「平成17年度予算編成に対する区議会各会派の意見・要望」

(世田谷区議会月報 臨時号 平成1612月 No.542)に掲載

 

会派「無党派市民」(木下泰之区議)

平成17年度予算編成に対する意見・要望

 

サスティナブルで

子どもにやさしい区政を!

 

はじめに

すでに平成16年度予算編成に対しての要望で、会派「無党派市民」からの熊本区政に対する基本的注文は詳しく書いた。この土台の上に、この一年間で見えてきた新たな区政の動向に対して注文をつけておくことにしたい。

Tでは現在進行中の都市整備方針の中間見直しについて取り上げ、Uでは幼稚園民営化問題を主に取り上げる。これは同時に進行している保育園民営化への反対と読み替えていただいて差し支えない。

 

 

T、道路・不動産開発区政をやめ、

サスティナブル都市せたがやを目指せ

―― 都市整備方針の中間見直しから、みえてきたもの―― 

 

「無党派市民」としては住宅地世田谷こそ、サスティナブル都市を目指すべきだとの主張をし続けてきた。

残念ながら、熊本区長の区議会でのこの間の発言を総合すると、「立派な」都市世田谷をつくりたいとの想いが伝わってくる。その要が道路整備重視であり、そうすることが、世田谷に安全安心をもたらすと信じておられるようである。

このような考え方は、戦後の高度成長期を通じ日本において支配的考え方であり、新しい時代を見据えた環境をより重視する考え方を阻む力となっている。

今年の3月議会でも論戦となったが、担当助役も言葉さえ理解していなかったということからいっても、サスティナブルな発展という人類全体に課せられた課題は、世田谷区では余りにも軽んじられている。

 

世田谷区は現在、平成7年に策定した都市整備方針の中間見直しの作業に入り、平成17年の改定のための素案を提示した。素案作成は区民参加で行なわれたことにはなっているが、参加した区民からの意見や要望の内、差しさわりのないものについては、一部は素案に取り入れられているものの、サスティナブルな方向で都市計画の根本見直しを迫った真摯な意見はことごとく避けられたものになっている。これに対し、「無党派市民」区議木下泰之は都市整備方針素案批判という形で意見書を提出した。予算についての注文でもあるので、意見書の章立て通り以下に示す。

 

 

1、車社会しかみていない都市整備方針骨格プラン

 

都市整備方針は地方自治法上の世田谷区基本構想の下位に位置し、都市計画法第6条の2に策定が義務付けられた都市計画をめぐるマスタープランである。

このマスタープランを読んでいて極めて特異なことに気が付いた。

3−3都市づくりの骨格プランを見よう。

「都市づくりの骨格プランは、「目標とする都市像」にもとづいて、世田谷区の都市としての基本的骨組み都市構造の基礎となる拠点や軸などについて示すものである。」

としており、

「商業や区民生活の中心としての「生活拠点」、都市としての活力を育み交流をうながす軸としての「都市軸」、世田谷区の貴重な環境資産である、国分寺崖線や多摩川沿いの空間などの「環境保全ゾーン」及び「みどりの拠点」の3要素によって組み立てられる」

この「都市づくりの骨格プラン」には道路は出てきても鉄道の記述は一切ない。

広域生活拠点として掲げられる下北沢、三軒茶屋、二子玉川、地域生活拠点が経堂、区役所周辺、明大前、下高井戸、梅ヶ丘、用賀、等々力・尾山台、奥沢・自由が丘、成城学園前・祖師谷大蔵、千歳烏山と特異な区役所周辺を除いては全てが鉄道の主要駅であるにもかかわらず、鉄道交通については一切の記述がないのである。

したがって都市軸の構成は、「@都市活力と交通の都市軸」として、都市軸Tを環状8号線、国道246号線、目黒通り、都市軸Uを環状7号線、甲州街道としており、「A主要生活交通軸」としては茶沢通り沿道、補助216号線沿道および多摩堤通り沿道、補助154号線沿道としているのである。

これは何を意味するのか。

この世田谷区都市整備方針の全体が、そもそも、車社会しか前提にしていないということである。都市整備方針は地方自治法上の世田谷区基本構想の下位に位置し、都市計画法第6条の2に策定が義務付けられた都市計画をめぐるマスタープランである。

