オリーブ・ブランチ NO.197
平和へのアピール
パチェム イン テリス40周年記念
未来への挑戦
ミシェル・サバー エルサレムラテン典礼総大主教
パックス・クリスティ・インターナショナル会長
2003年3月29日 パリにて
2003年4月11日カトリック教会は、「パチェム イン テリス」の記念祝典を行います。この書簡は40年前教皇ヨハネ23世により、1961年のベルリンの壁構築、1962年のキューバミサイル危機の後に書かれました。ベルリンの壁は東西間の分裂の象徴でした。その壁は永遠に続くかに見える分裂を生み、それは全人類を突き刺し、人々の心や精神を貫きました。この回勅の丁度6ヶ月前、ローマで第2回バチカン会議が開かれようとしていた矢先、世界はキューバミサイル危機の間、核戦争の瀬戸際に立たされる羽目になりました。世界平和、正義と自由への道は閉ざされたかに見えました。多くの人々は、侵略行為や核事故が人間史上最悪の戦争を引き起こすことにはならないだろうという希望に望みをかけながら、「冷戦」の危険な状態の中で、人道主義があいまいに生きることを運命付けられていると信じていました。キューバ危機は第三次世界戦争(その時はアメリカ合衆国とソビエト連邦との)をあわやと言うまでに予想させました。ヨハネ23世は書簡の中で、地球の平和の可能性へ、希望と確信を表明したかったのです。この書簡は教皇の将来への楽観主義と60年代が始まるに当たっての進歩への確信を表しています。教皇にとり平和への四本柱とは真実、正義、愛と自由でした。
「パチェム イン テリス」は、パックス・クリスティ・インターナショナルの憲章になりました。多くの人々にとり、これは「時代のしるし」を的確に読み取り、世の人々に共通の善、皆の人権や平和や正義のために働く責任について気付かせる、示唆にとんだ文書です。"全ての人は思考の中から、戦争に対する恐れや気がかりな予想を追い払うよう努めることに心から協力しなければなりません"と述べています。地球に平和を築く仕事は緊急であり永続的なので、教皇ヨハネ・パウロ2世が2003年の世界平和のメッセージでこの問題に立ち帰ったのです。それは、地球の平和は常に真剣に努力しなければならないことを私たちに気づかせます。パックス・クリスティ・インターナショナルの多くの支部はそれぞれの国で、人類の未来のために、この書簡の更なる意義を勉強することによりこの記念日を祝います。
この回勅が1963年の聖木曜日に出版されたとき、カトリック司教、司祭、信徒だけに宛てられたのではありませんでした。それは又「良い志を持つ全ての人」にも宛てられました。そして「パチェム イン テリス」はそれまでの回勅には嘗てなかったほどカトリック以外の読者に信奉されたのです。その一つの理由は、世界の大国の勢力が膠着状態があり、又その当時平和を限定していた核の恐怖のバランスによって平和を保つことへの拒絶にありました。教皇ヨハネ23世は、当時はまだ流行っていなかった言葉、つまり"outside the box"で考えておられました。
その考えは二つのテーマに絞られています。一つは、全ての人と国が尊重すべき、(経済的権利を含む)人権に関する長い目録です。もう一つは、教皇が「普遍的共通善」と呼ぶものに対し十分にその能力を発揮する、新しい種類の世界的力への呼びかけでした。国連と世界人権宣言はその進展の第一段階でした。ヨハネ23世は外交官として勤めていたとき、この歴史的宣言を共同で立案しました。数年後、「パチェム イン テリス」出版の2ヶ月後にこの良い教皇は世を去りました。1963年9月、Joseph
Suenens枢機卿、ブリュッセルのMechelen大司教がこの書簡を国連総会に提出しました。
戦争は分裂と憎しみを生む
イラク危機では国際法と平和を保障する政治的な力が欠けていました。国連、NATO、ヨーロッパ連合は、深い分裂を顕わにしました。偉大な文明間の関係は中東で、アジア大陸で、その他各地で根底から脅かされました。同時に西洋における執拗な誤解や無反応がそれらの分裂を深めました。世の指導者は自分たちの興味と言うレンズを通してのみ物事を見続けます。暴力と狭量の行為がアメリカとヨーロッパの多文化都市で噴出しています。
ひとたび戦争がおきたらとめるのは難しく、どの戦争の行方もまるで予測できないこと、戦争は数代にもわたる憎しみと苦しみの遺産を残すこと、絶望的な状態では手に入るどのような兵器類でも使われること、どのような戦争でもその大量の犠牲者は罪無き市民であること、そして、取り返しのつかない環境破壊が現代の戦争では避けられない結果であることを、明らかな真実として私達は肝に銘じておきましょう。確実に、破壊された文明の粉々にされた破滅の只中で、戦争の結果を詳しく検分することになるでしょう。
