平成15年第3回定例会(自917日 至1020日)

世田谷区議会会議録

2003年9月18日 一般質問


○宍戸教男 議長 次に、四十八番木下泰之議員。

   〔四十八番木下泰之議員登壇〕

◆四十八番( 木下泰之 議員) 質問通告に基づき、質問します。

 世田谷の都市計画事業の重要問題に小田急線の線増連続立体交差事業があることは、熊本区長も都議会におられたわけですから、十分ご存じのことと思います。

 世田谷区のほぼ中央を東西に貫く小田急線、まさに世田谷の背骨です。この小田急線を高架複々線にして、現在行われている事業区間だけでも二十五本もの交差道路を新設ないし拡幅し、整備する。経堂にオフィス需要をねらった超高層ビル群をつくり、世田谷の新たな商業・業務拠点を整備する。そのためには、第三セクター東京鉄道立体整備株式会社をつくり、銀行、損保、生保などから民間資金を集め、街路整備を含む都市再開発に投入していく。そういった計画がバブルのころに実際に立てられて、実行されようとしておりました。

 この試みは、第一に、粘り強い住民の高架とまちづくりの見直し運動、地下化推進運動のために、そして、さらにはバブルの崩壊が原因で、第三セクターは解散に追い込まれ、初期構想した規模ではこの大規模の再開発を伴う計画は頓挫しております。しかし、現在行われている事業区間だけでも二千四百億円、周辺道路整備事業を含めれば一兆円の金が動くという事業であります。

 この線増連続立体交差事業という大事業を企画するに当たっては、都市の骨格に大変更を加えようとする事業でありますから、当然、事前調査は詳細かつ包括的に行われなければなりません。建運協定によって、都が行う調査には国の補助金もつけられております。

 この東京都実施の事業調査については、一九八七年、八八年度に行われました。実施中のときは、大場区政の川瀬助役が報告書の開示は当然だと言っていたにもかかわらず、その後、この調査報告書は世田谷区の行政自身が手に入れることのできない情報ということになってしまっております。実際には手に入れていたのだとは思うけれども、公式見解では手に入れていないと言い続けてまいりました。

 住民が東京都を訴えた情報開示訴訟が一九九四年三月に和解となり、一九九三年の都市計画決定部分を中心に一部が開示されると、初めてそのレベルで世田谷は情報を入手いたしました。一方、この情報開示で力を得た住民は、同年、この事業認可強行に対し取り消し訴訟を起こして、二〇〇一年十月三日にこの裁判に勝利いたしました。このことは周知のことであると思います。

 ところで、国は、認可取り消し訴訟の東京地方裁判所での裁判の終盤に、利害関係人として東京都の訴訟参加を裁判所に求めました。その際、訴訟参加を認めるのと引きかえに、裁判所が東京都にこの調査報告書を全面開示させました。その結果、この調査報告書がいかにでたらめで、国民、都民、区民を欺いたものであるかが明白になってしまいました。そのことをもって東京地方裁判所藤山裁判長は、都市計画の違法性、ひいては国の事業認可の違法性を認定し、あの歴史的な取り消し判決になったわけであります。

 この訴訟については、国は不当にも控訴いたしましたが、本年十月三十日に十一回目の口頭弁論を今度行うことで、裁判は結審することになりました。年内にも判決は下されることになりましょう。裁判は、一審に引き続き二審でも住民側有利と見られております。東京高裁でも国が敗訴するということになれば、世田谷の骨格事業は大幅に見直しを迫られることになるでしょう。したがって、世田谷区の基本計画にも大きく影響を与えることは必定であります。

 ところが、世田谷区は、こういった状況になっても、裁判所の要求によって全面開示された一九八七年、一九八八年度の調査報告書を手に入れていないといまだ言い張っているのであります。私は、今回、質問通告の際、もしお持ちでないのならお見せしましょうかとまで申し出をいたしました。しかし、担当者は、行政は行政の手続で東京都に要求するからいいとおっしゃった。

 そこでお聞きしたい。調査報告書は手に入ったのか、入らないのか。入手していないとしたら、取得するつもりはあるのかどうか。なぜ取得しなかったのか。東京都が拒否をしているとしたら、その理由を示していただきたい。

 関連して、もう一つお聞きしておきたいと思います。当初、東北沢〜喜多見まで一括して行われた調査の報告書は、下北沢地区を切り離して報告されました。その後、下北沢工事区間の調査は東京都により改めて行われたわけでありますが、二〇〇〇年度に行われたこの調査報告書についても区が取得しているのか否か、お答えいただきたい。取得していないとしたなら、なぜ取得していないのか、また、なぜ取得できないのか、お答えいただきたい。

