「無党派市民」平成23年度予算要望

 

予算要望への見解

区長不信任の立場から、予算要望は差し控える

 

はじめに

 

 中央政府においては本格的な政権交代がなされてから1年余を経過した。

マニュフェストに「コンクリートから人へ」と掲げて登場した民主党政権が、その政権公約を果たしているかどうかはともかく、大事なことは、オバマ政権の流れも受けて日本の民主党が日本版グリーンニューディールを公約に掲げ、国民がこれを圧倒的に支持して新政権が登場したという事実である。

 アメリカ経済の極度の衰退、中国経済の高度成長という国際環境の中で、急激な円高を受け、日本経済の先行きが危ぶまれている。

 この日本経済の危機を見るに当たっては、第2の敗戦とまで言われた1985年のプラザ合意にまで遡らなければならない。当時既に衰退を始めたアメリカ経済を下支えする形で日本がバブル経済を膨らませ、また破綻し、戦後高度成長期に築いてきた国民の富を大きく消失させる原因をつくった当時の自民党政権の罪は大きいと言わなければならない。

 当時、プラザ合意による内需拡大は不健全な不動産投資と不健全な不動産開発に向けられた。1960年代の公害の多発を1970年代の表面的な解決でお茶を濁し根本的な環境保全への投資を控え、老齢化社会の鳥羽口にありながら、社会福祉の基盤整備への対応を怠り、また豊かな時にこそ出来たはずの教育や科学技術投資を怠り、その結果の金余りと表面的な豊かさに浮かれて1980年代に不動産投資とマネーゲームに没入した挙句、1990年代に入ると破綻。その後は、超低金利政策で日本国民の富や生活を収奪しつつ、年金制度を破綻させ、一方で衰退しつつあったアメリカ経済やその結果の湾岸戦争以降の軍事経済を結局は下支えしてきた。

 昨年のリーマンショックは、アメリカ経済の弱さとその矛盾をいよいよ白日の下に晒したが、反対に世界の工場としての中国経済が注目され、また台頭して来ている。

 今や日本経済は中国経済を抜きに成り立たないほどの関係を持っていることは誰もが認めるところとなった。

 

1、グリーン・ニューディールが、今こそ必要

 

 残念ながら、中国の大国主義ナショナリズムと軍事大国化が頭をもたげてきていることは危惧しなければならないし、尖閣列島問題はその象徴である。中国における経済格差と公害・環境破壊は中国国民の体制の民主化を求める声が増大する契機をはらんでいる。

 中国経済のパートナーでもある日本は、今こそ、日本の過去の大国主義・排外主義の反省を明らかにし、既に日本国憲法秩序の中で確立した平和主義をもう一度原点にしつつ、中国や日本に起こりつつある過度なナショナリズムを戒め、一方で劣悪な公害や環境破壊を経験したがゆえの環境技術立国としての範を示していく必要がある。そのためには、日本自身の絶えざるイノベーションが必要だ。

 そのキーワードは、まさに、グリーンニューディールであり、「コンクリートから人へ」であると確信する。

 オバマが大統領選で唱えることによって脚光を浴びることになったグリーンニューディールの提唱は、アメリカの不動産バブルからの建て直しの意味合いもあるが、イラク戦争からの撤退、つまりは戦争経済の代替案でもあったはずだ。この提唱がアメリカでも必ずしもうまくいっていないのが問題だが、グリーンニューディールはアメリカにおいて平和経済への転換政策でもあった。

 残念ながら、アメリカにおいても「ティーパーティー」等のナショナリズムが跋扈しつつあり、世界全体の新「帝国主義」化が懸念される。それだけに、グリーンニューディールをこそ、世界各国各都市市民の運動としていかなければならない。

 

2、日本は土建国家から環境イノベーション国家への転換を

 

