「無党派市民」平成20年度予算要望

環境優先都市への転換を時代は求めている

 

 

はじめに 

 

ノーベル委員会は1012日、今年のノーベル平和賞を、地球温暖化問題に取り組んでいるアル・ゴア前米副大統領(59才)と、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)に授与すると発表した。

今年2007年の夏は日本においても、観測史上最高の気温を更新させ、地球温暖化の現実を実感させた。10月初旬まで蝉が鳴いた長い夏の終わりに、飛び込んできたこのビッグニュースは、世界の変化の予兆を感じさせる。

地球温暖化問題の克服は、今後、政治や文化の中心課題とならざるを得ないだろう。産業革命以来の資源の大量消費の転換の必要は明らかに、新たな文明への移行を人類に強いている。

京都議定書への調印を拒否してきたブッシュ政権のアメリカ合衆国において、地球温暖化問題への取り組みが本格化したのは、ハリケーンによるニューオリンズ災害の経験が大きく寄与をしているとも言われている。議長国である日本政府が国内の環境政策で足踏みをしている間に、むしろアメリカは産業界が率先して環境課題に取り組み、環境を産業戦略に組み入れ始めたといわれている。

しかしながら、温暖化対策を含めた地球環境の保全の課題は、グローバル化した資本主義の無政府性の克服の先にしか解決の道は見出せないのであり、その取り組みは、旧来の経済と政治システムに大きな変革を要求してくることになろう。

日本政府も東京都も世田谷区も、環境問題については取り組むべき課題であると公言せざるを得なくなっている。その言やよし。地球温暖化阻止に向けたその取り組みが本当に徹底されるならば、産業経済優先主義が骨の髄までしみこんでしまったこの国や地域の政治を、転換させることになる。

この動きを本物にするために、今こそ、市民は立ち上がるべき時である。

 

 

1、    大場区政を引き継ぎ強化された熊本不動産開発区政

 

熊本区政は道路を2倍の速度で整備するというスローガンとともに登場した。前大場区政は1975年にいわゆる「革新区政」として登場したが、1979年の2期目の選挙戦を契機に、自民党も与党となるに至り、オール与党体制として、不動産開発行政に与するところとなった。

大場区制の際には、オブラートに包まれていた不動産開発行政は、自公主体の熊本区政になるに至って、あからさまの様を呈してきたが、2007年の選挙で前大場区長が熊本区長の支持を表明するに至り、大場区政から熊本区制に連なる、その一貫した体制が明らかになってきた。

世田谷の近代史は江戸時代の近郊農村から現代の住宅都市への転換の歴史であるが、戦後は東京のメガロポリス化と相まって、住宅地・商業地としての土地の利用価値を極大化させ、地価の値上がり益が期待されてきた歴史であった。

したがって、区政の中核に大土地所有者が君臨し、中小の土地所有市民もこれにつき従ってきた。

 

 

2、    不動産開発に反省を迫った公害

 

これに根本的反省を迫ったのは、1960年代中葉から顕著になった公害である。工業地帯は言うに及ばず、自動車を発生源とする大気汚染は住宅地世田谷区をも襲った。同時期に登場した美濃部革新都政の選挙キャンペーンが「青空バッジ」であったことは、公害の除去が大きな政治課題となったことを象徴している。

あからさまな、目に見える公害の除去対策は一定程度進み、公害問題の言葉が環境問題と置き換えられるようになった1970年代も後期ともなると、産業界とこれに支えられた政府と地方行政は、公害対策・環境対策をネグレクトする対応を取った。

1978年の7月に政府によって行われた二酸化窒素の環境基準の3倍もの緩和措置はその象徴であった。長年かけて呼吸器を中心としたがんの増大をもたらす窒素酸化物の対策は、この緩和によって取れなくなってしまった。被害は隠蔽され、自動車排ガスの総量規制や公害対策基本法による被害者救済事業をする必要のない体制を産業界と政府は手にし、一方、モータリゼーションの野放図な増大と、国土の高度利用を促進する道路建設は加速された。

1979年に美濃部都政が鈴木都政に変わった統一地方選挙で、世田谷区の前大場区政が「オール与党」体制になっていったという事実は世田谷区政のありようをみる上で、忘れてはならない視点である。