このマスタープランを読んでいて極めて特異なことに気が付いた。

3−3都市づくりの骨格プランを見よう。

「都市づくりの骨格プランは、「目標とする都市像」にもとづいて、世田谷区の都市としての基本的骨組み都市構造の基礎となる拠点や軸などについて示すものである。」

としており、

「商業や区民生活の中心としての「生活拠点」、都市としての活力を育み交流をうながす軸としての「都市軸」、世田谷区の貴重な環境資産である、国分寺崖線や多摩川沿いの空間などの「環境保全ゾーン」及び「みどりの拠点」の3要素によって組み立てられる」

この「都市づくりの骨格プラン」には道路は出てきても鉄道の記述は一切ない。

広域生活拠点として掲げられる下北沢、三軒茶屋、二子玉川、地域生活拠点が経堂、区役所周辺、明大前、下高井戸、梅ヶ丘、用賀、等々力・尾山台、奥沢・自由が丘、成城学園前・祖師谷大蔵、千歳烏山と特異な区役所周辺を除いては全てが鉄道の主要駅であるにもかかわらず、鉄道交通については一切の記述がないのである。

したがって都市軸の構成は、「@都市活力と交通の都市軸」として、都市軸Tを環状8号線、国道246号線、目黒通り、都市軸Uを環状7号線、甲州街道としており、「A主要生活交通軸」としては茶沢通り沿道、補助216号線沿道および多摩堤通り沿道、補助154号線沿道としているのである。

これは何を意味するのか。

この世田谷区都市整備方針の全体が、そもそも、車社会しか前提にしていないということである。

 

 

2、現実の区民生活と世田谷の実像を知れ!

 

現実の区民生活を冷静に見てみよう。

朝起きて、会社あるいは学校に行く。

主婦やリタイアした年配者が買い物に行く。

中には自家用車を使う人もあるだろう。しかし、世田谷区民の多数派は近くの駅まで徒歩や自転車やバスを使い、その後は電車を使って移動する。これが日常ではないだろうか。

確かに区民の多くが車を保有はしている。しかし、世田谷は鉄道交通の利便性に支えられているため、自家用車がなくては生活が出来ないというほどのことはないのであって、仕事で車が必須な人は別として、むしろ、普通のサラリーマンは休日のドライブのために車を車庫に暖めているというのが実情のはずである。

そう考えると、都市整備方針の都市軸に鉄道網が加えられていないというのは、世田谷区の実像からかけ離れたところで、都市づくりが議論されていることになる。

これは「3−2人口についての考え方」とした人口分析からして、特徴づけられる。世田谷のまちづくりにとって決定的な情報の一つは昼間人口と夜間人口の比較ではなかろうか。世田谷は近郊生活都市として発展してきた以上、都心に一番近いベッドタウンとしての性格は片時も忘れてはならない。この特徴は職住分離と言うばかりでなく、消費生活にせよ、文化活動にせよ都市的生活の享受を都心区に自然に負っているのであり、そういった意味での総合的役割分担の分析をしておくことは都市政策上忘れてはならないはずである。

しかし、そういった問題意識は都市整備方針からは決して読み取れない現実の区民生活を冷静に見てみよう。

朝起きて、会社あるいは学校に行く。

主婦やリタイアした年配者が買い物に行く。

中には自家用車を使う人もあるだろう。しかし、世田谷区民の多数派は近くの駅まで徒歩や自転車やバスを使い、その後は電車を使って移動する。これが日常ではないだろうか。

確かに区民の多くが車を保有はしている。しかし、世田谷は鉄道交通の利便性に支えられているため、自家用車がなくては生活が出来ないというほどのことはないのであって、仕事で車が必須な人は別として、むしろ、普通のサラリーマンは休日のドライブのために車を車庫に暖めているというのが実情のはずである。

そう考えると、都市整備方針の都市軸に鉄道網が加えられていないというのは、世田谷区の実像からかけ離れたところで、都市づくりが議論されていることになる。

これは「3−2人口についての考え方」とした人口分析からして、特徴づけられる。世田谷のまちづくりにとって決定的な情報の一つは昼間人口と夜間人口の比較ではなかろうか。世田谷は近郊生活都市として発展してきた以上、都心に一番近いベッドタウンとしての性格は片時も忘れてはならない。この特徴は職住分離と言うばかりでなく、消費生活にせよ、文化活動にせよ都市的生活の享受を都心区に自然に負っているのであり、そういった意味での総合的役割分担の分析をしておくことは都市政策上忘れてはならないはずである。

しかし、そういった問題意識は都市整備方針からは決して読み取れない。

 

 

3、世田谷区独立宣言とバブルの夢の崩壊

 

