【後進】【前進】【探索】【帰還】


『小松左京フライバイガイド』 2005年7月号


−−−−−−−−−−−−−−−− 刊行 −−−−−−−−−−−−−−−−−−

2005年7月7日、8日
 朝日新聞大阪版「戦後60年を生きる」インタビューコラムに掲載。

2005年7月12日
 『タンク・タンクロー』(小学館)復刻版に、解説掲載。


−−−−−−−−−−−−−− 講演・放送 −−−−−−−−−−−−−−−−−

★2005年7月
 映画「復活の日」がCS放送「衛星劇場」で放映。

★2005年7月4日から
 綜合放送で「小松左京ドラマンス」ホラーシリーズ
 「真夜中の視聴者」「夜が明けたら」「猫の首」始まる。

★2005年7月5日
 映画「日本沈没」リメイク、マスコミ発表。
 主演は、草薙剛と柴咲コウ。来夏、公開予定。


−−−−−−−−−−−−−− 臥猪庵 hic −−−−−−−−−−−−−−−−−

平成17年(2005)文月(7月)8日

 今月のフロンティア3000研究会では、林信夫に「プレイガイド・ジャーナルに
 みる大阪のサブ・カルチャー」について話してもらう。
 「プガジャ」は、1971年、東京の『ぴあ』よりも早くに始まったプレイガイド
 雑誌で、そこから漫画家いしいひさいちを生み、映画「「ガキ帝国」から島田伸介
 を生み、当時のアングラ劇団のクロス・オーバーを実現し、と、単なる「ガイド」
 ブックではなく、ジャーナリズムとしてのカルチャー・イベントを演出した。
 『プガジャ』の編集長だった林信夫とは、イベントプロデューサーとして一緒に仕
 事をしてきたが、一度ゆっくりと『プガジャ』のことを聞きたいと思っていたのだ。


平成17年(2005)ふみづき(7月)16日−17日

 第44回SF大会、HAMACON2に参加。横浜グランド・インターコンチネンタルホテ
 ルに午後3時着。チェックインして荷物を部屋に入れ、会場受付へ。車椅子をかり
 て、移動。
 全館禁煙とは、いったいどういうことだ。どこもかしこも、煙草を悪者扱いしてい
 るが、おかしいよ。
 企画参加者のグリーンルームに行く。野田ちゃんが、いきなり「なんだ小松さん、
 杖なんかつかないでくれよ!」と来た。「うっせい! こっちだって好きこのんで
 ついてんじゃないわい。女房や秘書がうるせいからついてんだ。」と、口の中で毒
 づく。珈琲、紅茶、ジュース、お菓子はサーブされるが、ビールはなく、煙草もダ
 メと来た。こんなところに長居は出来ねぇ。野田宏といると、どうしてこう柄が悪
 くなるんだ?
 夜は、サンセット・クルーズでマリーン・シャトル号に乗る。飲み放題、食べ放題、
 煙草もオーケーだろうと思ったが、パーティ会場はやはり禁煙だった。なんてこっ
 た。2007年のゲスト・オブ・オーナーということで中入りの挨拶をさせられた
 とき、私は「3分間この船を占拠し、禁煙を解く」と宣言した。大いに受けたが、
 その後に2007年のワールドコンでは、「文学としてのSF」について真剣に論じ
 会う会であってほしい、といメッセージは、果たして伝わったかどうか、あやしい
 ものだ。夜はホテルの部屋にコマケンが集まってくれて、じっくりとSFの話をし
 た。 二日目の朝、10時から「海洋SF」の部屋で、谷甲州、上田早夕里といっしょにゲ
 ストとして参加。「日本沈没」の映画リメイクの話に集中したが、西村君が「日本
 沈没」のメカニズムを修正したり、異常気象のはなし、「沈没」第2部の話へと、
 話は広がった。来年は、全集が小学館から出る予定もあるし、賑やかな年になりそ
 うだ。早めにサイン会を終わらせて、ホテルのラウンジ・バーで一服しているとこ
 ろへ、野田宏が加わり、とり・みきが加わり、賑やかになる。
 野田宏が、閉会式に出席しないのか、というので、「出ても良いよ」というと、鬼
 秘書が、「花火大会があるので、交通規制が始まる前に出ないと大変なことになる」
 といって反対する。また、翌日は、サンケイホール最後の米朝一門会に顔を出さな
 ければならないので、遅くなっては行けない、というのだ。しかし、私としては鬼
 秘書よりもつき合いの古いSFに対する義理の方が大事なので、メインホールに車
 椅子を押してもらっていったが、楽屋にも階段があるし、客席の前の方にも行けな
 いしで、あきらめて帰ることにした。野田宏にその辺の事情を伝えておいてほしい
 と伝言を残して・・・。
 ホテルのタクシー乗り場にも、なかなかタクシーが来ない。夜の花火大会の影響が、
 もう出てきているのだ。早めに帰って、正解だったろう。


平成17年(2005)文月(7月)18日

 午後2時からサンケイホールで米朝一門会、夜は、リッツ・カールトンホテルでこ
 のホール最後の会の謝恩パーティ。
 思い出深いサンケイホール、サンケイビルが取り壊されて建て替えるそうだ。ここ
 も私の足を向けて眠ることの出来ない場所の一つである。
 大学の朋友、三浦浩が産経新聞社に就職し、まだ職の見つからない私に何かとアル
 バイトをさせてくれた。サンケイパーラーで原稿を書いていると、サトウサンペイ
 が漫画を描いていたり、司馬(福田)さんが来たり、いろいろな出会いがあった。
 米朝一門会は、通路までびっしりの入り。パーティも、誰がどこにいるか判らない
 ほどの、大盛況だった。サンケイホールを愛した人々だけでなく、産経グループ関
 係者が一堂に会したのだから、無理もない。いや、ほんとうに、残念だが、新しい
 ビルにもこれまでのような総合カルチャーを発信できるような機能を持ってほしい
 ものだ。


平成17年(2005)ふみづき(7月)25日

 今日は天神祭の船渡御を、日本経済新聞社の法務室から見物させてもらった。
 交通規制があるからとずいぶん早くに家を出たのだが、やはり渋滞に引っかかって、
 5時からの飛騨世界生活文化センターのインタビューに、ギリギリ駆け込み、とな
 ってしまった。
 大篝船が目の前に泊まり、奉安船、供奉船が行き交う様、午後7時からの花火もよ
 く見え、石毛夫妻や吟コウ、小山(縄文人)、そして全日空のスッチーなどと、お
 酒を飲みながら楽しんだ。
 見たい見たいと騒いでいた女房も鬼秘書も、大はしゃぎ。たしかにこのあたりの川
 沿いの景色は、パリにも負けぬほどキレイになった。水の都・大阪らしい祭を久し
 ぶりに堪能した。

【点検】 先頭に戻る    
【後進】 先月号を見る   
【前進】 来月号を見る   
【探索】インデックスに戻る 
【帰還】メインメニューに戻る

webmaster@nacos.com
copy; 2005, IO. All rights reserved.