「平成10年度予算編成に対する区議会各会派の意見・要望」

(世田谷区議会月報 臨時号 平成101月 No.456)に掲載

 

会派「無党派市民」(木下泰之区議)

平成10年度予算編成に対する意見・要望

 

 

 

 

1、          はじめに

 

バブルの愚を繰り返すな

 

  山一証券や拓銀の倒産は日本の金融証券の全般的危機つまりは日本経済の全般的危機を露呈している。バブル経済を生み出した張本人のところへ10年を経てやっとツケ回しが回ってきた。

従来型のゼネコン・土建産業へのてこ入れをねらった公共事業投資では、景気が好くならないばかりでなく、財政をも圧迫するということは最早、為政者のだれもが経験則的に認めており、多くの識者の共通の意見でもある。にもかかわらず、政府が提案する景気対策があいもかわらずゼネコン・土建産業支援型の公共事業予算の投入と土地利用や建築基準の規制緩和でしかないのは無能も度が過ぎているというほかはない。たしかにゼネコン・建築産業のこの国における就業人口や経済連関のすそ野は大きい。金融資本救済のためには下落する地価を公共事業や土地利用の規制緩和で下支えせざるを得ないというのが政府官僚の言い訳ではあろう。だが、バブルを引き起こしたのと同じ手法を繰り返すことは麻薬中毒者に麻薬を与えるといった行為にほかならない。

 

「土地本位制」からの決別を

 

大事なことは、未来の日本にどのような希望を託し、何をどのように変えていくかのグランドデザインを指し示すことである。一人会派「無党派市民」の描くグランドデザインは、愚直な言い方ではあるが、日本が努力やアイデアが報われる公正な社会となり、安心して老後が迎えられる社会となり、病んだ地球を救済できる環境共生国家となることであると考える。日本経済を根本から立て直すためには、一時の不況や困難をともなってでも、土建国家あるいは土地本位制の経済からのテイクオフこそ求められている。なぜならば、官僚・政治家・大企業の鉄のトライアングルが公共事業の名のもとに利権で結びつき、信用供与が個人や企業の能力を実力では無しに土地の担保能力で判断されるこの公正さや活力を削ぐ体制からの脱却なしには、国際社会の孤児となり国際競争力も失うであろうからである。

 

真に豊かな「暮らし」が求められている

 

さて、平成10年度の予算要望にあたって、日本の今後のあり方を問う視点から思うところを述べてきた。世田谷の置かれた状況と世田谷区政がとるべき政策はまさに日本経済の今後のあり方を左右さえできる位置にあると思うからである。住宅地域のあり方はその国の文化や知的生産性のバロメーターであるとともに、住宅地域の任務である「暮らし」の真の意味での豊かさを追求することこそが、ポスト・インダストリアル社会における持続可能な発展の唯一の道でもある。ここでいう「暮らし」の真の豊かさとは工業化社会が破壊した自然環境の回復と公害の除去。生産にビルトインされたリサイクルシステムの確立。高度なストレスの除去とストレスからのヒーリング(癒し)。福祉システムの充実と新しい共同体の創設。等々を伴うものであることはいうまでもない。

 

2、小田急高架と世田谷の大規模再開発

 

住宅地域世田谷を見捨てる大場区政

 

一人会派「無党派市民」の木下は、バブル期に企画された小田急線の高架計画(1987年度と1988年度の2ヶ年をかけて連続立体事業調査が行われ、高架計画が立てられた)については、10年来の市民運動を通じて、その本質が世田谷の道路網の一挙的整備と鉄道沿線、道路沿線の高度土地利用化をねらった建設省とゼネコン主導の大規模再開発計画であることを指摘してきた。その上で、環境破壊をもたらす高架計画をより環境被害の少ない地下化に転換することを要求するとともに、この高架計画とセットになった大規模再開発の見直し撤回を求めてきた。一人会派「無党派市民」を結成(1996年10月)後、始めて行った「平成9年度の予算要望」ではこの小田急問題の本質論を提示し、既に、三軒茶屋や二子玉川等、世田谷各地で進む再開発プランに異議を申し立て、世田谷が今後、住宅地域としてのアイデンティティを維持できるかどうかの岐路を迎えていると大場区政に警告を発した。その視点からこの一年を振り返ると、残念ながら、大場区政は建設省や東京都に追随し小田急高架事業を推し進めるとともに、世田谷の大規模再開発に手を染め、住宅地世田谷をゼネコンや不動産開発業者のなすがままにさせようとしている、と断言せざるを得ない。

