エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−


分離壁について


キャサリン・メイコック
2003年11月1日

 コンクリートの壁で新しく補強された検問所――ラマダンへの出発地点を通って今日私がベツレヘムに来たとき、二人の老婦人が私の乗ったタクシーの方へスーパーマーケットのカートを押してきました。私から高い料金を取って早く立ち去ろうとする運転手の文句をものともせず、伝統的な刺繍の衣装を着て、重い袋を次から次へと降ろし、タクシーの屋根の上の網棚へ積み始めました。二人は、見張りのイスラエル兵と話している若いロシア人の前を通らずに、検問所の脇の泥道を回ってきました。袋の中のオリーブは、その朝6時から近くのオリーブ園で摘んだものでした。検問所のもう一方の回り道を通り抜けることは出来ませんでした。最近新しく、ピカピカの銀色の有刺鉄線が6フィート高さの列に丸められていたからです。この有刺鉄線は、今やベツレヘムまで延びた「分離壁」のトレードマークです。これは壁のイスラエル側にあるベツレヘム地区を守り、またベツレヘムの中のラケルの墓に建設されたHar Hom入植地わきの要砦を守り、神殿へイスラエルの観光客をバスで運べるようにするためです。一方、現地の自称キリスト教徒やイスラム教徒が神殿へ巡礼することは出来ず、過去三年間もそうであったように彼らは町に閉じ込められ、ベツレヘムから出られません。でも安全機構には隙間があります。1歳〜45歳の年齢枠以外の人々は、その隙間を縫ってなお危険を冒して商売するのです。このおばあちゃん商人が金を被せた歯を見せて笑いながら、ベツレヘムの市場でオリーブを1kg 1・・で売れると話してくれました。

 彼女はジェニン近くの完成した分離壁のゲートを通り抜けました。10月4日、ハイファのレストランで19人を道ずれにHandi Jardat(魅力的な29歳のパレスチナ人弁護士)が自爆出来たのです。壁は安全度が増すことをイメージさせるので、あらゆる自爆攻撃は、分離壁への平均的なイスラエル市民の支持を強めさせます。しかし殆どの自爆者は、検問所を通り抜けていると報告されています。ハンディの殺人行為は、6月のジェニンでのイスラエル軍による侵攻の際、兄といとこを殺されるのを見たことが根にあるようです。復讐したいと思うとき、人は壁があろうと無かろうと道を見つけるようです。

発表された地図

 10月23日イスラエル国防省は、パレスチナ人がイスラエルに入れないように、西岸地区の中に建設される分離壁のルートの輪郭を描いた地図を始めて出版しました。壁は今までのところ、約180km建てられました。これが完成すれば、分離壁は、壁のヨルダン渓谷側を除き、600km以上になるでしょう。つまり、グリーンライン――1949年の休戦ラインと西岸地区の境界線の2倍の長さです。時には、複雑な壕の連なり、有刺鉄線、通電されたフェンス、30〜100m長さの安全パトロールの道路、他の場所では8m高さのコンクリート壁、武装された見張り塔、カメラ、赤外線センサーなどがあり、分離壁は現在、壁のイスラエル側にあるユダヤ人入植地を守るため、西岸地区の中を20kmほど蛇行しています。

囲まれた地域

 分離壁とグリーンラインの間の土地は、約20万人のパレスチナ人をいわゆるイスラエルが言う「縫い合わされた地域」「囲まれた地域」に囲うために設置されたように思えます。10月2日に出された新しい規則によると、この地に既に居る全てのパレスチナ人居住者は家に住み続ける許可、土地を耕す許可、旅行する許可を出願しなければなりません。今までに出された許可は4ヶ月から6ヶ月の期間に当てはまるものだけでした。しかし、ユダヤ系のイスラエル人は、この地域に自由に居を定め、働くことが許されています。「この指令は、世界中のユダヤ人が「囲まれた地域」の中を自由に旅行する権利ありと見なすが、この地に住み、耕し、土地を持つキリスト教徒とイスラム教徒にはそれを拒否する」(交渉支持団、パレスチナ当局)。そしてこのパレスチナ西岸地区の中は、国際法によれば、全て違法に占領されているのです。安全と秩序をもたらすために必要で論理上妥当な諸規則だとするイスラエルの新しい法律の問題点は、現実には領土を併合し、侵略の事実をあいまいにし、一般人の生活をどんどん貧しくしていることです。パレスチナ人農夫や囲まれた地域の住民たちは、やむなく仕事を止めざるを得ないのです。多くの人々は、農地を耕すこともできず、働きにも行けず、収入を得ることができず、食糧援助に依存する階級に加わっています。それだけではなく彼らは、この地域から東の方へ、生き延びられる望みにすがって、もっと狭いパレスチナ地区へと追いやられているのです。