もし戦争が破壊と死ならば、結果は実に悲劇的です。分裂、憎しみ、膨れ上がる難民の数。世界は既にボスニアからの、旧ユーゴスラビアの方々からの数百万の難民を目撃しました。難民のように自分の土地で数世紀も生活しているパレスチナ人の耐えられない生活状態を見てきました。中央アフリカでの長引く一般市民の争いによる大量の難民危機、集団殺害を見ました。イラク(既に先の戦争で傷つき長い間経済制裁の下にある国)の人々に戦争の雨が降るとき、その国を出て行かざるを得なかった人々に更にどれほど多くの難民が加わることでしょう。
世界治安のもろさはこの地球の経済成長と技術的相互依存により目立ってきました。二本のタワービル襲撃は、人が良心の咎めも無く、計り知れない残虐さを持って楽々と打撃をあたえられる国際テロの明らかな悪を示しました。近い将来、このテロリズムはおそらくいとも簡単に生物化学兵器や核兵器を自由に使いこなすようになるでしょう。この新しい脅威の下、世の指導者は「予防的実体無き戦争」説に訴えてきましたがその立場は重大な、倫理上の考慮すべき問題を提起しています。
倫理秩序と公的権利
倫理秩序の指針には今日の経済的、政治的、文化的そして軍の秩序の管理維持が欠けていました。これが「パチェム イン テリス」のメッセージの今日性です。このようなガイダンスなしには共産主義のようなイデオロギー制度や、堅固な基盤に立っているかに見えるものの抑制なき資本主義は、明確な倫理の基盤を欠いているので現実には非常に脆弱です。それらは、ネブカドネツァル王*の考え方にたった巨大な像のようなものです。優れた才能とひどい態度、つまり、頭は純金で胸部と腕は銀、腹部と腰は青銅、脚は鉄、けれども足は鉄と粘土でできています。その像は足を一打ちするだけで吹きさらしの海岸で砂のように粉々になり跡形無く吹き飛ばされてしまいます。
*新バビロニア王(605-562B.C.)エルサレムを破壊して王と住民をバビロニアに幽囚した。
「パチェム イン テリス」は私たちに戦争が、国際基準に違反する行為を正す適切な方法ではないことを教えます。人々や国々の間に発生する違いは、交渉と同意により解決しなければなりません。"普遍的共通善"は威圧や武力によらず、国際レベルでの適正に構成された公の権力を通して、国々の共同体の賛同を通じて進められると述べています。その権力は超大国であってはなりません。副次的原則を尊重し、各国に適切な権力を尊重すべきです。
イスラエル・パレスチナとその他の地域
おそらく今日、中東の劇的状況ほど政治権力の合法行使が明らかに必要である場所は他にありません。日々、年々、暴力と報復の連鎖が、現実の問題についての重大な対話に関わろうとする努力を巧みに遅らせてきました。国際共同体内の相争う利益自体、状況の爆発しやすさに貢献するだけでした。女性も男性も、人間の尊厳と人権の尊重の原理に堅い礎を置く政治を行う勇気が、明らかに必要です。そのような政治は紛争の継続より、全ての人の最善の利益のうちに、比較にならないほど多く見られます。
私の国では、更なる不信、分裂、屈辱へと導く新しい施策が今行われようとしています。新しいタイプのベルリンの壁が建設中で今回は、壁はイスラエル人とパレスチナ人の間に造られます。2002年イスラエル政府はパレスチナ西岸地区に沿って350km、高さ8mの境界壁を建築始めました。その目的は、起こりうるパレスチナの自爆攻撃からイスラエル人の身を守るためです。理由は何であれ私達はそのような全ての暴力行為は非難されるべきだと断言しました。この仕切りは二つの人口間の心理的と同時に身体的な障害であり続けることは疑いの余地もありません。いわば一種のアパルトヘイトの壁です。パレスチナ人は事実上閉じ込められ、巨大な牢獄にいるようなものです。ある人々は間違いなく更に深い憎悪をイスラエル人に対し抱くことになるでしょう。更なる自爆テロ、報復攻撃に走り、かくして暴力の連鎖が続きます。
しかし家や農地が破壊される最中にあっても、二級人間として扱われても、外出禁止令や兵隊の検閲所での辱めに耐え、良い時代への希望の中に生きている多くのパレスチナ人がいます。イスラエル人のパレスチナ占領に終止符が打たれることを願いながら希望の中に生きています。この占領が暴力の、深くそして現実の原因です。新しい交渉つまり、更なる暴力を避けるためには全ての人を含む、全てのレベルでの話し合いが火急的に必要です。
勿論、イスラエル・パレスチナは、倫理や政治権力における危機をはらんでいる、世界で唯一の地域ではありません。パックス・クリスティ・インターナショナルは世界の他の部分でも、非軍国主義化や、人権と民主主義を勧めるために、あるものは数年の長きにわたる異なった企画を持っています。ラテンアメリカでは私たちの運動はブラジルの土地問題に絞っています。コロンビアの凶悪な暴力とその結果としての流民、グアテマラでの文明の崩壊と刑罰、ハイチにおける貧困など、エルサルバドルでは人々の間に多くの軽兵器があり、社会での暴力の影響が増加しています。私たちの運動は戦争や争い後の傷を許し癒すため、人々の間の深い分裂に橋を架ける目的でTruth
Commissionsの仕事を支援しています。
