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『小松左京フライバイガイド』 2005年10月号


−−−−−−−−−−−−−−−− 刊行 −−−−−−−−−−−−−−−−−−

★2005年10月6日発行
 『妖怪文藝』巻之参「魑魅魍魎列島」(東雅夫編・小学館文庫)に
 「日本漂流」収録。


−−−−−−−−−−−−−− 講演・放送 −−−−−−−−−−−−−−−−−

★2005年10月1日
 映画「「復活の日」がCS放送「日本映画専門チャンネル」で放映。

★2005年10月8日 21:00〜23:00 衛星第2
      10月9日 19:30〜21:30 衛星ハイビジョンにて
 「あなたと作る時代の記録 映像の戦後60年」で、
 「日本タイムトラベル」の一部が朗読される。

★2005年10月10日(月)午後2時から
 京都府立文化芸術会館にて、一人芝居「大経師昔暦」公演の前に、
 「近松の世界」について講演。
 前売り5000円、当日5500円。
 詳細とチケットのお申込はグローバルシアター和の輪へ。 

★2005年10月11日(火)午後2時・午後6時半から
 大阪ワッハ上方にて、一人芝居「大経師昔暦」公演の前に、
 旧暦研究家の松村賢治氏との特別対談「近松の時代と暦」。
 前売り5000円、当日5500円。
 詳細とチケットのお申込は、グローバルシアター和の輪へ。

★2005年10月23日
 第20回国民文化祭・ふくい2005、福井県若狭町縄文博物館での
 シンポジウムに参加。

★2005年10月31日午後2時より 浄土真宗本願寺派安芸教区の
 「非戦平和を願って60年 ヒロシマから世界への発信」イベントで、
 講演。「おえらびください」「地には平和を」朗読劇で公演。
 郵便貯金ホールにて。一般の方も参加できます。協力券2000円。

−−−−−−−−−−−−−− 臥猪庵 hic −−−−−−−−−−−−−−−−−

平成17年(2005)神無月(10月)10日

 京都文化芸術会館で、一人芝居「大経師昔暦」公演の前に「近松門左衛門について」
 話をさせられた。
 久しぶりの京都で、昔なじみのお茶屋のみよちゃんや、富菊さん、豆香ちゃんも来
 てくれ、懐かしかった。
 劇場の楽屋で、煙草を吸いながら、みんなが準備しているのを見ていた。コマ研の
 澤田君が搬入、搬出など力仕事を手伝い、結髪のおばさんが髪を結い、着物を着付
 けていく。鬼秘書も彼女の手に掛かって、着物を着て大変身。私の話の進行役をやっ
 てくれた。中西君も来てくれ、終わったあと一緒に珈琲を飲みながら、祇園の思い
 出話に付き合ってくれた。
 コマ研の中野君が大阪まで一緒についてきてくれ、夜のバーを付き合ってくれた。

平成17年(2005)かんなづき(10月)11日

 大阪のワッハ上方で、昼・夜二興行の「大経師昔暦」の前座で、今日は、旧暦研究
 家の松村賢治さんとの対談。やはり、乙部ちゃんが着物を着て進行係をやってくれ
 た。
 ここは、親子室があるので、そこから芝居を見物した。昼の部には福田紀一や女房
 の友達が来てくれ、夜の部は、フロンティア3000研究会のメンバーが来てくれ
 た。終わったあとは、近くのビヤホール、ニューミュンヘンで打上をした。しかし、
 一人で13役を演じた城谷小夜子ちゃんの演技はすごかった。みんな感心したよう
 だ。おさん・茂平衛の話が、こんな話だったとは、知らなかった。泣けたといって
 いる女性も多かった。でも、私はさすがに疲れたぞ。

平成17年(2005)神無月(10月)22日

 午後1時過ぎ、車で福井県若狭町へ向かう。国民文化祭で若狭町では縄文フェステ
 ィバルをやり、23日のシンポジウムに小山修三と対談するためだ。
 名神から湖西道路を行き、27号を行って、約2時間半から3時間弱。三方五湖の
 水月湖のほとり、水月花という宿に4時頃着いた。雨と風が強く、前夜祭の火入れ
 式は取りやめになってしまった。日本海側は、なかなか晴れることが少ないそうだ
 が、残念だ。4時半頃に落ち合うことになっていた小山修三が、車で来る途中に交
 叉点でぶつけられ、一時間ほど遅れるという連絡があった。怪我はしていないが念
 のため病院で検査しているという。小浜市の食文化館に立ち寄ったあとすぐだった
 ので、食文化館から車を出してもらい、こちらに来ることが出来たという。
 乗っていた車はひしゃげてしまったそうだ。大事に至らず、何より。
 オーストラリア人のアボリジン研究者、キム・アッカーマンは、石器作りの名人と
 のこと。上野の科学博物館から招聘されて日本に来たのだが、小山が関西では面倒
 を見ているとかで同行してきた。
 食後、部屋で彼と話し、オーストラリアの未来の国家像について質問したが、唯一
 の一大陸一国家の国は、未来に向けて移民を入れて活力を得るとか、大きな変革を
 求めるようなことは欲していないようであった。観光客は受け入れるが、工業を盛
 んにする意欲はなく、日本に比べて資源の豊かな国なのに「貧しい国」であるとい
 う。

平成一七年(2005)かんなづき(10月)23日

 朝6時頃は、陽が照っていたのに、7時には雲が出て日が陰り9時には雨もふって
 きて風も強くなってきた。10時からのオープニングセレモニーは、屋内で行うこ
 とになった。どんどん風が強く嵐のようになって、外のテントが飛ばされるほど。
 大騒ぎだ。イノシシの丸焼きも取りやめ。
 鳥浜貝塚の発掘現場河口につくられた縄文ロマンパーク、縄文博物館、縄文プラザ
 の一角にある青年の家多目的ホールが、シンポジウムの会場だ。
 鳥浜貝塚からは、丸木舟、漆塗りの木器、赤漆塗りの櫛など、珍しい出土品があり、
 土器も繊細な模様で厚さも薄い。博物館はマウント式で芝生におおわれた変わった
 造りだ。中は二階建てで一階が展示室。台風のような天気に、多くの人が博物館内
 に避難してくる。
 1時からこの博物館長の梅原猛さんが先に講演し、1時55分から3時まで、私と
 小山とのトーク。考古学と科学について、科学的な手法によって、それまで見えな
 かったことが見えるようになり、絶対年代が測定され、縄文時代の生活様式がいろ
 いろと想像できる材料が増えてきたと言うこと、それは、現在の我々日本人の祖先
 が縄文人、氷河時代、旧石器時代にまで繋がっていることを感じさせ、当時の人々
 の生活ぶりに興味がわいてくる、というような話をした。おわったあと、帰りがけ
 のおばさん達が、「漫才の台本を書いていただけに、面白い話だった」といってい
 たそうで、小山は大いに満足していた。これから、石毛直道も入れて、「三バカト
 リオ・知的漫才」をやろうか、などとも言い出す始末。
 車で千里中央まで帰り、千里阪急ホテルで一杯飲みながら打上をした。

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