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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

「ぼくの好きな先生」は甲斐先生なのだ!:久木田憲司

2014年11月1日投稿



写真は後日掲載致します。
                          
黌校3年の文化祭での人間ジュークボックスでRCサクセション・忌野清志郎(いまわの・きよしろう)の「ぼくの好きな先生」を歌った時、私の脳裏には小学校4年生の時の担任だった甲斐先生の姿が浮かびました。

竜南中学校の音楽の先生から清水小学校に転勤されてこられた先生は、当時40歳代後半の方で目が少し悪かったのか、色つき眼鏡(サングラス風)をいつもかけておられました。中学校では私の兄の担任もされていて、兄はブラスバンド部で先生と楽しくやっていたようでした。

兄の影響で、私は家ではビートルズナンバーやアメリカンポップスを日頃から歌っていました。4年生の時の見学旅行のバスの中で、他のクラスメイトは童謡や唱歌を歌う中、順番に回ってきたマイクで私はアメリカンポップスを3曲歌い、皆から拍手喝采を浴びました。前のほうの補助席に座っていた先生が、振り向いて大きな拍手をしてくれた事を覚えています。

吃音の為にそれまでずっとおとなしかった私は、吃音はそのままでしたがそれからは何事にも積極的になり、とうとう3学期には学級委員長になってしまったのです。

校内独唱コンクールで「村のかじや」を歌い、5年生・6年生のクラス代表を抑えて校内ナンバーワンを獲得した私の横で、アップテンポで歌う私に合わせて足踏みオルガンを弾き伴奏してくれた後に、くわえタバコで一息ついていた先生の姿が今でも瞼に焼き付いています。

黌校3年の頃には、甲斐先生は転勤されてもう清水小学校には在籍されていませんでした。忌野清志郎(本名は栗原清志)が慕ってたのは小林先生でまだご健在だと聞きますが、僕の甲斐先生はもう黄泉の国へ行かれていますかね??

「村の鍛冶屋」は1912年(大正元年)12月「尋常小学唱歌(四)」だそうです。

文部省唱歌の中にいくつかある作詞・作曲ともに不詳の曲の一つで、歌詞が当初のものから時代により書き換えられながら、長く全国の小学校で愛唱されてきた歌で、昭和17年以降、平和を歌う三番以降の歌詞の後半が戦時下の国策に不適当として教科書から削除され、戦後も復活することはなかったそうです。
しかし、先生から渡された楽譜には、教科書には無かった三番・四番があり、私は一番・三番を歌った記憶があります。何故か?
将来、黄泉の国で先生にお会いしたらその訳を聞きましょうかね。
 

小学校4年生の時の写真(私です)
自宅前の庭で、4歳年上の兄が我家のカメラで撮影してくれました。
 



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