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『小松左京フライバイガイド』 2003年5月号


−−−−−−−−−−−−−−−− 刊行 −−−−−−−−−−−−−−−−−−

◆5月18日
  『月刊アスキー』に「さよならジュピター」についてのインタビュー掲載。

◆5月24日
  『手塚治虫マガジン』第3号の「だからB・Jのここが好き」欄に掲載。

◆5月26日 『ビッグコミックスピリッツ』26号
  4コマ漫画掲載。

◆5月28日                             講談社
  コミックスKPCシリーズで漫画「日本沈没」1発売。コンビニのみで販売。


−−−−−−−−−−−−−− 講演・放送 −−−−−−−−−−−−−−−−−


−−−−−−−−−−−−−− 臥猪庵 hic −−−−−−−−−−−−−−−−−

 平成15年(2003)皐月(5月)9日

 フロンティア3000研究会で、今回は、はるばる香川県から服部エミちゃん(今
は産婦人科医院長夫人になって男女参画化社会推進委員もしている)が来てくれた。
彼女は昭和43年〜46年頃、KBSで米ヤン(桂米朝)とやっていた「トーク・ア
ンド・ミュージックパトロール」というラジオ番組のキャスターだったのだ。しかも、
現役タカラジェンヌ(麻夏楊子)だったのだから、珍しい。宝塚には内緒で試験を受
けて、内緒で仕事していたらしい。夜8時から8時半の放送だから、東京で舞台があっ
たときには、家族を病気にして早引けし、飛行機で飛んできて、ムーンライトという
深夜便で帰ったというから、すごい! 宝塚の寮での「生々しい」秘話など聞いて、
ちょっと興奮した。

 平成15年(2003)さつき(5月)17日

 14日は、モト様(萩尾望都)に「小松左京マガジン」第11巻の編集長インタビュ
ーをした。
 「11月のギムナジウム」の頃から注目していて、1976年の第一回小学館漫画賞
では選考委員をしていたのでモト様を推薦したのだ。
 「11人いる!」は、偶然同じタイトルで私も短編を書いている。最も私の場合は、
誤植の早川で目次タイトルが「土人」になっていたが・・・。
 とにかく、あこがれのモト様に面と向かってゆっくり話を聞くなんて、初めてじゃな
いかナ。ちょっと緊張していたかも知れない。

 16日はSF作家クラブの旅行で、小諸に行った。中棚荘という、島崎藤村が千曲川
を見下ろしながら執筆していた家の真下にある旅館で、山羊がメェ〜となき、犬がわん
わん吠える以外は、木の上で2匹の蛇が絡み合っているぐらいで、いたって静かな佇ま
いだ。第一回小学館漫画賞の担当者だったという80過ぎの老人が(といっても矍鑠と
しているが)、20年来定宿のしているといって、突然挨拶されたのには、驚いた。不
思議な縁だ。
 新緑と花々に和ませられ、夜は作家クラブの若手と話し通して、1時半に就寝。作家
クラブ40周年になるが、会員は170名にも上るそうだ。今回30名以上参加したが
、高斎、田中光二、石津嵐はもちろん、山田正紀、谷甲州、高千穂、巽、小谷真理、久
美沙織くらいはわかるが、若手は覚えきれないよ。ごめん。

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