何故、こうなるのであろうか。

これは前大場区政下の「世田谷独立宣言」に負うところが多かったのではないかと私は思っている。政治的な意味での自治自立は大いに推奨されるべきであろう。しかし、歴史的地理的制約を超えて世田谷区が商業も工業もトータルな機能を全て具備した独立都市でありたい、政令指定都市になりたい、と考えることは夢想である。

その夢想を「現実」に近づけるかと思われた時代が、確かに存在はした。

バブル期である。バブル期にはオフィス床の不足が言われて東京近郊の住宅地域の拠点駅に超高層ビル群を出現させることが狙われた。1990年に設立された東京鉄道立体整備株式会社は連続立体交差事業を起爆剤に近郊住宅地の中にオフィスビル郡を立地させるために作られたのであり、具体的には小田急線の走る世田谷区では経堂駅周辺が、西武池袋線の走る練馬区では練馬駅の周辺がその候補地であった。

幸いなことに、洞察力のある住民の反対運動とバブルそのものの崩壊によってこの計画は頓挫し、東京鉄道立体整備株式会社も後に解散となったが、バブル期の習い性はいまだに続き、都市計画に大きな影を落としている。

世田谷区の下北沢、三軒茶屋、二子玉川を広域生活拠点と位置づけ、商業集積地として再開発を図りたいとしているのはその習い性に他ならない。下北沢も三軒茶屋も二子玉川も住宅地世田谷の中にあって独自の発展を遂げてきたのであるから、その流れにそって修復型の街づくりを行うのがふさわしい。何故、こうなるのであろうか。

これは前大場区政下の「世田谷独立宣言」に負うところが多かったのではないかと私は思っている。政治的な意味での自治自立は大いに推奨されるべきであろう。しかし、歴史的地理的制約を超えて世田谷区が商業も工業もトータルな機能を全て具備した独立都市でありたい、政令指定都市になりたい、と考えることは夢想である。

その夢想を「現実」に近づけるかと思われた時代が、確かに存在はした。

バブル期である。バブル期にはオフィス床の不足が言われて東京近郊の住宅地域の拠点駅に超高層ビル群を出現させることが狙われた。1990年に設立された東京鉄道立体整備株式会社は連続立体交差事業を起爆剤に近郊住宅地の中にオフィスビル郡を立地させるために作られたのであり、具体的には小田急線の走る世田谷区では経堂駅周辺が、西武池袋線の走る練馬区では練馬駅の周辺がその候補地であった。

幸いなことに、洞察力のある住民の反対運動とバブルそのものの崩壊によってこの計画は頓挫し、東京鉄道立体整備株式会社も後に解散となったが、バブル期の習い性はいまだに続き、都市計画に大きな影を落としている。

世田谷区の下北沢、三軒茶屋、二子玉川を広域生活拠点と位置づけ、商業集積地として再開発を図りたいとしているのはその習い性に他ならない。下北沢も三軒茶屋も二子玉川も住宅地世田谷の中にあって独自の発展を遂げてきたのであるから、その流れにそって修復型の街づくりを行うのがふさわしい。

 

4、経済破綻と京都議定書が突きつけたものを考慮せよ

 

都市整備方針は20年計画で定められており、今回は1995年(平成7年)に定めたものの、後期10年の中間見直しである。この間何が起こったか。

1995年というとバブルは既に崩壊はしていたものの、その後遺症が極めて深刻であるという自覚は一般化してはいなかった。この10年間はその後遺症が如何に深刻であるかを実証した歳月であったことはだれもが認めるところであろう。

いまや、政府の債務残高は750兆円を超し、地方自治体の債務残高200兆円を加えれば950兆円を超えるところまで深刻化している。土地本位制に依拠した経済とその崩壊を、もはや同じ構造の中で立て直すことは出来ないことは明らかだ。

また、1997年に日本が議長国として取りまとめた京都議定書は、これからの世界の経済秩序が環境を無視しては成り立たないことを宣言したのであり、近時のロシアの調印表明はこの議定書の発効が現実のものとなり、日本政府は国際約束としてCO2削減に取り組むことを余儀なくされたのであり、車社会からのテイクオフは現実の政策として取り組む課題となったことである。

