暴かれた進化論の虚構      TOP


現生人類は最初から存在していた


 つぎに、生物進化論について見てみよう。進化論の教科書を読むと、必ずと言っていいほど出てくるのが、人類の祖先とされる、あの毛むくじゃらの「猿人」や「原人」の絵である。よく引き合いに出されるのは、アウストラロピテクス、ジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人、クロマニョン人などだが、これらについて、ある進化論の解説書は次のように説明している。

「人類の中でいちばん古いのは…アウストラロピテクス(南の猿の意)という動物だと言われている。これはサルと人間の中間のものだが、石を割って石器を使う知恵を持っていた」
「アウストラロピテクスよりも少し新しいものには、ジャワ島で発見されたピテカントロプス(ジャワ原人)とか、中国の北京の近くの周口店で発見された北京原人とよばれる人類がある。これらは、50万年くらい前に生きていた」
「ネアンデルタール人と呼ばれる、猫背で、がにまたの人類が今から十数万年前に、ヨーロッパや中央アジアや、北アフリカに広く住んでいた」
「今から約五万年前から約1万年前までの時代になると、現在の人類と同じ人間が、広くヨーロッパに住むようになった。この連中を、クロマニョン人という」

 進化論者は長い間、アウストラロピテクスなどの「猿人」から、ジャワ原人・北京原人その他の「原人」が出、そこからネアンデルタール人などの「旧人」が出て、最後にクロマニョン人などの「新人」が出てきた、と説明してきた。 「原人」は学名ではホモ・エレタトウス、「旧人」はホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス、「新人」はホモ・サピエンス・サピエンスと言われている。進化論者は、「猿人」→「原人」→「旧人」と進化発展し、最後に、現生人類である「新人」が出現した、と主張してきたわけである。しかし最近では、この考えが誤りであることを示す印象的な証拠が、多く提出されている。現生人類は、進化論者が「猿人」とか「原人」「旧人」などと呼んだものの生息していたまさにその時代に、すでに生息していたのである。米国アリゾナ州トウクソンにある考古学研究所の所長ジェフリー・グッドマンは、その著『人類誕生のミステリー』の中でこう述べている。

 「(この結果は)現生人類が、ネアンデルタール人(旧人)に先立ち、すでにホモ・エレクトウス (原人)の時代に生息していたことを示すものである」
「南アフリカの化石や、同じような東アフリカの化石は、ホモ・エレタトウス(原人)とホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類)とが、まさに同じ地区で共存していたという事実に当面させる。……一言にして言えば…この二つの種は、進化的意味からは無関係であるとの説明を補強するものである」
「化石記録は……アウストラロピテクス(猿人)とホモ・エレクトウス(原人)とは同時に存在していたことを支持している」

 こうした共存の例は数多く発見されており、今や現生人類が、「アウストラロピテクス」「ホモ・エレタトウス」また「ネアンデルタール人」と呼ばれたものと同時代に存在していたことは、確実とされている。
 進化論者がときおり、「ある地層内で人類の祖先を発見した」と主張して、話題を振りまくことはある。しかしその後その周囲をよく調べてみると、それと同じ地層から、あるいはそれより下の地層から、今生きている人類と全く同じ人間の骨が発見されたりする。すなわち、進化論者がアウストラロピテクスや、ホモ・エレクトウスと呼んだものが何であったにせよ、それらは現生人類の先祖などではなかったのである。これは、人類は初めから人類として存在していたという、創造論者の主張を裏づけるものである。
 人類は、猿や猿に似た動物から進化して生まれたのではない。人類の歴史に、「猿人」→「原人」→「旧人」→「新人」というような進化的発展はなかった。では、進化論者が「サルのような動物からヒトに至る過渡的状態を示す中間型(移行型)」と主張してきたアウストラロピテクス、ジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人などは、一体何だったのだろうか。


アウストラロピテクスは絶滅動物の一種だつた

 まず、アウストラロピテクスから見てみよう。アウストラロピテクスは、はじめ1924年にレイモンド・ダートの手によって発掘されて以来、サルとヒトの中間である「猿人」と主張されてきた。しかし今日では、多くの著名な学者の手によって、その考えが間違いであることが明らかにされている。たとえば著名な人類学者、米国ラトガース大学のアシュレー・モンテギュー博士はこう述べている。

