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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

プンプンと都会の香りを振りまいて:久木田憲司

2015年1月30日投稿


県民百貨店・閉店一週間前の9階屋上:ビヤガーデン跡、ポールが錆び付いている奥のステージではバンドの生演奏がされていましたね。昔はその上の10階が展望レストランで、料理メニューの料金が別格のホテルキャッスルを除いて、市内で一番高かった事は覚えていますよ。

展望エレベーターに乗り、その窓から景色を眺めながら、最上階(9階)まで上がると、エレベーターホール横の一面ガラス張りの展望コーナーがありました。 ビルの合間に、手前から御幸橋横長塀脇の馬具櫓、その上に飯田丸五重櫓、数寄屋丸二階大広間、天守閣、その横に本丸御殿を綺麗に眺める事ができました。県外からの友人・知人を熊本城に案内する時は、その前に必ず訪れていたスポットです。熊本市役所14階ホールからの眺めがビルの邪魔が少ないので一番の絶景ですが、櫓のバランスではここが一番の展望スポットでした。
                          

2月末日で県民百貨店(旧岩田屋伊勢丹)が閉店するということで、登録会員である我家には正月早々にダイレクトメールが届きまして、今まさに最後の売り尽くしセールがなされて店内は多くの人で賑わっていますが、皆さん覚えていますか?県民百貨店の前身の岩田屋伊勢丹ショッピングセンターが開店したのは私達が黌校を卒業した昭和48年の10月だったことを!

当時の大洋デパートも鶴屋デパートも1階の天井が低かったのに、岩田屋伊勢丹の1階のメイン・エスカレーターホールには、エスカレーターが4列あって広く、天井が2階まで吹き抜けで高くて開放感があり、黌校1年生の時の修学旅行の東京で、初めて目にした都会の香りをプンプンと振りまいて高級感を醸し出していました。

それに対抗する為に大洋デパートは改修工事に入っていて、11月29日に大火災を起こし、103人が死亡、124人が重軽傷を負いました。1浪中だった私は危うく難を逃れましたが、今でもあの臭いを忘れる事はできません。

その後、ビルの保安基準が強化されて鶴屋デパートは全面改修時に電車通り沿いは明るく避難し易いガラス張りの壁になりました。

岩田屋伊勢丹でもう一つ印象に残っているのは、地下街のうどんの値段が市内で一番高かったことです。黌内食堂の素うどんが40円だった頃、上通が50円、下通が60円なのに、その地下街では、70円もしていました。

家の親父に「味は変わらないのに何で高かと?」と尋ねたら、「家賃が高かとぞ」と教えてくれました。今思えば、田中角栄の列島改造の名の下に、都会の開発熱が地方の主要都市にまで広がり始め、ゼネコンと一緒にテナントビルという言葉が流行り始めた頃だったのでしょうかね。それからあちこちに不動産屋の看板が増えていったと記憶しています。

学生時代の夏休みに帰熊した時には、清水の地元の工務店もいつの間にか不動産屋に衣替えしていましたよ。

閉店まであと一ヶ月足らずですが、皆さん機会を作ってもういっぺん展望エレベーターで8階に上り、中華園で太平燕を食べて、一面ガラス張り横の広い階段を歩いて下り、2階から地下まではメインホールをエスカレーターで降りて名残を惜しんでみてはいかがですか?

なお、バーゲンセールがない地下街は相変わらずお客が少ないですけどね。
 



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