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『小松左京フライバイガイド』 2002年9月号


−−−−−−−−−−−−−−−− 刊行 −−−−−−−−−−−−−−−−−−

◆9月1日 岡崎二郎『アフター0』全8巻               小学館
  帯に推薦文。著者によるジャンル別再編集版。

◆9月5日 毎日新聞夕刊文化欄に米朝師匠との対談記事、掲載。

◆9月10日 『桂米朝コレクション1 四季折々」(ちくま文庫)に解説。

−−−−−−−−−−−−−− 講演・放送 −−−−−−−−−−−−−−−−−

◆9月23日                  岩手県御所野遺跡・縄文博物館
  お月見縄文収穫祭「フォーラム・縄文夜学」に参加。

http://www.town.ichinohe.iwate.jp/goshono/kubota-hp/ibento/kokoro/goshono_1/
goshono_1.htm

◆9月24日
 国際天文学連合(IAU)より、小惑星6983番の呼称に「小松左京」Komatsusakyo
が採用される。ハーバード・スミソニアン天文台が発行するMinorPlanet Circularsの
9月号に掲載。
http://cfa-www.harvard.edu/iau/lists/MPNames.html#Kにも名称が載っています。


−−−−−−−−−−−−−− 臥猪庵 hic −−−−−−−−−−−−−−−−−

平成14年(2002) 長月(9月)25日

 長らくご無沙汰しておりました。

 8月は、あまりの暑さにバテておりましたが、何もしなかったわけではありません。
8月28日は、毎日新聞のために米朝さんと対談しました。九月上旬に「桂米朝コレ
クション1 四季折々」がちくま文庫で出版されるので、そのタイミングもあるので
しょうが、べぇさんも、ことし77歳になって、大ホールでの独演会は、これで最後
にするという宣言もしてしまったし、久しぶりにゆっくりと話したんじゃないかな。
しかし、いつもながら、肝心の対談が終わって、二次会になってからの方が話が弾ん
で、編集の人は、「テープ回しておけばよかった」などと、ぼやいてましたが……。
また、私が酒は飲むが食事はいらない、といってことわったら、べぇさんが、「そん
なこと言わんと、これならいけるやろ」と、自分の肴を箸でつまんで、私の口に入れ
てくれたのをみて、編集諸氏は、またさわいで、あとで「感動しました」などという
手紙をよこした。まるで、動物園のパンダになったような気分だね。

 29日に名古屋でおこなわれた、東海地震がおこったとき道路はどうなる、という
シンポジウムでは、緊急時の伝言電話があるということをはじめて聞いた。普通の電
話でも携帯電話でも、「171」という番号につなぐと、伝言を残したり聞いたりす
ることができるのだそうだ。95年の阪神大震災の時の経験を、有効に生かしてもら
いたいものだ。

 9月3日は「小松左京賞」の最終選考会で、機本伸司さんの「神様のパズル」に決
定した。読み始めれば、一気に読んでしまうのだが、そのあとがどっと疲れる。実は、
8月上旬に最終選考に残った三作を4日で読んでしまい、だいたい気持ちは決めてい
たのだが、ひと月のあいだ、黙っていなければならなかったのは、つらかった。その
間、お盆で世間はみんな休み。鬼秘書も休みを取って、二金会も三金会もなかったの
で、さびしかったな。また、鬱病がぶり返してしまいそうになったよ。しかし、9月
になったら、さっそく忙しくなって、三日後の6日には、受賞者に大阪でインタビュ
ー。その詳細は、「小松左京マガジン」第8巻に掲載されるが、機本さんも、小説の
執筆に専念した3年間は、ほとんど人と話をしなかったという。お会いしたときには、
それが、堰を切ったように饒舌で、ご自分でも「今日は、しゃべりすぎなことは、よ
くわかっています」といっていた。作家というのは、因果な商売だな。寂しがりなの
に、書くときはひとりにならなきゃできないんだ。

 9月の二金会、フロンティア3000研究会は、北夙川不可止さんといって、西宮
に住む都市探検家であり「新アララギ」の歌人でもあるゲイのお話。「関西のゲイ・
コミュニケーション」についてお話ししてもらった。実は、私は、ちょっと緊張して
赴いたのである。鬼秘書には怒られたが、ずっと昔に、ゲイバーで、「ふと専」のゲ
イに太股をさすられたことがあったのだ。北夙川さんは、言葉遣いも普通で、上品な
若者だったので、一安心だったが。珍しく女性陣が多く来て、なかなか楽しく、盛り
上がった会だった。

 9月23日、お彼岸の連休最後の日は、岩手県一戸町にある御所野遺跡で、縄文お
月見フォーラムがおこなわれ、小山修三・縄文人との腐れ縁でトークショーをしてき
た。彼は岡田康博さんと一緒に21日から三内丸山遺跡、大湯環状遺跡と三日連続の
出演。ご苦労なことだが、行ってみれば、御所野も珍しい土屋根住居が復元され、気
持ちのいい公園になっている。博物館もそこにつながる木の吊り橋も、なかなか趣が
あって佳い。一万三〇〇〇人ほどの小さな町でも、最近はセンスのいいものをつくる
ところが増えてきたように思う。工業団地として開発した場所らしいが、いまや、遺
跡が出てきてかえってよかったのではないか。平成になってバブル崩壊後の発掘で、
遺跡公園は今年オープンしたばかりとのこと。
 帰りの車で東北自動車道を走りながら、岡田さんから聞いた話だが、遺跡の発掘と
いうのは、開発の副産物で、ビルを建てたり道路を造ったりするときに、開発予算の
中に発掘経費も計上されているもので、不景気になって建設や開発が減ると、自然に
発掘も減って、それに関わる人間も雇うことができなくなってくる。実際、各地で考
古学関係の人員削減が起こっているそうだ。ガラガラの高速道路を走りながら、開発
から切り離して、なんとか考古学発掘の経費を捻出する方法はないものか、と頭を悩
ませた。

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