平成14年第2回定例会(自612日 至620日)

世田谷区議会会議録

2002年6月20日 「オウム真理教(現アレフ)への政府の取り組み強化を求める意見書」採択への反対討論


平成14年  6月 定例会
平成十四年第二回定例会
世田谷区議会会議録第十一号
六月二十日(木曜日)


○新田勝己 議長 次に、

△日程第二十四を上程いたします。
   〔河上次長朗読〕
 日程第二十四 議員提出議案第五号 オウム真理教(現アレフ)への政府の取り組み強化を求める意見書


○新田勝己 議長 ここで、提案理由の説明及び委員会付託の省略についてお諮りいたします。
 本件は、会議規則第三十八条第二項の規定により、提案理由の説明及び委員会付託を省略いたしたいと思います。これにご異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕


○新田勝己 議長 ご異議なしと認めます。よって本件は提案理由の説明及び委員会付託を省略することに決定いたしました。

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○新田勝己 議長 これより意見に入ります。
 なお、意見についての発言時間は、議事の都合により一人十分以内といたします。
 発言通告に基づき、順次発言を許します。
 五番木下泰之議員。
   〔五番木下泰之議員登壇〕


◆五番( 木下泰之 議員) 議題となりました「オウム真理教(現アレフ)への政府の取り組み強化を求める意見書案」に反対する立場から討論を行います。

 私は、先ほど安全安心まちづくり条例について反対の表明を行いました。しかしながら、オウムに対する不安や不信が存在すること自体を否定しているわけではありません。上祐氏の公式ホームページを読むと、旧オウムは大日本帝国に似ていると書いてあります。何のことかなと思いまして読み進むと、旧オウムは大日本帝国であり、麻原は天皇だというのであります。そして、アレフは戦後日本で、麻原は象徴になったのだというのであります。戦前の軍部の暴走と殺りくを旧オウム幹部の暴走とサリン事件ととらえ、戦争に敗れ、アレフは平和体質となり、麻原を象徴としているのだというシミュレーションであります。

 ああ言えば上祐の真骨頂でしょうが、このように語ること自体が周囲に対する不安と不信を招いていることは確かでしょう。あれだけの事件を起こしておきながら、この物言いは何だといういら立ちを感ずるのは当然のことでありますが、不安と不信から、住むことも、教育を受けることも認めないと言ってしまったならば、私たちはオウム事件に本当の意味で立ち向かうことになるのでしょうか。あの上祐を心から悪かったとわびさせることは、公権力の強制力でもなければ、村八分でもありません。市民社会の健全さを私たち自身が取り戻すことではないでしょうか。

 一連の区長のオウム問題に対する危機管理は、これと逆行する行為と言うべきでありましょう。法の支配のもとに行われなければならない公権力の行使を、区長はオウムの前では超法規的に対応せざるを得ないという理屈を立て、区長としてあるまじき行為を行い続けてまいりました。住民がオウムに対してエキサイトすることはあるでしょう。しかし、行政までがそれと一緒になってというよりも扇動して、団体規制法で監視下に置かれ、武装解除されたオウム信者に対して、出ていけ、あるいは存在を認めないというのは、問題の解決の糸口をふさいでしまうことでしかありません。

 真の意味での安心、安全とは何でしょうか。それはあくまでも物事を理性的に判断し、対処を誤らないということではないでしょうか。オウム事件、池田小事件、九・一一ニューヨークのテロ、事件が起こるたびに危機管理が叫ばれ、さまざまな対応がなされております。その結果が、違憲の疑いのある団体規制法の制定であったり、今回の条例案であったり、有事法制だったりするわけであります。為政者はもとより、マスコミも非理性的な部分で感ずる人々の危機感や不安を理性の場に引き戻して検討するという姿勢ではなく、何かここぞとばかり非理性的な危機感をあおり、為政者は自分に都合のよい地歩を確保し、マスコミも危機を売り物にする、真に克服すべきはそういった時代状況ではないでしょうか。

 オウムの殺人実行犯や麻原を逮捕し、教団を武装解除したからには、オウムから発するであろう危機や危険は去ったと認識するべきであり、むしろ危険は同根の起源を持つほかのカルトの方にあると言わなければならないでしょう。反イスラムやグローバリズムの象徴としてねらわれた世界貿易センターのテロにしても、エリート学校へのねたみから引き起こされた池田小の殺傷事件にしても、それが起こった本質や個別性を認識せずに、日本にもあすにでも同種のテロがあるかのように、あるいは普通の公立小学校にあすにでも殺傷事件が起きるかのように、行政もマスコミもあおり、社会は過剰に反応する。ここぞとばかりに有事立法が用意され、文部科学省によって公立小学校は過剰に地域と隔絶される。

 きのうも経堂小学校で誤認の誘拐騒ぎがあり、事実も確かめぬまま、危機管理だけ発動されたという事件がありました。オオカミ少年の話ではありませんが、このように右往左往していたのでは、本当の危機に対処できなくなることの注意をむしろ喚起しておかなければなりません。

 さて、オウムの問題では、区議会各会派とも区長と一緒となって、超法規的な対応に邁進してきたことの責任をとらなければなりません。今回のオウム信者の住民票不受理に対する損害賠償訴訟の敗訴と上告断念を機に、反省の対応を示すべきであります。ところが、反省をするどころか、区長と一緒になって、司法にはもはや期待できないなどと開き直って、今回の安全安心まちづくり条例に邁進する対応は常軌を逸しております。

 内閣総理大臣、法務大臣、公安調査庁長官にあてた意見書をよく吟味していただきたい。憲法の保障する基本的人権との関係で十分考慮された意見書であるとは思えないばかりでなく、実効性も疑わしいのであります。教団の早期解散を求めるということは、一度適用を断念した破防法を再度適用せよという要請にほかならず、そのためには、具体的な危機を指摘することなしに区民の不安と恐怖を言い立てても、それだけでは意味がないことは言うまでもありません。

 また、観察処分の期間延長要請も、昨年の東京地裁藤山裁判長の限定違憲論の判決によって― 限定違憲論というよりも限定合憲論ですな。限定合憲論の判決によって、やはり教団の具体的な危険を指摘する作業を欠いては皆さんの要求すらも成り立たないはずであります。よく考えれば、このような意見書は何の意味もなしません。むしろアリバイづくりの意見書というほかはないのであります。護憲感覚もなければ、実効も考慮していない。しかし、このような不誠実な対応をとればとるほど、信者の社会復帰策などは望むべくもありません。

 大事なことは、現実に存在するオウム信者を社会に復帰させるための具体的努力を地域からつくり上げていくべきでありますし、そのために、我々議員は努力すべきなのではないでしょうか。非理性的な感性だけにおもねって、むやみやたらに恐怖や不安をあおるのではなく、真の解決を目指すために奮闘しようではありませんか。オウム自体、我々の社会が生み出したものである以上、我々自身が解決しなければならない問題の一つなのであります。あなた方の子どもがいつオウムにとられるかわからないのであります。カルトにとられるかわからないのであります。カルトに行ってしまった人々を我々の社会に引き戻すために奮闘することこそ必要であります。その努力こそ、よりよい地域社会、市民社会をつくっていくことになるでありましょう。

 以上申し上げまして、意見書への反対討論といたします。


○新田勝己 議長 以上で木下泰之議員の意見は終わりました。

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