その後中曽根政権が登場しプラザ合意を経て、日本にバブル経済がもたらされ、その崩壊後の長い不況期を経て、現在にいたっている。

 

 

3、    連立事業で舞台は回る

 

この間の世田谷区政の基本的スタンスは前大場区長にしても熊本区長にしても政府の不動産開発姿勢に寄り添ってきたことである。

しかも、バブル崩壊後の経済立て直しも「土地本位制」の銀行や産業界を救済し、格差を増大させ弱者を切り捨てる政府の政策に歩調を合わせてきた。

 世田谷における不動産開発の舞台回しが鉄道事業であったことは興味深い。戦後、東急電鉄の鉄道事業が複々線化という点ではいち早く進んだが、ここは後追いで大規模再開発が試みられた。三軒茶屋の再開発、用賀の再開発が先行し、二子玉川再開発が続いている。一方、後発の小田急電鉄や京王電鉄に関する事業は、連続立体交差事業として展開されることになり、最後には東急の大井町線で連続立体交差事業が締めくくられることになる。

 連続立体交差事業は政府と東京都と世田谷区が共同してなそうとしている不動産開発事業の過程そのものであると、位置づけておくべきである。

 

 

4、オール与党から与野党が拮抗へ ――変化は始った

 

そういった流れを持つ不動産開発区政に対し、2007年4月に闘われた、区長・区議選は区民が初めてノーを突きつけた選挙であったと、総括しておくべきであろう。

自民・公明推薦の熊本候補(115770)に対して、野党側は統一こそできなかったが、大規模再開発の転換を訴えた鈴木(74325票)・水間(77962票)両候補の得票合計は熊本票を36517票も上回っている。

また、区議選においても議席数において与党自公に対して野党勢力が拮抗したのである。

このことは、その後の夏の参議院選での民主党の圧勝と9月になってからの安部政権の崩壊と相まって、世田谷区政にも大きな影響を与えることになろう。

 

 

5、連続立体交差事業の抜本的見直しを!

 

世田谷での不動産開発行政を環境保全型行政に転換するに当たって、何よりも対応しなければならない問題は連続立体交差事業問題である。

小田急線連続立体交差事業の問題点は、これまで過去、何度も各年次の予算要望のなかで取り上げてきた。

連続立体交差事業は道路特定財源をつぎ込む街路事業であり、道路整備と都市再開発がメインテーマであることも、るる説明してきた。

したがって細かなことはここでは繰り返さない。

小田急線の連続立体交差事業は現在行われている世田谷区の公共事業の中で最大の公共事業であることは言うまでもない。

梅ヶ丘から喜多見までの区間だけで、1900億円(過去の未計上の土地買収費を加えれば2400億円)、代々木上原から梅ヶ丘までの下北沢区間で1258億円とする事業は、周辺の道路整備や再開発の事業費を加えれば1兆円を超える規模になるであろう。

しかも、連続立体交差事業は京王本線や東急大井町線も予定されている。

下北沢、経堂の大規模再開発を区は政府や東京都の指導を受けつつ進めようとしているが、何よりも、下北沢や経堂の再開発事業、これと連動する補助54号線や補助52号線、そして関連するグリッド上の補助線道路、これらの事業の見直しを行い、世田谷区の将来ビジョンを根本的に転換することを要求する。

連立事業は開かずの踏切解消を本来の任務とし、道路整備や大規模再開発とセットにするべきではない。

 

 

6、援助団体との癒着を断ち、住民参加の形骸化を許すな!

 

世田谷区政は長きにわたる、オール与党体制から、自公の与党と対抗する野党が拮抗して存在することとなっている。この点が昨年と大きく違うところである。

さて、戦後長らく日本の政治を支配してきた自民党の東京における支持基盤構造はどのようなものだろうか。

それは、各種産業団体および商店街と町会と言い切っても過言ではなかろう。区議選ともなると商店街と町会がその全面に押し出ることとなる。

もっとも、自民党をぶっ壊すといって登場した小泉政権の際には、国政レベルでは自民党は旧来型の既存組織からの積み上げ方式を、劇場型パフォーマンスで多くの浮動票を一般市民から集めることに成功をした。

