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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

熟年男の一人旅 No6:久木田憲司

3月5日更新

 


【海ほたる】


浦安市で動物病院をしている親友とは、市内の飲み屋をはしご酒してまわり午前様となってしまった。それで、チェックアウトを延長してホテルを出発し、車の少ない房総半島にまわり東京湾アクアライン(東京湾横断道路)を通ることにした。 東京湾アクアライン唯一のPAである海ほたるPAでは開設20周年の幟があちこちに立っていたが、展望デッキで散策していると、ベンチで 普通の 身なりの20歳代の男性二人が抱擁しキスをしていた。私はすぐにその場を立ち去ったが、都会においてはLGBT( レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)はすぐ隣に存在するのだなと思った。レストランで食事をとり休憩しながら、これからの行き先を考えた。6日後には京都に住む次女夫婦の所に泊まることにしているが、それまでは当てもないので、地図を広げながらさしより訪れたことがない諏訪大社を目指すことにした。
海ほたるPA から対岸の川崎市までは長い海底トンネルだったが、熊本地震並みの地震が今起きたら必ず死ぬなと思うとアクセルを踏み込む足に力が入った。長い長いトンネルだった。?
 
海ほたるから房総半島を望む 海ほたるから横浜方面を望む


【諏訪大社】


諏訪大社を選んだ理由は三つあります。
一つ目は滅びの武将・武田勝頼の出身母体でもある諏訪氏について知りたいことがあったから。
二つ目は7年に一度執り行われる諏訪大社の御柱祭に興味があったから。
三つ目は水戸天狗党と諏訪氏がなぜ戦ったのかを知りたかったから。
そのために、諏訪湖周辺には2日間滞在しました。
一つ目については、諏訪大社の四つの宮を巡れば理解できます。その中では私が一番気に入ったのは有名な上社本宮よりも下社春宮です。最初に訪れた下社秋宮には観光バスが来たので、そこから移動して 下社春宮 を訪れたのですが、私が滞在した1時間の間に訪れた人は2人だけでした。静かで趣のある所でした。
二つ目は最近オープンした「おんばしら館・よいさ」を訪れれば、木落しの雰囲気を体験できるコーナーもあり、「よいさ・よいさ」の囃しのもと楽しんでしまいました。
三つ目は歴史資料館と和田峠を訪れれば理解できます。
二泊とも車中泊でしたが諏訪湖SAにも温泉がありますし、街中にもいたるところに温泉がありました。それで、私は幕末に朝廷から将軍に嫁いだ和宮さんが入った温泉にも入りました。
一番安い温泉は露天ぶろ付きで230円でした。宿泊代を抑えたので名物の美味しいものをいろいろ食しましたが、諏訪湖天然ウナギよりも、かつて食した浜名湖のウナギのほうがおいしかったですよ。


御柱の木落し体験の始まり、始まり。 木落し開始
落ち始めます 掛け声とともに両手で囃します
諏訪湖越しに肉眼では霞んだ遠くに富士山が見えました 諏訪湖SA から諏訪湖越しに下諏訪方を望む
諏訪大社下社春宮

 
【伊勢神宮】


諏訪で楽しんだ後、京都に住む次女夫婦と会うまでまだ4日あるので、名古屋に立ち寄りジェットエンジン製作の仕事をしている甥の新築の家を見た後、高野山を目指しました。しかし、まだ日数に余裕があるので、伊勢神宮に寄り道しました。伊勢神宮では外宮から内宮へとをすべて回ったので朝から夕方までまる一日かかりました。また、平日であるにもかかわらずどちらも参詣客でにぎわっていました。両方とも参宮案内所には衛士がおられ、宮内にも見張り所があり40歳代の衛士が 一人 おられました。制服が国会衛視に似ていたので、参詣者が途絶えた時に尋ねてみると、戦前は国会衛視のように国家公務員(宮内庁所属)であったが、戦後にGHQの指示でそれを離れて伊勢神宮職員で警備専任の職員(衛士)であるとのことでした。私の感想では、内宮よりも外宮の方がまだいいかなと思い、また、伊勢神宮そのものが仰々しい空間を作っているように感じました。ただ、伊勢神宮よりも神を肌に感じたのは諏訪大社の方でした。?
伊勢神宮 伊勢神宮参道の赤福本店

 
【高野山では】


伊勢神宮を参詣した翌日は高野山に入りました。
壇上伽藍(聖地の一つ)ではお参りするところはすべて回りました。真言宗総本山金剛峯寺では、抹茶をいただき、本堂で行われていた僧侶の説法を聞き、ばん龍庭を独り静かに眺めました。そして、平日でしたので飛び込みで宿坊に泊まろうとしましたが、外国人の観光客で満席ということでしたので、一度山を下りてふもとの温泉宿に泊まり翌日また高野山に入って奥の院(もう一つの聖地)などを回りました。
奥の院参道は厳粛な雰囲気に包まれていて、その両脇には皇族、貴族、戦国武将、江戸時代の大名家、企業、文人及び庶民まであらゆる階層の墓石群、祈念碑、慰霊碑及び供養塔が約20万建ち並んでいました。権力及び経済的に成功したものは、最後は仏・弘法大師に頼るのかと思いました。
昼食に郷土料理の柿の葉すしを食してから京都を目指して出発しました。
入口の大門 手前の金堂越しに見る根本大塔
金剛峯寺 奥の院弘法大師御廟,橋より先は撮影禁止

 
【京都では】


次女が大学進学後15年間住み続けていて京都には年に数回訪れているため、主だった寺社仏閣及び観光地は全て巡っている。それで、市内観光する気分は無いが、次女夫婦との待ち合わせ時間があったので、義父も含めてかみさんの鳥取の実家の先祖が分骨されている知恩院を拝みに行った。その夜は、次女夫婦と京料理を食したが、翌日の夜は大学時代の友人と京都駅周辺で 久しぶりに 懇談した。彼も獣医師であるが役所を定年退職後、京都市内の関連団体で働いているとのことであった。隣の県から通勤しているので2軒だけのはしご酒であったが、楽しい一夜であった。その会話の中で出た、毎年年賀状のやり取りはしているが、大学卒業以来会っていないクラスメートに会うために、彼が犬猫病院をしている丹波篠山を目指して翌日次女の住むマンションを出発した。?
 
丹波盆地に沈む夕日




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