平成13年第4回定例会(自1128日 至126日)

世田谷区議会会議録

2001年12月6日「国旗掲揚」請願への反対討論(無党派市民 木下泰之)


○新田勝己 議長 次に、


△日程第十六を上程いたします。
   〔河上次長朗読〕
 日程第十六 請願の処理


○新田勝己 議長 本件に関する委員会の審査報告は、お手元に配付してあります。
 これより意見に入ります。
 なお、意見についての発言時間は、議事の都合により一人十分以内といたします。
 発言通告に基づき、順次発言を許します。
 五番木下泰之議員。
   〔五番木下泰之議員登壇〕


◆五番(木下泰之 議員) 議会運営委員会で日の丸掲揚の請願が採択され、本日、本会議に上程されたわけですが、一人会派無党派市民は反対の立場で討論を行います。

 私は、一九四五年の日本の敗戦で、明治以降からそれまでの日本人がよって立つべき原理原則が大きく変わったと考えております。明治維新がそうであったように、敗戦は一つの革命であったとも考えております。

 明治以降、日本は後進資本主義国として帝国主義列強の後を追いかけ、その列に参加し、世界の再分割と日本の権益を求めて朝鮮を併合し、中国や東南アジアに進出し、植民地支配を行おうとしてまいりました。西欧列強も帝国主義支配においてはその熾烈をきわめたことも確かでありますが、後進帝国主義国としての日本はファシズムと結びついて、朝鮮、中国、東南アジアに対して暴虐を尽くしたことも事実であります。七三一部隊や南京虐殺はその象徴ですが、海外侵略のみならず、自国民に対しても政治的自由を奪い、天皇と日の丸、君が代を押し立てて侵略戦争に動因したことも事実であります。その結果、敗戦となり、全世界の反ファシズム勢力から国の基本を変えることを求められ、それを受諾して平和憲法を受け入れ、みずから新しい体制に踏み出したことも事実なのであります。

 本来ならば、戦争責任をぬぐえない昭和天皇は退位して、平和の象徴としての新しい天皇にかわるべきであったし、日の丸や君が代は新しい国旗、国歌に変わるべきものでありました。また、大戦で戦死した国民に対しては、思想、宗教の枠を超えて、無宗教で慰霊すべき墓苑をいち早くつくるべきものでもありました。

 ところが、日本の敗戦は、日独伊三国同盟中、一番遅かったこともあり、米ソ対立の影響を直接こうむったために、アメリカの思惑のもとに清算すべき過去の遺物は清算されずに、あいまいなまま温存されるに至っております。その後の冷戦構造のもとで、日本の高度成長と発展はご承知のとおりなことでありますけれども、その冷戦も終わり、高度成長も終わった今こそ、あの一九四五年の敗戦の意味と、冷戦の中であいまいにしてきた事柄を整理していくべき時代が到来しているとの思いを新たにするわけであります。

 イラクやタリバンを我々は批判することは容易ではありますけれども、一九四五年以前の日本が一体どのような国であったかというと、そういったことを考えますと、簡単にイラクやタリバンを批判するだけでは足りないのであります。イラクやタリバンを批判するというのであれば、一九四五年を境に日本は過去との断絶をしたことを世界に示さなければならないのであります。そのことが不十分であるために、いつまでも過去の責任を過度に負わされている面もあります。国益に反することも多々あるわけでありますし、いまだにこれは続いております。

 そういった意味から、ドイツやイタリアがそうしてきたように、新しい国家にふさわしい国旗、国歌が必要であったわけでありますが、さっき申し上げたような事情で、この問題には対立を抱えたまま、現在まで実にあいまいなまま経緯してきたわけであります。

 ドイツやイタリアのことを申し上げましたが、私はローマを訪れたことがあります。街角にはファシズムと戦ったパルチザンの墓碑がたくさん埋め込まれております。そして、それに花を手向ける人たちがいまだにいるわけであります。当然イタリアやドイツなどでは、過去との断絶ははっきりしたものになりました。

 ところが、日本では、軍事ファシズムに対する抵抗運動もないということもあって、また冷戦の影響もあって、過去との断絶が不鮮明のまま、戦犯が一国の首相の座に着いたり、戦後処理をずっと今まで引きずってまいりました。靖国神社へのA級戦犯の合祀問題もその一端であります。冷戦後に冷静な判断をして過去の清算をする必要があります。根本的な国民的な議論が行われないまま、例えば日の丸、君が代については法制化をすることになり、戦前の象徴がそのまま、これを好ましくないと思っている人にまで、結局は強制することが実際に行われるようになってきたのであります。

 存在するものには皆歴史がある。その歴史的な意味を考えずに、やみくもにこれを押しつけるようなやり方は、マイナスこそ生むものであっても、プラスには決してなりません。今回の議場への日の丸掲揚は、そういった歴史性から嫌悪感を感じている者に対する暴力だと言わなければなりません。

 確かに、明治維新からしばらくの間は国民国家としての統合の象徴に日の丸はなったでありましょう。しかし、明治中期から一九四五年に至るまでは侵略の象徴になっていたのも事実なのであります。この旗のもとに出征を強要され、この旗のもとに踏みにじられた人々がどれだけいたことでしょう。そしてまた、いるのであります。

 私は、アジアの人々が、そして我々国民が日の丸の悪しき悪夢から開放されるまでは、この旗を使ってはならないというふうに考えております。別の旗に変えるべきなのであります。しかし、それは過去のことだというのであれば、日本がだれの目からもわかるような形で過去の侵略についての清算を行うことがぜひとも必要だというふうに思います。それを果たしたとき、どうか使わせてくれというのならまだしも、その責務も果たしていないのに、この旗を使うことは間違っているというふうに私は考えるのであります。

 議会の議場は、まさに違う考え方がぶつかり合い、そして論戦をする場であります。日の丸という歴史性を持ち、賛否両論のあるものを掲揚することは、これは無神経に過ぎると言わなければなりません。来年一月からは国会にも日の丸の掲揚がされるようでありますが、政府与党はそういったことを決めているようでありますが、こういった風潮は個々人の良心を踏みにじるばかりでなく、国益をも損なうものだということを申し上げておきたいと思います。

 以上述べてきた理由で、本会議場への日の丸掲揚に反対をするものであります。

 以上です。


○新田勝己 議長 以上で木下泰之議員の意見は終わりました。

    ────────────────────