 高架計画を誘導するためにさまざまな小細工を加えたでたらめな調査報告書です。世田谷区は持っていると言いたくはないでしょう。しかし、実際には裁判で既に二年も前に開示されており、秘密のものでも何でもありません。にもかかわらず、担当者は一九八七年、八八年の調査報告書を手にしようとはしておりません。これはどういうわけでしょうか。日本じゅうから注目されている小田急線の裁判の行方にさえ関心がないのでしょうか。

 この問題は、世田谷区の独自性、自立性にかかわる問題であることは言うまでもありません。小田急線連続立体交差事業は、世田谷も地財法で事業費を負担している事業であります。これからの都市計画、まちづくりに大きくかかわる事業であります。この基礎情報さえ世田谷区が手にできない、手にしないというのであれば、地方分権や都区財政問題すら語る資格はないと考えます。

 大場区長はこの問題についてずっと逃げてまいりましたが、熊本区長はどうするのか。基本的には前区長に責任のあることであります。熊本区長としては、事の真相について徹底調査し、区民の前に明らかにされるべきであるというふうに考えます。どう対処されるのか、明確な答弁をお願いいたします。

 小田急線の問題について、基礎調査以前の問題をもう一つお聞きしておきます。

 小田急線は、一九六四年に東北沢〜喜多見まで、下北沢地区と成城学園地区の平面決定を除き、高架複々線で都市計画決定されていたとされていました。その変更問題として、小田急線の立体化問題はあるというふうにされてまいりました。

 しかし、一九六四年に高架複々線で計画されていたという前提は本当に正しいのでしょうか。実はこれが全く正しくない。藤山判決が指摘したことでありますが、控訴審の論戦で、小田急事業の自明の前提とされてきたこのことが、やはり正しくないということが極めて明確になってきたのであります。

 もともと一九六二年には、運輸政策審議会では、現在の千代田線から淡島通り下を通り、さらには世田谷通り下を通って、喜多見で小田急線に接続する地下鉄計画が答申され、これが二年後の一九六四年に、強引に小田急などの圧力で高架複々線を主体とする計画に改められたと、私はこの壇上で指摘したことがございました。しかし、これはかつての行政の宣伝に惑わされた謬見であって、正確には、一九六四年の都市計画決定なるものは、地下鉄線を路線変更し、喜多見まで地下鉄路線を小田急線に張りつけたにすぎないということがさまざまな証拠により明らかになってきたのであります。

 一九八六年三月十三日に東京都議会予算特別委員会で、当時の熊本哲之都議は、「東北沢−喜多見間も高架複々線により一日も早く事業化すべきだと思っておりますが、知事、ご所見を賜りたいと思います」と高架推進の水を向けておりますが、この質問に対して当時の都知事の鈴木知事は、「お答えいたします。小田急線の東北沢から喜多見間につきましての問題でございますが、昭和三十九年、高架複々線化の都市計画決定がなされておりますが」と、昭和三十九年、一九六四年にあたかも高架複々線化決定が行われた前提で答弁をしております。

 一九六四年の決定が地下鉄線のみを小田急線に張りつけただけのものであり、高架複々線化の都市計画決定が実際にはなされていないとするならば、白紙からの議論が可能だったわけであり、しかも、地下鉄網の路線問題ともなっていたはずであります。そうであるならば、当時の議論のありようは随分違っていたはずであります。

 一九六二年の幻の地下鉄がそのまま、あるいはこれを復活させる運動が巻き起こり、世田谷通りの下を地下鉄が走っていたならば、世田谷の交通の利便性は格段に向上していたであろうし、小田急問題の四十年戦争もなかったはずであります。区長は、元都議として、また世田谷区政に責任を持つ政治家として、みずからも努力して事の真相を突きとめる義務があるのではないでしょうか。答弁をよろしくお願いします。

 時間が足りません。下北沢についての質問は決算委員会で行うこととして、壇上からの質問とします。

◎株木 都市整備部長 小田急線に関連しました五点のご質問にお答えいたします。

 まず、小田急線連続立体交差事業の基礎調査の情報取得に関するご質問でございますけれども、裁判で全面開示された報告書について区は取得したかということでございますけれども、昭和六十二年、六十三年に東京都が実施しました小田急電鉄小田原線の東北沢駅〜喜多見駅間の連続立体交差事業調査報告書につきましては、平成六年四月に一部非開示の部分を含む形で東京都から送付を受けましたけれども、全面開示された報告書は世田谷区は取得してございません。これまで東京都に対し、たびたび報告書の情報提供を求めてまいりましたが、取得はできておらない状況になってございます。

