平成14年第3回定例会(自918日 至1018日)

世田谷区議会会議録

2002年10月18日 議員定数削減条例案への反対討論


○新田勝己 議長 これより意見に入ります。
 なお、意見についての発言時間は、議事の都合により一人十分以内といたします。
 発言通告に基づき、順次発言を許します。
 五番木下泰之議員。
   〔五番木下泰之議員登壇〕


◆五番(木下泰之 議員) 上程されました議員定数削減条例案に反対の立場から討論を行います。

 今本当に問題なのは議員の数なのかということが、今回の削減問題に対する私の疑問です。そして、なぜ三名なのか、十名ではなく、五名でもなく、三名なのか。今回の削減案は、議会制度等研究会の議論が尽くされないうちに、唐突に議員定数削減のみが、議員定数・議会制度等研究会の座長も務めた議員も含めて三十名から提出されたということであります。少なくとも議会制度等研究会では、議会改革のあり方がさまざまな角度で討論されてきました。その討論も半ばで、研究会の座長までが勝手に三名削減案なる提案をしてくること自体がおかしい。これは党利党略による削減案だと断定せざるを得ないのであります。

 私は今、議会と議員に本当に必要なことは、行政を徹底的にチェックする機能を議会みずからに与え、立法府本来の立法機能を実質化していく能力を議会みずからに与えることであるというふうに考えています。

 私は議会制度等研究会においては、行政を徹底チェックする意味で、最低限これはぜひとも必要という思いで文書質問制度の導入を提案してまいりました。国会においても、都議会においても、都道府県レベルの地方議会においても、文書質問は保障されております。文書質問が実現すれば、区政への疑問を質問時間の制限にかかわりなく聞くことができます。このことの実現だけでも、行政へのチェック能力は格段に高まるはずであります。私は、世田谷区議会が一般質問に制限時間を設けている以上、これを補完する文書質問が必要不可欠であると考えたからであります。

 ところが、議会にとってはよいことずくめであるはずのこの文書質問の提案はなかなか実現する運びにはなりません、これはどうしたことでしょうか。現在、世田谷区の職員約六千名に対し、議員は五十五名、国会と違って、議員には秘書がつくわけでもありません。区議会の事務局は区職員の出向者であるから、本来的に行政側の人材であります。区議会事務局長ポストは後の総務部長候補とさえなっております。しかも、国会の場合には、行政からは一応独立し、独自採用された職員が立法調査や委員会調査を行っており、また、国会図書館のレファレンス職員も調査を援助してくれるようなシステムを持っておりますが、区議会議員の場合、十分な機能は持ち合わせていないのが実情であります。

 また、国会も含めてそうなのでありますが、官僚法学の解釈により、本来的には存在するはずの議員の調査権は、議会の調査権にすりかえられ、議決がなければ調査権は発動できない仕組みになっております。行政与党の多数会派が存在する以上、資料要求の議決が得られないことが常態化しておりますから、行政文書にすら議員の調査権が及ばない状況のもとで、行政チェックを本来の意味で果たすことはできませんし、ましてや立法府活動が可能であるはずがありません。

 そういった困難な中では、闘わずしては行政監視をすることはできません。行政とくされ縁を持たない一人会派だとの自負を持って私は仕事をしてまいりました。そうやって自負を持ち、頑張って仕事をするとどうなるか。三十分の一般質問の持ち時間を十分に減らされ、区が関与するまちづくり協議会の役員の建築違反や公害防止条例違反を追及すると、数の力で言論弾圧を受け、発言取り消しを拒否すると問責決議ということになる。

 結局、当事者からも訴えられ、私の方が一審で勝ち、二審で勝っても、最高裁まで問題を引っ張られる。二審の東京高裁が、議会での言論は一般的なプライバシー保護にまさるとの判決を示し、木下の言論には何らの問題はないと太鼓判を押してくれ、最高裁はこれを支持してくれたわけでありますけれども、議員の権能としてはイロハに属することを、下条議員を除き、どの議員も守ってくれようとしなかったわけであります。