しかしながら、安部パフォーマンスの失敗から総崩れとなり、福田政権にいたって、現在また、旧来型の既存組織積み上げ方式に唯一、頼らざるを得ない対応に戻りつつある。

世田谷は市民参加の先進自治体であるとの風評がある。しかしこれは本当だろうか。都市整備常任委員会に属し各種「まちづくり」の実態を見るにつけ、何よりも、小田急線の連続立体交差事業という政府指導型のビックプロジェクトの扱いを見るにつけ、それは全く偽りの神話にすぎないことがわかる。

 

 

7、「やらせ」の「住民参加」は止めるべきだ

 

昨年、下北沢の地区計画案について、都市計画法16条の意見書を求める際、担当役人が賛成意見の意見書のひな型を作成し、町会や商店街の役員に配って歩いたという事件が起こった。この事例は事業を推進したい役人側の言語道断の「やらせ」だが、役人の方はこれを悪いことだとも、さらには「やらせ」とさえ、認定せず、「頼まれてひな形を書いて何が悪い」「実際に署名したのは住民だから問題はない」と開き直った。この事件で都市計画審議会の会長や委員が辞任しても、また、実際には反対意見書が賛成意見書を圧倒的に上回っていても、この事案を役人の意のままに通すことをはばからなかった。

住民参加といわれているものの実態、とりわけ「まちづくり」においては、参加の条件や、提供される情報、そして何よりも、参加する人々の情報に対する理解度・批判力の度合によって様々のものになりうる。

真の意味での住民参加を考えれば、住民に情報を一定、提供して説明会が行われたのみでは、住民参加が完了したとは言い難い。また専門性のある事案については役人の理解度と同等の理解を市民側が持つ機会を与えなければ、事案を検討したことにもならない。

 

 

8、町会・商店会に「住民参加」を仕切らせるのは止めよ!

 

現在世田谷区は、まちづくり条例に基づいて、コンサルタント派遣を行い、住民参加の手助けをしていると自賛しているが、ほとんどが区の意思あるいは派遣された専門家の意思への誘導作業を作出している場合があまりにも多い。

しかし、そのような、作出も、利害から離れた市民が参加していれば、是正を迫ることもできる。しかしながら、「街づくり」への参加の回路はほとんどが、町会や商店会を通じたものとして仕切られており、この参加の回路をまずは改めることが喫緊の課題である。

世田谷区の「街づくり条例」の歴史をひもとくと、当初この条例ができた段階では、町会や商店会といった旧来型の地元組織から独立し、なおかつ、民主的な運営の義務づけを前提とした「街づくり協議会」を街づくりの中核組織に想定していて、ここに強力な権限を持たせていたことがわかる。

 

しかしながら、改定により、この協議会の決定事項への区長側の尊重義務が条例から外されるようになっていく。

条例はできたものの、区長側が、運用にあたって、旧来の町会や商店会を依然として「街づくり」の中核に位置づけようとしたことが原因であった。裏返せば、区が町会や商店街を主軸に「街づくり協議会」を準備(多くは「懇談会」として始まることが多かった。)するが、途中で「協議会」に昇格させようとする際に、地域市民運動との間にトラブルが多発したからであった。

いまの世田谷区の「街づくり条例」の作りは当初の理想形からは異質のものになってしまっているが、その原因は、オール与党体制になった以降の大場区政やそれを受け継いだ熊本区政が依然として旧来型地域組織の町会や商店会を地域統合の道具として利用しようとしてきたことにある。

 

 

9、「お上」と対抗する市民運動の価値を認めよ

 

町会や商店会の「お上」とつながり「お上」にたよる伝統的な組織様式と切り離されたところに戦後の市民意識は形成されてきているのであり、その市民意識の現われが市民運動にほかならない。

戦後、市民は市民的自由を得て、行動する民主主義を実行してきた。また最近ではインターネット等の新しい情報ツールを得てネットワークを形成しながら、行政の情報収集に対抗する手段も得ている。

この市民に対し、説明責任を果たさなければ、行政の正当性は本来ないといわなければならない。

しかしながら、守旧的な旧来組織に頼ることで、殻に閉じこもっているのが残念ながらわが世田谷区であり、わが日本政府であるといわなければならない。

市民参加を十全のものとするためには、政策形成過程情報をも含めて開示するとともに、専門性を要する情報については、市民側の立場に立ってその主張を擁護する専門集団の助力が必要であるし、専門家集団が市民に味方したとしても、そのことによって不利益を被ることのない措置をとることが必要である。

