「無党派市民」(木下泰之区議)平成18年度予算要望・意見

毎年、予算編成前に、区議会各会派は区長サイドから、予算要望・意見の提出を求められています。以下の文書は平成18年度に向けた会派「無党派市民」の予算要望・意見です。(2005117日)

 

エコロジカルな構造改革を!

サスティナブルで文化のある区政への転換を求める

 

1、 序 論

 

大場区政から続く土建国家奉仕の区政

熊本区政は道路を2倍の速度で整備すると公約して登場した。

既に、区議木下泰之の一人会派である「無党派市民」は、平成16年度予算要望、平成17年度予算要望として、その政策を止め、21世紀にふさわしい環境共生型区政、言い換えればサスティナブル世田谷を実現するための政策転換を求めてきた。

 土建国家の根幹である道路整備を全面的な公約とする熊本区政は、環境価値が何よりも求められている現代都市において、あからさまである。しかし、28年続いた以前の大場区政が環境を大事にしてきたかというと、決してそうではなかった。

 土建国家に奉仕する区政は遅くとも既にオール与党体制となった大場区政の2期目、すなわち1979年から始まっており、熊本区政になってから始まったわけではない。

 

小田急連続立体交差化問題は区政の象徴

 「無党派市民」は大場区政下で、小田急線の連続立体化問題の評価をめぐっての対立の中から1996年に発足した。住宅地の只中に高架複々線計画が大手をふるってまかり通るような連続立体交差事業が、世田谷の環境を破壊し、高層・不動産開発を招くことは歴然としていた。連続立体交差事業の制度(建運協定)のつくりそのものが、道路特定財源によって成り立つ街路事業であり、小田急線の連続立体事業は喜多見・梅ヶ丘間のたった6.4キロの間だけでも、都市計画道路8本の新設と17本の既存道路の拡幅を行うものであり、駅周辺の大規模な再開発事業を伴うものとして企画されていた。

 首都圏のスプロール化による大量輸送化が始まると、小田急沿線住民は在来線の騒音被害に日々さらされることになった。ここに高架複々線化を強行するということは、騒音緩和どころか、被害を激化させることは眼に見えている。

だからこそ、1970年には下北沢地域を皮切りに高架反対・地下化推進運動が立ち起こり、沿線を中心に燎原の火のごとく区内全線に運動はひろがっていったのではなかったか。1970年と1973年の2度にわたって、世田谷区議会が全会派一致で小田急線の地下化を決議したのはその証しである。ところが、その後、プラザ合意後のバブル経済期を控えて、政策は健康や環境よりも「マネー」に動いた。東京の商業床を増大させることが世界経済に貢献することだとまことしやかに語られた1980年代中期の政策の反映を受けて、1990年には第3セクター・」東京鉄道立体整備株式会社が設立され、その一環として小田急線の高架事業が新たに企画され、区議会各会派は全会派一致でこれを承認した。当時は経堂駅を主軸とした超高層ビル群建設が水面下で画策されており、世田谷区はこれを積極推進しようとした。これに対抗する形で世田谷区民を中心に第3セクターの解散を求める運動がおこり、この運動が、後の2001年の高架連続立体化事業違法の東京地裁判決を勝ち取る裁判闘争に発展していく。

そういった状況の中で既に進行していた騒音被害や新たに日照被害まで受ける運命にある沿線区民の健康をおもんばかることのなく、国や都の政策に同調していった世田谷区は、棄民というほかはなく、区政を名乗ることも恥じなければならない。

 

多数決のみが民主主義ではない

 1998年の小田急沿線騒音を巡る総理府の責任裁定は、不十分ながらも在来線の騒音への一定の規制を実現したが、これを実現するに当たって、区政が果たした役割は残念ながら何もない。区政に放り出された区民が住民運動や裁判に立ち上がって、初めて得た成果であることを忘れてはならない。