 日本の戦後経済の成功は平和経済に徹したことにあるが、産業国家として発展すると同時に土地本位制とも言うべき土建国家をも作り上げてきた。その結果、経済発展とは裏腹に、働けど働けど生活の豊かさが実感できないばかりか、不動産投資や土地本位に頼ってきた経済・金融システムは、環境を破壊するばかりでなく、勤勉さや技術立国にかげりをもたらしている。

 コンクリートではなく人を大事にし、環境や教育や福祉に投資することこそ必要だという主張は、既にバブル崩壊後に現れており、1993年には公共事業の見直しをそのスローガンに掲げた日本新党が躍進し自民党長期政権を倒し細川政権が成立している。曲折を経て登場した民主党政権はその流れの中でこそ成立している。

 

3、住宅都市世田谷こそ土建国家からの脱却の先頭に立つべきだ

 

 既に、区議会での予算・決算での意見表明や毎年ごとの予算要望の折に、私は、何度も、日本有数の住宅都市である世田谷区こそ、エコロジカルニューディールすなわちグリーンニューディールを行うべきであると訴え、「コンクリートから人へ」の転換の先頭に世田谷区こそ立つべきであると訴え続けてきた。

 具体的には、小田急線で既に行われ今後京王線で行われようとしている連続立体交差事業による道路整備と大規模再開発の見直し、二子玉川での超高層再開発の見直し、鉄道・自動車騒音公害や排ガス公害の低減、住宅都市としての環境整備と自然の回復、自然エネルギーやスマートグリッドの普及を訴えてきた。

 残念ながら、熊本区政はこれらの要請に応えようとはしていない。

 

4、問われる不動産開発の核としての「連立事業」の在り方

 

 とりわけ区政の懸案である連続立体交差事業の在り方は、日本の土建国家の在り方を象徴している。

 私が小田急線の問題に取り組み始めたのは議員になる前の1985年頃からであるから、既にこの問題では4半世紀取り組んでいることになる。

 「建運協定」が成立し都市における連続立体交差事業についてのルールが出来たのが1969年であるが、小田急線問題をきっかけに1970年と1973年の2度にわたって世田谷区議会では世田谷区内の高速鉄道については地下化推進で行くという決議が全会派一致で挙げられている。熊本区長はその当時から都議としてこの問題に関わってきている。

 昨年の政権交代後には熊本区長は東京都全体の連続立体交差事業推進協議会の会長に就任した。この協議会の事務局は東京都であり世田谷区は事務局補佐という形で事務局を担当している。

 小田急線の問題では200110月に事業認可を初めて取り消した東京地裁判決、2005年12月には都市計画事業の原告適格要件を飛躍的に拡大させた大法廷判決、そして2010年今年の831日に東京地裁は小田急騒音訴訟において在来線鉄道騒音で初めて受忍限度を示し賠償を命令した。

いずれにおいても、小田急線の連続立体交差事業問題で土建国家のあり方に司法が初めての判断を示し続けている。

 

5、文化をはぐくみ続けている下北沢をまもれ

 

 なお、下北沢地域では小田急電鉄を地下化したにもかかわらず、交差道路補助54号線の新設によって街全体を再開発することが企画されている。

 下北沢は、大規模不動産開発を拒否してきたことにより現在の独自の文化がはぐくまれてきた。古さと新しさが共存する(コルビジェ型に対比するところの)ジェーン・ジェイコブス型のモデルがここに存在する。この価値を破壊してはならない。この点については下北沢地域住民及び下北沢に集う市民より「まもれシモキタ!行政訴訟」が提起され現在争われている。

 

6、京王線の地下化と緑のコリドー化でグリーンニューディールを

 

 これまでも再三指摘してきたように、「連立事業」の実体や本質は道路予算を使っての不動産開発事業であるが、市民が必要としている踏切解消を名目にして行われていることに最大の矛盾がある。

 世田谷のような既存市街地においては踏切解消は鉄道の地下化によって行うべきである。そうすれば沿線騒音問題の解決ともなる。また、鉄道を地下化した地上は都心から郊外に延びるラインを緑化して、都心と郊外を繋ぐ緑のコリドーとすべきである。小田急線では、画期的な地裁判決にもかかわらず、区内全線をコリドーとすることは実現できなかったが、これから事業を行う京王線においては、まさに地上を緑のコリドーとすることは時宜にかなった政策であると考える。

