2001年10月12日決算特別委員会質疑<文教委員会所管>


○小畑 委員長 引き続きまして、無党派市民、どうぞ。

◆木下 委員 きょうは、学力とか、物の見方とか考え方とか、思考力とか、そういったことについてちょっと議論をしてみたいと思っているんです。

 今回、私がずっとやってきた小田急線の事件で判決が出ました。そして、この中で違法だと出てきたわけですけれども、新聞に七割が完成しているという記事が出たんです。ところが、それをよくよく調べていくと、高架工事の高架橋のスラブが全体で二百五十八基つくらなければいけないそうで、そのうちの百八十四基ができているということにすぎないという事実がわかったわけです。ところが、それが、どの新聞も、論説委員も含めて七割完成というふうに書いているんです。新聞記者などはある意味で、ある種のエリートですし、それから、論説などを書く人はその中のエリート中のエリートなわけです。そういった方が情報についてきちっとした把握ができていない。ただ単に、高架工事が七割完成していますというふうに言ったときに、どういう観点で何がどのようにできたのか、事業と工事とはどう違うのか、そういったようなことについて全然認識がない。

 それからまた、下北沢の地域があかなければ、現在七百七十本あるやつが、梅ケ丘までできても八百本しかできない。そして、代々木上原まで全部通って初めて一千本以上になる、そういうこともちょっと事業の進展ぐあいとかを考慮して深く考えてみればわかることなのに、そういったことは全部捨象して、言われたとおりに、小田急の広報部や東京都が言ったのをそのままうのみにして言ってしまう。今、そういう事態になっているんです。

 そういったことで、ちょっと学力というものについて考えてみたいんですけれども、学力というのはどういうことだと思いますか。


◎若井田 教育指導課長 教育内容を指導する立場から、私の考える学力というものをお話しさせていただきたいと思います。

 学力といいますと、学ぶという字と力という字を書きますので、文字どおり言いますと学ぶことによって得た力。知識、思考力、技能という側面があると思います。もう一つの側面は、学ぶことのできる力、学び方を学ぶという言葉もございますが、学んでいくための調べ方、また集中力とかそういうものもあると思います。

 平成十年の教育課程審議会の答申では、学力につきまして、単なる知識の量としてとらえるのではなくて、みずから学び、みずから考える力などの生きる力を身につけているかどうかによってとらえるべきであると述べてございます。

 ただ、最近、学力低下の問題に絡みまして、学力の定義そのものにつきましてはさまざまな議論があるということは承知いたしております。私自身は、学ぶことによって得られる知識、技能、考察力、実践力、体力など、そして、それによって磨かれる自分自身の持っている知力というふうにとらえてございます。


 

◆木下 委員 学力を英語に訳すと何といいますか。

◎若井田 教育指導課長 申しわけございません。英語力がありません。(「畠山委員に聞けばわかる」と呼ぶ者あり)

◆木下 委員 畠山委員に聞けばすぐわかると思うんですけれども、学力を英語の辞書で引くと、多分ラーニングアビリティーだと思っているんですけれども、そうは出てこないんです。スカラーシップとしか出てこないんです。では、スカラーシップを日本語に訳すとどうなるかというと、学力にはならぬのです。これは博識とか学識というような意味になるのです。これは文化ギャップがあると思うんです。つまり、日本の場合はある種の儒教的な要素がずっとあって、訓詁学的な教育というのもあったし、学校で教えること自身が一つの学問であって、それを学ぶ力とかそういうようなことで表現するのが学力というふうに評価されているようなんです。

 先ほどもご説明がありましたように、IEAの国際到達度評価学会でのいろんな速報が出てくるわけですけれども、最近、日本の児童生徒の学力が低下しているということが指摘されています。特に、意識面で低下しているだろうという側面がよくあらわれてきているというふうに出ているのです。そういった中で、文部省の教育課程審議会は九八年答申で基礎基本の徹底を図る、そういうことで答申をしているんです。ところが、基礎基本の徹底を図るということで一括して基礎基本というふうに言われていますけれども、どうも日本の教育での学力の考え方というのは、公文式みたいな形で、要するに、あることを何回も何回もやっていくことによって覚えていくとか、そういうことが中心で、思考力とかの方に欠けているのではないかというふうに思うんです。
 ところで、最近デジタルとアナログという言葉で対比されていろんなことが語られることがあると思うんですけれども、デジタルとアナログについて最近の流れというのはどういうふうに考えていますか。


◎若井田 教育指導課長 社会の技術的にはデジタルとアナログというのが共存している状態であり、また、デジタルの方が進んでいる方向でいると思います。ただ、CDとLPを比べますと、LPはアナログなわけですが、アナログの方がさまざまな情報を含んでいて、豊かで温かみがあるというような意見もございます。

 委員のおっしゃるとおり、真の意味でメディアリテラシーや情報活用能力の習得ということ、それから基礎基本の習得ということが非常に重要であると考えております。先日、NHKの放送文化研究所の専門員が、テレビやパソコン、コミック雑誌などメディアへのすべての接触時間数が六時間を超える児童が出てきたというようなことを発言されておりました。一日六時間といたしますと一年間で二千百九十時間、小学校六年生が学校で学ぶ総授業時間数の二・二九倍でございます。情報を適切に活用する力、収集、判断、表現、処理、創造、発達する力ということが必要であろうかと思います。

◆木下 委員 時間が余りありませんので端的に申し上げますけれども、最近デジタル化していると言われているものが実はアナログの世界が広がっているということがあるんです。といいますのは、直感的な映像の世界がどんどん広がってきている。実は、グーテンベルグの活字の発明によって、人類はデジタル思考を手に入れたんです。それがどんどん発展してきたあげくの果てに、デジタル技術を使ってアナログを直接体験できるようになってきた。そのところに非常に問題があるわけで、そういった中で文字を使って思考するという方向がだんだん薄れてきているということだと思うんです。

 今、本当に危機にあるのは、物を覚えるということはできても、マル・ペケでは答えられても……。

○小畑 委員長 以上で無党派市民の質疑は終わりました。

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