 一般会計予算2000億を超える区政が、住民運動が果たしている社会的責任さえ果たしていないこの現実ほど、税金の「無駄遣い」を象徴する出来事はない。

 一方で、2001年に一審の東京地裁で勝利した沿線住民による小田急線連続立体交差事業の認可取消訴訟は、二審の東京高裁で原告適格なしとして逆転となったが、今年20051026日には最高裁上告審で原告適格問題が大法廷に回付され、弁論が開かれた。一般に最高裁大法廷が弁論を開くことは判例変更の可能性を持つとされている。元最高裁判事の園部逸夫氏は原告的確問題の大法廷回付の段階で、「「環境訴訟」という新しい訴訟形態が始まる」(エコノミスト誌2005719日号)と評し、地権者でなくとも環境影響を受ける住民を中心に都市計画問題をめぐって裁判が起こせるようになる時代を期待している。

 いずれにせよ、本年4月に施行された改正行政事件訴訟法の最初の判例が小田急訴訟の判決で示されることは確実となった。判決は127日に予定されている。被告は国であり、東京都は参加人となっているが、この判決は地権者以外を都市計画の決定過程から事実上排除し続けてきた区政をも裁くものであることを、肝に銘じてもらいたい。

 今回の予算要望では、都市構造政策に絞って提言した。その余の予算要望・予算批判については、この間の議会活動の中で、逐次、展開してきたのでここでは省いている。多くは少数意見として、これまで避けられてきたものが多いが、小数意見にこそ、真実があるということが多々あるということを忘れないでいただきたい。

 裁判もその一例であるが、多数決のみが民主主義ではない。

 

 

2、 真に「安全・安心の街」は都市構造全体の転換から

 

道路を整備すれば安全は安直

 熊本区政は道路を2倍の速さで作ることを公約として登場した。その政策を裏付ける論理は「安全・安心」ということになるらしい。残念ながら、土建国家日本は、バブル経済を崩壊させ、800兆円もの負債を国が抱えながらも、経済再建に際しては福祉と社会的弱者を切り捨て、年間3万人もの自殺者を出しながらも、土地本位制のミニバブルに依拠せざるを得ないという絶望的な政策が続いている。

 これは、酒飲みが二日酔いに迎え酒を行うのと似ている。体質は何ら改善されず、アルコール中毒の体を蝕むだけである。

 これを直すには、思い切った体質改善が必要なのは言うまでもない。

 酒飲みはなにかと理由を付けては、酒を飲む。「内需拡大の景気回復のため」が効かなくなると、「安全・安心」のために飲みだす。

しかし、本当に道路を作れば、世田谷区は「安全・安心」になるのだろうか。

消防車や救急車など、緊急自動車が通れないから、道路は必要という。本当にそうだろうか。高度成長期時代を含めて今までに日本は道路を作りすぎるくらいにつくりすぎてきた。一日に通る車が極めて少ない農道まで舗装を尽くすほどに道路は作られてきた。莫大な予算を食う割には経済効率に見合わない地方の高速道路網に批判が集まると、都市基盤が脆弱だということを言い出し、都市再生緊急措置法を作り、予算配分を都市に集中させたのが小泉構造改革の目玉の一つであることは間違いがない。

かくて、経済需要喚起能力の薄い地方の道路や箱物はセーブして、需要喚起能力の高い大都市の改造に特化して道路をつくり、超高層や高層ビルを建てて、バブルで不良債権化した土地の値を吊り上げ、銀行を救済し、経済の安定を期するというのが、その戦略ということになる。

 

集中化の脱却こそ安全な都市への道

確かに道路付けが悪くて火事で消化活動に支障をきたすこともあるだろう。しかし、このことは幹線道路を碁盤の目のように整備すれば片がつくというようなものではない。むしろ、道路の過剰な供給は街に車をあふれさせ、災害時の障害ともなることは眼に見えており、緊急自動車の通過という一点のみでは防災性能の向上ということにはならない。しかも、道路に連動した日本の都市計画は超高層や高層ビルの立地を許すわけで、新たな防災上の困難をもたらすことは眼に見えているにもかかわらず、このことは考慮されることもない。