 京王線を緑のコリドーとすることは、都市政策における日本版グリーンニューディールの第一歩ともなる。

 まさに、ここに、土建国家をめぐる最先端の問題が争われている。

 

7、騒音判決の評価さえ語らない区長に、区長たる資格はない

 

 9月16日、私は、一般質問で、831日の騒音訴訟の判決について感想を求めた。

 これに対し、区長は、自らは何ら答えようとはしなかった。

 決算質問の冒頭では、区長は環境を守ることは大事だと一般論では答えた。しかしながら、騒音問題については黙して語ろうともしなかった。

 日本国において環境基準が定められているのに、在来線の騒音は例外的に基準が定められていない。これにようやく新線規制レベルの受忍限度を認めたというのが今回の地裁判決であり、画期的なことであったはずである。騒音問題という、公害問題としては古典的な問題で、区民の健康を守るべき区長が何もコメントしないということ自体、区長たる責任を放棄している。

 

8、京王線高架は時代錯誤

 

 昨年は11月には世田谷区も参加して京王線の連続立体事業についての説明会があった。特急線を地下鉄で将来作るにも関わらず、在来線は高架で行くというのは時代錯誤も甚だしい。

 新規事業着工準備採択されているのは代田橋・八幡山駅間のみであるにもかかわらず、笹塚・つつじヶ丘駅間の都市計画素案の説明会を強行し、法の環境アセスまで先行して行ってしまうこと自体問題だが、このことを追及すると、既に新規事業相当の決定があったと説明し、この新規事業相当の意味を問うと、その内容については満足に答えることはできなかった。お粗末極まりない。

 また京王線の側道の都市計画に責任を持つ世田谷区は騒音問題に直接責任を持つことを問うても、答えようとしないのは不誠実と云うほかない。

 小田急線や京王線の基礎調査である連続立体交差事業調査について、いまだに報告書を手に入れる必要はないし手に入れていないと言い張っているが、一方で必要な情報は個別に手に入れているので支障はないと言ってはばからないのは子供だましの論理と云うものである。東京都等との協議機関において議事録を取っていないことを正当化し、又、情報公開審査会の答申の附言に基づき、今後議事録を取るように求めよといっても、これに応じようともしていない。ここに至っては、説明責任はおろか民主主義の基本すら守ろうとしていないと言わざるを得ない。

 

9、街づくり条例「改正」強行に抗議する

 

 加えて、区議会のほぼ半数の反対や区民の反対を押し切って、9月議会でのまちづくり条例を改正強行した。

 今回の改正まちづくり条例には、区民に対し都市整備方針に対する遵守義務が盛り込まれたが、そもそも、都市整備方針の決定を未だに役人の専権事項としておきながら、遵守を強要するのは、笑止千万と云わなければならない。

 都市計画や街づくりにおける情報は秘匿されているばかりでなく、むしろ役人が情報を操作しているとしか言いようがない。これを改めることなく、いくら形ばかりの「住民参加」をおこなったとしても、アリバイやガス抜きの意味しか持たず、民主主義は入り口で立ち止まってしまう。

 

10、会派「無党派市民」の来年度予算への態度

 

 会派「無党派市民」は熊本区政不信任の立場から、平成22年度予算全てに反対した。また、9月議会では、以上の理由から、平成21年度の決算認定全てに反対した。

 区長は、各会派に平成23年度予算への要望意見を求めているが、一方で、来年の区長選への態度は未だに示していない。

 区長は退陣すべきである。そして、区長が立候補をしないのであれば、編成する予算は骨格予算とするべきである。

 3選に向けて熊本区長が立候補するのであれば、会派「無党派市民」は不信任の立場からその当選を望まない。

 以上をもって、平成23年度「予算要望」に対する、会派「無党派市民」の意見とする。