 「アウストラロピテクス類は…ヒトの直接の祖先にも、ヒトに至る進化の系列にもなり得ない」

アウストラロピテクスは、ヒトの祖先ではなく、全く異なった他の動物だったに違いないとされている。解剖学と人類学の教授チャールズ・オクスナード博士が1975年に発表したところによると、「多変量解析」という方法で調べた結果は、アウストラロピテクスはヒトでも類人猿でも、またその中間の移行型でもなく、全く異なったものであることを示していた。
 また最近、リチャード・リーキー博士は、彼が新しく発見したより完全なアウストラロピテクスの前脚と後脚の化石は、この動物が直立歩行をしていなかったことを示している、と述べた。 アウストラロピテクスは、大洪水以前に生息し、後に絶滅した、サルやゴリラに似た動物の一種にすぎなかったのである。


「ジャワ原人」や「北京原人」は進化の証拠ではない

 進化論者は、「原人」(ホモ・エレクトウス)すなわちまだサル的な特徴を残した最初の人類として、「ジャワ原人」や「北京原人」と彼らが呼ぶものを、よく取り上げてきた。しかしこれらは、いずれも今日では進化の証拠としての価値を失っている。
「ジャワ原人」は、1891年、進化論に感化された若者ユージン・デュボアによって発見されたとされているが、その証拠とされる骨と言えば、頭蓋骨と、歯と、大腿骨だけであった。それらの骨からデュボアは、この動物は直立歩行をしていたもので、サルとヒトの中間型であると考えた。そして得意になって、「ついにミッシング・リンク(失われた環=中間型)を発見した」と報じ、この動物をピテカントロプス・エレタトウス(直立する猿人の意)と命名した。しかしデュポアの説明は、当時の一流の解剖学者ルドルフ・バーコウ博士や、W・H・バロウ博士らによって強く批判された。頭蓋骨は大腿骨から数メートルも離れた所で発見され、歯は頭蓋骨から数メートルも離れた所で見つかったからである。そんなに離れた場所から見つかったものを、どうして同一の体に属していたと判断できるのか。これらの骨が同一の体に属していた証拠は全くなかった。同一の体に属するものとして結びつけたものは、デュボアの進化論的想像だけだったのである。
 また、のちにその地層をもう一度よく調べてみたとき、その同じ地層から、今と同じ人類の遺骨が発見された。つまり「ジャワ原人」が何であったにせよ、それは人類の先祖などではなかったのである。
 一方、「北京原人」はどうか。「北京原人」も、やはりヒトの骨とサルの骨とが組み合わせられたものだ、と考える人が少なくない。中国の北京では、サルの脳みそを食べる習慣があり、脳みそを食べた後、サルは近くに捨てられた。それで北京では、サルとヒトの化石化した骨が、近くで発見されることがある。 「北京原人」の化石と言われたものは、第二次世界大戦中に失われてしまったので、今日私たちはそれを見ることができない。そのため、以前にはできなかった化学検査や、その他の進歩したハイテク技術によって、今日それを調べ直すことすらできないのである。
 そのようなものを、いまだに「進化の証拠」と称して教科書にかかげる進化論者の態度には、問題があると言わなければならない。このように「ジャワ原人」にしても「北京原人」にしても、私たちの手元にあるのは、わずかな骨、あるいは70年も昔の発掘記録と、進化論的先入観に満ちた人々の膨大な想像だけである。
「原人」と呼ばれるものは他にも幾つかあるが.....と言っても1ダースとないが.....進化の証拠としての価値を持っていないということでは、大同小異である。
 「ジャワ原人」にしても「北京原人」にしても、またその他の「原人」と言われたものにしても、人間がサルのような動物から進化してきたという説の証拠とはなり得ない。「猿人」とか「原人」というようなものは、もともと存在しなかったのである。あったのは、サルと、サルに似た絶滅動物と、人間である。サルと人間の中間は、現在も、また化石としても存在していない。サルは初めからサルとして存在し、人間もはじめから人間として存在していた。サルもヒトも、聖書が述べているように同時代に創造され、同時代に存在し始めたことを、化石記録は物語っているのである。


