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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

熟年男の一人旅 No5 :久木田憲司

2月3日更新

 


【津波の到達地点があちこちに?】


宮古市の中心部は、5年前とあまり変わってないような印象でしたが、津波の到達地点があちこちに表示されていましたし、港では防潮堤の扉を閉鎖して、外側に新たな防潮堤を作っていました。宮古市から釜石市に向かう国道沿いには、万里の長城のようにそそりたつ防潮堤とその工事が続いていました。
釜石市でも陸前高田市でも遺構以外の廃墟は全て撤去されていましたが、陸前高田市は市全体のかさ上げがまだ続いていました。一部はショッピングセンターになっていましたが、全国チェーンの店が多く入店していました。海岸近くまでの広範囲でかさ上げ工事が続いていましたが、こんなにかさ上げしても、町民は帰ってくるのかなと心配してしまいました。
一枚目の写真は、かさ上げが続く陸前高田市
二枚目の写真は、前の防潮堤の海側により高い防潮堤が造られていっている。
三枚目の写真は、陸前高田市の海沿いの道の駅の遺構には、多くの見学者が訪れていました。隣のガソリンスタンドの看板の上端には津波の到達地点が表示されていました。
 
かさ上げが続く陸前高田市 看板上端が津波の到達地点
手前防潮堤より高い工事中の防潮堤


【気仙沼では】


気仙沼では、5年前は港近くに仮設飲食店街があり店をはしごして散財しましたが、そこがなくなっていてかさ上げ工事中でした。そこで、5年前と同じホテルに泊まったのですが、そこからタクシーで市中心部の飲食店街に行きました。行き帰りを同じタクシーを使って、運転手と色々と話しました。その運転手の話では、港周辺はすっかり変わってしまい、前に何が有ったのかを忘れるくらいだとのことでした。
一枚目の写真は、ホテルの玄関から望む気仙沼港周辺。
二枚目の写真は、気仙沼港周辺で防潮堤も一部造られています。丘の上に宿泊したホテルが見えます。

 
【南三陸町も大川小学校跡も】


南三陸町では、かさ上げが完了しているところには簡易な地元商店街が出来ていました。そこからは遺構公園整備中で立ち入り禁止の防災センター跡を望むことができました。合掌。そこで偶然会った公園整備の技術者の話では、あと2年はかかるとのことでした。商店街で食事を済ませて、離れた場所にある74人の児童と10人の教職員が亡くなられた大川小学校跡に行きました。そこには5年前にはなかった慰霊碑が整備されて、多くの見学者が訪れていました。しかし、その周囲は荒れ地のままで、かさ上げも家の再建もされていませんでした。見棄てられた地区となったのかと思いました。それに比べると、女川町の中心部は大規模なかさ上げはせずに整備されて、観光客で賑わっていました。
一枚目の写真は、周囲が工事中で立ち入り禁止の防災センター跡です。
二枚目の写真は、右奥に慰霊碑が整備された
大川小学校跡。慰霊碑前は写真撮影禁止です。

 
【帰還困難区域は】


5年前に東日本震災被災地を視察する時の出発地点とした仙台空港周辺は、被災して全壊.半壊していた建物は今回全て撤去されていて、広大な駐車場となっていました。その中で建物は残っていた二軒の飲食店も廃業していました。
私はそれから5年前は近づくことが出来なかった福島の原子力発電所跡を目指しました。
帰還困難区域の手前にある道の駅の案内所で尋ねると、用もなく車外に出ないこととゲートのない脇道でも入らないとの注意を受けて走り出しました。区域境にはパトカーがいましたし、途中では巡回しているパトカーともすれ違いました。区域内では民家の入り口にも統一された進入禁止のゲートがそれぞれ設置されていて、異様な光景が国道沿いに永遠と続きました。
一枚目の写真は、建物はあるが廃業している飲食店。
二枚目の写真は、帰還困難区域の注意標識。道の先から帰還困難区域となります。
 

【水戸天狗党の悲劇は】

結局福島原子力発電所に近づくことはできなったのでそれを諦めて、行ったことのない水戸市に行きました。そのわけは、幕末において尊皇攘夷思想の中心であり、桜田門外の変等のクーデターを繰り返した水戸藩が、なぜ人材を新政府に送り出せなかったかを知りたかったからです。
弘道館や資料館でわかったのは、藩内の対立が壮絶を極めたことと、天狗党に対する将軍になる前の一橋慶喜の行動でした。水戸天狗党の悲劇をやっと理解することが出来ました。水戸城周辺は現在整備中で、道は大手門復元工事のため通行禁止ということで、弘道館へは遠回りして行きました。
一枚目の写真は、偕楽園内の好文亭。
二枚目の写真は、水戸城跡の大手門跡前。


 
【もういいな】


朝に茨木で動物病院をしている大学の同級生に会った後、夕方に浦安で動物病院をしている友人と会うまでの間、雨も降ってきたので時間潰しとプラグインハイブリッドカーの状況を知るために、初めて東京モーターショーを見に行った。費用対満足度から言うともう来なくていいところだなと思った。10時過ぎに会場駐車場の車列に並んだが、遠い駐車場に案内され入場したのは12時前だった。週末だったからか、なんさま人が多くてコンビニも入店制限をしていた。また、入場料、駐車場料及び駐車場からの電車代で3800円かかった。
最初に見るのはプラグインハイブリッドカーのアウトランダーと決めていたので、三菱自動車の展示エリアに行った。それは床下に巨大なリチウムイオン電池を搭載しているので、普通のアウトランダーよりも約300s思い車重になる。熊本で試乗してカタログでは知っていたが、床下の電池が展示されたのを見てその巨大さを確認できた。しかし、発売されてから5年経つが電池の軽量化は図られていなかった。次にトヨタのエリアに行きプラグインハイブリッドカーを探したが見つからないので、トヨタの社員に尋ねると、展示は電気自動車のみとのこと。それで、幹部社員を見つけて、熊本市から来たことを伝え、災害時におけるプラグインハイブリッドカーの給電能力と、増幅器を搭載してリチウムイオン電池の軽量化に取り組んでいるトヨタのシステムを称えました。社内でもプラグインハイブリッドカーの開発については議論されているとのことだったので、ガラケイのようになることを恐れずに、プリウスだけではなくSUV や車中泊に適するワンボックスカーにもシステム搭載を拡大して欲しいことを伝えて会場をあとにした。中国市場やEU 市場対策はあるとしても、電気自動車にイッキに飛ぶのではなく、トヨタが秀でているシステムを大切にして欲しいと思ったからです。だって、電気自動車は電気がないと走らないけど、プラグインハイブリッドカーは電気は走って作るし、電気が無くなればガソリンで走ります。また、停電時にはガソリン満タンなら車から一週間家の冷蔵庫へ給電できますよ。長距離運転できるのもあと7年余りと思えば、早く販売して欲しいと思うところです。
一枚目の写真は東京モーターショー入口周辺。
二枚目の写真は二店舗とも入場制限されている会場内のコンビニです。
 




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