現在のコンサルタント業会は行政や企業と結びつくことによって、その生業を成り立たせているのであり、その体質を抜本的に変える制度的保障を与えない限り、パシリテイタ―は行政のパシリテイタ―であって、市民のパシリテイタ―たることはあり得ない。

疑似住民参加を作出するコンサルタントによる「ワークショップ」などは即刻辞めて、政策実行に権限のある役人が市民との間で、時間をかけ丁寧に話し合う機会を設け、現行制度の運用を改めていくことを始めれば、住民参加の実質はより良くなるとあえて言っておきたい。

 

 

10違法な癒着と「やらせ」への居直りを改めよ

 

一方、すでに、市民の意見を代弁するという意味ではその機能を失っている町会や商店会に補助金を大量に与え、その見返りに、「お上」擁護の動員や意見醸成に使うことはやめてはいかがかと、進言しておきたい。

町会については、隣組から始まったあしき伝統を断ち切ることが必要であって、地域の自治組織の在り方は別の新しい革袋から始めるべきであるし、商店会については商業団体としての本来の役割を果たすべきである。商店会の中で振興組合となっている団体は商店街振興組合法が適用され、同法は特定政党との結びつきを禁止している。しかしながら、実態は理事長や副理事長等が現職の自民党の区議会議員を務めており、選挙の際に商店街事務所を使わせたり、婦人部や青年部を選挙に動員して活動をしている。このことは明らかに法律違反であり、政党支持の自由からいえば憲法違反でもある。

町会にしても商店会にしても、区からの補助金が大量に支出されているが、もはやこのような組織は区の外郭団体と見なすべきであって、独立した市民組織としてみなすべきではないし、このような存在をこのまま続けていてよいわけはない。

 

 

11談合を許さない入札制度を確立せよ

 

談合は、税金を不当に略取する犯罪である。熊本区長は2007年4月の区長選を前に2月に専門家を外部委員とする入札制度の改革委員会を発足させ、入札改革を選挙公約にも挙げた。

この委員会の答申は3月末に出ていたにもかかわらず、発表は5月臨時議会の後に持ち越され、5月には旧来通りの方式で入札された事案は議会に承認案件として持ち込まれ、処理された。

不正業者への復帰期間の延長は実現されるが、そのほか入札制度改革については実行のある改革が提示されようとしていない。

そういった中で、談合疑惑をぬぐえない案件の議会承認が議会に提示され、処理されている。会派「無党派市民」としては、常識的に言って談合疑惑が払しょくできない案件については反対をせざるを得ないので、そのような案件については実際に議会承認に反対をしている。

委員会答申では一般競争入札での入札価格の事前公表制度の見直しの必要性も答申された。

この答申の条件は高い落札率が続くのであるならば、という条件付きであるが、すでに半年間の「実績」は平均で95%を超えており、99%98%というものも多く散見される。

答申に従って、事前公表制度の見直しに着手されたい。

答申はその他具体的な事項についていくつか答申している。とりわけ、地元業者の育成は入札制度での優遇だけで達成されるものではないと指摘しており、入札制度での優遇の見直しを求めている。

答申が指摘することは、まさに、その通りであり、熊本区長こそが市民に納得のいく入札制度改革を具体的に提示されたい。

 

 

12、不必要な外郭団体は廃止せよ

 

外郭団体改革が言われて久しいが、世田谷区の外郭団体につては、再編はあったものの、外郭団体自身を大幅に減らそうという方向には進んでいない。

外郭団体は、国においては天下り先として便利であり、そのために肥大化していったとも言われている。地方自治体においても、役人の再雇用先として機能しており、実際に定年後、理事長や理事、事務局長になる幹部職員も少なくない。

また、福祉や環境分野での外郭団体は、結局は市民活動を行政が包摂してしまうという役割を果たしており、本来は市民運動やボランティア活動の領域として民間に任せておけばよい活動を阻害する要因にもなっている。

