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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

振り向けば、そこは琴平の里、讃岐の国:久木田憲司

2014年11月14日投稿



大門前では、振り返ると琴平の里が一望できます。

                          

今年の3月にあった濟々黌・東京48会に私が参加する気持ちになった大学時代の友人の一周忌・法要で、9月の3連休に香川県・琴平町まで車で行ってきました。ナビでは走行時間・8時間と出ましたので、休憩を入れて10時間の旅と思い、一人旅でしたので、急遽前々日の夕方から4時間走って車中泊し、前日に6時間走って昼過ぎには宿に着きました。夕食までは時間があるので、彼の結婚式の時初めて参詣した「こんぴらさん」に34年ぶりに参詣しました。

新婦とも学生時代から交流があった私達夫婦は、披露宴に二人揃って招待されましたが、「髪結いの亭主」状態だった私のことを考えて、彼は本家である広い実家に私達二人を泊めてくれました。
学生結婚だった私達夫婦にとってはそれがささやかな新婚旅行のようなものでした。それで、結婚式前日の遽しい時間の合間を縫って「こんぴらさん」に二夫婦で参詣しました。

今では参道沿いの店には、空き店舗も見られ34年前の賑わいは感じられませんでしたが、大門に近づくと人通りも増えだしそこで振り返ると琴平の里が一望できました。石段を785段上って本宮に着き参詣を済ませたあと、34年前には行かなかった奥社までさらに石段を583段上って進みました。30分ほどかけて息を切らせてたどり着いた奥社では、振り向くと讃岐の国が一望できました。

 私が留年して彼と同級生となったので、彼とは2年間だけの付き合いでしたが、濃い2年間でした。鳥取大・獣医学科は1学年35人でしたので、私が後輩から伝え聞く彼のことは協調性のない奴だという事でしたが、同級生となって付き合ってみると惰性で群れないだけで、不器用だけど気の良い・いい奴でした。
彼が就職で北海道に旅立つ時も、後に彼の妻となった女性と2人で鳥取空港で見送ったのが昨日の事のようでした。

 年老いたお袋さんとも34年ぶりの再会でしたが、大変お元気で安心しました。しかし、帰る前に行きつけのうどん屋でご馳走になりましたが、急に気分がすぐれないということでしたので、お暇語いもそこそこにたくさんのお土産をいただき実家を後にしました。

 彼は日本の酪農を守るんだと香川県庁採用を断って骨をうずめる覚悟で北の大地に赴き、そこに居も構えその地で亡くなりました。遺骨も北海道と琴平に分骨されて葬られていますが、彼にとってふる里はやはり讃岐の国だったのでしょうかね?
それとも、6組・加賀山君ではないけど、「思えば遠くへ・・・」だったのでしょうかね?

 熊本へ向かう帰りの車の中では、エレファントカシマシの「俺たちの明日」の歌が流れていました。 合掌。
 
奥社前では、振り向くと讃岐富士と讃岐の国が一望できました。



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