そういった社会環境を踏まえた上で、今回の見直し素案をみれば、極めて不十分どころか、時代の変化を全く反映していないことに驚かされる。

さすがに、この都市整備方針の見直しに参画した区民からは、根本的な転換を望む声は広範に見られた。例えば北沢地域整備方針に係った「みち部会」に所属した区民は、58年前に策定された補助54号線などの補助幹線都市計画道路の廃止を含む全面見直しを提言したが、都市計画道路は見直さないとして完全に無視された。

また砧地域に国が大深度地下方式で建設を推進しようとしている外かく環状線については造るか造らないかを含めてPI方式により協議が続いているはずであるが、砧地域の地域整備方針に世田谷区は外かく環状線推進の立場で新たに書き込んでもいる。そもそも、第2東名の凍結が決まった今、16千億もの金を費やして外かく環状を無理やり造ることは財政上も環境上も好ましくないことはいうまでもない。

世田谷区はPIで議論途上の外かく環状線問題を安直に推進の立場で都市整備方針に書き込むべきではない。

 

 

5、鉄道網の再評価と骨格プランの見直しを

 

最初の論点に立ち返ろう。

世田谷区を住宅地として位置づけ、世界の流れでもある最近の環境重視の政策に一歩でも近づけようとするならば、世田谷区のありようを正確につかんで、都市づくりの骨格プランから見直さなければならない。

世田谷区の骨格をつくってきたのは鉄道であり、鉄道であったからこそ、低層住宅地が可能であったと言わなければならない。この長所を葬り去り、既に発展した駅ごとの拠点を補助幹線道路でつなぐことのみが「まちづくりの骨格」というならば、それは世田谷が良好な住宅地として発展してきた歴史に背くことになる。

鉄道網を戦前から発展させてきた東京の住宅地世田谷の長所をこそ見なければ、都市計画を語る資格はないと起案者たちに言いたい。

世田谷区こそサスティナブルシティを実現するための地理的条件と歴史性をそなえていることと、そしてなによりも住人たちの意識の高さを信じていただきたい。

起案者たちが、そういったことに気が付かないとすれば、今回の素案のところどころに環境都市であるとか、持続的発展とかの言葉をちりばめるのはおこがましいと言うべきであろう。

 

 

6、鉄道交通とTDMを生かしたサスティナブル都市を

 

繰り返して言うが、世田谷の都市としての発展を考えるとき、私鉄網の開通による郊外都市としての発展史を抜きにしては考えられない。

この鉄道交通の利便性が幸いして道路交通の不便地域を形づくっていたとしても、嘆くには当たらない。戸建住宅や屋敷林や緑の資産が残されているのは道路開発が遅れたからであり、遅れたからこそ、今、逆にエコロジカルな先進地域にもなりうるのだと発想を逆転することが肝要である。

通過交通が主軸の環78、甲州街道、246、世田谷通り、井の頭通り等は世田谷単独では交通量は減らせないかもしれないが、区内道路交通はバスやトラムのような公共交通の整備や歩行者・自転車道等の整備により需要を抑制することは可能であるし、その追求こそ望ましい。

既に2002年に世田谷区は「世田谷区交通まちづくり基本計画」を策定したが、「2−2これからの交通行政のあり方」でTDM(交通需要マネジメント)を取り入れながらも、「需要対応型交通政策に加え、需要調整型の交通施策も展開する」との中途半端な位置づけに終わっている。今回の都市整備方針の中間見直しでは、「総合交通体系の計画的な整備を進める」としながらも、「環境に優しい交通の充実」として「環境にやさしい自転車や公共交通への利用転換を促進する」との通り一遍な記述に終わっており、TDM(交通需要マネジメント)の言葉さえ使われていない。

これでは需要抑制どころか、相変わらずのサプライサイド(供給側)の従来型土木行政の域を出ていない。少なくとも今回の中間見直しでは、TDM(交通需要マネジメント)の積極推進ぐらいは打ち出すべきである。

 

 

7、歩いて楽しめる街・下北沢を守れ

 

最後に、下北沢について触れておく。

鉄道に依拠し発展してきた町の象徴として下北沢は挙げておくべきであろう。

この街は戦前から形成され、空襲でも焼けなかった。歴史の層が積み重なるようにして形成された街である。この街は車が遠慮がちにしており、人間が大きい顔をして闊歩できる街である。このかけがえのなさを奪ってはならない。

もし、環境にやさしい街というならば、車に依拠しない街下北沢こそ、全国に誇れる街なのであるという自覚を持っていただきたい。

小田急線の高架反対・地下化推進の運動はこの街から始まり、この街はその点で勝利を得た。地下化推進のエネルギーは高架化による街の大規模開発・大規模再編成の拒否にあったはずだ。しかしながら、いま、この歩いて楽しめるかけがえのない街・下北沢は補助54号線を町中に貫通させる計画で破壊されようとしている。

