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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

「さらば!」と言えずに、:トホホ、この歳で留年かよ??
久木田憲司

2015年4月2日投稿

写真は後日掲載予定です
                          

 
48会・1組・興梠君の親父さんの話では、48会の黌校入試でのトップ成績者は3組・田浦君だったそうですが、恩師曰く、黌校入試での私の成績もたいそう良かったそうです。

私の中学時代は授業中の学習に集中するだけの帰宅部で、予習・復習をする習慣はありませんでした。それが、黌校ではサッカー部に入り毎日練習で疲れてしまい、授業中は寝るようになってしまいましたので、学業成績はナチスドイツの急降下爆撃機・ユンカース の如く一気に急降下し低空飛行を続けましたが、留年することなく3年間で卒業しました。

しかし、大学受験では2浪して第一志望の鳥取大学獣医学科に入りましたが、単位数は十分に足りたのに、必須科目の授業をサボって出席日数不足で教養部脱出に失敗して半年間留年しました。そして、進んだ専門課程でも勉学以外の事に夢中になってしまい獣医師国家試験も1回失敗して翌年に試験合格したら、今は亡き母曰く、「大学2校分(当時の獣医学科は4年制)勉強したね」でした。

県立鳥取農業高校で常勤講師として畜産を教えた後、関西の犬猫病院で勤務獣医師をし、社会人として3つ目の職場となった熊本市役所で、保健所、動植物園、動物愛護センター及び食肉衛生検査所と渡り歩いて30有余年働き続け、今春無事に卒業(定年退職)のはずが、・・・・留年?です。

卒業後、1年くらいは再任用(再雇用)で働きますが、役職を離れて気楽になり、週あたり23時間の週4日勤務で、年金の一部をいただきながら楽しく1年間を過そうかなとセカンドライフを計画していました。

そしたら、2月に相談がありますと人事課長に呼び出され、食肉衛生検査所の閉所が平成26年度末から平成27年末までに延びます。しかし、市長から権限委任されて保健所長と同じように食肉衛生検査所長名で行政処分が下せる管理職の獣医師が居ませんので、閉所されるまで所長としてフルタイム(給料は約2割カット)で勤務してくださいとのこと。

「そりゃ無いよ!セニョール」とつぶやいたものの、考えさせてほしいと答えるのが精一杯でした。

この話は、要するに、給料は安くなるが食肉衛生検査所が閉所するまで、と畜検査員の経験が長くて食肉業界・業者相手に適正かつ適切に業務を遂行する私に、最後まで所長としての職責を全うしてくれという、市役所にとっては非常に都合の良い美味しい話なのです。

帰宅し家のかみさんに話したら、「若く見られるから1歳位さばをよんだら」と軽く言われましたが、フルタイムだと月収は短時間勤務より増えるものの、毎日2時間の自由時間と週休3日となった事での自分だけの1日休日がなくなるし、今年の6月(私の誕生月)からの年金の一部支給(月・約12万円)も全額停止されてしまいます。

 泣きっ面に蜂じゃないかと思い回答は保留してしばらく悩みましたが、市役所の窮地だと懇願されれば濟々黌魂に火がついて、永年禄を食んできた恩返しと思い引き受けてしまった訳です。そしたら、後日、上司の局長(濟々黌50会)と総務局長(濟々黌49会)から「先輩!ご無理を申し上げましたが」とお礼を言われた次第です。

それで、「気ままに来らむ」のコラムbT(2014年4月22日投稿)「参事」の写真で述べていた卒業は出来ずに、留年?してしまったわけなのです。

41年前、一浪した48会員の多くが希望する大学に合格して、新しい旅立ちをする春に、二浪した私は皆から取り残された寂しさを味わいました。今の気持ちは、その時の取り残されたような気持ちに近いものがあります。

トホホ・・・と思ったものの、熊本市民のためか自分のためか、気を取り直して少しシフトダウンしていたギアをシフトアップして、あと1年近く責任を果たしていきましょうか。「ブン・ブーン」とね!!
 



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