エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.194

イスラエルコンクリート壁でベツレヘムを分断
−恐れと疑い−

Justin Huggler
2003年2月22日付けIndependent(UK)より

壁 エルサレムから到着して石灰岩で覆われた古い家々の立ち並ぶベツレヘムの最初の通りへ足を踏み入れると、人影はまばらである。観光客で賑わっていたレストランには板が打ちつけられている。数ヶ月以内には、ベツレヘム近隣と他の町を分断する高いコンクリートの壁がこの通りの中央を貫くだろう。

 ここの住民は、イスラエル軍の監視兵に護衛されるコンクリートの壁によって町から追い出されることになる。その住民のほとんどは、急減するパレスチナ人のキリスト教徒コミュニティである。彼らは軍が発行の可否を決める許可証を持った上で、イスラエル軍の監視所経由でのみベツレヘムに入ることを許されるようになる。彼らは反対側のくぼ地であるエルサレムに入ることは許されない。そこは壁で妨げられていて入ることはできない。

 Amjad Awwadは彼が営んでいるミニマーケットを手放さざるを得ない。 彼の家は通りの一方に、ミニマーケットは反対側にあるのだから。 壁が出来てしまえば、働きに行くのにも家に戻るにもイスラエル軍の許可証がいるのだ。しかし、彼の心配はこれだけではない。

 「夜中に医者にかかる必要が生じた時、病院はイスラエル政府に電話をして、医者がこの地に入るための許可証を用意しなければならないと言われた。 もし心臓マヒなら、我々は救急車が入ってくるのを、政府が許可する前に死んでしまう」

 壁が建てられた後は、ごみ収集のトラックを寄こすことにさえベツレヘム市当局はイスラエル軍の許可が必要になるであろう。 その壁は、イスラエル政府が西岸地区の周りに、封じ込めとパレスチナ過激派のイスラエル進入を防ぐために建てている、電流が通る鉄条網とコンクリート壁でイスラエルの「ベルリンの壁」として知られるものの一部である。 

 ここではほかと同様に、壁は1967年合意の境界線に沿ったものではなく、西岸地区に深く入り込んだものである。イスラエル当局言わく、それがベツレヘムに食い込んでいる理由は、そうすることで、市内のユダヤ教の聖地であるラケルの墓がイスラエル側になるからとのことだ。 巡礼者たちが簡単に詣でられるのを保障するためである。

 ベツレヘムのその他の場所から追い払われる500人余にとっては、壁は災難である。建設命令は世間がイラクに注目している最中の今週発表された。 ラケルの墓を含むというイスラエル内閣の決定はアメリカに対するテロ攻撃記念日の9月11日に公にされた。

 偶然ではない、と壁によって親戚から引き裂かれるベツレヘム市長のHanna Nasserは言う。 彼の義理の息子も壁で分断される地域に住んでいる。
「なぜ壁が必要なのか?」彼は問いかける。 「ラケルの墓の周囲全域は既にオスロ合意に基づいて完全にイスラエルの支配下にあります」 墓は既にコンクリートの壁で囲われており、その回りの建物の上にはイスラエル軍の護衛所が立ち並んでいる。

 「彼らに隠れた意図がないなら、何故それが必要なんですか」とMr. Nasserは言う。その地域を壁で切り離す本当の目的は、そこの人々を強制的に立ち退かせ、土地をイスラエルに併合することだと彼は示唆している。

 同意見がパレスチナの組織である応用研究所のJad Issac博士からも帰って来る。 研究所は、占領地区のイスラエル側居留地の建物の地図を作っており、それは商業用衛星写真が用いられている。 イスラエルは、ベツレヘム住民にフェンスによって囲まれているということを示している。このフェンスは、占領された西岸地区であるエルサレム郊外に建設された新しい居留地を守るためのものである。 「ベツレヘムの町には自然に広がるような余地はありません」とDr. Issacは言う。 「人口は非常に過密になり、人々は勝手に出て行き始めるでしょう。 我々は移住することを余儀なくされます。」

壁とこどもたち


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