エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−


イスラエル・パレスチナの平和への見通し


2003年5月30日ベルリンにて
ミシェル・サバー大主教

1. 現在の状況:現場における事実

1−1 イスラエルとパレスチナに属する聖地は約27,000平方キロメートルの土地で約800万人のイスラエル人、パレスチナ人、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が住んでいます。1948年、この土地の78%がイスラエルの国と宣言され、1967年、イスラエルは残りの22%を占領地として占拠しました。

 一方、イスラエルは民主主義の国です。住民の80%はユダヤ教徒で、20%がイスラム教徒とキリスト教徒のパレスチナ人です。法の前では全ての国民は平等を宣言されています。同じ権利と義務を負います。しかしユダヤ教の国なのでユダヤ教徒か否かにより大きな違いが常にありました。

 他方、残り22%の占領地は、イスラエルに併合されませんでした。常にイスラエルにより軍の統治を通じて管理されて来ました。

 1993年のオスロ合意の結果、イスラエル政府の監督の下、占領地の一画にパレスチナ政府が設立されました。2002年第2回インティファダが起こり、イスラエルは殆どの領土を再占拠し、パレスチナ政府は形骸化されました。この直接的再占拠で、これらの占領地に住むパレスチナ人の日常生活における困難な状況が広まっていったのです。町や村への一般的攻囲に始まり、道路の破壊、数百の軍の検問所、町中での全ての動きを妨げる外出禁止令の頻繁な強要、パレスチナリーダーと活動家の暗殺、家々や農業用施設の砲撃や破壊に至るまで、集合的懲罰手段が彼らを苦しめるようになりました。この状態が経済のまた社会的な閉塞をもたらしたのです。

1−2 現場の状況は平和と呼ぶには程遠い状態にもかかわらず、イスラエル・パレスチナ双方が平和を望み、そのために祈っています。聖地の行く先々どこにも暴力がはびこっています。一方には暴力的なイスラエル軍の占領があり、他方には多くの場合テロに発展する暴力的なパレスチナ人の抵抗があります。イスラエル人は、自国民、他国民に関係なく襲うテロリストのことでパレスチナ人を非難します。パレスチナ人は平和を望まないのだという結論を引き出し、だから共には住めないと非難します。パレスチナ人はパレスチナ人で、イスラエル軍により見境もなく科される集合的懲罰やその履行の全てに加え、パレスチナ人に残された土地を延々と占領し続けることでイスラエル人を責めます。イスラエルは、軍の占領を実際に止めて自由と独立をパレスチナへ返したくないし、そうする意志が無いのだという確信に彼らも達するのです。

2.  現在の紛争は何にあるか

 イスラエル政府にとり、これは治安の問題です。テロへの闘いです。これが現在の暴力的状態に対する彼らの説明で、パレスチナを占領し続ける――占領、集合的懲罰手段、暗殺、家屋の破壊などなどの意味の全てなのです。パレスチナ人にとり、それは国際的にも認められている奪うことのできない自決権を彼らから奪うイスラエル軍の占領の問題です。パレスチナ人の抵抗とイスラエル人襲撃をこのように正当化しています。

 現地の事実としてイスラエル・パレスチナ問題の中心には、関わると克服し難い困難を伴う袋小路があります。

 私が思うには、パレスチナ人には神が造られたこの地球の全ての国や人々のように、奪うことのできない自決権があります。皆が知っている、繰り返し国際的に認められてきた権利です。テロリズムの方は、イスラエルによるものであれパレスチナによるものであれ、私たち皆が非難し咎めます。イスラエル軍による占領がそれを発生させていることを忘れてはなりません。占領はテロリズムの温床です。

 しかしながら、テロリズムはそれを非難し咎めてもしすぎるということはありません。私達はここで理論上の問題について述べているわけではありません。日常的に犠牲になるイスラエル人パレスチナ人その他の無実の人の命のことを話しています。私達はテロを終わらせる必要があります。現在の状況へと導いた理由に目をつむり続ける限り、テロの消滅は決して来ないでしょう。もし原因が全て取り除かれれば、自然に現象は消えていくでしょう。暴力とテロを阻止したければ、軍による占領を終わらせねばなりません。パレスチナ人には自由と、1967年に占領された土地での独立が返還されなければなりません。そうすれば、その時こそ、イスラエルの安全は確保され、怖れがかれらの日常から消えることでしょう。

3.  平和は可能か

平和は可能です。但し主に二つの条件があります。
1 イスラエルには治安
2 パレスチナ人には独立

 これらの条件は相補的ですが相反的ではありません。実行可能なパレスチナ国の独立は暴力(その主な理由と原因である軍の占領がなくなれば)を終わらせるでしょう。

3−1 これらの条件を満たすには何が必要か

 イスラエルは非常に強力な国です。暴力の凶悪な連鎖を破る初動は、イスラエル次第です。イスラエルは軍による占領、そして軍がもたらす全てのことを終わらせるべきです。国際的に認められたパレスチナ人の奪うことのできない権利の枠組みの中で、外交的交渉に従わなければなりません。これが唯一の平和への道です。

 パレスチナ側はPNAとパレスチナの人々の代表は彼らの課題を済ませ、イスラエル及び国際的共同体から要求された内部の変革をし、平和への話し合いをする準備が整っています。

 アラブ世界もはっきりと、2002年3月ベイルート(レバノン)のアラブサミットでイスラエルとの包括的和解への決定を表明しました。

3−2 今日提案された行程表は平和への道筋となり得ます。然しながら私達は、政府に武力で平和条約を押し付けることはできても、人々の心に武力で押し付けることは決して出来ないことを認め、覚えておかねばなりません。故にもし、行程表がパレスチナ人に自由と独立を阻止する更なる制限を課すなら、この道は決して平和へ導かないでしょう。平和条約は二つの政府間で結ばれるかもしれませんが、人々の心は十分な権利を主張し続けるでしょう。