 

小田急沿線では経堂の超高層化が狙われている

 

小田急高架事業は大規模再開発そのものだと指摘してきたが、現在の事業区間6駅のうち梅丘駅を除く5駅で駅周辺街づくり協議会が世田谷区街づくり条例に基づく「地区街づくり協議会」として発足し、道路拡張や駅周辺の再開発の地ならしが世田谷区主導のもとにおこなわれようとしている。とりわけ経堂駅周辺が大規模再開発の拠点としてターゲットにされ、この地区の「地区街づくり協議会」では一般住民や高架反対派が事実上排除された上、商店街幹部と有力地主が取り仕切る形で従前から行政が用意していたプランを追認する準備がすすめられようとしている。平成9年の夏に情報公開訴訟で公開された平成3年度の「小田急沿線各駅交通施設および街づくり調査検討委員会」の議事録はこの経堂での画策が建設省・東京都・世田谷区・小田急の4者の合意のもとに用意されていることを明るみにだした。すなわちこの議事録の情報公開では、区民の税金を使った報告書をまとめるにあたって、区幹部が「報告書は外に出すべきときは、除くべきところはのぞき、ぼかすべきところはぼかす。」とか「地元に入るときは皆で考えるスタイルで入っていく。」などと発言しているのが白日の下にさらされたのである。まさに、この密室の会合では、住民を的と見定めた住民対策が主要テーマとなっっており、日ごろ口にされている「住民参加の街づくり」は便法に過ぎないことを如実に物語っている。

その後の経堂駅周辺の整備調査では、すずらん通り入り口付近に32階の超高層住宅を建設する構想が検討されたことも明らかになっており、52号線や128号線132号線の繰り上げ整備を伴う経堂駅周辺の超高層化を柱とした大規模再開発がもくろまれている。

 

 

外環と二子玉川超高層再開発が動き出した

 

小田急高架とセットになった道路計画の内、最大規模の外郭環状道路建設計画が平成9年秋に動き出した。小田急高架に対する根強い反対運動に懲りた行政は、外郭環状線に関してはなり間から以南を地下方式を中心にすることをまとめ、地上の街づくり構想を東京都は発表した。これによって、住民の反対の声を代弁するといっていた世田谷区も建設に向けての連絡会に参加することを決めた。建設省は既に地下案の構造形式を決めているにもかかわらず、一切の情報を秘匿している。構造形式によっては地下といっってもほとんど地上を走るところもあり、巨大なジャンクションは地上から高架の透明高速道にアクセスすることにもなろうし、中央道へのジャンクションも問題だ。自動車道路は鉄道土地がsって、地下化の場合は排ガス排出棟の設置も伴う。建設の是非から問い直されなければならない。

二子玉川再開発では40階を超える超高層住宅等4棟の超高層ビルを含む大規模再開発の全貌が見えてきた。この開発のために区は補助線3本延伸と区道2本も用意しており、再開発地域の85%の土地が東急の土地という一企業の再開発事業に区民や国民の税金を投入しようとしている。二子玉川については都内最大の再開発事業と大塚助役自ら豪語する大事業だが、東急等の大手資本以外に利益を生むところは全くないばかりか、唯一のこされた国分寺崖線の緑や自然を破壊する元凶となる。世田谷区はこの計画から手を引くべきである。

 

 

駒沢2丁目超高層ワンルームマンション建設を許すな!

