ホーム 事務局紹介 最近の話題 PRとリンク memory コラム 掲示板 過去ログ

気ままに来らむ 『時空をこえて』!

坂東武者となりいざ鎌倉へ(スニーカーは悲鳴をあげていたのだ)

久木田憲司 2015年6月24日投稿


天園峠の茶屋への路:手前から5組・松落君、5組・西島君 天園峠の茶屋からの路で:前から私、松落君、その後ろはよその人が二人。
              


濟々黌48会・サッカー部・年例会の翌日は日曜日でしたので、横浜市在住の5組・西島君企画の鎌倉ツアーには5組・松落君と3組・私が参加しました。

3人は横浜で落ち合い港を散策したあと鎌倉に向かいました。普通の鎌倉市内観光を想像していたのですが、マラソンが趣味である彼の企画は朝比奈切通しを抜け、街道をそれて山道を登り天園峠の茶屋を通る峠越えのルートで、鎌倉時代に坂東武者の御家人が幕府や鶴岡八幡宮詣に通った山道で、峠を越えると「いざ鎌倉へ」の路になりました。急な坂の途中には、鎌倉に攻め入った新田義貞を迎え撃って自刃した鎌倉幕府最後の執権・北条守時の碑もありました。

おしゃべりな私が登りの途中から寡黙になったので、二人はキツイのかと心配してくれましたが、そうではなくて実は牛本革製で20年ほど愛用しているお気に入りの街歩き用のスニーカーが岩路に悲鳴をあげていたのでした。

その靴の右側は5年ほど前、熊本の里山道を歩いてる途中にゴム製の靴底が踵の一部を残してパカットはずれたものを、瞬間接着剤でくっつけて街歩き用として使っていたものでした。今回は両側の靴底に違和感を覚え、これ以上局所的に強い力を加えると木っ端微塵に靴底がはじけ飛ぶと思い、凍結した道路を歩く時のように足の裏全体に体重がかかるように歩いたのでした。

坂を下りて出た鎌倉街中は観光客が多く歩きにくかったのですが、極力足裏全体で歩き、観光はほどほどにして、鶴岡八幡宮も坂東武者として遠く参道から拝み、コンビニ(通常:瞬間接着剤が置いてある)を見つけ出したところで私は安堵しておしゃべりをし始めました。

午後3時近くの遅い昼食となりましたが、鎌倉市在住の松落君の案内で若い女性料理人がしている鎌倉駅近くの小料理屋で辛口の日本酒に舌鼓を打ちながら美味しい料理を食し夕方まで過しました。

二人と夫々に別れて定宿のホテルに帰りつくと直ぐに部屋でスニーカーの手入れと修復をし、無事に熊本まで履いて連れて帰ることが出来ました。

余談になりますが、鹿児島・国分で宮司をしている久木田憲一氏の話では、久木田氏の先祖は坂東武者・御家人の渋谷氏で鎌倉時代に地頭として北薩摩に配置され、室町時代・戦国時代には守護の島津氏と争い、負けるたびに滅んだり、臣下に入って薩摩半島、大隅半島を始め島津領内の各地に散らばっていったそうです。

それで、私の祖先は都城・北郷(ほんごう)島津家の馬回りで、殿様の乳母を出した家ですが、切通しと峠道を歩きながら私は一人遠い先祖・坂東武者へ思いを馳せていました。


 

横浜港にて:関取・松落君と ランナー・西島君と



■48会トップページへ ■コラムへ戻る