ホーム 事務局紹介 最近の話題 PRとリンク memory コラム 掲示板 過去ログ

気ままに来らむ 『時空をこえて』!

フォークバンドは生きている化石か?:久木田憲司 

2014年6月13日投稿

バンド演奏練習後に2年11組の教室教壇前で撮影されたものです。左から竹田君、佐藤君、私、私の後ろが田島君で、私の左膝に右肘をついているのが竹永君です。:写真は佐藤誠助君提供です
                                                                 
 
黌校2年生の時の文化祭では、「ロミオとジュリエット」の演劇もしましたが、11組のクラスメートに誘われて、11組の5人でその時だけのフォークバンド「しいらかんす」を作り壇上ライブ演奏をしました。

竹田君(3年5組)はエレキベース、佐藤君(3年5組)はフォークギター、田島君(3年2組)は燦々と輝く12弦ギターでした。私は兄譲りのガットギター(1960年代のナイロン弦のフォークギター)しか持っていなかったので、ギターを持たずにボーカルをすることになりまして、竹永君(3年4組)はバックアップメンバーで活躍しました。選曲は佐藤君中心にされたと思います。

私は「ゲリラの歌」と「人間なんて」を勢いよくボーカルで歌ったことを覚えています。「ゲリラの歌」は六文銭の歌で、「サルだー・おれたちゃー・気取る事はないぜー」で歌いだす余り売れてないものでして、1970年の手塚治虫監督・虫プロ製作のSFアニメ映画「クレオパトラ」の挿入歌だったものです。吉田拓郎の「人間なんて」は長い歌で、持ち時間の半分以上はこの曲をやり、私をはじめ4人で声を張り上げて歌いました。
六文銭の「面影橋から」の歌詞を変えて「みゆき橋から」と佐藤君が歌ったように覚えています。
流行ってない歌を歌うことが、そのバンドの粋だったと思います。

違うステージでは、丸山君(3年5組)は一人で加川良の「伝道」一曲をステージで歌い、ステージから降りて会場の女生徒を巻き込んで一緒にその歌を歌う展開をもくろみましたが、はずれてしまいました。

その頃、生田君(3年9組)はコンサートで熊本に来ていた六文銭の上条恒彦に歌を聞いてもらい褒められたことを皆に話していました。
竹田君とは昨年11月の同窓会で久しぶりに会いましたが、田島君、竹永君とはもう30年以上も会っていません。
佐藤君とは卒業以来会ってなくて、昨年11月の同窓会が出席になっていたので再会を楽しみにしていましたが、突然キャンセルとなってしまいました。

先月21日の大同窓会でクラス幹事から彼が体調不良と聞き、メールアドレスを教えてもらい連絡を取りました。体調不良はひどくなく元気であるというメールをいただき安心しました。そのうちにお会いできる事を楽しみにしています。
丸山君と生田君とも、卒業以来会っていませんが、音楽関係のプロの仕事に就いたのでしょうかね??

佐藤誠助君の話:僕はビートルズの曲で、みんなあまり知らないだろう「レイン」という曲からバンド名を「れいん」と提案したら、みんなに猛反対され、結局「しいらかんす」という名前になりました。いまでも悔しいです(笑)

久木田の話:私は大学(獣医学科)に入学してから、初めて「生きている化石・シーラカンス」の存在を知りましたので、命名者ではありません。
名付け親は誰だったのでしょうかね?

 

■48会トップページへ ■コラムへ戻る