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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

軍師・官兵衛はショートラインアウトとオフサイドラインで!
久木田憲司


2014年7月22日投稿

2年生進級時のクラス集合写真です。男子だけのクラスでして、皆、1学年時は女子生徒が居るクラスから男子クラスの11組に集まりました。
                                                                 
 
2年11組は秋の文化祭で上演したロミオとジュリエットの劇で、クラスの団結力は高まりました。その流れの中で生まれたのが、2学年でのラグビークラスマッチでの優勝でした。

そのラグビークラスマッチにおける軍師・官兵衛は、実は私だったと自認しています。
黌校入学後、私はサッカー部に所属していましたが、サッカー部が練習する横で、ラグビー部が練習していましたし、ラグビー部長兼監督の山中先生のラグビーに関する話は興味深く、テレビでは大学ラグビー・社会人ラグビーの試合をよく観ていました。

その頃の大学ラグビーは、純粋なアマチュアスポーツでしたので、試合そのものは面白かったですよ。それで、早明戦を見ていた時に、地力で劣る早稲田大学がショートラインアウトを使ったのです。それに興味を持った私は、黌校図書館でラグビーのルールを詳しく調べて、体育教官室に行って山中先生に今度のクラスマッチでショートラインアウトは使ってもいいのかと尋ねると、「国際ルールであるから、問題無い」との回答を得ました。また、ケガ防止としてクラスマッチでは、スクラムは組むけど押してはいけないとのルールになっていましたので、スクラムは8人から減らしてもいいかとたずねると「問題ない」との事(今は、国際ルールが改正されて8人必要)。
それで、スクラムは左右のフランカー2人を外した6人で、ラインアウトは8人より少ない人数で行うショートラインアウトで行って数的優位な局面を作る作戦をクラス全員に説明し、11組にはラグビー部員も柔道部員も居ませんでしたが、優勝候補の7組に勝利し、その後ラグビー部員や柔道部員を有するクラスを次々に破り、優勝したのです。

特に、スクラムハーフ(9番)だった私は、ラインアウトやスクラムでのボウルを入れるタイミングをずらしたりして相手の反則を誘い、決勝戦では、攻撃の時、バックスにボールを回してそのカバーに回って最後にボールを受け取った時に、目の前に防御する相手クラスの選手が2人いて、「もうだめだあ」と思った瞬間、左後ろから「クキター」という声がして、振り向くと逆サイドのポジションで、そこに居るはずのない今村友喜君(3学年では7組)が私について来てくれてました。それで、右に切り込んで左後ろの彼にパスすると、彼はそのまま走り込んで、左隅にトライしました。それが決勝点となり、優勝しました。

クラスの皆は、私の労をねぎらって、黌長先生から壇上で賞状を受け取る役を急遽私に与えてくれました。濟々黌の体育館壇上で賞状を受け取ったのは、それが最初で最後のことです。
ラグビー・クラスマッチで優勝したあと、山中先生から「久木田は9番がむいとる。ラグビー部に入らんか」と誘われました。当時ラグビー部は部員が少ない状態でしたので、それでのお誘いかと思いましたし、マネージャーとしてサッカー部に復帰したばかりでしたので、丁寧にお断りしました。

当時、世界ではサッカーは大衆スポーツ、ラグビーは紳士のスポーツと言われていました。サッカーはプロとなり富を得るもので、ラグビーはアマチュアとして大学・会社・国家を代表して闘い名誉を得るものという概念でした。しかし、今では世界中でプロのラグビー選手が存在し、国内でも幼児期からのラグビースクールがあり、高校も含めてセミプロ化が進み、トップリーグはもうプロだと思います。

それで、昔みたいに小さい選手や相撲取りみたいな選手が活躍する場が無くなって、私は魅力を感じなくなっていますので、試合を観る事は今はほとんどありません。2019年にラグビー・ワールドカップ(W杯)が日本で開催されますが、いまいち興味が湧きません。

あの時にトライした今村君とも卒業以来会っていませんが、元気に暮らしているのでしょうかね?

※優勝候補の2年7組だった若宮君(3年7組)のコメント:
久木田君のいたクラスに初戦で負けました。
敵はルールを知っていて、こっちは知らなかったので反則続出で、なんだかわけが分からないうちに負けた記憶があります。




 

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