アフリカでは、スーダン、ウガンダや中央アフリカの国々で企画を実施してきました。アフリカに民主主義、非暴力と人権について私たちの計画を広めるのが狙いです。私達は二つの地域間協議を予定しています。一つは中央アフリカに焦点を絞り、もう一つは、アフリカ全体のために私たちのパートナーが集まることです。今年も私たちの組織はジュネーブ国際人権委員会にDRCongoとGreat
Lake Regionとの成文化された調停を提示しています。
そうです。戦争は恐ろしいものです。このような世界では私達は否応無く自問させられます。持続する平和を打ち立てる倫理的土台はどこにあるのかと。ネブカドネツァル像のイメージが今日ほど適切なことはいまだ嘗てありませんでした。
宗教の役目
戦争の文化から正義と愛の文化へ巧く移り変わるために、世界の宗教は果たすべき決定的役目を負っています。異宗教間の会話は、より正しい平和な世界を作るうえで不可欠な段階です。宗教は戦争のための根拠として使われることを決して許してはならなかったし、これからも許してはなりません。
パックス・クリスティ・インターナショナルはエキュメニカルと異宗教間両方のレベルでの会話と調和を推進し続けるでしょう。私たちは自身の宗教の伝統を越え、真実と知恵を捜し求めることを容認し尊重します。抑圧された者の声に耳を傾け、「地には平和」の精神で志ある者とより正当で調和ある世界を作るために働くでしょう。私達はこれらの努力の基盤が、お互いの寛容と、全ての場所で宗教の自由が等しく尊重されることでなければならないことを認めます。
パックス・クリスティ・インターナショナルは積極的な非暴力を、紛争解決手段として推し進める効果的方法を探し続けます。今日世界の多くの国を悩ませている外国人嫌いや人種主義を止めるには、平和教育が全レベルで不可欠です。子どもたちは、他の人と違う権利を尊重する、多文化社会の中で生きるよう教えられなければなりません。宗教教育は心を開き許しあう真の精神を推し進めなければなりません。
希望の約束
四旬節は何か期待感を伴います。この季節、私達は復活の約束のために各自心を準備します。希望がなければ、準備することは全く無意味です。私たちの準備は必ず希望で終わるのです。最善の努力をすれば私達はこの希望を育てることができます。特に、暴力行為や死によってその希望が日々試されている人たち、世界中の難民キャンプや戦争区域に居る人たちとのまったき一致を通してできるのです。これらの人々の多くは、今日現在の姿より更に美しく変容した世界のイメージに固執しています。もしこれらの人たちがあきらめないなら、私たちもあきらめてはなりません!壁や防壁に囲まれることを拒否する人、ベルファーストやベツレヘムで、カトリックとプロテスタント、ユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒を分けるために建てられた境界壁を越える人々の中に見られるその一致の行為から、私達は力を、そして行動する勇気をもらいます。彼らは、恐れや疑いのために、神の愛の証しや正義のための行為が減ることを拒絶する人たちです。この人たちが私たちの希望を支えているのです。平和への熱望は常に存在します。ヨハネ23世は世界平和のことを「人類の永久の夢」と呼んだときこのことを悟っていました。教皇はまた、このビジョンが、私やあなた方のような普通の人々が、この壊れた世界への神の平和の担い手となるため、共に働くことによってのみ達成できることを認めていました。
この四旬節の間、イラク危機のために、正義が平和をもたらす解決、数え切れない死者や想像を絶する苦しみの悪夢を除いてくれる平和的解決を祈ります。又世界が、平和への道はイスラエル・パレスチナ紛争の全ての地区への道であることを忘れないように望みます。この四旬節の間私達はできれば、"隣人"に対して行っていると同じぐらいに、自身の誠実さを糾明することに関わりたいものです。私たちの時代の悪はテロリズムです。このテロリズムは真に、糾弾し戦わなければなりません。けれどもその苦労の全ての努力をもってしても不正義や貧しさの抑圧を許す自分の弱さを含め、その根本原因に向わなければ、テロリズムは止みません。
パチェム イン テリスの40周年記念は教皇ヨハネ23世の予言的教えに立ち帰る適切な機会です。今年、パックス・クリスティ・インターナショナルの支部は、最もエキュメニカルで異宗教間的な性格を率先することでこの機会を記念します。正義と平和を熱望する人々は、誰でも歓迎します。
私はこの希望に、全ての善の源である慈しみ深い神への祈りと共に加わります。私たちを抑圧と暴力から自由と全創造物の善へ招く方が、世界中の人々を助け平和の世界を築かせてくださいますように。世界が、教皇ヨハネ23世の歴史的回勅の四本柱(真実、正義、愛と自由)で成る堅固な基盤を見出すことができますように。
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