集中化の極みを尽くした現代の都市が危険であることは言うまでもないが、そのことは道路のみに特化して、これを作れば問題が解決するはずもなない。重要なことは、一方で集中化の解決とサスティナブルという意味も含めて真に安全な街の追及という都市構造の大転換の課題に本気で取り組むことであり、一方で、明日来るかもしれない災害の危機に対しては、地域に密着し、ソフトやマンパワーを含めて地道に改善することこそが求められている。

 

 

3、 道路整備・高層化は

街の危険をまし、緑と人間性を喪失させる

 

メガロポリスの見直しを

江戸時代には環境共生都市「江戸」の近郊農村として、江戸に野菜などを供給すると同時に、町屋や武家屋敷の肥を引き受けるという環境循環の典型をなしてきた。また、近代以降も近郊農村・住宅地としての役割を果たしてきた。

 戦前の都市計画では国分寺崖線から多摩にかけてのグリーンベルト構想が存在し、帝都東京のスプロール化に歯止めをかけようとの努力もあり、緑地が保たれていた。山の手には戸建住宅が武蔵野(国木田独歩の「武蔵野」は渋谷が舞台だった!)の中に存在しており、鉄道網が交通の主軸をなし、山の手線が東京の城砦の役割を果たしていた。

ところが、戦後の高度成長は戦前の都市計画の優れた面をも無視することで成り立ち、グリーンベルト構想も改廃され、私鉄の不動産開発と幹線道路や高速道路の整備によって東京はどこまでも延々と住宅と都市が続く3000万人居住の巨大メガロポリスを形成して今日に至っている。

 バブルの一時期、東京圏の多芯構造への転換が叫ばれたが、構想した多芯をも拠点とするより巨大なスプロール化に拍車をかけ、結局は東京都心・副都心の中心局としての役割はいっそう高まり、中曽根政権のアーバンルネッサンスの湾岸再開発から始まった都心部の再開発誘導はバブル崩壊を経ても、先述したとおり、「都市再生事業」として、都心に超高層ビル群を立てさせることに向けられている。

 線増連続立体交差事業(複々線化を伴う連続立体交差事業)は、東京オリンピックを契機に企画されたが、実際に始動を始めたのはプラザ合意を経ての金余りの際、この巨大メガロポリス化を合理化ないし放置化するために企画されたものであり、より遠くの居住空間から都心に大量に人員を運び、同時に道路網を縦横に配備し、商業床の確保と高層居住を目指そうとした。

 バブルが崩壊してもなお、メガロポリス型の一極集中路線を継承することはもはや犯罪的ともいえよう。

 

超高層・高層化と土地の使いすぎを止めよ

 湾岸の高層ビル群は、東京湾からの風を遮断し、東京のヒートアイランド化と局地異常気象ということで、新たな都市問題と災害をもたらすにいったっている。

 商業床が目的だった超高層・高層ビル計画は、その需要の枯渇のため、「都心居住」と称して、超高層・高層マンション建設に切り替えられ、超高層・高層マンションで実際に生活し子育てを行う生活様式が生まれている。

 この「都心居住」は幻想に過ぎない。極度に人工化した空間にコミュニティーは育たないし、生物としての人間の生理に変調をきたし、そこに住む人々の精神の不安定化も察するに余りある。専門家が高層居住に警告をならし、ヨーロッパ圏では高層居住は言うに及ばず、高層ビル群からの撤退が始まっていることもうなずけるところである。

 世田谷にも高層化の波は押し寄せている。ところが、区はむしろ積極的に建物の高層化と高層居住を奨励しさえしている。

 既に、地域住民の反対にもかかわらず、北烏山には100メートルのファミリーマンションが建ってしまった。また二子多摩川再開発は用賀や三軒茶屋に続く超高層再開発の典型であり、当初、業務中心で考えられていた超高層ビルはマンションにかわり、この建設計画に同調して超高層マンションが既に立てられている。

