平成18年第1回定例会(自31日 至330日)

世田谷区議会会議録

2006年 3月30日 平成18年度一般会計予算への反対討論


○菅沼つとむ 議長 次に、四十八番木下泰之議員。
   〔四十八番木下泰之議員登壇〕

◆四十八番(木下泰之 議員) 平成十八年度一般会計予算に反対の立場から無党派市民の意見表明を行います。
 選挙まで一年ちょっとです。区政もあらゆる面で熊本色が強くなってまいりました。人事の面で亀裂が生じているようです。区民連が予算反対に回りました。新しいことです。
 熊本区政は、道路を二倍の速さでつくることを表明して登場いたしました。大場区政にも増してあからさまな不動産開発区政であることを示しています。十八年度予算に二子玉川開発関連で四十四億円もの予算をつけようとしております。下北沢の高層大規模再開発の突破口となると危惧されている補助五四号線、区画街路一〇号線の事業認可問題については、五百十店舗の下北沢の商業者が反対を表明し、住民アンケートにおいても広範な反対が存在して、歩いて楽しめる町の典型として全国に支持されていることがわかっていながら、この町の破壊を積極的に区長は進めようとしております。道路費用三百十億円をかけて町を壊して何になるのでしょうか。砧総合支所については、本来改修で間に合うのに、四十億円をかけて改築することに着手を強行しようとしております。
 さて、今回の予算議会を通じて、私はとりわけ三つの事柄に憤りを覚えました。その三つの憤り、義憤をここに明らかにすることによって、一般会計予算への反対討論としたいと思います。
 憤りの第一は、熊本区長が聞く耳を持とうとしないということであります。憤りの第二は、山田助役が所掌にもかかわらず環境問題の基礎を全く理解しておらず、既に世田谷の環境政策は無に等しいということがわかってしまったことであります。憤りの第三は、道義教育を語る若井田教育長が、いわゆる道義の何たるかさえも全く理解していないことへの驚きとその無神経さに対してであります。
 憤りの第一、聞く耳を持つ区長であってほしいと一般質問でも呼びかけをいたしました。予算委員会でも何度も申し上げました。商業者協議会の代表と会ってほしいことを何回か言いました。ところが、区長は一度たりとも会おうという返事をしませんでした。意見の違う者とも会って話し合いをする、それが政治家ではないでしょうか。
 区長は、年度内に補助五四号線の事業申請をしたいと言い続けております。町が変貌してしまうことに危機感を持って、下北沢の五百十店舗の商業者が見直しの要望署名をし、面会を求めました。五百十店舗といえば、全体で店舗数が一千五百店ほどの下北沢、商店街が組織しているのが七百数十店舗でありますから、大変な数であります。
 その代表が昨年の暮れに、正月明けの複数日を指定して、少しでもいいから要望書について直接会って受け取ってほしいと申し入れました。当初、区長は直接会わないと言い、次には、一切時間がない。一月十八日にしびれを切らせて区長室長に取り次ぎを商業者の代表が求めると、室長は、十一月初めから二月末までが世田谷区では年末年始だと言い放ち、面会を謝絶。そのくせ、危機感を感じた下北沢の商店街幹部や町会幹部が早期事業申請を求めて面会を要望すると、一月二十五日には区長みずからがいとも簡単に会っております。
 都合のいい声は聞くけれども、反対の意見は聞かない、この態度は部下にも伝播して、専門家がやったアンケート調査について既に受領し読んでいたにもかかわらず、読んでいないと虚偽答弁をしてもはばからなくなる。都合の悪いデータは見えなくなるらしい。聞く耳を持つということは、反対の声にも耳を傾けるということではないでしょうか。課題となった五四号線問題は区政の重要問題であることに疑いありません。年度内に認可申請を出すと言い続けたのであるから、既に本日までに会う約束さえしないということは、小心な人格を衆目にさらしたに等しいと言わなければなりません。
 憤りの第二、区民生活分野の質疑の中で尋ねたことですが、山田助役は公害対策基本法の経済調和条項が一九七〇年のいわゆる公害国会で外されたという、公害史上歴史的な事実についてお知りでなかった。山田助役には以前にもサスティナブルの意味をお聞きしたこともあったが、この言葉さえもお知りでなかった。一体、サスティナブルや経済調和条項の撤廃といったキーワードを知らずして環境行政を所掌できるのかと耳を疑います。サスティナブルは普通、持続可能なと訳されて使われますが、これは意訳であり、楽観的な意味に誤解されます。辛うじて支えるといった厳しい意味合いのニュアンスについて議論をしたいからこそ聞いたわけであります。