補助54号線は連続立体交差事業を成り立たせるための必須要件として行政はとらえており、これの廃止は端から出来ぬと行政は決めてかかってきた。

従って、補助54号線が下北沢地域に必要であるかどうかの論議はついぞされずに、建設計画ありきで進んできた。

本当にそれでよいのであろうか。

下北沢は車に依拠しないで、全国からも羨まれる魅力ある繁華街として立派にやってきたではないか。ここにどこにでもあるような広域道路を通過させ、駅前広場をつくり、バスベイやタクシーベイを作ってなにほどの価値が生まれると言うのだろうか。

下北沢からの路線バスで需要があるのは三軒茶屋行きであるが、これは現在のタウンホールのバス停で充分足りている。タクシーも茶沢通りで拾うことは可能だ。鉄道が地下鉄になるのだから、地下鉄からの出口でアクセスするようにしてやればよい。

車に依拠しない街が現に存在していることをこそ重視し、これを守り発展させながら、街としての不都合を取り除くべく知恵を働かせることのほうが、民家を軒並み買収しながら莫大な金をかけて補助54号線を通すことよりも、より有益である、との判断をぜひともしていただきたい。

 

 

8、防災対策についての若干の補足

 

補助54号線は費用便益からいってもかなう道路ではないことから、行政はこの道路の必要性について、防災上必要だからと必ずいう。しかしこれは詭弁だ。

ちなみに、世田谷の道路計画を正当付ける論理として、消防自動車を通す道路こそ防災に役立つとしているが、これは転倒・倒錯した論議だ。さらに言えば、道路は災害時の迷惑施設にもなりかねないこともありうるのだ。

大事なのは水源とホースを火事場に届かせるための処理であり、消防自動車はほとんどが水を積むことはなく、ポンプの動力を供給するに過ぎない。消防署の話によると阪神大震災を教訓に家屋が倒壊し狭くなった道路や細街路対策に電動ホースカーが開発され、効果を上げているという。

防災性能の向上は通報システムの充実や防災ノウハウやソフトさらにはコミュニティーの再生も含めての総合対策が必要であり、道路が出来れば解決するというようなものでもない。

それでもなお、都市構造としての防災性能の向上とあえて言うのならば、巾33メートルから22メートルで代々木上原駅から梅ヶ丘駅付近まで連なる広大な小田急線鉄道跡地の利用計画で代替できるはずである。もともとこの区間は複々線高架計画を予定していたのだから、全く新たに利用可能になった土地として公共が緑道と地下貯水施設に利用すれば、単なる道路に過ぎない補助54号線よりも強力な防災性能向上施設になりうる。

 

 

U、幼稚園巨保育園の安直な民営化をやめよ

―ゆたかでかがやく未来をつくるために―

 

世田谷区は幼稚園2園と保育園2園の民営化を今年度、相次いで打ち出した。これは小泉ネオコン(ネオコンサバティブ=新保守主義)政権がもたらした、全国的な流れでもある。もとより、日本の財政は今や政府債務が750兆円を超え、地方自治体の200兆円の債務を足すと950兆円の借金財政に陥っている。この財政難を各種リストラや財政の切り詰めで乗り切ると称している。しかしながら、バブルの原因を造った土建国家的体質の転換に何ら手を加えることなく、またこれを土地本位制で支えた銀行の救済にばかり湯水のように税金を使うのとは裏腹に、教育・福祉予算を切り詰め、健康保険や年金制度等を改変することによる事実上の増税・大衆収奪によって危機を乗り切ろうとしている。

その現われが、区政の財政にも反映していると言わなければならない。一方で、道路を2倍の速さで整備し、一方で幼稚園や保育園の民営化を進め、公的な経費を削減するというやり方である。

 私は、小泉首相のやり方には反対するところが多いが、首相が登場したときに披瀝した「米百俵」の逸話は正しいと今でも考えている。

 子供たちは私たちの未来である。その未来を担う宝を大事に扱わない態度は日本の未来を危うくする。ここでは象徴的問題として、幼稚園民営化問題を主に取り扱うが、これは保育園民営化の問題も抱える本質は同じであると言っておきたい。

 幼稚園・保育園の安直な民営化はやめるべきである。

 

 

1、一方的募集打ち切り広報は民主主義の自殺行為

 