 超高層といわないまでも、世田谷は今、高層マンションブームである。世田谷区は「絶対高さ制限」を45メートル、30メートルとして高度地区にかけたが、実際には、総合設計制度を取れば、60メートル、45メートルまでの建物の建設が可能である。商業地域はもともと青天井だから、住居専用地域を除いて45メートルまでの高層ビルを許容することとなった。そもそも住宅地世田谷にとって、この規制は甘すぎる。その上、世田谷区は一団地認定でけんぺい率や容積率を低く抑えていた優良な公共的団地の一団地認定を全て取り払う方針でおり、実際に、現在、桜上水団地や芦花公園団地で規制緩和措置がとられ、高層化を誘導化しようとしている。ちなみに桜上水団地は世田谷区が界隈賞の第一号に選んだ団地である。緑に囲まれた低層の優良団地を自ら破壊することは都市政策の自殺行為である。一団地認定の解除は決してするべきではないし、一団地認定を生かした余裕のある土地利用こそ追求すべきなのである。

 

せたがやトラストの都市整備公社の統合は時代の逆行

 

 世田谷区は、このほど外郭団体の財団法人せたがやトラスト協会と財団法人都市整備公社を統合しようとしている。自然保護のための団体と都市再開発のために設けられた団体との統合は大きな問題をはらんでいる。かつて、世田谷区は環境部の「水とみどりの課」を都市整備部に組み入れたことがあった、その後、環境部は環境対策室に縮小された。当時、環境庁と国土交通省がとうごうされるようなものだと批判をしたが、今回の外郭団体の統合も、環境の保護と開発の統合であり、いわば水と油の統合である。このような統合はすべきではない。水が油になってしまう可能性すらある。そもそも、都市整備公社は三軒茶屋の再開発を主な目的として生まれた外郭団体であり、理事長を助役としている。三軒茶屋再開発は終わり、その役割を既に終えた以上、速やかに解散すべきである。

 都市整備公社の中につくった「街づくりセンター」等の「まちづくり事業」を今回、トラスト事業と結び付けようとしているが、そもそも、トラスト運動が名前とは違って形骸化しており、本来の意味の環境保全のための土地買取り運動になっていない上での、今回の統合プランには、「まちづくりトラスト」なる珍妙な造語も生んでおり、形骸化したトラスト運動が、危惧される世田谷の高層開発のお先棒を担ぐことになりかねないのであって、そのような統合はすべきではない。役割を終えた都市整備公社は速やかに解散し、市せたがやトラストを区民を主体とした真の土地買取トラスト運動に発展させるべきである。最近みどりを増やすとして、屋上緑化や壁面緑化が提唱されているが、それは本来の緑被率や自然面率を確保した上で言うべきことであって、自然の後退を糊塗するために持ち出されるべきではない。世田谷区はかつて緑被率30%を目標にしていたが、大場区政の末期に既に20%に減ってしまった際に、緑を増やす方針でなく、これを現状維持と改めてしまった。世田谷区の組織運営方針そのものが、高層化計画にひれ伏してしまっているといわざるを得ない。このようなことは時代からの逆行であり、許されない。

 

4、 「ユートピアとしての下北沢」を守れ

 

路地の街下北沢の価値

 「近代的思考」は時として、自然を破壊しつくすし、人間が一番えらいと思っている。こうのような傲慢不遜な考え方が「近代的思考」のうちにあるという反省は、自然へ畏怖を感じたり、人間存在が周辺環境や地域や国や文化から切っても切り離せないと悟ったときに、生まれる。またごう慢不遜を胚胎する「近代的思考」への反省は、近代思考の合理性を究極まで展開しても同様にたどり着く。かくて、平板な合理主義は批判されなければならない。

 下北沢の雑踏の匂いや風、そういったものを都市計画の従来の手法で推し量ることが出来るだろうか。おそらく、街をまもりたいという欲求は、その場所の思い出や身体感覚からくる。多くの人々から下北沢が愛されているとしたら、いまのたたずまいが、いつかは変化するにしても、ゆっくり推移させ、人々の思い出や身体感覚を守らなければならない。