 次に、下北沢工事区間の調査報告書について、区は取得したかというご質問でございますけれども、東京都が実施しました代々木上原駅〜梅ケ丘駅までの区間の調査報告書につきましては、世田谷区は取得してございません。既にこの区間の都市計画変更は本年一月三十一日に告示されておりまして、都市計画変更の手続において東京都から必要な情報提供を受けておりますけれども、引き続き報告書の提供につきましても働きかけてまいりたいと思っております。

 次に、世田谷区の自立性を問う、区はどう対処するのかというご質問でございますけれども、連続立体交差事業は東京都が実施する事業でございまして、事業の実施に当たり、東京都がさまざまな調査検討などを行っているものと認識しております。連続立体交差事業に伴い、世田谷区は地元区として駅周辺などでさまざまなまちづくりを進めておりまして、世田谷区としてまちづくりに必要な調査などを独自に実施してきております。世田谷区がまちづくりを進める上で必要な情報のうち東京都が保有する情報につきましては、東京都より随時提供を受けております。世田谷区といたしましては、自立した自治体として地元の方々と力を合わせ、関係機関とも調整を図りながら、鋭意まちづくりを進めているところでございますので、ご理解を賜りたいと存じます。

 続きまして、都市高速鉄道九号線の都市計画決定に関連したご質問でございます。

 まず、昭和三十九年の都市計画決定は、地下鉄路線の路線変更の決定であり、小田急線高架複々線決定ではないではないかというご指摘でございますけれども、世田谷区内の都市高速鉄道第九号線につきましては、都市計画といたしましては昭和三十九年十二月十六日に、当時の建設大臣が都市計画法の旧法に基づきまして都市計画決定した都市高速鉄道であると認識しております。当時は、成城学園前駅周辺や下北沢駅周辺における地平式の区間を除き、四線並列高架方式で都市計画決定されたと認識しております。現在、都市高速鉄道に関する都市計画の決定権を有します東京都の都市計画局からは、世田谷区内における都市高速鉄道第九号線の都市計画は、昭和三十九年に新規に決定した都市計画であると聞いております。

 次に、事実確認を行って、小田急線問題の抜本的な検証を行うべきとのご質問でございますけれども、都市計画決定ではございませんが、昭和三十年代に国の諮問機関が喜多見方面より松戸方面に向かう地下高速鉄道を国へ答申したという経緯も書籍等から存じておりますが、これにつきましても、昭和四十年代初頭には小田急線に変更されたものと聞いております。都市高速鉄道第九号線につきましては、都市計画といたしましては、先ほどご答弁いたしましたとおり、昭和三十九年に四線並列高架方式を基本として国により都市計画決定されたものでございまして、今後、抜本的に検証を行うことは考えてございません。

 以上でございます。

◆四十八番( 木下泰之 議員) これは熊本区長にぜひお答えいただきたいんですけれども、要するに、東京都が資料を出してくれないというのは言語道断ですよ。それから、とにかくあらゆる努力をして、これは裁判の原告の方は全部持っている資料ですから、そういうものは手に入れて、また、先ほど指摘した九号線の複々線化が決定しなかったじゃないかということについては、これは検証することをぜひお約束してください。これからこの問題についてはいろんなことが起きてくると思います。危機管理の上からもやってください。どうですか。

   〔平谷助役登壇〕

◎平谷 助役 大変僣越ですが、区長を補佐する立場から、お許しをいただきましてご答弁をさせていただきます。

 ただいま基礎調査等の関連で、さらに将来のいわゆる調査等をやるべきだと、そういうふうなご指摘をいただいておりますが、私どもとしては、議員、この分野に関しまして大変専門的な知見に基づくご指摘をいただいておりますが、ただいま都市整備部長が申し上げておりますのが区の公式見解ということで、何とぞご理解を賜りたいと思います。

◆四十八番( 木下泰之 議員) 再度、区長に答弁を求めます。

 そして、これはとにかくきちんと情報把握しないと、大変なことになりますよ。よろしく。

   〔熊本区長登壇〕

◎熊本 区長 お尋ねの件でございますが、ただいま助役がお答えしたとおりでございますので、ご了解いただきたいと思います。

○宍戸教男 議長 以上で木下泰之議員の質問は終わりました。

 ここでしばらく休憩いたします。

    午後二時三十八分休憩



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