魂を揺さぶり、不思議なエネルギーが涌いてくる作品です。


 「大覚寺の調べ」
■ 曲 目
 ・黎明 ・嵯峨絵巻「春」・大沢池「夏」・詠歌・大覚寺「冬」・般若
 ・慰霊 浄化・大日如来・大覚寺「秋」・悟り・秘鍵(大覚寺第1番和讃)
■ 発行元:嵯峨御所大覚寺
■ 1992年11月発売 
■ 金額 3,000円(税込)
     
     住所:京都市右京区嵯峨大沢町4
     真言宗大覚寺 ホームページ http://www.daikakuji.or.jp
[大沢池]












延暦13年(794)、桓武天皇は新都平安京に遷都しました。その20年後に即位した嵯峨天皇は、都より離れた葛野の地をこよなく愛され、皇后との新居として嵯峨院を建立されましたが、これが現在の大覚寺の前身・嵯峨離宮です。嵯峨の地名は、唐の文化に憧れていた天皇が、唐の都・長安北方の景勝地、嵯峨山になぞらえたものです。

 嵯峨天皇は中国の新しい文化を伝えた入唐求法の僧侶のうち、ことに弘法大師空海と親交を深められ、高野山開創の勅許、東寺の下賜と恩寵を賜りました。
 当時起こったという飢饉に際して、天皇は般若心経を写経、皇后は薬師三尊像を浄写、弘法大師は嵯峨院持仏堂の五覚院で五大明王に祈願しました。このとき天皇がお書きになられた般若心経は、現在も大覚寺心経殿に伝えられています。

貞観18年(876)、嵯峨天皇の長女・正子内親王が嵯峨院を大覚寺として開き、開山(初代住職)に淳和天皇皇子の恒寂入道親王を迎えられました。親王は嵯峨天皇の孫であり、また弘法大師の法灯を継がれた方で、嵯峨天皇と弘法大師の親交と理想を受け継いで、新たに大覚寺を出発させたのです。

その後、後嵯峨上皇、後宇多法皇が続いて大覚寺門跡となられ、当時、皇位が2分され南北朝と呼ばれた時代に、後宇多法皇の皇統は上皇が大覚寺にお住まいになられたことから大覚寺統(南朝)と呼ばれました。法皇は大覚寺の興隆に尽力され、広大な伽藍を造営されましたが、その後、しばらくして火災により焼失してしまいました。
 元中9年(明徳3年・1392)には、南北朝の媾和が大覚寺で行われ、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を譲って大覚寺に入りましたが、そののち後亀山天皇は吉野へ移り、南朝の再興運動が起こりました。大覚寺もこれに深く関わっています。戦国時代、応仁の乱によりほとんどの堂を焼失、衰退しましたが、江戸時代初期にはほぼ寺観が整いました。大正年間には心経殿が再建、心経前殿も造られました。また、大正11年(1922)には、大沢池附名古曽滝跡が国指定名勝として、昭和13年(1938)には、大覚寺境内全域が大覚寺御所跡として国指定史跡に指定されています。
 大覚寺は、嵯峨天皇と弘法大師が、ともに国家の安泰と国民の幸福を祈願されたお心を受け継ぎ、特にその祈願のために、嵯峨天皇みずから般若心経の写経をなさったことから、現在も般若心経の根本道場として多くの人々に親しまれています。また、嵯峨天皇が嵯峨離宮庭内で手折られた菊を瓶に生けられたことに始まる「いけばな嵯峨御流」は、伝統ある歴史と格式を持ちながら、現代感覚に即した発展を遂げ、年々隆盛の一途をたどっています。

大沢池

重要文化財 江戸時代  木造入母屋造桧皮造
    宸  殿
■ 「高野のいのり」
■ 曲 目
 ・霊峰 ・萌芽 めばえ ・遍照 ・めぐみ ・深山 みやま 
 ・おとずれ ・祈り ・詩 うた ・生かせいのち
■ 発行元:高野山真言宗教学部
■ 1993年5月発売
■ 金額 3,000円(税込)