 いささか文学的・哲学的にはなるが、下北沢についての想いである。

 駅前まで車でアクセスできることを無上の価値観とするものにとっては、下北沢のような迷路のように入り組んだ路地で構成される街は無用であるかもしれない。かつてのコルビジェ型の近代的な都市計画の概念や思考からしたら、このような街は広い街路と高層ビルで構成する街にきれいさっぱり変えてしまうのが良いということになるだろう。

 しかし、そうではないとの主張が、実はいまや世界的な都市計画の流れの中では主流になりつつある。

 

J・ジェイコブスの4原則

 1960年代の初頭に「アメリカ都市計画の死と生」を書いたジェーン・ジェイコブスは、アメリカの都市を見て回った経験則にもとづいてよい年の条件とするジェイコブスの4原則を掲げ、コルビジェ型の近代都市計画に対抗した。

 これを紹介した宇沢弘文東大名誉教授によると、

「第1は、「街路が非常に曲がっていて、狭くて、一つ一つのブロックが短い」というのが共通した特徴だというのです。そういうところは、自動車はスピードを出して通れないし、大勢の人が行き来していて犯罪も起こらないというのです。
 第2は、「都市を再開発するときは、必ず1ブロック全部壊さないで、古い建物を残せ」ということです。古いというのは、必ずしも歴史的価値がある建物というのではなくて、人々が住んで使いつけた建物は残せということであって、レストラン、飲み屋など、新しく拡張したり、新築すると、必ず味も落ちるし、値段も高くなる。「新しいアイデアは古い家から生まれる。決して新しい家からは生まれない」というのが彼女の説明なのです。
 第3は、「絶対ゾーニングしてはいけない」ということです。ここは文教地区とか、ここは商業地区、ここは住宅地区、オフィス、公園とか、どの地域も必ず2つ以上の機能を果たすようにすべきであるということです。たまたまある年、彼女が生まれ育ったフィラデルフィアの殺人がすべて公園の中で起こったというのです。公園というのは一つのゾーニングで、夜は立ち入ってはいけないとか、公園だけの目的だと非常に危険になるというのです。
 第4は、「人口密度をできるだけ高くしろ」ということです。これはル・コルビュジェのラジアント・シティ(輝ける都市)の理念が、できるだけバラバラに高層ビルを造って、その間はだれもいないようにし、人口密度を低くして、人間と人間のコミュニケーションがないようにしろというものなので、これらを否定するものなのです。」

 

 下北沢こそ、この原則にぴったり当てはまる街というべきである。

 

世界の、日本の慧眼が下北沢に注目

 下北沢は車に依存しなくてすむ街である。車社会の現代日本において、このような空間が残っていることは奇跡的ではあるが、戦前から小田急線と井の頭線が交差した交通の要衝にあったことと、戦時中にこの街が焼けなかったこと、また、小田急線の高架が阻止されて地下化への選択せざるを得なかったということで、高度成長期型の駅前再開発から今まで免れてきた。

 これらの条件によって、今の街が徐々に熟成されてきたというべきなのである。ここに60年前に線引きだけされていた補助54号線を通し、駅に広い駅前ロータリーを配し、高層ビル群が建設可能な街とすることなど、愚の骨頂である。

 ブラジルのクリチバ市を世界的に評価される環境共生都市としたレルネル元市長(前世界建築家連合会長)が下北沢を訪れた際、最大幅26メートルにもなる補助54号線を路地を破壊する形で通すと聞いて唖然とし、地下化される小田急線跡地の遊歩道としての活用を即座に提案したという。このエピソードは、下北沢から始まった小田急線の地下化推進運動が、当初から「鉄道は地下に地上はみどりに」との明確な方針をもっていたことの正しさが、世界的にも支持されていることを物語っている。

 世界的な目からみても、下北沢の再開発は小田急線の跡地を緑道化し、新たな通過幹線道路など作るべきではないのである。

 また、かつて建設省の住宅課長を務めた都市プランナーの蓑原敬氏はその著書で、

「現実にユートピアは存在し、都市計画という行為を無視しているだけではないか。アラン・ジェイコブスがサンフランシスコの現在にユートピアの骨格を見たように、下北沢をユートピアと見立てられないのは何故か。一つは都市空間の目標空間像についての議論がまともにされていないということ、街は要る。街とは何かという議論の欠落だ。」と言い切っている。