 

駒沢2丁目の真中の交差点付近からちょっと奥に入ると、静かな住宅地が続く。この住宅地域を浸食して建てられようとしている30階の超高層ワンルームマンション計画と、これへの世田谷区の対応は、世田谷の今後を占う意味で大きい。建築基準法をクリヤーしているからといって、地上98メートルにもなるこの超高層建築物を住宅地に隣接するこの地域に許せば、246沿いには同種の超高層が林立するであろう。また、容積率500%の地域は三軒茶屋、経堂、下北沢等の各地にあり、世田谷区が建築基準法を超えた何らかの規制を加えなければ、世田谷のマンハッタン化は避けられない。この超高層ワンルームマンションは、バブル期に事業拡大をし、1991年に2800億円余の負債を抱えて倒産したリースマンション会社が更生会社の資格のままで、強引な建設を狙っているものである。これはあきらかに社会正義に反する。このような建築計画を押さえられないとしたら、大場世田谷区政に都市計画を語る資格はないというべきであろう。

 

 

 

3、     緑を消失させている大場区政

 

法律違反の生産緑地買い取り拒否

 

緑被率30%を目標にしているはずの大場区政の緑地保護政策はおざなりだ。平成10年度に発表される緑被率調査では20%をきっているに違いない。平成9年夏に明らかになった稲荷塚古墳付近の生産緑地の宅地造成開発問題は世田谷区政が掛け声や宣伝とは裏腹にいかに緑地保護を放棄しているかの象徴である。稲荷塚古墳は区の指定文化財にされており、また都市整備方針にはこの地域に関し「農村風景、古墳や史跡など貴重な歴史的、自然的景観を生かし、育成していくことが重要課題」とされているにもかかわらず、生産緑地所有農家の区への買い取り請求に基づく買収をおこなわず、民間業者の手による宅地開発を許可してしまったのである。その結果、稲荷塚古墳のすぐ際にまで宅地が迫るという事態を招来せしめている。生産緑地法は買い取り請求のあった生産緑地については買い取ることを地当該自治体に義務付け緑地保護の継続を義務付けており、特別な事情もないのに買い取りを拒むことは本来的にできない。ところが、世田谷区はこの法律に違反して、買い取り基準を要綱で定め、既に平成8年度までで9ヘクタールの生産緑地買い取り請求があったにもかかわらず、一割しか買い取らず、その余の土地の緑地を消失させている。

 

 

利権化する緑地取得

 

一方で100億もかけて喜多見の小田急車庫上に人工地盤を作り、公園としたり、小坂徳三郎氏の要請にしたがって、小坂邸を公園用地として38億円で買収したり、不良債権がらみの岩崎邸を井奥元国土庁政務次官の口利きで13億で購入しようとしたりしており、真に有効な緑地保護策には金をかけず、むしろ緑地保護を名目に特定個人や法人の利権を満たすような金の使い方がされており、極めて問題である。

 

 

形骸化している風致規制

 

世田谷区の17%の面積を占める風致地区が条例の規制通り運用されてきたならば、東京という巨大都市の真のオアシスとして世田谷は目を見張るような国分寺崖線からつながる緑を人々に提供し続けてきたであろう。しかし、風致地区条例は守られるどころか規制緩和が当たりまえのこととして受け取られ、この地域に建つ建築物の実に8割が緩和措置を受け風致地区外とほぼ同じ基準で、建てられている。ほとんどの地域が2種風致地区であるが、40%の建ぺい率を50%から60%へ緩和してしまえば、確実に庭の緑はなくなる。この条例の緩和措置の権限は東京都知事にあるが、その運用をどうするかは当該自治体の長の対応にかかっている。残念ながら、世田谷区は風致地区条例を緩和する方向で今まで動いてきたということは隠しようのない事実である。

 

目くらましの「環境共生住宅」

 

世田谷区の環境政策の問題点は、一見、環境先進自治体のように全国に見せながら、実態が伴わないということである。逆にいえばひどい環境破壊を隠蔽するために、宣伝費をかけて目くらましを行っているに過ぎないとまでいえる。