 今は歴史を読み経験より学ぶべき時です。この紛争は今、100年間に及ぼうとしています。イスラエルは多くの戦いに勝ちました。今までのところ独り勝ちでした。けれども平和も安全もありません。武力による勝利はそれ自体安全をもたらしません。正義と人権尊重に基づいた平和のみが安全をもたらします。

3−3 平和構築が自分の手中にあるのに何故イスラエル人はまだ決断しないのでしょうか。何故イスラエル人は1967年に占領した土地をパレスチナ人に返還しないのでしょうか。それらは5,000平方キロメートル、つまり今日イスラエル国が78%を所有しているのに対し、歴史的パレスチナ領全体の22%にすぎません。

 a.イスラエルはまだパレスチナ人が全く居ないパレスチナ領全体を所有する夢を抱いているのでしょうか。100年にも及ぶ紛争の後、その夢はもう到達出来ないことを知る時期です。
今日、占領地には300万人のパレスチナ人が住んでいます。イスラエルは生活しているパレスチナ人の現実に向かい合い、関わらねばなりません。

 .イスラエルはパレスチナ人を信用していないのでしょうか。彼らの独立国ができたら平和な隣人になれないのではと怖れているのでしょうか。この想像は根拠の無いものです。パレスチナ人の今日の敵意ある示威行為は、イスラエルの人々に対する生来的なものではありません。それらはむしろ、彼らの土地を奪う試みとみなす者に対するパレスチナ人の抵抗の表明です。紛争が終われば敵意もなくなります。

3−4 もしイスラエルが、イスラエル人とパレスチナ人の心の中の敵意が消え去ることが可能だと本当に信じないなら、この地域は永久に闘いと暴力に追い込まれるでしょう。この地域にとり、又この地域におけるイスラエルの存続にとり、絶対的な行き詰まりとなるでしょう。

 この行き詰まりからの唯一の抜け道は平和を信じ、正義と平等な権利と義務の上にそれを構築することです。

 イスラエルは常にパレスチナを含めアラブ諸国に囲まれることでしょう。今までイスラエルは彼らと正常な関係を保つことに成功しませんでした。その理由は今までのところイスラエルという新しい国を守るためにイスラエルや国際共同体が取ってきた政策にあります。一方パレスチナ人に対する不正義を存続させることが、全てのアラブ諸国の敵意の原因となり、それを助長してきました。もしあなたたちが心から友を守りたいなら敵で囲まず友達で囲むでしょう。

 近隣のアラブ諸国を友達に変えるためには今の政策を変えねばなりません。この変化は不可能ではありません。正義をパレスチナ人に行い、占領を止め、パレスチナ国を作るだけで十分です。ひとたびパレスチナ人が満足したら、自由になれば、彼らの国が独立すれば、彼らはイスラエルに友好的になるでしょう。そうなれば他のアラブの人々も同様に友好的になるでしょう。イスラエルは友達に囲まれるこの方法でしか、長年望んできた安全を生きることができないでしょう。

4.  この紛争でのキリスト教徒の立場

 イスラエルとパレスチナ人の、国を基にした二つの民族の紛争は、本質的には政治的なものです。それでもなお、宗教的含みがあります。パレスチナ人とユダヤ人両民族にとりこの紛争は宗教的記憶と聖地が関わってきます。それ故この紛争はまた、キリスト教徒の視点を持っています。この地でキリスト教が生まれたからです。この紛争は主に、特にこれらの聖地の小さなキリスト教共同体の存続への直接的脅威でもあるのです。

 パレスチナ占領地ではキリスト教徒はパレスチナ人です。彼らと共に、重要な国際的キリスト教の存在もあります。イスラエルでは更に少数ですがイスラエル国ユダヤ人のキリスト教徒の存在も、又国際的キリスト教の存在もあります。両方の側でキリスト教徒は人々の要となっています。彼らは人々の希望と同時に苦しみの欠くべからざる部分をなしています。そして平和、正義と安全への同じ、重い労苦を背負っているのです。

 エルサレムには正教会(ギリシャ)東方正教会(アルメニア、シリア、コプト、エチオピア)カトリックとプロテスタントなど13の伝統ある相互に認められた教会があります。全ての教会はこの状況に共通の見解を持っています。紛争とその犠牲はパレスチナ人の日常生活と同様にこれらの教区の信者の日常生活にも影響を及ぼしているのです。

 私たち教会の立場は、虐げられた貧しい人々の声となることです。両サイドの人々が犠牲となっている悲劇に終止符を打つよう呼びかける声を、信者同様国際的共同体にも届けることです。

 パレスチナ人の顔に神のイメージを見ます。イスラエル人の顔に神のイメージを見ます。そして神の愛は両者に注がれています。パレスチナ人に負わせている抑圧がこのイメージを取り去ってしまうので、私達は常にパレスチナ人の顔にそしてイスラエル人の心の中にそのイメージを新しく作り直さなければなりません。今日、状況がどうなろうとも、両者(強きも弱きも)が、人間は誰もその兄弟の抑圧の犠牲であってはならないことを認める、この基本的真実へと立ち戻らなければなりません。イスラエル人は生活の中で恐怖の犠牲者であってはなりません。抑圧を終わらせると同時に恐れと不安に終止符を打つことです。基本悪は根絶せねばなりません。そしてその基本悪は占領です。そうすればこの土地は安全で、イスラエル人、パレスチナ人、二つの民族が平和に生きるようになるでしょう。私達は、平和の与え主、怖れを取り除かれる神の恵みを信じます。互いに怖れを助長するのではなく、互いに受け入れ認め合うため、協力しなければなりません。



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