生命はただ生命より出ずる

 生命は、一体どこから生まれるのか。生命のないところから、生命は生まれるだろうか。生物が生き延びるための条件さえ整えば、そこに何かの偶然で、生命が生まれるのか。
19世紀に至るまで多くの人々は、″生命は無生物の中から自然に発生してくる″という「自然発生説」を受け入れていた。当時の人々はよく、「雨水が集まった水たまりには、すぐに何億もの微生物が現われる」ということを引き合いに出した。それらの微生物は自然に発生したではないか、というわけである。また、「腐敗した死体には、すぐにウジ虫がわいてくる」ということも引き合いに出した。人々は、生命は無生物の中から自然発生するものだと思っていたのである。これらの論理は、進化論の正当化にも用いられた。しかし1864年に、有名なフランスの細菌学者ルイ・パスツールは、この考えが間違いであることを実験的に証明した。つまり完全に殺菌し、かつ外部から菌が入らない状態にしたところからの生物発生は決してないことを示したのである。彼は、「自然発生説は、この実験によって受けた致命的な打撃から、決して立ち直れないであろう」と述べた。これは今日でも事実である。実際、医者はこの実験結果を信頼して、手術のときなど医療器具を殺菌する。生命のない物質から生命が自然発生することは、決してないからである。
 ところが、生命の自然発生説が崩壊したとき、進化論者は別のタイプの自然発生説を唱えた。彼らは「長い時間」に望みをつないだのである。たとえ数年や、数十年の間に生命が無生物の中から自然発生することはなくても、何億年もの間には生命が発生することもあるだろう、という漠然とした”信仰”に立った新しい「自然発生説」が唱えられた。
 しかし最近、分子生物学の研究が進むにつれ、細胞や、細胞の構成物質のことがよくわかるようになってきた。それによって、無生物の中から生命が発生することは何億年かかっても起こり得ないことが、わかってきたのである。 細胞の構成物質である「アミノ酸」程度のものは、自然界でもふつうに形成されることがあるのは知られている。しかしアミノ酸と一個の細胞とでは、砂粒と超高層ビルディングとの差ぐらい、複雑さの点で大きな違いがある。生命の最小単位である一個の細胞でさえ、それが形成されるためには、想像を絶するほど多くの幸運が重なり合わなければならない。
 無生物の中から一個の細胞が自然発生することは、大地の中から東京タワーが自然に出現することと同じく、不可能と言えるものなのである。たとえ大地に風が吹き、雷鳴がとどろき、何億年もの時間が過ぎても、大地の中から自然に東京タワーが出現することはない。
 同様に、無生物の中から生命が自然発生することはあり得ない、と言わなければならない。「長い時間」に望みをつないだ進化論者の新しい自然発生説も、今日では全く根拠を失った。しかし一度持った″信仰”は、なかなか捨てられない。今も進化論者は、生命の自然発生を信じている。けれどもそれは、もはや「根拠なき信仰」にすぎない。
 生命は、無生物から発生することはない。生命は、ただ生命より出ずる。聖書は、「いのちの息は、わたし(神)がつくった」(イザヤ書57.16) と述べている。生命は生命の根元である神から来た、とする考えはじつは非常に理にかなったものなのである。



卵ではなく鶏が先だった

 よく「卵が先か、鶏が先か」ということが問われる。卵がなければ鶏が生まれないし、鶏がいなければ卵も生まれない。だから最初は一体どっちだったんだろう、といったことが言われる。しかし最近の遺伝子工学の発達により、生物の誕生において、「卵が先」ということは決してあり得ないことがわかってきた。私たちは卵と鶏を見てみると、一見、卵のほうが簡単なもののように見えるので、きっと卵が先だろう、と思ってしまうかもしれない。ところが、卵は1個の細胞である。その細胞の核の中には「遺伝子」が入っている。DNAとも呼ばれるこの遺伝子は、じつは成体となつた鶏が持つ遺伝子と全く同じものなのである。その内容は、寸分違わない。これは人間でも同様である。母親の胎内に宿った受精卵の中にある遺伝子DNAは、大人になった人間の各細胞内にある遺伝子DNAと全く同じ内容である。
 このDNA一個の中には、百科事典でいえば1億ページ分にも相当するような膨大な量の情報がつまっている。この卵がどのように細胞分裂を繰り返して、どの細胞が目になり、どの細胞が耳になり、どの細胞が足になり、どの細胞が翼になる…といったすべての情報とプログラムが、その卵のDNA内に含まれている。
DNAには、生まれてから死ぬまでの、その個体の生物的要素に関するすべての情報がつまっている。つまり、成体の鶏になったときの生物的設計図のすべてが、その小さな卵の中にすでに収められているのである。
 遺伝子情報という観点から見れば、卵も、また成長して大きくなった鶏も全く変わらない。そして、卵は親鶏がいなければ生まれない。卵にすべての遺伝情報を与えたのは、親鶏だからである。
 だから生物の歴史において、卵は決して先に誕生したのではない。一番最初に誕生したのは、親鶏であった。また人間で言えば、大人が最初に出現したのである。
 アダムとエバが最初の人間として現われたと、聖書は述べている、彼らは大人であった。また最初に誕生した鶏や、他の生物も、すべて、成体の状態であったと聖書は述べる。このように、卵が先ではなく、鶏が先だったのである。


