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『小松左京フライバイガイド』 2001年8月号


−−−−−−−−−−−−−−− 刊行予定 −−−−−−−−−−−−−−−−−


−−−−−−−−−−−−−− 講演・放送 −−−−−−−−−−−−−−−−−

◆8月18日・19日 第40回日本SF大会SF2001    幕張国際会議場
 名誉実行委員長として開会式から参加。

 18日10時開会式・オープニングイベント「教養」ライブ。〈国際会議場ホール〉
   高千穂遙、鹿野司とエネルギー・宇宙についてトークライブ。(〜11時半)

 18日午後2時から3時半「SFが夢にみた未来2」パネルディスカッション。
  「未来はSFの手の中に」〈国際会議室〉

 19日10時半から12時「小松左京が問う SFのヴィジョン」
                           〈国際会議場304号室〉
  パネルに小谷真理、瀬名秀明、平谷美樹、あさりよしとうの各氏を迎えて、
  SFとは何か、SFの「これから」を問います。

 19日12時半から「小松左京カルタ」〈SF広場〉
  小松左京作品の一文を上の句にタイトルを下の句に、表紙絵のカルタをとる。
  小松左京ファンを自認する方は、どうぞ挑戦してください。


−−−−−−−−−−−−−− 臥猪庵 hic −−−−−−−−−−−−−−−−−

 平成13年はづき(8月)6日

 8月1日に小松左京賞の第二次選考会があり、最終選考に残った4作の原稿が早速翌
日には届いた。できるだけ300枚以内にしてくれ、といっていたのに、今回も500
枚から1000枚。こんなに読むの、とちょっと絶望的な気分になったが、結局、よみ
はじめたら三日で読み終わってしまった。なかなかユニークなものばかりだ。最終選考
結果は9月4日に発表します。


 平成13年はづき(8月)20日

 18日・19日と第40回SF大会SF2001に参加。幕張メッセ国際会議場周
辺は、10年以上前に一度行っているが、だいぶ店やレストラン、ホテル、ビルなど
が増えてにぎやかになっていた。
 「2001年」の大会ということで名誉実行委員長を引き受けたのが運の尽き。
さんざん「古希」の老人を「こき」使いやがった。
 しかし、楽しかった。久しぶりに大勢の若者(といってもおおかたは40代、50
代)と夜中まで思いっきり談論風発。私のこの二日間の行動は、以下のようなもので
した。全く、よく飲み、よくしゃべり、よく歩いたよ。

18日
 7時45分イオ出発。9時会場受付到着。
 10時から10時半  開会式挨拶。
 10時半から11時半 高千穂遙、鹿野司と「教養」ライブ。
 11時半から12時  サイン会。100人近くにサイン。
            右手がまだ不自由なのでしんどかったな。

 1階カフェテラスでとり・みき、田中ちゃんと食事。和風ハンバーグ。

 14時から15時半  石川喬司、豊田有恒、森優、柴野拓美各氏と
           「SFの夢見た未来2ー未来はSFの手の中に」。
 16時半から18時 「松本零士モリ・ミノル漫画を語る」に闖入。

 以後、幕張プリンスホテル4521号室にて、夜中3時まで飲み、食い、しゃべる。
 22時頃、眼下の千葉マリンスタジアムで行われていたロック・フェスティバルの
 フィナーレ・イベントの花火を鑑賞。45階からだと、花火は正面に見えて首が痛
 くならず、最高の観覧席。3時就寝。

19日
 10時半から12時 小谷真理、瀬名秀明、平谷美樹、あさりよしとおをパネルに
           「小松左京SFのヴィジョンを問う」。

 1階ラウンジで高橋良平、井口健二、高千穂遙、山田正紀らと歓談。
 高千穂の「暴走」をいかに山田正紀がうまく押さえたかを、面白く聞く。

 13時半「小松左京カルタ」決勝と表彰に立ち会う。

 2階カフェテリアで昼食。ビーフカレー。

 14時半から16時 閉会式最後に挨拶。武田実行委員長に「キス」。おおうけ。

 「Opah」で打ち上げ。コマケンの連中と井口健二、高千穂遙、星敬、とり・みき、
 田中、出渕など、駅に向かう人をガラス張りの店内から手を振って一本釣りで
 呼び込み、店を占拠。

 18時過ぎに車でイオに帰る。19時20分帰着。


平成13年はづき(8月)24日

 千里クラブで大学時代からの友人であり作家である福田紀一に、「文学」について、
小松左京マガジン第4巻のための編集長インタビューをやる。和室でくつろぎながら、
3時間やった後、21階に上がり、日経新聞大阪の「風&土」特集の「SF作家を多
く生み出す関西の風土」についてインタビューを受ける。そうこうしているうちに、
毎月やっている四金会のメンバーがやってきた。「縄文人」の小山修三には、10月
のフロンティア3000研究会での話を頼む。7時半頃、なんと、梅棹さんがいらし
た。「文学とはなんぞや、という話をしてました」というと、「あれは『学』ではな
い、文で表現する芸術やから、『文芸』というべきや」と、一言で片づけられてしま
った。

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