奥の院は、一の橋から弘法大師の御廟までの約2キロの浄域で、僧侶は必ずここで身心をととのえ礼拝します。この一の橋から奥の院までの参道の両側には何百年も経た老杉がそびえ、森厳さをたたえています。その老杉のもとには、20万基を越えるあらゆる時代の墓碑が静かにねむっています。
御廟の橋を渡ると、正面に灯籠堂が見え、その奥に大師の御廟があります。

 高野山は弘法大師 空海が、弘仁7年(西暦816年)に嵯峨天皇より高野山開創の勅許を得、真言密教の根本道場としてお開きになられました。開創より1200年を迎える弘法大師様の御教えが連綿と続く歴史あるお山です。

標高1000メートル前後の山々に囲まれた平坦地に諸堂が立ち並ぶ姿は、『蓮』の花が開いた様であり、『八葉の峰』とも呼ばれ、内に八葉(峰)外に八葉の山々に囲まれています。内の八葉は、根本大塔をめぐる八峰で『伝法院山、持明院山、中門前山、薬師院山、御社山、神応丘、獅子丘、勝蓮華院山』と呼ばれ、山上の周辺にそびえる外の八峰は『今来峰、宝珠峰、鉢伏山、弁天岳、姑射山、転軸山、楊柳山、摩尼山』とよばれています。その地形からしても、まさしく聖地としてふさわしい山上の宗教都市です。

高野山の総本山は金剛峯寺(こんごうぶじ)です。現在は、豊臣秀吉公とゆかりのある建物を金剛峯寺と呼んでおりますが、元来一山の総称であり、諸堂や大門、奥の院など高野山全体が金剛峯寺の境内ということになります。

この金剛峯寺の名前の由来ですが、弘法大師様が、「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」という経典から「この山は永遠に守り続けなければならない最上最尊の峯」という意味をこめて金剛峯という名前をお付けになられたとされています。

弘法大師空海が御入定された聖地『高野山』は、宗派を問わず日本国内だけでなく世界の多くの方々が、心の安らぎを求め参拝、観光されています。真言宗は、弘法大師 空海(以下 お大師さま)の立教開宗による、仏教の心髄の教えを説く密教の宗派です。
 
お大師さまが中国へ渡り、時の都長安(現在の西安市)で、密教の伝承の第7番目の祖、青龍寺 恵果和尚より授かった密教を広く日本へ伝える為に開かれました。密教の根本の仏様は、宇宙の本体であり絶対の真理である大日如来を本尊とし、真言は「オンアビラウンケンバザラダトバン」です。お大師さまは、一切の衆生を救う為にこの真言宗を開創され、人々に密教の教えを広く流布されたのです。
 
大日如来の智恵に目覚めるために、次のことを求めます。
菩提(ぼだい)の心を発し、仏の誓願を堅く信じ、すべてのものの本性(ほんしょう)が清浄(しょうじょう)な心であることを、あり  のままに知ること。
この世のすべてのものを愛する心と、真実を求める心を堅く持って、行いと言葉と心のすべての働きを通じて、真理を悟り、実   践する仏の智恵に気づくこと。

生かせいのち
宇宙のすべてのものが、大日如来の「いのち」の顕れとして平等であり、相互に助け合うことによって、その「いのち」を生かし、個々に与えられたすばらしい個性を充分に発揮することができます。
すべての人々が、菩提の心を因として、慈悲の心を根本として、平和社会の建設を目指すこと・・・・・生かせ いのち」を基調テーマに、弘法大師の「共利群生」(きょうりぐんじょう)という共存共生の精神に立って、すべての「いのち」の世界を生かす福祉社会を目指しています。
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山605
高野山真言宗総本山金剛峯寺:http://www.koyasan.or.jp
     一の橋
平成16年7月7日に高野山は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。
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