エントロピーの法則は進化論を否定する

 熱力学には、有名な「エントロピーの法則」というものがある。これは確実な科学的真理とされているもので、一言で言えば「覆水盆に返らず」という諺の意味するところと同じである。
 すなわち、盆から水をこぼしてしまったとき、その水は決して自然にもとへ戻ることはない。また花瓶を壊してしまったとき、その花瓶は決して自然にもとへ戻ることはない。木から切り離されたリンゴの果実は、時間とともに次第に腐っていく。バナナでも、ミカンでも、野菜でも、必ず腐っていく。そしていずれは、完全に分解して土に帰る。逆方向の変化が起きることはない。
 人間もそうである。人が死に、肉体から生命が去ると、肉体は次第に腐敗していき、ついには完全に分解して土に帰る。このように物は次第に、より低い質のエネルギーの状態に、必ず移行していく傾向を持っている。これを「エントロピーが増大する」という。
「エントロピー」は、使用できないエネルギーをさす言葉だが、わかりやすく言えば無秩序さ、乱雑さ、でたらめさのことと考えてもよい。それが時間とともに増大していく。物は、高度な秩序形態から、次第に無秩序さ、でたらめさを増して、より低い秩序形態へと移行していく。
 外部からのエネルギーの出入りがない密封した状態(閉鎖系)では、エントロピー(無秩序さ)の総量は必ず増大の方向へ向かう。これは進化とは全く逆の方向である。進化とは、エントロピーの減少つまり高度な秩序形態への移行が数限りなく積み重なって生物が誕生した、と主張する理論なのである。しかし、そのようなことはありうるのか。
(中略)
 最も単純と言われる生命、細胞でさえ、非常に高度で豊富な機能、組織、秩序形態を持っている。そして生物には、生命活動を営ませるためのプログラムが内部に組み込まれている。無生物にはこれがない。この差は大きい。だから生命体というような高度な組織は、たとえ開放系でエネルギーの出入りがあっても、それを作りあげるだけのプログラムが存在しない限り、自然な物理的化学的過程では決して生まれ得ないのである。
 生命誕生以前の地球や宇宙自体の内には、たとえエネルギーがあっても、それを生かして高度な秩序形態を生むようなプログラムが存在しなかった。だから、進化というプロセスを通して生命が誕生することは不可能だったのである。生命が誕生したのは、偉大な知性によるプログラムや、働きかけが原初において存在した証拠である
生物が持つ細胞のDNA内部には、約一兆ビット(ビットは、コンピューターで使う情報量の単位)もの情報がつまっていると言われている。これは百科事典約1億ページ分の情報量に相当する。しかもすべてのDNA情報は、一種のプログラム言語によって作られている。
このような秩序ある有用な情報は、偶然を原動力とする進化では決して生まれない。東京工業大学の阿部正紀教授は、こう述べている。

 「自然現象の偶然の過程から高度の秩序が生じたと考える進化論は、エントロピー増大則と真っ向から対立するものです。なぜなら進化論では、まれにしか起こらない突然変異が積み重なって新たな秩序が生じることを期待するからです。ですから、『最も高い確率の状態が実現される』という前提に立っている分子運動論と、進化論は全く逆の前提に立っているのです」

進化論は、何も情報がなく、何ら知性的なプログラムもないところから、今日の世界に見られるような高度な情報形態を持つ生物界が生まれたと主張するものである。進化論とはそのように、絶対にあり得ないことが絶対にあったと信じることなのである
 鉄の箱やガラクタをどんなに長く置いても、あるいはそれをどんなにかき回したところで、それは決してコンピューターにはなり得ない。コンピューターを作るためには、多くの人々の知性と努力が必要だった。そこに多くのプログラムと情報を組み入れる必要があった。ましてや、この宇宙とその中の生物界を造られた方は、一体どれほど偉大な知性を持っていることだろうか。