 今回、経済調和条項の撤廃について聞いたのは、世田谷区の基本計画が、専門家の答申にあった二酸化炭素排出量削減のため自動車交通量の抑制の仕組みづくりを進める、車より人を優先したまちづくりを進める、あるいは、事業活動を行うに当たって環境の負荷の低減や公害の防止など、環境の配慮に最大限の努力をするなどの文言を環境基本計画から骨抜きにしてしまっていることへの危機感からでありました。
 経済よりも環境を優先しなければ持続可能な発展などあり得ないわけで、サスティナブルの概念は一九七〇年の公害国会で既にもっとラジカルに準備されていたということを忘れては、環境問題を環境を語る資格はありません。
 憤りの第三は、道義教育検討委員会委員長に三重野元日銀総裁を据えるということに恥じない若井田教育長の心性についてであります。
 私は、道徳や道義というものは、具体的な事案とのかかわりの中において人と人との関係性で問われることであり、標語や教訓話で片づくものではないし、片づけてはならないと思っております。したがって、道義といった戦前の軍国主義の手あかにまみれた言葉を頭にくっつけて検討委員会を立ち上げ、人としてやってはいけないこと、やるべきことの標語をひねり出したとして地域から社会教育として始めたとしても、うまくいくわけがありません。
 十四歳の成人式なるイベントを行うなどという方針にも反対であります。人はもっと複雑ですし、個性的です。また、十四歳は何よりも敏感です。必要なことは、一人一人が大切にされる環境を大人がつくってあげることではないでしょうか。殊さらに道義教育を叫ぶことの偽善性は、子どもたちにすぐ見抜かれてしまうでしょう。
 その上、三重野元日銀総裁を据えるという意図はどこにあるのでしょう。三重野氏は、一九八五年のプラザ合意のころは日銀副総裁で、一九八九年から一九九四年まで日銀総裁に就任しております。バブル期、崩壊期を通じて、日本経済のかじ取り役についていた方です。バブル経済とその崩壊は日本の第二の敗戦とも言われております。社会に大きなひずみをもたらし、モラルも地に落ちる要因をつくっていることは、だれの目にも明らかなはずであります。その第二の敗戦のA級戦犯が、恭しく道義教育のご高説を垂れて、だれがついてくるというのでしょう。
 私が、バブル経済とその崩壊に、一国の中央銀行の総裁や副総裁は責任があるかないかを聞いたとき、区長は全く答弁を逃げました。平谷助役は、バブル経済にはいろいろな学説があるとおっしゃって、これも答弁を逃げた。教育長はというと、経済学の勉強をしていないのでわからないとお答えになった。無責任です。
 しかし、こんなことは中学生でもわかることです。中学生の責任と教師の責任は違う。一般国民と中央銀行の総裁、副総裁の責任は違う。つまり、地位のある人には、それにふさわしい責任がある。これをノーブレス・オブリージと言う。言いかえれば武士道と言ってもいい。そうであれば、のこのこと道義教育の委員長などに出てこないのが、条理をわきまえた人の常識であります。三重野氏が世田谷の道義教育検討委員会会長を引き受けるということは、世も末であります。モラルが、教育長の言葉で言えば道義が地に落ちているというのではないでしょうか。
 委員には、トヨタの元社長で、自動車連盟の会長もいる。京都議定書がありながら、トヨタを筆頭に日本の自動車会社は米国の自動車会社とともにカリフォルニア州のCO 2削減立法に反対して非難を浴びている。エコ企業と言いながらダブルスタンダードであります。どんな人格の人であれ、勝ち組みの、しかも必然的に地球環境に悪い影響を及ぼす立場にある人を委員に据えるべきではありません。格差社会という時代状況や環境問題を考慮せずに、現代の社会のモラルは考えられないのであります。
 教育長、あなたは本当の教師になろうとしたことがあったのでしょうか。私は疑います。余りにも鈍感であります。
 ただ、そうではないのかもしれない。今、教育基本法の改正というような危険な兆候が出てきております。それを推進するようであるとするならば、極めて危険である。そのことを申し上げて、一般予算への反対討論といたします。(拍手)

○菅沼つとむ 議長 以上で木下泰之議員の意見は終わりました。