私はNPO法が立法されるに際して、官が民間団体にお墨付きを与え、見返りに補助金を払うシステムに危惧の念を抱いてきた。

本来、NPOについては、市民や企業からのNPOへの寄付を無税にするなどして、育成すべきであると主張してきた。

社会活動の全てに官が入り込んでくるシステムを変えることが、日本の市民社会をより健全なものとするにはぜひ必要である。

官製の疑似市民団体は要らない。過渡的措置としては、官の天下りや官の出向は即刻やめるべきである。

土地開発公社という外郭団体があるが、この団体の社員は区の役人のみで構成され、土地買収にとって区ではできない契約行為や別団体で行った方が区に有利である契約行為を看板を付け替えることによって行っている。このような組織は要らない。

既に千代田区などでは役割を終えたとして廃止している。

そもそも地価高騰の際、民間と同じ土俵で土地買収を行うために1972年の田中角栄の日本列島改造時代の「公有地の拡大の推進に関する法律」により作られた組織だが、看板を掛け替えるだけで公務員が民間になってしまう法律自体が問題だといわなければならない。

 

 

13、教育に不当な支配をもたらすな

 

サンケイリビング社の「エコリ」なる月刊のパブリシティ雑誌について、区教委が多少の編集協力をするだけで、世田谷区の全公立小学校の全生徒に区教委の責任で配るという決定を、教育長が独断専行で決めたことが、区議会の質問を通じて明らかになった。

サンケイリビング社は山谷えり子氏が編集長として辣腕をふるった会社として有名であり、同女史は現在参議員であるが、安倍元首相に教育再生担当の首相補佐官として抜擢され、教育再生会議の事務局長を長らく務めてきた。福田首相に変わった今でも教育再生担当の首相補佐官である。

東京都の教育委員会がこの「エコリ」に協力をし、台東区、文京区、杉並区、そして世田谷区の教委が編集協力のクレジットをつけて既に同誌を児童に配布した。

民間のパブリシティ誌が教育の現場にまかれるというこの異常事態に、教育界の最高権力者の影を見るのは会派「無党派市民」だけであろうか。

教育再生担当の首相補佐官・山谷えり子氏がサンケイリビングの関係者である以上、このようなことは倫理上からも決して行ってはならない行為である。

ましてや、山谷えり子氏は2000年に国会議員に立候補を表明するまで世田谷区の教育委員であり、任期半ばにして、辞任し立候補したのである。この事実を世田谷区教育委員会として無視して良いはずはない。

各種の議会質問で各会派とも、教育長に対して、「エコリ」配布問題については疑念を呈し、私は配布の即刻中止を求めたが、教育長は独断で締結してしまったサンケイビング社との協定書を盾に配布中止を約束せず、未だ作成していない次号の配布まで示唆している。

このようなことが許されてよいわけはない。

このパブリシティー誌「エコリ」への編集協力と配布問題は、世田谷区教育委員会の意思決定やそのあり方自体の問題点をも浮き彫りにしている。

「教育は、不当な支配に服することなく、」行われなければならないのは、新旧教育法共通であらわされているとおりであり、これへの逸脱は決して許されない。

 

 

14、弱者救済システムを区政に確立せよ

 

 小泉「改革」路線でとられた規制緩和等による新自由主義政策は、既に20世紀前半に多くの先進国が捨てたはずの弱肉強食の世界を作り出しており、若者は正規職にも就けずニートと化し、銀行救済のゼロ金利ないし超低金利政策は年金生活者のみならず、一般市民からも財産を収奪している。巨悪犯罪や自殺者の急増は社会不安を増大させている。このことは政府や自民党も認めていることであり、社会のセイフティネットの構築と、社会民主主義的な路線への転換が求められている。

 世田谷区は地方政府として、率先して弱者救済に当たる義務がある。

 この間の熊本区政の対応は、旧来から弱者むけに用意されていた施策を行革のもとに切ってきた。

 一方で中学三年生までの医療費を無料したわけだが、高額所得者が多数住んでいる世田谷においては、所得制限を設け、その分、弱者対策に回すべきであると考える。

 入札談合による税金の消失、外郭団体や一般団体への不必要な支出、環境の悪化を招く土木支出、このような支出を削れば、本来、援助や救済が必要とされる社会的弱者にやさしい施策は実現できるはずである。

 以上