「突然変異」は進化を妨害するだけだった

 進化論において、「突然変異」は進化の主役とされてきた。進化論においては、生物は「突然変異」の積み重ねによって、次第に複雑で高度な機能を持つ生物に進化してきたとされている。だから突然変異は、実質的に進化の唯一の原動力である。より高度な生命形態への突然変異が起こり得たならば、進化も可能だったことになり、起こり得なかったとすれば、進化は不可能だったということになる。
 しかし、今や多くの科学者が指摘しているように、突然変異は進化を押し進めるどころか、進化を妨害し、生命の存続を危機に追い込むものでしかなかった。突然変異は、その生物に有利な変化をもたらすのではなく、不利な変化しかもたらさないのである。
あの「ショウジョウバエ」の突然変異を観察した結果も、突然変異によってもたらされたのは「異常に短いハネ、変形した剛毛、盲目や他の重大な欠陥」にすぎなかった。ヒトにおいて、障害児が生まれたり、遺伝病が起こったりすることがあるのも、突然変異の結果である。突然変異とは「異常」であり、「障害」であって、生命の歴史において生命体を改悪することはあっても、改善し「進化」させることはできなかった。
 進化論の教科書などではよく、「突然変異はほとんどの場合有害だが、長い時代の間には、いくつか有益な突然変異も出てきて、それが進化の原動力となったに違いない」というような教え方がなされる。しかし、アメリカの著名な科学者ゲーリー・E・バーカー博士は、数多くの有害な突然変異のなかで、たとえ万一、その生命体に一つ、あるいは幾つかの「有益な」突然変異が起こったとしても、結局それも生命体を進化させることは不可能だったことを、明らかにしている。というのは、突然変異によって引き起こされた欠陥や障害は、歳月とともに遺伝子の中に重い「遺伝荷重」を負わせ、積もり積もっていくからである。「遺伝荷重」とは、遺伝子エラーの積み重ねで、生命体にかかる負担となり、遺伝的に次の代に伝わっていくので、代を重ねるごとに重くなり、ついには致命的なものとなる。したがってその過程で、有益と見える変異がたまたま起こったとしても、積もり積もった数多くの障害の中で、それも役に立たない。歳月がたてばたつほど、その傾向は強くなり、結局突然変異は進化を妨害し、「種」の存続を脅威にさらすだけなのである。
 また、生命体に真に有利な突然変異、あるいは他の種に移行しうるような突然変異を実際に観察し得た人は、誰かいるだろうか。誰もいない。また実際に、一つの種から他の種に移行した生物を見た人も、一人もいない。理論も観察も、他の種への突然変異はなかったことを示している。進化はなかったのである。
 すべての生物は、聖書の述べているように「種類にしたがって」(創世記1.21)創造され、同時期に存在し始めたと考えたほうが、事実によく適合していると言える。


進化論を広めるためになされたでっちあげ

馬の進化図


 進化論を広めるために、悲しいことに多くの"誇張"や"でっちあげ"がなされてきた。先に述べたように、進化論者は長いこと、単に大きさの順に並べたにすぎない馬の化石を、進化の証拠として用いてきた。この「馬の進化図」については、著名な生物学者エルドリッジ博士(進化論者)も「ひどい資料」と呼び、

「それを教え、それを事実として掲示しているのは、実に嘆かわしいことである」

と述べている。また、進化論の進展の途上においてなされた"でっちあげ"の例として、「ピルトダウン人」や「ネプラスカ人」の化石は、同様に悪質である。「ピルトダウン人」(ダウソンの原人)と呼ばれたものは、かつて最も重要な化石の一つとされ、人の古い先祖として、本の中で取り扱われた。それはほんの一握りの骨にすぎなかったが、進化論を信じる画家たちは、それをもとにして、人の祖先とされる、あの毛むくじゃらの原人の姿を描いた。そして教科書に載せ、博物館に飾った。しかしずっと後になって、ピルトダウン人は「偽作」であることが判明したのである。「発見」と騒がれてから41年後の1953年のことだった。解剖学的、化学的検査の結果、あごは猿のもので、頭骨は現代人のものと判明した。そしてそれらは、古く見えるように加工が施されていたのである。
 また「ネプラスカ人」も、かつて人類の先祖としてもてはやされたが、その化石とは、要するに歯1本だけであった。しかも、後にその歯は、豚の歯であることがわかったのである。そのほか「ラマピテクス」はオランウータン、「オルス人」はロバの頭骸だった。「ハイデルベルク人」は現生人類のものであった。
 このように後日になってその正体が明らかにされ、進化論の教科書から姿を消してくれた場合は良い方で、進化論者はいまだに、進化論の証拠として幾つかの資料に固執している。しかし今ではそれらのものも、その虚偽性が明らかにされている。英国スワンシー大学の生物学者デレク・エイガー教授は、「自分が学生時代に学んだ進化に関する物語のすべては、今では実際上、化けの皮がはがされてしまい、受け入れられないものである」と述べている。また、大英博物鮨の古生物学者コーリン・パターソン博士は、1981年にニューヨークの博物館の公開集会で、50人を超える分類学の専門家や来賓に対して、次のように語った。

 「私も最近まで、ギレスピー(創造論に反対する進化論者の1人)の見解をとってきました。しかしその時、『目が覚めた』のです。『私は長い間、進化論をなにか啓示された真理でもあるかのように思い込まされ、だまされて来たのだと気づいた』のです」