入植者の意見
 
 最近わたしが出会った二人のユダヤ人入植者は、入植者はみな分離壁を歓迎しているという広く一般に信じられていることに真っ向から反対しました。「もし壁ができなかったら、私はもっと安全だったでしょう。壁が無ければコミュニティーはもっと油断なく警戒するでしょう。これは一時しのぎの手段で、お金の無駄遣いです。」と、西岸地区中心部シロに住む入植者は語りました。壁がシロを囲もうが囲むまいが、彼は妻と五人の子どもたちと共にそこに留まるでしょう。そうすることがエルサレムを護り、パレスチナ領との接触を止めることになると彼は信じています。西岸地区の入植者が居なければ、「シオニズムは魂を失う」と信じる他のある住民は、同じようなことを言っています。「壁は、赤ん坊がねんねのときに抱きしめる毛布のような心の休まるお守りです。不要なものです。」1km 1m・・以上の費用が費やされる裏で、イスラエルでは多くの福祉費が削られていることに対して、これは厳しい批判です。

エルサレムよ…

 先週の木曜日、北エルサレムに新しい分離壁の計画が発表されました。それは、エルサレムとラマラとの間の、大きな検問所のあるQalandiaからPigatze'evと私が住み働いている東エルサレムの近くのNeve Yaacovの大きなユダヤ人入植地を回って、グリーンラインとの間にある全てのパレスチナ人地区や村々を取り囲みます。その計画が取りやめにならない限り、45kmに及ぶ分離壁が来年初めまでには、東エルサレムに完成される予定です。もう既に5万人が学校、店舗、医療サービス、そして家族から切り離され始めています。それは、子どもたちや大人が朝早い時間帯に、まだ完成されていない壁のコンクリートブロックをよじ登り、もし体が小さければ隙間をすり抜け、学校や職場に行くのを見物する、外国人のスポーツとなっています。私の二人の仲間は目下、家からオフィスまでたった5kmの距離を、壁によじ登ることを避けて、20kmに及ぶ入植地の道路を車で迂回しています。

 11月8日の土曜日、東エルサレムで、イスラエルの若者のグループが、政府の行動に反対して示威運動をしていました。これは、11月9日の日曜日が、現在進行中の惨状と分割に注意を向けるため、ヨーロッパ中の都市で反対運動を行う『国際分離壁の日』となっているからです。数学を少し

 分離壁は、二カ国の解決にとって最後の弔いの鐘です。1947年国連の領土分割でパレスチナ人は統治領の45%の提供を示されました。イスラエルが建国した1948年の戦争後、パレスチナは、22%(西岸地区とガザ地区)の領土になりました。1967年の戦争で、イスラエルはその22%を占領しました。オスロ合意(1993年)では行程が公式文書に記載され、それによりイスラエルはその22%を返還することとされました。7年間の交渉では具体的成果が殆ど見られず、領土の中のユダヤ人入植者数は倍増しました。現在の計画ではいまだ明らかにされないヨルダン渓谷のプランを含め、分離壁ができると二つのパレスチナの領土22%の約半分、つまり、統治領の約10%になってしまいます。度々引用されるレトリック「パレスチナ独立国」は、実際には、西岸地区の見たところ独立不可能な二つのゲットーと、既にフェンスで囲まれたガザという牢獄になるでしょう。そこには350万人が現在狩り集められています。

 キャサリン・メイコックは、パレスチナ西岸地区のクウェーカー教徒平和と奉仕立会人です。



HOT NEWSのもくじ

トップページに戻る