 

都市計画の専門家20名が下北沢再開発に注文

 ちなみに、同氏は、下北沢の再開発計画を知って、都市計画の専門家とともに、20名でこの計画の再考を世田谷区や区都市計画審議会に申し入れいる。

この要望書は現在の下北沢の文化性を積極評価し、これを支える都市構造を高く評価したうえで、素案について、「この案は現代の街づくりの考え方に照らして基本的な問題をはらんでいるばかりでなく、住民を交えた議論が尽くされているとはいえないと判断し」、「素案を再考すること」を要望している。

 この申し入れに賛同した専門家は次の通り。

 青木 仁(東京電力技術開発研究所)、大方潤一郎(東京大学教授)、加藤仁美(東海大学教授)、北沢 猛(東京大学助教授)、倉田直道(工学院大学教授)、国広ジョージ(国士舘大学教授)、小浪博英 (東京女学館大学教授)、小林正美(明治大学教授)、小林博人(慶応義塾大学助教授)、佐藤 滋(早稲田大学教授)、司波 寛(都市計画コンサルタント)、陣内秀信(法政大学教授)、高見沢邦郎(首都大学東京教授)、中井検裕(東京工業大学教授)、西村幸夫(東京大学教授)、二瓶正史(建築家・法政大学講師)、福川裕一(千葉大学教授)、山本俊哉(明治大学助教授)、吉川富夫(広島県立大学教授)

 

時代の変化に対応せよ

 世田谷区は下北沢の再開発について1986年3月に、「小田急沿線街づくり研究会」(川上秀光委員長)を組織しているが、1987年6月の報告書では下北沢の再開発について委員長の東京大学教授の川上秀光氏が「超高密化時代の線増立体化について」と題して、次のように語られている。

 

「沿線住民としても、複々線化を受け入れ、その便宜を教授する以上、高架、地下の構造形式の如何を問わず、乗降客と出入車両の激増と沿線土地の高度利用が進み、高層建築の出現による建物利用の変化は避けられことを充分に認める必要がある。このような、いわば地区環境の大いなる変化は、複々線化、連立事業と言う都市構造の強化・拡充がもたらす法則的に避けられない結果である。」

 

 同じ都市計画にかかわる学者ではあるが18年の歳月は、都市計画に携わる学者や実務家の支配的な考え方を大きく変えつつある。

 レルレル氏といい、要望書の賛同署名に名を連ねた20名の諸氏の慧眼をこそ、区は受け入れるべきであり、補助54号線の事業と下北沢の再開発にむけた地区計画は見直されるべきである。

 

5、 小田急訴訟での最高裁への意見書

          「我々のオルタナティブ」について

――住宅都市世田谷を守り、東京を環境共生都市として再生させるために

 

127に迫った小田急線訴訟最高裁大法廷判決

 小田急線の連続立体交差化事業の事業認可取消し訴訟は、一審で住民が勝訴し二審では原告的確なしとして、住民は門前払いによる逆転敗訴となった。その上告審で、原告的確についての審理が大法廷に回付され、口頭弁論まで実施したことから、再逆転が期待されている。

 判決は12月7日であるから、予算再編の最中に結論はでることになる。

 今回の裁判は、住民側原告は専門家とタイアップして都市計画のあり方をめぐって総力戦を展開しており、判決がどうなろうとも、歴史を画する訴訟として住民側の挑戦の努力とその主張は評価されるであろう。

 「無党派市民」の木下も上告した40名の原告のうちの一人であるが、この大法廷の採集弁論の際、この住民原告団に協力する「小田急市民専門家会議」(座長 力石定一法政大学名誉教授)は「我々のオルタナティブ」と題する意見書を最高裁に提出した。

 木下もその我々に含まれるので、考え方を紹介し、世田谷区に政策の転換を要求するものである。

 

