休みなしに12日間勤務が続く。昨日今日も1日仕事だった。体もメンタルもあまり強くない私にとって、結構きついスケジュールだ。3年前までいた部署のときはもっとハードで、1ヶ月半丸1日ゆっくり休むことができないなんてこともあった。もちろんこれは好きでやっている部分もあったが、義務化していたところもあった。今の部署に異動になって、きつい部分の仕事ははずしてもらったが、それでもこういう時期がある。明日はまた緊張を強いられる仕事が待っている。
 以前の部署にいたとき、午前中に仕事が開いたとき、妻に連れられ近所の公園に行った帰り(ちょうどこのときはスケジュールがぎっしり詰まっていたときだった)、車上からコンクリートの上に手足を伸ばしてぐっすり眠っている柴犬っぽい雑種が見えた。私は思わず「ああ、あの犬みたいにゆっくりぐっすり眠りたい」と漏らした。妻は笑ったが、当時の私としては切実なる願望だった。
 明日もできたらカンと一緒に日だまりで横になっていたい。でもそれはできない相談。明日は特別な業務があるのだ。
 カン!君のために明日も頑張るよ。その代わり帰ってきたら癒してくれよ!


宵っ張り   (生後162日) 2003,2,1
 幼少期からカンは昼間飼い主が不在であることに慣れているせいか、我々が昼間観察できるときは、結構ごろごろ過ごしていることが多い。風もなく穏やかな日は、日だまりで横になっている。
 ところが、夜になると俄然元気になる。戸をばたばた叩いて、中に入れろと要求してみたり、小屋の中に敷いてあるキルトを引きずり出して振り回したり、さらに寒さ避けにかけてある肌がけをとってしまい、あげくに噛んで中の綿を大量に散乱させてしまう。日中いない日に帰宅したときはキルトは小屋の中にちゃんと収まっているし、肌がけは取って、カンの届かないところにしまってある。つまり夜になると暴れ出すのだ。
 犬はオオカミから分かれたという。オオカミは夜行性だ。柴犬はオオカミの血を濃く引くという。そのせいなのか。はたまた、飼い主の生活リズムに適応しているのか。
 私は比較的宵っ張りだ。仕事が終わってから、ある程度ゆっくりした時間がないと落ち着かない。その代わり朝は目が覚めるまで時間がかかる。妻は朝に強いが、夜は早い。カンは朝起こさないと起きないことがある。私に似たのか。
 寝る子は育つという。カンよ、ぐっすり寝ることを忘れずに!