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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

熟年男の一人旅 No4:久木田憲司

2月2日更新

 


【浜中町では】


40年前には、晴天だったので霧多布岬のキャンプ場にテントを張りました。岬は高台にあり、その麓が浜中町の中心部でした。町役場のそばに銭湯が有ったので、一風呂浴びて出てきたら、町営文化会館前に長蛇の列が出来ていました。何かと尋ねたら、水前寺清子の歌謡ショウがあるとのことでした。また、中心の交差点に信号機があって町内で唯一の信号機で、町内の子どもが信号機のシステムを学習するために設置しているとのことでした。中心部を探索した後に岬を目指して走り始めると、キャンプ場周辺は急に霧に覆われていました。
今回、岬のキャンプ場は新しいものになっていましたし、銭湯も文化会館も見つからなかったので、新しい文化センターを尋ねて窓口の40歳代の女性に事情を話したら、微笑んで本人も本州から移り住んだ者で昔のことは分からないけど、文化会館は文化センターに代わり、銭湯が有った辺りを教えくれました。
一期一会ですが彼女にも北海道に移り住む色んな事情が有ったのでしょうかね。
写真は昔の面影がないキャンプ場で、先週末で閉鎖となっていました。
 


【釧路湿原は】


今は運航されていませんが、当時は釧路発東京行きのフェリーがありました。一浪の頃からレコードを聞いていた斉藤哲夫に会うために、それに乗り東京に向かうことも当時の旅の目的でした。CBS ソニーミュージックが優良シンガーソングライターとして、吉田拓郎とともに彼を売り出しましたが、LPを三枚出した後、当時彼は実家の大衆食堂を手伝ってしまいました。彼に会い彼の家に泊まり、秋には鳥取大学の文化祭でコンサートをしてもらいました。当時釧路では待ち時間が有ったので、釧路湿原で時間を潰しました。今回、その場所を探しました。しかし、一日がかりで探しましたが、湿原が整備されていて分かりませんでした。釧路港では、当時のフェリーふ頭を探しましたが分からないので、飛び込みで尋ねた海運会社の受付の女性が丁寧に教えくれました。今は平日なのに多くの釣り人で賑わっていました。
一枚目の写真は、昔のフェリーふ頭。
二枚目の写真は、釧路市が整備した展望台。
三枚目の写真は、湿原のあちこちにある展望台の1つ。

 
【仙台行きフェリーには】


釧路湿原探索で時間を使った私は、来週の月曜日には平地でも雪が降るとの天気予報ですので、夏用タイヤの私は本州に渡るために苫小牧西港を目指しました。途中、襟裳岬で休憩しました。岬にある風の館に入りましたが、岬の風の強さを体験するドームがありましたけど、台風の影響なのか外でもそれと代わらないくらいの強い風が吹いていましたよ。吉田拓郎の歌.落陽にある苫小牧発仙台行きフェリーに乗船するためにフェリーターミナルビルに着くと、長距離フェリーは土日月の三日間は台風のため運休で、その影響もあり近距離、中距離フェリーの車の乗船は満席でキャンセル待ちとのこと。土曜日なのでホテルも満杯でした。それで、遠いですが宮島沼まで高速道路を使って車を走らせ、三女の夫が話していたマガンの群舞を見ることにしました。宮島沼の野鳥観察センターの女性職員の話では、七万羽のマガンの早朝群舞は10日前に終わり、今は七千羽しかいないとのこと。近くのコンビニの駐車場で車中泊の準備をしていると、明朝のフェリーにキャンセルが出たとの連絡が入ったので、夕方の群舞は見たことで朝の群舞を見ることは諦めて、高速道路で苫小牧西港に向かいました。
一枚目の写真は、襟裳岬の風の館前です。
二枚目の写真は、夕方の宮島沼でマガンを観察する人々。
三枚目の写真は、宮島沼に帰ってくるマガンです。

 
【揺れるわ揺れる?】


キャンセル待ちで乗船できるのは八戸行きフェリーで、その航路も午後からの運航は分からないということでしたので乗船しました。距離は新潟発小樽行きより短いですが、料金はそれより高くて雑魚寝部屋でした。浴場も狭くて露天風呂もサウナもありませんでした。40年前も日本海航路よりも太平洋航路の方が料金が高かったのですが、今も変わらないのだなと思いました。トラックドライバーで混雑すると思いましたが、乗船すると直ぐに入浴しました。すると出港後まもなく浴場は閉鎖されました。理由は揺れでした。立ってられないほどの揺れでした。雑魚寝部屋の客は少なく、50歳代の大手住宅会社の管理職の技術者から色んな裏話を聞いて、八時間の船旅でしたが退屈しのぎになりました。それで、写真を撮る余裕はありませんでした。
 

 
【逃げろ十和田湖へ!!】


東日本震災の被災状況を見るために、5年前は仙台空港から宮古市まで1週間かけて海沿いの道を北上しましたが、今回あてもなく八戸に着いた私は、復興状況を見るために海沿いの道を南下しようと思いました。しかし、海岸地域は台風の雨風が強いとの予報でしたので、ひとまず山の方へ避難しようと判断しました。では、どこにしようかなと地図を眺めると、熊本を発つ前にNHK のぶらタモリでやっていた私は行ったことがない十和田湖があるではないですか。高速道路にのり峠を越えると十和田湖に着きました。飛び込みで湖畔のホテルを尋ねると、台風でキャンセルがあり部屋はあるとのこと。料金は高かったですが、清水寺の舞台から飛び降りた気持ちで、大枚二枚を払い宿泊することにしました。
一枚目の写真は、発荷峠から望む十和田湖。
二枚目の写真は、湖畔のホテルの部屋から眺める十和田湖。

 
【十和田湖では】


十和田湖は静かで景色も良かったのですが、朝から三沢基地のジェット戦闘機の爆音が響き渡ったのには驚きました。午前中に湖の周囲を一周回ろうと思いましたが、道路の凍結で北側が通行止めになっているとホテルのフロントで教えてくれましたので、諦めて奥入瀬渓谷に向かうことにしました。そこは観光地としては有名らしく、海外からの旅行者も多く訪れていました。ただ、自転車をレンタルする場合は、電動自転車がお勧めの道でしたよ。
一枚目の写真は、十和田湖で桟橋からヒメマス釣りをする人。
二枚目の写真は、奥入瀬。道の脇を川が流れていました。(後日掲載)


 
【宮古市から】


奥入瀬から海岸沿いに出ると国道を南下しましま。復興自動車道とともに新しい道路がいたるところに出来ていました。また、閉鎖された仮設住宅地もありましたし、まだ被災者が残っておられる仮設住宅地もありました。万里の長城のような防潮堤が有名だった田老では、その防潮堤の海側にもっと高い防潮堤が建設中でした。また、震災遺構となった田老の観光ホテルは駐車場、トイレが整備されていましたが、5年前のように自由に見学することはできなくなっていました。
田老では高い防潮堤工事が続き、また観光協会の有料ガイドが実施されていましたよ。

写真は、早朝に到着しましたので、誰も居ない岬の展望所と岬の灯台です。 




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