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『小松左京フライバイガイド』 2003年9月号


−−−−−−−−−−−−−−−− 刊行 −−−−−−−−−−−−−−−−−−

◆9月中旬                             共同通信
  シリーズ「こころの森」原稿、「私の『戦争体験』とSF」B配信。

◆9月20日 『DVDぴあ』10月号p26−28
  「大地が沈むとき」として、パニック映画の金字塔「日本沈没」の
  DVD化記事と小松左京インタビューが掲載。

◆9月21日 『映画秘宝』11月号vol.47(洋泉社)p74−75
  映画「日本沈没」DVD発売に当たってのインタビュー掲載。
  「日本沈没」のアイデアは本土決戦だった、と述べている。

◆9月25日 『ビッグ・コミック』1000号記念号
  さいとう・たかをさんが小松の原作「海底油田」をあらたに漫画化した作品、
 「1万年の目覚め」が掲載。


−−−−−−−−−−−−−− 講演・放送 −−−−−−−−−−−−−−−−−

◆9月18日21時から                      フジテレビ
  「世にも奇妙な物語」で、「影が重なるとき」がテレビドラマになって放送。

◆9月25日 映画「日本沈没」DVD、                 東宝
  当時のチーフ助監・橋本幸治、特技監督・中野昭慶と小松とのオーディオコメン
 タリー、竹内均さんとの対談が特典としてついて、4800円(税抜き)。


−−−−−−−−−−−−−− 臥猪庵 hic −−−−−−−−−−−−−−−−−

 長月(9がつ)29日

 夢路いとしさんが先週の25日になくなっていた事が報じられた。78歳。わたし
は、ラジオ大阪の「いとしこいしの新聞展望」というニュース漫才の台本書きをして
いたので、3年間は、毎週3回お会いしていた。昭和34年10月から37年6月だ。
番組は毎朝7時50分から8時、月ー金であったが、すでに売れっ子になっていたい
と・こいさんは、週3日しか来られなかったので、一日に2回分の番組を収録してい
た。
 400字詰め原稿一枚が一分の見当で台本を書く。途中から、若手の漫才コンビが
交替で入ったが、彼らは早口なので、原稿枚数が増え、コピーのない時代なので、カ
ーボン用紙を間に入れて一度に3枚ずつ書いていると、腱鞘炎になるくらいだった。
いと・こいさんは、若手に比べても、ずっとモダンで、シュールな題材でも苦もなく
こなして演じてくれ、助かった。浄瑠璃や芝居を織り込んだ話など、鳴り物の指定も
あり、私はサブ・ディレクターのようなこともした。東京オリンピックの開催費用を
捻出するために、東京都がトト・カルチョをやろうか、という議論があったときには、
さっそく、浄瑠璃の「傾城阿波の鳴門」の「巡礼おつる」をもじった「巡礼おかる」
という話を作った。「かか様の名は〜、東京オリンピック」「とと様の名は〜、東龍
太郎と申します〜」「かるは、とと様にちょっとあいたい〜」「これがほんとの、ト
ト・カルチョ」というオチだが、ちゃんと「巡礼に、御報謝〜」と芝居語りでやって
くれ、さすがだと思った。
 いと・こいさんの漫才は、伝統的な芸を保ちながら、都会的な上品さもあり、私は
「郊外電車型の笑い」だとおもっている。大衆文化の近代化に、落語の分野では米朝
師匠が大きな貢献をしているが、漫才では、いとし・こいしさんの存在が大きいと思
っている。惜しい人を亡くした。

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