 世田谷区と教育委員会は8月に区立幼稚園の内区立羽根木、旭両幼稚園の区立園としての廃止方針を決め、両園の募集打ち切り方針を区報で広報した。

 世田谷区が両園の募集打ち切り方針を広報するとしたら、「世田谷区立学校設置条例」で両園の廃止の改正案を区議会に上程し議決されてからでなければならない。この単純明快なルールを区も教育委員会も踏みにじった。
 区は募集打ち切り広報の正当性を関連委員会に報告し、議会各会派の大方の理解を得られたとして説明しているが、議会では、委員会で行われる行政側の単なる報告事案は議題ではない。従って区や教育委員会のいう「議会に報告して大方の了承を得られた」との言説は虚偽と言うほかはない。承認案件でもなければましてや議案ではないからである。
 もし、両園の幼稚園廃止に伴って周知期間が必要であるならば、改正条例案の施行期日に余裕を持たせて提案すれば足りることである。
 このように、私が批判したところ、教育委員会の事務局は団塊世代らしく、「手続き論ですね」と、軽く受け流す軽口をたたいた。しかし「手続き」は民主主義の基本であり、いわゆる「内実」をも内包する。
 今回行われている行政の政策決定方針を議会決定に先行して打ち出していくというやり口は、重要かつ原理的な論争を回避しつつ、既成事実を積み重ねていくという強引な行政手法に過ぎない。この行政の行為に寄り添う会派が存在しているが、このような態度は議会制度および民主主義の自殺行為といわなければならない。

 

 

2、議論しなければならないことは山ほどある

 

 区立の教育機関である区立幼稚園を廃止するということは、世田谷区の幼児教育方針の全体像にかかわる問題であり、民営化と幼保一元化を目指すと言うのであれば、そもそも公的幼稚園のこれまで果たしてきた役割の検証と、その民営化の是非はもちろん、幼保一元化の内容と質が問われなければならない。いずれにせよ、区長や教育委員会は明確な全体像を方針として区民と議会に指し示し、区民や議会での論争を巻き起こし、その是非は議案処理という形で決着をつけなければならない問題である。
 少子化社会の未来像にかかわる問題であるから、区長や教育委員会の問題提起の仕方によっては、区長や教育委員のリコールが区民から提起されるかもしれないし、態度如何では議員とてリコールの対象ともなりうる。リコールと言わずとも、地方自治法に認められた区民の直接民主制の諸権利と諸制度を考えれば、首長や独立機関たる教育委員会は区政にかかわる重大な政策変更となる幼児教育・保育の再編にあたっては政策の全体像と議案処理の日程を明示した上で区民に信を問うという姿勢でなければ、自治原則を自ら踏みにじっていると指弾されても仕方がない。
 両園の入園募集打ち切り方針決定とその広報という行政の恣意的な対応がいとも簡単に実行されてしまったという現状は、行政の監視を重大な任務とするはずの議会の多数派がいままで行政と馴れ合ってきたことの結果でもある。区立の教育機関である区立幼稚園を廃止するということは、世田谷区の幼児教育方針の全体像にかかわる問題であり、民営化と幼保一元化を目指すと言うのであれば、そもそも公的幼稚園のこれまで果たしてきた役割の検証と、その民営化の是非はもちろん、幼保一元化の内容と質が問われなければならない。いずれにせよ、区長や教育委員会は明確な全体像を方針として区民と議会に指し示し、区民や議会での論争を巻き起こし、その是非は議案処理という形で決着をつけなければならない問題である。
 少子化社会の未来像にかかわる問題であるから、区長や教育委員会の問題提起の仕方によっては、区長や教育委員のリコールが区民から提起されるかもしれないし、態度如何では議員とてリコールの対象ともなりうる。リコールと言わずとも、地方自治法に認められた区民の直接民主制の諸権利と諸制度を考えれば、首長や独立機関たる教育委員会は区政にかかわる重大な政策変更となる幼児教育・保育の再編にあたっては政策の全体像と議案処理の日程を明示した上で区民に信を問うという姿勢でなければ、自治原則を自ら踏みにじっていると指弾されても仕方がない。
 両園の入園募集打ち切り方針決定とその広報という行政の恣意的な対応がいとも簡単に実行されてしまったという現状は、行政の監視を重大な任務とするはずの議会の多数派がいままで行政と馴れ合ってきたことの結果でもある。

 

 

3、区民4万6千の署名の重みを受け止めよ

 