深沢の環境共生住宅はコジェネレーションや屋上緑化などを配した先進環境住宅として宣伝され、全国から見学者も絶えないし、好意的なマスコミ報道も多い。建設コストに糸目を付けなければその通りだろうし、低廉な家賃でそこにすめるようになったラッキーな住民にとってはとてもよいことではあろう。だがこの住宅の屋上にあがり、周辺を見回したときに10本を超える起重機が林立しているその風景は世田谷の住宅政策・都市政策の無策を象徴している。一戸建て住宅が立ち並んでいた緑豊かな深沢の地域が刻々とマンションに置き換えられようとしているのである。庭の緑や生産緑地を剥ぎ取ったその後に、屋上の一部を緑化し壁面につたを這わせる「たて、よこ、みどり」(世田谷区の緑化推進パンフレットの表題)がまっとうな環境政策であると考えているとしたら、その人の心は貧困だと断定せざるを得ない。大事なことは、世田谷にのこされた庭付きの一戸建てや貴重な緑地を失っていくことを政策的にいかに防ぐかを全身全霊を使って考え実行することである。

 

緑と環境を守るためには「規制強化」こそ必要

 

現行の建築基準法通り目いっぱいに世田谷で家がたてかわっていったとしたら、それだけで息の詰まるような居住空間になることは間違いがない。住居専用地域でおおむね60%の建ぺい率を守ったとしても、この建ぺい率目いっぱいにたてるということは、屋根のでっぱり部分や、屋根無しの駐車場スペースは除外されるから、ほとんど庭など取る余裕はない。かろうじて世田谷に緑の余裕があり、建て詰まりを免れてきたのは過去の遺産に頼っているということなのであり。建築基準をせめて風致地区並み(たとえば建ぺい率で40%)に厳しくしない限りは世田谷の緑を維持し、建て詰まりを回避することは不可能であろう。世田谷で緑を守ることを主張するということは建築基準の規制強化を政策として取ることを約束するのでない限り、詐欺行為を働いているのと同じである。だからこそ、緑を政策として掲げる以上、建築基準や用途地域の緩和を許さず、政府や東京都とぶつかってでさえも、建築基準や用途地域の規制強化を決然として掲げることが必須であるといわなければならない。

 

横行する建築違反。黙認する行政

 

そういった意味で大場区政の政策を評価すれば、これはもはや詐欺という他、言いようがない。ところで、ただでさえ規制の甘い建築基準法を大場区政はどれだけ守らせようとしているのだろうか。建築違反の横行は目にあまるものがある。建ぺい率違反や容積率違反等が明らかにわかったとしても完全な是正命令は数少ない。しかも建築基準違反でないことを査定するはずの完了検査を受けている建築物は平成8年度統計で22.4%に過ぎない。

 

CO2・NO2対策は道路と自動車社会の見直しから始めよ

 

政府と区がタイアップし、住民の協力も得て、代沢2丁目でCO2削減のための生活実験がはじまった。地球温暖化予防のための京都会議に時期を合わせ、個人の努力次第でCO2を削減することを体験する趣旨はそれはそれで貴重だ。だが、一方で、CO2の問題を世田谷で取り組むためには自動車の排ガス問題と取り組まなければまるで意味がない。既存の道路計画の見直しや自動車社会の在り方に一向に目をむけようとしないのは何故であろうか。CO2問題が叫ばれる以前から、NO2問題は世田谷区民のかけがえのない健康を左右する問題であったし、世田谷の公害問題の第1の課題は排ガスによる呼吸器疾患や癌増大の問題であるはずである。世田谷区の統計でガンの部位別死亡率で肺ガンがトップとなっており、肺ガンは20年のうちに実に3,5倍にも増えているのである。ところで日本における自動車保有台数は米国に次ぐ世界第2位となっており、世界の自動車保有台数の実に1割を所有している。道路をいくら造っても、自動車が街にあふれてくる現状を変えない限り、問題は解決しない。車はもはや総量として規制されるべきであり、道路をむやみにつくるのはもはや害悪であるといわなければならない。

 

4、区政の180度の転換を求める

 

大規模再開発からの撤退を!

