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気ままに来らむ 『時空をこえて』!


 熊本から東京48会・卒業40周年記念同窓会に参加して:久木田憲司

2014年3月31日投稿


写真は岩原君提供です


去る3月15日に東京ステーションホテルで行われた東京48会・卒業40周年記念同窓会に出席しての感想は、「参加してよかったなー」です。

熊本から参加された増永さん、岩原君、三浦君、小堀さん、別当君、吉永愼一君はお疲れさんでした。
当初、私は出席するつもりはありませんでしたが、ギリギリになって出席を決めました。その訳は、この歳になると同級生には会える時に会っていないと会えなくなると思ったからです。
昨秋、獣医師として北海道で牛の診療に従事していた大学時代の友人が急逝しましたし、去る2月には48会・8組の定永君が亡くなりました。二人には夫々に「また会おうね」と言っていたのに、先に逝ってしまいました。
それで、今回の会では卒業以来初めて会う者が8人居ましたが、その中でもクラスメートだった3人は昔のままでした。

1年生の頃に淡い気持ちを抱いていた旧姓:大野優美さんは相変わらずハニーな雰囲気でしたし、橋本君の都会ぽい話し方は昔のままでした。そして、福岡君とは衝撃的な再会でした。
というのは、会の運営進行においてアドバイスがほしいということで、私は2時間前に受付に着きました。司会進行の加賀山君と打ち合わせた後、実行委員長の田浦君と加賀山君は会場の準備で忙しそうでしたので、一人で時間をつぶそうと東京駅前に出ましたところ、
「クキター」と大きく呼ぶ声が聞こえました。そちらを振り向くと私に向かって黌校ラグビー部の時のように突進してくる顔があるじゃないですか。

大きく膨らんでいましたが、それは18歳の時の福岡君そのものでした。人目もはばからず、お互いに力強いハグをしたら、いっぺんに二人の気持ちは昭和48年に飛んでいました。半時ほどホテルの地下で二人で話しました。
「どうだい?」と尋ねる前に彼は色々と語ってくれましたが、私と同じようにこれまでの日々を不器用に頑張ってきたんだなあと言葉の隙間に感じました。ただ、彼の話を聞いて、魚・ぎょ・ギョと驚いたのは、風の便りでは別れたと聞いていたのに、3年生黌舎・屋上でファーストキスをした後輩が今の妻であるということでした。幸せいっぱい、ごちそうさまでした。

その他では、会場受付で「よー!久木田」と横から声をかけてきたベトナム在住のラグビー部・中村君とは「何でここで?」という15年ぶりの再会でしたし、旧姓:鬼塚さんは相変わらずの話し方で、旧姓:市木さんは元気いっぱいでした。二次会で「じゃ、またなー」と帰ったはずの神谷君はチャンと3次会に居ましたし、その後、神谷君は岩原君と二人でトコトン飲み歩いたそうです。

それから、現在は千葉県在住で当日に来賓で来られていたおん歳91歳の藤田先生とは、私の地元であり先生が熊本でお住まいでした清水校区の話をしましたところ、はっきりと覚えられておりすこぶるお元気でした。2019年に熊本で開催される女子世界ハンドボール選手権大会には観戦に行くからということでした。
お待ちしておりますのでそれまでご息災に!!!

 そして、17日の15:30からは同窓会を欠席したサッカー部48会の西嶋君と東京駅地下で飲みました。サッカー部48会・松落君も会合の合間を縫って合流してくれましたし、同じく欠席したサッカー部48会・角江君は羽田から直で合流してくれました。二時間余りの楽しい時を過ごし、名残惜しかったのですが私だけ「最終に乗るから」とダッシュで浜松町に向かいました。

夕闇迫る町並みを車窓から眺めている間は、心の中では学生時代によく聞いた中島みゆきの「ホームにて」が流れていました。機内では灯り輝く東京の街を眼下に納めて気持ちよい眠りにつき、キャビンアテンダントに起こされて、浦島太郎のように昭和48年(1973年)の夢から目覚め、娘が運転する車の中で平成26年(2014年)に舞い戻りました。

 今回の機会を作ってくれた田浦君、加賀山君と東京48会事務局長の古閑君をはじめ東京48会・幹事の皆さんには感謝・感謝です。

 それでは、2020年の東京オリンピック期間中に開催されるであろう東京48会に参加することを楽しみにしながら、藤田先生に負けないように、あと6年間は元気に生きていきましょうかね・48会の皆さん!! 

 
 


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2014.03.31更新