200547

世田谷区長 熊本哲之 様

世田谷区代田4−24−15−102

木 下  泰 之

 

「下北沢駅周辺地区 地区計画」素案についての意見

 

 

1、

地区計画素案では地区計画の目標を定めている。

書き出しの文章

「下北沢駅周辺地区は、小田急線と井の頭線が交差する交通の要衝にあり、古くから北沢地域の商業中心の街として栄え、本区の都市整備方針においても広域生活拠点に位置付けられている。また、個々の魅力的な商店街や劇場に代表される下北沢の文化が形成され、それらが住宅地と調和しながら発展してきている。」

はその通りだろう。

ところが、その後に続く、「しかしながら、道路基盤が不足しており、歩行者の安全・快適な買い物空間の形成、合理的な土地の利用、防災性の向上などが課題となっている。」との認識はまったく間違っている。

 

2、

およそ、街の特徴や個性というものは、オールラウンドの性向を満たすものではない。下北沢が文化的であり、魅力があると評価されているのは、車中心社会となってしまった現代において、戦前からの鉄道交通と徒歩に依拠した街として「取り残されて」きたからであり、その現代的価値を充分評価しなければならない。

たしかに、現代社会の基準では、道路基盤が不足しているかもしれない。しかしこれは道路基盤を満たしすぎてしまった結果生じている現代都市・社会の不の側面をまったく見ていない考えかたである。車が我が物顔で走り、車に奉仕する街が安全・快適な街であろうか。道路を広げ、斜線制限が取り払われ、そのことによって容積率を使い切ることが合理的な土地利用であろうか。まったくそうではない。

 

3、

下北沢では、街路が人で埋め尽くされるために、車は控えめに行動することが必然的になっている。そのことで、安全・快適な買い物空間が阻害されているとはいえない。

「下北沢は車で来る街ではない」という常識こそ健全であり、そのことが、この街を開放感あふれる人間的な街にしており、街全体をいわば人間的な広場としている。このことが文化を育み、周辺の住宅街とも調和しながら発展してきたということにもなろう。

こういった現在の下北沢の良さを積極評価する視点からは、連続立体交差事業を契機とした街づくりのあり方、したがって地区計画のあり方は自ずと違ってくる。

 

4、

下北沢地域の住民や商店の粘り強い活動によって、当初、高架推進が小田急電鉄や行政から叫ばれていた小田急線の複々線化連続立体交差化事業は、地下にもぐることになった。

もし高架複々線ということであれば、その事業によるドミノ効果で街の高層化・高密度化は必然付けられていたであろう。しかしながら、小田急線が地下にもぐるということにおいて、下北沢の街の将来のレイアウトは大幅な改編をともなわず設計することが可能になったというべきである。

 

5、

補助54号線については1946年に戦後復興計画によって都市計画決定されたものの、実に59年にわたって事業化がされていない道路である。この道路を小田急線の連続立体事業と一体で整備すると長年行政は言ってきたが、その必然性はどこにあったのであろうか。それは、1969年成立の「都市における道路と鉄道との連続立体交差化に関する協定」により、連続立体交差事業の定義を満たすためには補助54号線が必要であったという事情に依拠したという背景を忘れてはなるまい。

したがって、平成15年度(2003年度)に行われた都と23区の都区部都市計画道路の全面見直し作業においても、下北沢のこの区間の補助54号線についてはまともに見直し作業が行われずに、むしろ連続立体交差事業推進の観点から、世田谷区内都市計画道路の最優先整備路線として位置付けられてしまうということになったのである。このことは、連続立体交差事業は都市再開発事業でなければならないというドグマが長年支配してきた結果である。

しかしながら、一方でこの建運協定が200441日をもって改定され、協定2条の幹線道路規定や道路新設規定が緩和され、鉄道遮断の深刻さのみによって連続立体交差事業が実施可能になったことに注目すべきである。この緩和の意味するところは、かつて、街路事業として都市再開発を義務付けていた連続立体交差事業の性格付けが変わったことを意味するからである。

 

6、

ちなみに、小田急線の連続立体交差事業の認可は20043月であるから、改定前の駆け込み認可であったことが推察される。しかしながら、認可されたのは未だ鉄道事業のみであって、補助54号線や区画街路10号線の認可はこれからである。都市計画を変更した、あるいは決定したとしても、その変更は可能であるというのが、日本の都市計画制度の基本ではないだろうか。そうである以上、建運協定の改定にあわせ、下北沢地区での連続立体交差事業のあり方の根本見直しをこの際、行うべきであろう。