 区議選・区長選の投票率が35%(衆議院補選と一緒だったにもかかわらず!)を切り、熊本区長は69926票の信任しか受けていない。投票数の26.2%の支持、有権者総数にすればたった10.6%の支持しか受けていない現状を考えるとき、短期間のうちに4万6千名を超える区民の反対署名を区民が幼稚園廃止問題で突きつけたインパクトは大きい。
 幼児教育の全体像さえ示せない区長や教育委員会の2園廃止の政策決定は政策と言えるものではないし、全体像を考慮もしない議会一部会派の任意の同意は単なる追従と言うほかはない。
 区民の意思が間接民主制の議会と乖離することはいつでもありうることだ。議会は間接制である以上、区民世論に謙虚でなければならない。少なくとも46千名余の幼稚園廃止反対の声をこそ聞くべきだし、羽根木、旭両園での区の説明会の際に示された廃止反対の意思こそ尊重すべきである。
 世田谷区長と教育委員会は地元の保護者、区民の意向を反映するどころか、父母から出されている今後の幼児教育の全体像を含めた根本的な見直し作業の提案を黙殺している。根本から議論しようという区民提案を拒否する態度自体、「聞く耳を持つ」はずの熊本区長や政策のプロを自認しているはずの行政において、あってはならないことだ。
 冒頭指摘しておいたように、「世田谷区立学校設置条例」は未だ改正されてはいない。改正条例は平成19年の3月議会を予定していると言う。既に、熊本区長も当初の全園廃止方針は障害児問題を理由に方針転換し、全園廃止はしないと言明した。幼稚園廃止方針の区民、区議会による撤回・見直し議論はこれからが本番でなければならない。

 

 

4、「補完するための存在」は区政の責任放棄

 

区は旭・羽根木の区立幼稚園2園廃止後に「新しい形の総合施設」の導入を実現すると言うが、これは同2園廃止を他の園に先行して実現するための便法に過ぎない。そもそも教育委員会は大場区政下の教育長の下でも「区立園は私立園を補完するための存在」と言い放ち、区が唯一人事権をも掌握し、区民からも支持を受けている幼児教育機関を廃止しようとしてきた。

 この動きは1991年に文部省が幼稚園の3年保育移行を求めてきたことにも鑑み、区の私立園の経営保護政策に起因していると推察される。私立園はすでにほとんどが3年保育を実施しているが、区立幼稚園が文部省の勧告通り3年保育を実施すれば、入園希望は区立園にシフトし私立園の経営に影響をあたえるからである。そのため、区立幼稚園の3年保育実施は文部省通達後十数年をも経た今日でも履行されてこなかった。

 もし、3年保育が実施されていたら、今回の羽根木・旭、2園の定員が欠けるということもなかったであろうし、2年保育のままでも、区立園のよさを区が積極アピールしてくれば、入園者は増えたはずであるから、定員欠けを廃園の理由にすることは出来なかったはずである。しかしながら、世田谷区は区立園の需要を高めるどころか、私立園に「遠慮」する政策を採り続けてきた。その現われが、「区立園は私立園を補完するための存在」との自らの教育機関を貶める言い方であったのである。これでは区の優良セクターである幼稚園をさらに元気にすることも、官民のよりよい競争で官民相互の幼稚園の質や需要を高めていくことにもつながらない。

 

 

5、余裕ある社会の構築こそ重要

 

 私は、幼児期には、両親のいずれかが子どもと永い時間を過ごせるための労働政策や社会保障政策を採るべきである、と考えている。従って、長時間子どもを保育施設に預けることをやみくもに推進することには反対である。もちろん夜間休日保育の制度は充実することは必要だが、それは余裕ある子育て環境の上に構築されるべきものであるはずである。余裕ある子育て環境の推進を考えれば、本来の幼稚園の機能(社会性の発達や集団で遊び学ぶことのよさをカリキュラムした幼児教育)は復権するはずである。生涯労働期間の延長から必然的に出てこざるを得ない世代間ワークシェアリングを、子を持つ若い世代への育児休暇や労働時間短縮に充てることこそ、少子化を回避し、親と子どもの絆やコミュニティーを回復することにつながると確信する。

 仕事が全てという社会を転換しなければ、私たちに未来はないのではないか、子どもたちの声が街にあふれる幸せな社会は来ないのではないか。幼児政策を通して問われているのは私たちの未来だということを片時も忘れてはならない。

 

 

