遥かなり、水軍の城


 1999年4月、尾道市と今治市を結ぶ「しまなみ海道」が開通しました。これをいい機会として、1999年7月に水軍の城というものを見てみようと広島から今治まで瀬戸内の城巡りの旅をしました。

 まず水軍城巡りの前に広島県の三原城に行きました。ここは現在お城の真上を新幹線が通っているというかなり悲惨な状態で、本丸に行くにも駅の構内からしか入れません。左の画像で天守台の左にちょっと写っているのが新幹線の駅舎になります。右の画像は天守台内部です。ここは現在海とはつながっていませんが、当時は城に舟入が開かれ、満潮時には浮城のような状態にもなったようで、軍港としての性格も併せ持つような城でした。築城者は毛利元就の三男、小早川隆景です。

 



 翌日新尾道駅に集合し、いよいよ水軍城巡りの旅が始まりました。最初に目指したのは因島の水軍城でした(下の画像)。ここは村上水軍の資料館にもなっています。建物自体は安宅船の望楼を模した物のようです。

 

 

 この後大三島神社に向かい(下の画像)、ここでは宝物館で国宝級の甲冑、刀剣を数多く拝見できました。ほとんどが平安〜鎌倉のものばかりで、平清盛、源頼朝・義経、などが寄進したものです。もっと時代の下がったものは無いのかと訊ねたところ、「徳川家康のものとかありますが、そんなものはどこでも見られるのでうちでは展示していない。」というご回答でした。まぁ、たしかにラインナップが凄いですからね。しかしせっかくの逸物があるのですから、刀剣などはもっと照明などにも気を使って、さらにその素晴らしさを堪能できるような環境を作ってほしいものです。

 

 

 翌日、今度は漁船をチャーターして甘崎城に渡りました。左下の画像が甘崎城ですが、水軍の城の場合、遺構などは島内部を探すよりも周りの岩礁にポイントがあるようです。右下の画像のような、柱穴がいくつか発見されます。また、甘崎城では干潮時に島の周囲を囲むように石垣が認められるそうです。

 

 

   次に訪れたのが能島城です。ここに来て驚いたのが、凄まじいまでの潮の流れです。左下の画像を見てもらえば、それがほとんど川の流れと同じであることがお分かりいただけるかと思います。水軍の城というのは、潮が土塁や石垣の役割を果たしていることがよく分かります。したがって、島自体に特別な縄張りを施す必要は無いのかも知れません。また、ここでも岩礁地帯に左下の画像のように、甘崎城よりはずっと大きい柱穴を探すことができました。

 

  

 今回の旅の最終目的地が今治城でした。ここを訪れたのは2回目なのですが、もともと復興、模擬天守否定派だった私がある程度許容できるようになったのも、この城を見たのがきっかけでした。なかなかすっきりと美しく出来上がっていると思います。ここも当時は水城のようで、現在海とは直接つながっていないものの、堀には海水が引き込まれています。

 

 

 

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