具体的には補助54号線の同時着工をやめ、廃止を含めての見直しを行い、同時に区画街路10号線も見直す必要がある。そして、当面は小田急線の地下化のみに即した街づくり計画案へとまとめ直すことである。

 

7、

道路の施設着工をともなわない街づくりを考えれば、地区計画も自ずと違ったものにする必要がある。その際、肝要なのは、小田急線の地下化にともなう鉄道跡地の利用計画をこの地域の街づくりに積極的に生かすことである。20メートルから33メートルもの幅で2キロメートルも連なる広大な跡地が連続立体交差事業で生ずる。この空間の公共利用を検討することもなく、「街づくり」や地区計画もあったものではないと言うべきだ。跡地利用の公共利用の検討こそ最大の先決案件であろう。

建運協定10条は、高架下の利用について規定しているけれども、これは地下化の際の鉄道跡地の利用についても該当するとされている。10条によれば、行政が公共利用を申し出れば鉄道事業者は協議に応じなければならないとしており、行政側の公共利用の主張が不可欠である。

ところが、これまで行政側は公租公課分の15%は別としても、残りの85%の空間の利用については積極的な利用計画を示すことなく終始し、逆に事情の分からない住民や商店には15%以外は小田急電鉄に利用権限があるかのようにミスリードを繰り返してきた。高架下や鉄道跡地の利用問題は小田急に「お願い」するものと思わせてきた。このことは下北沢駅周辺街づくり懇談会の議事録や梅丘駅周辺街づくり懇談会の議事録を読めば一目瞭然である。

このようなミスリードは莫大な血税を投下しての公共事業に対する官の国民・住民に対する背信行為に他ならない。公共事業でできた有用空間は地域環境整備のために積極利用すべきであろう。

5%に過ぎない緑被率の下北沢を考えれば、緑道として整備することは防災面から言っても有用なことだし、それこそ100年に一度のチャンスだ。

 

8、

補助54号線を除外した街づくりを考える上においても、小田急線地下化にともなう上部空間の発生は補助54号線と同様に斜線制限をなくす効果を持つことから、地区計画であらかじめ高さについて制限をかけておくことは必要である。その際の高さ制限は中低層の魅力ある下北沢の街を守るためには、担当者が考えたように最大でも22メートル、16メートル規制を、ここが大事なところだが、例外を置くことなく、かけておくべきである。

500平米や2000平米でのボーナス緩和は高層再開発の積極誘導策であり、このような緩和策は下北沢の魅力をことごとく破壊するだろう。既存テナント店は放逐され、下北沢の文化の担い手を失うことになる。

骨子案では一切触れていなかった容積率緩和が公然と提唱されたのは大問題である。この問題だけでも住民との徹底協議が必要だ。安直な用途変更や容積率緩和は住居専用地域と共存してきた特徴ある街の特性を破壊する。

このようなことは決してやるべきではない。

今回の地区計画は街並誘導型といわれているが、軒高を揃えることのみが全ての街の美しさをつくると考えるのは、一般化が過ぎる。少なくとも下北沢の街の「面白さ」は不ぞろいの良さというべきであり、軒高を揃えることにのみ特化した街づくり誘導は止めるべきである。

むしろ下北沢をモデルとする、下北沢にふさわしい新しいやり方をこそ、創設すべきである。

 

9、

素案でも指摘されているが下北沢は鉄道交通の便が良く栄えている街である。そうであればこそ、現在の街の発展系としてのみ、車に依拠しない街としての実験を行うことができる。

既に北沢34丁目の街づくりでは狭隘道路の拡幅対策やポケットパークを中心とした修復型の街づくりがおこなわれており、これを踏襲しつつ、小田急線跡地の積極公共利用と併せたサスティナブルなという意味での21世紀型の街づくりが可能である。

補助54号線を廃止・凍結ないしは前提としないというところに立ち返って、地区計画を練り直すことは可能だし、ここで引き戻ることにこそ、真の意味での21世紀的な都市計画再構築の意味がある。サスティナブルな「下北沢モデル」を創出してこそ世田谷区は光るのである。

区長と担当者の翻意を願うものである。