6、区立園の役割を自覚せよ

 

保育園の需要が高まり待機児が出ているにもかかわらず、少子化が進み、幼稚園入園希望者がさらに減少する時代に登場した熊本区長は、選挙公約の一つに幼稚園廃止・民営化を掲げていた。

これは「民間でできるものは民間で」といういわゆるネオコン路線を掲げてのことではあるが、背景には私立幼稚園経営へのサービスと区職員のリストラが眼目にあったことは言うまでもない。

 「存続を願う父母の会」の運動の力によって区長は公約を撤回、「全ての園を廃園とすることはしない」と発言していたが、今議会で、「方針を変えた理由は」と私が質問で詰めていくと、「障害児の問題があるから考え方を変えた」と答えた。この答えは重要である。障害児問題は公的セクターが幼稚園を経営しなければならない理由のひとつではあるが、公的セクターの役割は経済利潤に還元できない社会的に不可欠な事業を受け持つということであり、障害児問題はその典型的な例であるからである。

 そもそも幼稚園や保育園の社会的必要性は絶対であり、経済原則にのみに任せてはいけない存在なのであって、公的セクターが一定の割合でこれを引き受けておくということがなければ、幼稚園や保育園を本当に必要とする人々や多様なニーズ(無宗教を望むということも含めて)に対応させることはできない。また、社会構造が変転する時代にあって、時代を先取りした実験は経済原則に縛られざるを得ない民間では限界があることは言うまでもない。

 

 

7、幼保一元化の構築はそう簡単ではない

 

 幼保一元化が課題とされているが、従来、官が二分させてきた幼児教育と保育の一元化を図るためには、幼稚園の教師と保育士の養成・資格からして統合された教育システムの下に置き換えなければならないだろう。そうでなければ、幼稚園と保育園を施設内に併設したり、時間で切り分けたりすることは出来るかもしれないが、幼児という独立した人格に対して一貫して責任を持つ教育や保育は決して生まれないであろうし、多様かつ複雑な現代の教育・保育ニーズに応えることも出来ない。

 明治以来分割しておこなってきた二元システムを一元システムに改めるにはそれなりの覚悟が必要であるはずなのに、国も自治体も安直な民営化論で済まそうとしていること自体が問題である。とりわけ世田谷区は、一方で国の 今後の幼保一元化論の動向を一番気にしながらも、何らの幼児教育・保育へのビジョンを打ち出すこともなく、民営化への移行と施設だけをいち早く準備しようとしており、主体性のかけらも何もない。

「世田谷区教育ビジョン」なる文書を読んでみれば一目瞭然だが、ここには世田谷区が培ってきた幼児教育の資産や保育園での教育実践や「冒険遊び場プレーパーク」などでなされてきた遊びを通じての子ども施策の資産など、現場で積み上げられてきた世田谷区の子ども施策を今後の幼児教育にどう生かすかという観点は皆無である。組織の再編論と付け足しの幼児教育研究や研修のみを付け焼き刃的に掲げた「教育ビジョン」に幼児教育の未来像を考える視点は皆無である。

 自ら、幼稚園教育のビジョンを打ち出せない教育委員会と世田谷区は猛省し、区立幼稚園父母等の区民と真摯に対話するところから、やり直すべきだ。

 

 

8、「公」にふさわしい政策を教育長と区長は実施せよ

 

 ところで、9月議会で区長は、幼稚園を全園廃止はしないと宣言し、教育長もこれを尊重すると確約した。これは局面の打開の一歩と見る。

 一歩進めて、区長と区教育委員会が区立幼稚園の役割とあり方を未来に向かって構築していくのでなくては、「公」の名が廃るというものだ。自治体は「公」を決して棄ててはならない。「公」にふさわしい政策を区長と区教育委員会は今こそ実施すべきだ。このことは自治体の放漫経営をスリム化することと背反はしない。

 障害児のために区立幼稚園が必要であると区長が言った以上は、地域バランスからいって2園廃止は妥当ではないことは言うまでもない。「全園廃止で羽根木・旭2園から廃止し、民間施設へ移行」と言っていた状況と、「全園廃止はしない、障害児問題が重要だ」と方針を変えた後の状況は明らかに違っている。

 2園廃園問題の再検討をも含めて、区長と区教育委員会はいまこそ、公的セクターとしての区立幼稚園の役割を再認識し、今後の幼児教育のあり方を根本から考えなおす必要がある。

 区や区議会がゼロベースから議論し直すことは当然のことだ。