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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

光秀の亀山(亀岡)とぐるっと琵琶湖:久木田憲司

2015年12月12日投稿 

大津港のゲートです。 沖島には平屋ではありませんが映画「二十四の瞳」のような木造校舎の小学校があり、現在10人の児童が学んでいます。

 

 
 先月の3連休を利用して京都に行ってきました。黌校時代に東京の大学を目指した48会員は多く居ましたが、京都の大学に進学したのはわずかなもので同窓会に顔を出す者では、3組・真木君と11組・後藤君くらいしか私は知りません。

 私も少数派で鳥取大学に進学し、京都の流れを汲む鳥取の文化や食事に触れました。しかし、学生時代には大阪には何度も行きましたが、京都には一度しか行った事がなく私にとっては縁遠い所でした。

 それが、京都の大学に次女が進学して今もそのまま京都で暮らしていますので、ここ13年間は毎年京都に行っていますし、平成24年・夏と平成25年・春の濟々黌野球部の応援には娘夫婦の家から甲子園まで通いました。

 京都に行き始めた頃は市内観光に専念していましたが、観光客の多さに不便を感じ、また行き尽くした感もありましてここ数年は京都周辺で楽しんでいます。

 それで、今年はのんびり過ごそうということで一日は亀岡で、もう一日は琵琶湖でクルージングを楽しんできました。

亀岡では温泉宿で松茸料理に舌鼓を打ち、61歳にして初めて大きな焼き松茸を食べました。そして、市内を観光して明智光秀が本拠の坂本城よりも亀山城に力を入れていたことを初めて知りました。

亀岡でゆったり過ごした後、京都までのトロッコ列車に乗りましたが、家のかみさん曰く予約を取るのが大変だったとかで、これは超満員で車内では色んな言語が飛び交っていました。平成元年に電化複線化された山陰本線で廃線となった区間の路線を嵯峨野観光鉄道として運行しているトロッコ列車でしたが、今年の夏に黒部峡谷のトロッコ列車を体験した私には物足りないものがありました。

この旅は次女も付き合ってくれましたが、翌日の琵琶湖クルージングには次女夫婦は二人とも仕事があり、私達二人だけでの熟年旅行となりました。

大津港を午前9時過ぎに出港し、いくつかの島に立ち寄って、豊臣秀吉が初めて城主となった長浜にも寄港して、日が暮れた頃に大津に帰港するクルージングでした。

途中の沖島には映画「二十四の瞳」のような小学校があり、10人の児童に7人の教師が在籍しているそうで、5人の児童と校長以外の教師は船で通ってくるそうです。琵琶湖の鮒鮨は独特の匂いが強いのですが、この島の鮒鮨は匂いもきつくなくリーズナブルな価格でした。ただ、ブッラクバスのコロッケは珍味でしたが、もう一度食べたいと思う物ではありませんでした。

また、途中立ち寄った多景島ではメイン桟橋から離島する船に向かって寺の住職夫妻が岩場の本堂から手を振ってくれましたが、島裏の小さい桟橋にはその夫妻が毎日沿岸からの通いに使うプレジャーボートが係留されていました。この島と竹生島はどちらかというと観光の島でした。

乗船客は日本人だけで、熟年夫婦や熟年のグループが多く7割ぐらいの乗船率でのんびりと過ごせる旅でした。

そして、駅に迎えに来た娘夫婦と一緒に京野菜を使った料理屋で夕食を取りゆったりとした一日を過ごす事ができました。

情報提供:
 娘が大学に入学した十数年前の京都の観光シーズンには欧米からの観光の方を多く見かけましたが、近年はそれに加えてアジアからの観光客も多くなり京都駅周辺ではコインロッカーも地下の荷物一寺預かり所も全て満杯でトランクを預ける所がありません。

 泊まる宿にチェックインする前の行動計画にはご注意なさったほうが賢明ですよ。
 




比叡山に沈む夕陽を望みながら船は帰路を急ぐ




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