 また、議員としての調査権を広く認め、文書質問も含め一般質問の自由が十全に保障されたならば、たった一人の議員からでも議会は変わり得るのだとは思いませんか。残念ながら、現在は問題を徹底チェックする場合は、議員でありながら裁判所に訴え出るという形をとらざるを得ない。私は何も好きでしょっちゅう裁判をやっているわけではありません。行政与党あるいは族議員が存在する、そして妨害する、そういったことから、真実の追及は法定の場でということになってしまうのであります。

 議会は本来立法の府でもありますから、立法機能を果たさなければならないことは言うまでもありません。しかし、日本の場合、国会ですらもそのように位置づけられてもいなければ、国民からそう見られてもいないのであります。そうであるからこそ、この肥大化した行政国家の中では、議会及び議員の権能は高められこそすれ、低められるべきではないと思うのであります。

 委員会で参考人より意見を伺いました。削減賛成の矢野弾さんから、区の職員六千名がいて多過ぎる、そこで区議会削減が必要というお話を伺いました。矢野さんのこのお話では、区議会議員を職員と同列に見ておられる。確かに区議会議員を見る区民の意識は、区役所の附属物、まあ、よくて窓口というふうに見られているのであります。しかし、先ほど申し述べたような事情では、そうとられても仕方がありません。そこが問題なのであります。行政改革を断行するためには、議会は本来の意味で行政から自立、独立させるために、むしろその権能やスタッフを強化してやらなければならないのではないでしょうか。現実が役に立たないからといって、減らせというだけでは余りにも情けありません。

 小川泰士氏からは、議員は全部やめてオンブズマンにしろという意見の紹介もありました。この意見は傾聴に値する意見であります。むしろ議員は本来の意味でのオンブズマンに全員がなる必要があるし、そうした権能が与えられてなお、行政査察の権能を発揮できない議員は有権者の手によって引きずりおろされなければならない、そういうふうに考えます。

 私は、議会改革を数の議論に矮小化したとき、必ずや党利党略にもてあそばれるという危惧を感じております。大きな組織政党にあっては、五十五名中三名ほどの削減はそれほど痛くもありません。これが十名だったらどうでしょう。組織政党としては受け入れがたい数字なのではないでしょうか。有名人ともなっていない現職の一人会派の党利党略としたら、十名削減ぐらいがむしろ闘いやすい。党利党略、私利私欲から言えば、十名は減らしてもらいたいということさえできます。
 だからこそ、数の適正については天の声が必要でしょう。世田谷の現状を見るに、人口が増加しており、定数は現状のままでよいと私は考えておりますが、もしいじるとすれば、最終的には、数に関しては第三者機関を中心に区民意見を集約する中で決めざるを得ないのではないでしょうか。しかし、その際も、数だけの問題にすりかえられてはなりません。

 繰り返しになりますが、本当に必要なことは議会、議員の権能強化のための改革です。私たちは行政国家の袋小路から抜け出す道を探し出さなければなりません。要は、真の意味での議会抜本改革のためのコンセプトを確立することであります。質的な改革を何ら議論せず、三名のみの削減をするということは、政治的に見れば、議論はこれで終わりにしてしまうというのに等しいのであります。

 今回、三名の削減は、私たちの反対にもかかわらず通るでしょう。そうなると、一番割を食うのは新規に区議に挑戦する人たちであります。私が初挑戦した際、五十六位であった私は、当時、四十三票差で次点の悔しさを味わいました。今でも忘れることはできません。五十五位で無所属で当選し、その後、絶大な地歩を築いた方もいらっしゃいますが、初当選のときのその薄氷を踏むような思いを思い出してもらいたいものであります。ひもつきでない無党派の新人が一人でも多く当選してほしいと願う私は、このような党利党略から出た削減条例に賛成することはできません。また、賛成することで行革のポーズをとることも潔しとしません。
 以上、反対討論とさせていただきます。