 

以上、主に世田谷区政の都市計画や住環境、緑や大気汚染についての問題点を見てきた。なぜならば、これらのことは住宅地域世田谷の予算を考える上で、基礎的な作業になると思うからである。

世田谷区政が今、なさなければならないことは、世田谷の大規模再開発と不動産開発へのてこ入れの中止と、民間の大規模再開発・不動産開発の事業圧力からの防衛に方針を180度変えることである。具体的には小田急高架事業の地下化への転換を東京都と国に働きかけるとともに、各駅周辺の大規模再開発に歯止めをかけ、住宅地世田谷にふさわしい商業支援対策を打ち出すこと。小田急高架事業や二子玉川再開発とセットになっていた補助線の整備については抜本的に見直しをし、本当に必要とされる道路以外は計画を廃止すること。CO2対策運動を機に車の総量抑制と低公害車への転換を追求する先進区としての地位を確立すること。道路整備型の防災対策(防災を理由にした道路整備)を止め、貯水施設やハイテク消防施設、避難や類焼防止の緑地や空地の積極的な配置、小型消防自動車の配置等きめ細やかな防災施策を講じること。等である。

大規模再開発や不動産開発へのてこ入れの中止によって浮いた土木費や土地買収費の一部は計画的に緑回復のための諸経費(生産緑地等の緑地の適正な買収も含む)に充当し、さらには量的にも質的にもマンパワーを必要とする福祉・教育の予算に充当するべきであると考える。

 

ごみ問題での発想の抜本的転換を!

 

ここで、環境産業の起業とごみ問題について、触れておく。清掃事業の移管はごみ処理の分権とともに、莫大な経費のかかる事業を基礎自治体が抱え込むことになりそうである。しかしながら、ごみ処理を公共セクターが抱え込むことは、反面で製造業者の責任を免責することであるし、製造物はごみ処理経費を上乗せしていないから安上がりではあろうが、結局消費者はごみ処理を税金という形で製造物の処理経費を上乗せさせられて出費を強要されていることになる。ごみを公害と考えるならば、PPP(汚染原因者負担の原則)が貫かれて始めて、生産にごみ処理や資源回収がビルトインされた製造形態となる。既に、車についてはドイツなどで行われていることではあるが、このごみ処理と資源回収をビルトインした製造形態をすべての生産過程の一般原則とすることが、ごみそのものを減らし、ごみ問題を解決していくための唯一の道である。この原則が貫徹する製造過程への変革には様々な形態の環境産業の起業が必要となることはいうまでもない。また、このことによって、行政はほとんどのごみの処理事業から開放され、生ごみの衛生管理としてのごみ処理といった清掃行政の原点に立ち返ることになるにちがいない。このことは日ごろ清掃移管問題の「現実論」に立ち会っている担当者にとっては夢物語のように思えるかもしれないが、地球温暖化防止の京都会議が開催され、生産活動あるいは生活様式の統御が人類的課題となっている時代の必然的要請であると提言しておく。したがって、ごみ処理の負担を強いられる運命にある基礎自治体はごみのPPPを貫く立法を求め、こぞって第2次ごみ戦争の宣戦を企業や国に布告するべきであるし、その先頭に世田谷区は立つべきであると考える。

 

5、結語

 

以上、平成10年度の予算要望にあたって、一人会派「無党派市民」は、世田谷区政の問題点とあり得べき方向性を主張してきた。平成9年度の予算要望の際、世田谷区は良好な住宅地域としてのアイデンティティを失うかどうかの岐路に立っていると指摘した。小田急高架、超高層、格子状の道路計画、大規模再開発が準備される中で、街の風景が荒れだした。住宅街ががさついた感じになっていく。この一年の議会での論戦を通じて、大場区長およびその主なスタッフにはそのような危機感さえ感じていないということを実感した。危機感さえ共有することのできない無神経さほど手に負えないものはない。

だが、かつては杞憂とされたCO2問題が、京都会議では人類の未来にかかる問題として議論された。時代は確実に動いている。ということを確信して予算にあたっての要望とする。