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『小松左京フライバイガイド』 2004年8月号


−−−−−−−−−−−−−−−− 刊行 −−−−−−−−−−−−−−−−−−


−−−−−−−−−−−−−− 講演・放送 −−−−−−−−−−−−−−−−−

★8月10日 京都府民ホール・アルティにて午後7時より
 8月24日 大阪能楽会館にて午後7時より

  米朝一門と茂山一門のコラボレーション、「お米とお豆腐 落語と狂言の会」にて、
  小松左京原作「人類裁判」が〈落言〉として上演される。
  『小松左京マガジン』第2巻で「宇宙裁き」というタイトルで小佐田定雄さんに
  落語にしていただいたのに基づいています。
  脚色・小佐田定雄、落語・桂吉朝、
  閻魔・茂山千五郎、宇宙人・茂山七五三、細菌・茂山あきら
  チケットは、茂山狂言会事務局(075-221-8271)、米朝事務所(06-6365-8281)、
  チケットぴあ(0570-02-9988 Pコード:000-000)まで。
  前売り3500円、当日4000円

−−−−−−−−−−−−−− 臥猪庵 hic −−−−−−−−−−−−−−−−−

 平成16年(2004)葉月(8月)10日

 吹田文化会館(メイシアター)に行く。
 1979年9月に公演した芝居「三つの明日」を演出した仲川利久に話を聞きに行
ったのだ。
 鬼塚というとんでもない後輩にあおられて書いたシナリオを、本当に芝居にしてく
れたのが彼。じっくりと話を聞いてみると、鬼塚というのは全くの「奇才」であるこ
とが解る。その辺の話は、「小松左京マガジン」で紹介する予定だ。


 平成16年(2004)はづき(8月)19日

 東京事務所で、上沼恵美子のコンサートで流す「エミリーの泉」という「トリビア
の泉」のパロディー版に「海遊館の名付け親は上沼恵美子だ」という「ヘェー」の証
人としてビデオを撮られた。「海遊館」の名称選定委員会のメンバーだったのだ。
 夜は、松本零士さんの巣窟から発掘された私の漫画『大地底海』のオリジナルに近
い版をもって、日高敏が来た。破いて燃やしてしまおうかと思ったが、いま見ると、
なかなかきれいな本で、表紙絵はアメリカンコミックふうな少年の絵で、英字新聞を
読んでいるその文面が、タイトルと作者の名前になっている。ずいぶんと凝ったこと
をしたものだ。

 平成16年(2004)葉月(8月)20日

 10/13にイイノホールでやる地球シミュレーションセンターのシンポジウムの
打ち合わせ。「タイムスリップグリコ」でこんどEXPO70のシリーズを作り、太陽の塔
やパビリオンのフィギュアーをおまけに付けるのだそうだ。私は岡本太郎さんといっ
しょに太陽の塔のサブ・プロデューサーとして仕事をしていたので、当時の想い出を
書かされた。ヴェネチアのヴィエンナーレに出展するのだそうだ。小さなものを精密
に作る技術は、日本はお手の物。まさにアートですな。


 平成16年(2004)はづき(8月)21日

 岐阜の長良川国際会議場で行われるSF大会に行く前に、サンヨーの「ソーラーア
ーク」を見学した。岐阜羽島を通過するとき、いつも新幹線から見えていて、気にな
って仕方がなかったのだ。
 私の兄貴がやはりサンヨーで、アモルファスをやっていたので、太陽光発電のこれ
からの可能性について、本当のところを聞きたかった。
幸い、研究所で兄貴といっしょだったという阪本館長が案内してくださった。
 透明な電池パネルや、光を直接運動エネルギーに変換する仕組みとか、色々なもの
を見せてもらったが、なによりも「ソーラーアーク」の建物そのものが面白い。トラ
フ構造に電池パネルを貼り付けただけのものだが、シンボリックな迫力がある。

 SF大会は、毎年あちこちでやっているのだが、今年の会場は、安藤忠雄設計のモ
ダンな国際会議場で、宿舎のルネッサンス・ホテルとつながっている。それはいいの
だが、まず、どこも禁煙なのと、エレベーターはあってもそこまでたどりつくのが大
変。複雑でわかりにくい。ホテルの部屋は長良川越しに金華山を望めるジュニア・ス
ウィート。コマケンや宇宙作家クラブの面々に来てもらい、そのあともどこかの部屋
に行けば相手になってくれるので、3時過ぎまで盛り上がっていた。


 平成16年(2004)葉月(8月)22日

 SF大会二日目は、私の企画で「戦争と文学・宇宙と文学」のセッション。巽孝之
くんが聞き役になってくれたので、私にとっての文学の核になる「戦争」と「宇宙」
について、リラックスして話すことが出来た。
 帰りの名古屋駅で、どなたか存じませんが私のファンという方が、松浦屋の鶏ご飯
弁当をくださった。「首都消失」のなかで私がしつこいほどメンションした絶品の駅
弁だ。ありがたいことだ。


 平成16年(2004)はづき(8月)27日

 先月の四金会にも、久しぶりに梅棹さんが息子のマヤオちゃんといっしょに顔を出
したが、今月も奥さんのお許しを得て参加した。酒を飲み過ぎないように、というの
は、我々も共通に山の神からきつく言われていることではある。石毛さんも小山も、
同じ。


 平成16年(2004)葉月(8月)29日

 エキスポパークホテルで、太陽の塔を世界遺産にしよう、という会の第一回フォー
ラム。岡本敏子さんとともに、太陽の塔に直接関わった人間として他の万博の関係者
や、若い人と話した。
 私は岡本太郎さんが生きていたら、「そのまま朽ちるに任せ、残るものは残る」と
言うだろう、と言った。しかし、色々な人の意見を聞いていると、太陽の塔はいまだ
にいきいきと、多くの人にエネルギーを与えているようだ。世界遺産どころか「宇宙
遺産」にという、森見登美彦さんの『太陽の塔』という小説まである。熊野古道が世
界遺産に指定されたが、その地元の人がいっていたように、推進活動をしていく過程
で、地域全体が文化的に盛り上がり一丸になっていくのだそうだ。それこそが大事な
のだろう。
 それにしても、今月はむちゃくちゃなスケジュールやったな。真夏日40日クリア
ーの猛暑だったというのに。

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