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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

のんびり行こうよ・再婚列車!:久木田憲司 

2014年5月19日投稿

現在のJR美祢線:今も緑豊かな自然の中を走るので、
とても癒しになりますよ。
これは先日乗ったSL人吉号ですが、美祢線は山間を走る路線でしたので、駅の周辺とホームの風景はこのようなものでした。
 
  あとで聞いた話ですが、私が学生時代に熊本・鳥取間で利用したさんべ1号は、鉄道マニアの間では、再婚列車とか復縁列車とか再会列車とかいろいろ言われていたそうです。しかし、現地で実際にそのように呼ばれていたわけではありません。
さんべ1号は、熊本駅を出発して関門トンネルを通り下関駅に到着すると、美祢線経由の4両と、そのまま山陰本線を走る3両とに分割されました。美祢線経由の2号車はグリーン車で、乗客がいることはめったにありませんでしたので、列車に乗る人の数はどちらも同じくらいだったと思います。

それぞれの路線を走ったあと、合流地点の長門駅で再び併結されましたが、長門駅到着時間の違いのためか、または米子で再び引き離すためかは分かりませんが、熊本駅を出発した時と車両の並びが変わっていたように覚えています。



(※上の様な編成:但しこれは鳥取発の「さんべ2号」の下関での併結状況です。17:28に下関を出発し、関門トンネルを通り、九州入りを果たします。あとは熊本までこの状態。終点、熊本到着は20:33。
私の記憶では、これが翌朝の熊本駅での「さんべ1号」の並びだったような気がします。 *)

「さんべ1号」は、下関で分割されたあとの美祢線経由の1号車最後尾が運転席でした。左側の運転席は施錠されていましたが、右側の空間には固定椅子があり、誰でも入ることができました。そこに座り、過ぎ行く線路を眺めていると、通過駅のホームでは、必ず駅長か助役が、通過する列車が見えなくなるまで指さし確認で列車を見送って、最後に敬礼をされていました。そのうちに私もつられて起立し直立不動で敬礼を返していましたが、その光景は「めちゃ・カッコええなー」の世界で、その後(今から15年前に)観た映画、高倉健が主演した「鉄道員(ぽっぽや)」の映像そのものであり、誰も見ていないところでも、チャンと仕事の本分を全うするという私の憧れる姿でした。

ただ、私がよく濃紺色のジャケットを着ていたので、国鉄の運行監察官の抜き打ち査察と間違えられたこともあったようで、最初から身動きせずに見えなくなるまで指さしで見送る駅長、いったん駅舎に帰りかけたが、私の存在に気づいてから改めて指さしで見送る駅長と様々でした。
それに快感を覚えた私は、濃紺色のジャケットの時にはそれから2回ほど起立・直立不動で楽しみましたが、その後気づいた時には、なぜかその固定席には鍵が掛けられるようになっていました。

さんべ1号は山陰本線経由の3両は米子駅で切り離され、終点鳥取までの約100キロを美祢線経由の4両だけで走行しました。私は席を移るのが面倒でしたので、美祢線経由に乗ることのほうが多く、気が向いたときだけ山陰本線経由に乗っていました。
ただ、今、このようなのんびり旅ができる長距離列車がなくなったことはさびしい限りです。

今流行の長距離豪華列車ではなく、リーズナブルで味のある長距離列車を3組・田浦君(JR東日本)の力で、東日本にでも復活させることは無理ですかね?月に1本や期間限定でもいいのですけどね。
今の仕事を卒業したら、このような列車があったら東日本でも羽田まで飛行機で飛んででも乗りに行きますよ、ほんとに。
  
  
※3組・田浦君からの情報です。
ホームで駅員が通過する列車が見えなくなるまで指さし確認で列車を見送る行為は、駅の列車監視(もしくは「状態注意」)と言われる概念で、法令上の義務ではありません。
しかし、昔の国鉄においては、事故を未然に防ぐ狙いで、列車乗務員のみならず駅側においても、線路・信号・列車状態を注意することを国鉄内部でルール化(「運転取扱心得」、その後「運転取扱基準規程」に記載があったと記憶します。)していました。
 その後、設備保守や検査体制等も徐々に充実し、鉄道輸送の安全性が格段に向上したこと、要員事情の変化で無人駅も増大したこと(背景として、CTCという列車制御方式の導入もありました。)等により、この「状態注意」を行う駅は鉄道管理局長が指定すればよいこととなり、国鉄末期には指定駅は激減しました。
昭和62年(1987年)、国鉄改革で新生JRが誕生し、法令以外の列車運行のルールはJR各社で定めることになったため、会社によって違いが生じているかもしれませんが、おそらく各社とも今では「状態注意」を行う駅は殆どないのではないかと想像します。
 

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