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気ままに来らむ 『時空をこえて』!

 「還暦」だってさ:久木田憲司

2014年3月31日投稿



6歳の孫に「ケンじい」還暦だってね!と言われて、「そうか」と、つぶやきながらまぶたを閉じればいくつかの場面が走馬灯のようにめぐります。

パチプロを目指してやくざな日々を過ごしていた19の冬。少年院みたいな全寮制予備校に篭り再出発を誓った20歳の春。アメリカ・ネバダ州の広大な砂漠に立った時に自分の悩みの小ささに気づきカジノに通いつめた23歳の夏。県外の動物病院で丁稚奉公しながら学生結婚のかみさんのもとで「髪結いの亭主」状態だった27歳の秋。交通事故での絶対安静状態の中で動物病院開業を断念した32歳の冬。と思い返せばキリがなくページが足りませんが、一言で表せば60年は楽しかったなー!です。その時々は一生懸命でしたので悔いはありませんし、その時があるからこそ今の自分があると思います。

私は生き物、動物に関わることは嫌いではありませんが、大好きというのではなくて、実はよこしまな動機で獣医師を目指しました。私は二十歳ぐらいまでは吃音(どもり):がひどくて、国語の時間では本読みを教諭に当てられると1ページに15分ほどかかることがざらでした。それで、黌校時代においては、教諭は前から順番に当ててきても私の前の席で横に移り私を当てないという状態でした。小さい頃から歴史が好きでしたので、考古学者か歴史学者を目指していましたが、その方面に進学してもジャーナリストか高校教諭等の仕事にしか就けないので、言葉がまともにしゃべれないのでは同じ実力の場合は他人に遅れを取ってしまうと思いました。

また、父が中小企業のサラリーマンでしたので、進学は国公立大学で九州内、できれば県内にという意向がありました。ですが、私の場合、小学校は歩いて30秒、中学校・黌校も自宅から1キロあまりと近くに通いましたので、せめて大学は親元を離れて遠くへ行きたいという思いが強かった次第です。しかし、男性が進学できる県内の国公立大学となると当時は黌校の隣しかなかったので、それはないだろうという思いが本音でした。

それで、飯を食っていける資格が取れて、県内の大学には無い学科で、国立文型コースでも受験できるところはないかと3年生の夏休みに黌校の図書館にこもって進学情報誌「蛍雪時代」を片っ端から調べていくとありましたがな・・・。国立理系ですが、受験科目は主要五教科で理科は一科目(化学でも可)、数学は数UB(微分・積分なし)までというところ、それが鳥取大学の獣医学科でした。進学動機がそれでしたので、獣医学には余り身が入りませんでしたが、貧乏学生暮らしはいろんなことをして楽しい学生生活でした。

訳有って、国家試験にも一回落ちまして、獣医師免許なんかいらないとも思いましたが、医師や薬剤師と同じように国家試験受験資格が取れる大学を出て資格を持っていない場合は、一般人よりも低く見られるという屈辱を味わいまして、怒りに燃えて翌年合格した次第です。

ただ、市役所には獣医師ではなく普通の上級職で入庁しましたが、獣医師の免許を持っていたので、獣医師関連の職場をまわりました。出世はしていませんが、いい思いはさせてもらいましたので、獣医師になってよかったなと思っています。

私にとって大事なことは、今をどう生きるかとこれからどうするかだと思っていますので、還暦を迎えて昔の感慨に浸っている暇はありませんね。
ほんとに。
 

 
 

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