誤った事業を転換させるための大胆な代案

「小田急市民専門家会議」は、第一審結審近くに一度、三法一両損の計画として代替案を東京地裁に提出している。この代替案は東京地裁の評価を得ることともなり、「代替案もあるのだから」と裁判長に言わしめ、和解勧告が双方に提示されたという経緯がある。結局は国が、和解勧告をけったために判決となったが、この代替案の存在は一審の裁判長をして「事情判決」(法的には問題があるが「元に戻すのは公共の著しい不利益になる」という現状是認の判断であり、国政選挙の定数裁判でお馴染み。)とせず、認可取消判決を書かせる大きな力となった。

この時点では、在来線はまだ地上を走っている段階であり、既に出来てしまった高架橋に一時的に仮線として鉄道を走らせた際には在来線に高木を植え、同時に地下鉄を彫り、完成の暁には高架橋には潅木を植えて2層のコリドーとするとの妥協案(三法一両損)を提案した。

その提案から6年、既に高架橋を4線が強引には走っている現状においての新たな代替案は、小田急事業の転換を都市構造転換の先鞭と位置づけたより大胆な提案となっている。

バブル崩壊にもかかわらず、旧来型の土建屋国家的な発送から抜けようともせずに、あろうことか、年再生法で規制を緩和し、唯々諾々と「都市再生事業」に現を抜かす政府の根本的な反省を求め、未来志向の代替案を対置した。

 

アブナイ都市から抜け出すために

関東大震災を越える自身がいつきてもおかしくないと言われている。

都心の過度の集中と世界に例を見ない遠距離通勤圏を持った無計画な「アブナイ」都市の構造の転換を迫り、真に安全で安心なしかも環境にやさしいサスティナブルな首都圏構想を打ち出した。

簡単にいうと、かつて構想としては提示されていた東京圏の多芯化を本気になって実施することにより、超過密を緩和し、複々線計画自体を転換し、複線地下化にとどめることをも提案している。

具体的には、都心の超高層ビル群建設を止めさせ、湾岸地域に樹林帯を設け、自然を回復させるとともに自信に強い都市基盤を作る。同時に、横浜・川崎から八王子にかけての第2経済圏をつくり、東京都心一極集中を緩和し、本当の多芯化を図る。そのためには扇島に第二国際空港をつくることを起爆剤としながら、人やものの流れを具体的に変える。

既に建設してしまった小田急線高架橋は取り壊し(この間、既存構築物撤去の議実は格段の進歩を遂げている!)、跡地を神宮から多摩川までの緑道とし、災害の際の延焼遮断帯とし、災害の際には都心からの帰宅困難者や災害非難者の通り道とする。というものである。

 

エコロジカルな構造改革こそ日本を救う

 今回の代替案の実現には当然のことながら、小田急事業の見直しだけでも、金はかかる。しかしながら、違法事業を転換させ、今後の連立事業(世田谷でも京王、、大井町線が控えている)でも同様の考えを取り入れれば、東京が失った緑地帯を新たに創造できる。

 災害に見舞われなくとも、市民に憩いを与え、サスティナブルな都市が構築できるとすれば、その値はまさに千金である。

 防災対策を土地本位制の維持のために便法として使うのではなく、真の災害対策を、環境共生都市の復興とともに構築することが、真の実態需要の喚起であり、疲弊した日本経済を救う道ではなかろうか。エコロジカルな構造改革こそが日本を救う。

個別に見れば、確かに兼ねはかかるだろう。しかし違法事業が是正されないとしたら、その国民的な損失は数に表せないほど莫大である。違法事業の是正を通じて、これまでの都市計画のありようがガラッと変わるとすれば、その価値は計り知れない。

 その契機に、小田急問題はなりうるのだという確信を持つものである。

 再度、やり直すことは悪いことではない。

なお、日本の構造改革論者の元祖とも言うべき、力石定一座長がまとめた今回の提案は、小泉「構造改革」とその枠組みや構造を異にするものである。

 誤解があると、行けないので、この文書の添付資料としたい。熟読されることを願いたい。