痛いのは、體が憶えているそれではなくて、
心に刻まれた見えない傷口。
呪祖のように繰り返される、
言葉の狂気。
アンタナンカ、イナケレバヨカッタ
自分の中に巣食う狂気に、
いつか自分は殺されるのかもしれない。
「あ・・・ったま痛てぇ・・・」
ひどい頭痛に目覚めて、視界の先に広がる見慣れぬ天井が、何かに滲んで霞んで見えた。
ここ、何処?
重たい身体をゆっくりと寝台の上に起こしながら、悟浄は頬を濡らす涙の跡を拭う。
「俺・・・何、泣いてんだ?」
昨日、誰かと云い争いをして、そのまま転がりこんだ酒場で、見栄えなく、随分大量
の酒を含んだ記憶が甦える。珍しく、嫌な酒の飲み方をして、正体を無くした自分が今、何処にいるのか判断が出来なかった。
ずくずくと痛む頭で記憶を辿ってみても、思い出すのは煽った酒の苦味だけだった。
「あっ目が醒めたみたいだね」
霞んだ目が、小さな影を捉える。その後ろ、薄暗い部屋の中で、何か、焔のようなものが無数に揺らめいていた。
「お酒、だいぶ飲んでたみたいだけど、大丈夫?」
「・・・頭、痛てぇ。つうか、ここ何処?」
潤んだ瞳を擦りながら、悟浄は目の前で水の入ったコップを差出している少年の顔を見つめた。
俺、子供にまで手ぇ出したわけじゃないよな?
いや、何処かで、見たことのある顔。
誰だったろうか。
「大丈夫?いい大人が泣くなんて、よっぽどのこと?」
「んなこと、どうでも・・・あ〜っ」
微かに記憶の片隅にあったその顔が、にぃと笑う。
「あっ。お前、もしかしてこの間の、卵屋・・・さん?」
「はい。その、卵屋さんです」
少年はにっこりと微笑んで、紅い髪をかきあげた。
「嬉しいな。憶えててくれたんだ、お兄さん、」
「・・・なんで、お前が。ここ、お前んちか?」
「家って言うか、工房兼、研究所。基本的に行商だから僕に家はないんだよ」
言われて、見回した部屋の壁に、ぼんやりと光りを揺らす卵の群が見えてきた。「卵」と言っても、それは殻細工の加工品で、殻座の中に小さな蝋燭が灯されていた。
「また、妙なもの作ってんのか?」
「素敵なもの。と言って欲しいな・・・「あれ」、結構 よかったでしょ?」
にやにやと綻んだ顔が、無邪気に笑んで、悟浄はその笑みにほっと小さな息を吐く。
「ふふっ。お兄さん、そう言う顔のが良く似合うよ」
「は?」
「さっきまで、すごく痛い顔してたから」
「なによ、それ。俺が?」
「泣いちゃうくらい」
イタイコト。
何かに傷ついて、腹をたてて。
誰かを傷つけて、そんな自分が嫌になった。
痛いと言って悲鳴をあげたのは、
見透かされた心の傷口。
延ばされた手が、
与えられた言葉が、
優しすぎて、
素直になれない。
「図星刺されて、やつあたり・・・ってやつかな?」
「それで、お兄さんの方が、傷ついて、泣いたの?」
「まっそんなトコ・・・かな、俺って、ガキくせ〜」
苦く笑った悟浄を見て、卵屋の少年は大人のような仕草で悟浄の頭をぽんと撫でた。
「優しい人だね。お兄さんは、」
「ははは・・・それ、あんま嬉しくねぇ」
俺、何で子供に慰められてんの?
ったく、情けねぇ。
「そうだ。これ、持ってってよ」
「・・・えっ・・・」
「新しい作品だよ。きっと良いことあるから、」
また、そう言う胡散臭いことを・・・
でも。
でも?
「今度は、「痛い」のは嫌だぜ」
「大丈夫、保障しますよ」
少年の悪戯な微笑みに、悟浄の好奇心が微かに疼いて。
「ところで、今何時?」
「・・・もう、お昼過ぎだよ、」
「げっ」
出発は確か、正午・・・だったような。
「なんで、この部屋、こんなに薄暗いんだよ」
「あぁ。窓が無いんだ、この小屋」
「マジ・・・怪しいよ。お前」
*--*--*--
卵屋の少年から渡されたのは、綺麗な細工の施された卵殻の燭台が二つ。
中には、3時間で燃え尽きると云う蜜蝋の蝋燭がしつらえられていた。使い方は至って簡単だったが、前回同様に、少年の口から吐き出された言葉に、悟浄は耳を疑った。
んなこと、あるわけねぇ
と、これもまた前回同様思ってみたが、前回の「あれ」を思うと、ちょっとした期待は持てるかもしれないと。
「けど・・・誰にこれを・・いや、誰と俺が・・・」
ぶつぶつとひとりごちながら、悟浄は宿屋までの道のりを早脚で辿っていた。
未だ醒めない、酔いを抱えたまま・・・
おそらく、出発してしまったに違いない3人を思って宿屋の戸をくぐると、悟浄の予想に反して、ロビーでくつろいでいる3人の姿が見えた。正確にいえば、くつろいでいる・・・風でもなかったのだけれど。
息を切る勢いで戸を開けた悟浄を認めて、蒼白な顔の八戒が立ちあがる。一瞬、気不味そうな表情がその顔に浮かんだ。
そう。昨日の喧嘩の相手は、この八戒なのだ。原因は大したことではなかったのに、悟浄の言葉に熱くなった八戒に、さらに悟浄が熱くなって、言い争いになったのだった。収拾の付かなくなった二人を見かねた三蔵の一喝でその場は収まったものの、どうにも腹がたった悟浄はそのまま夜の酒場に飛び出して。
この始末だった。
ちろり、と三蔵が強い視線を向ける。
「おい、出発の時間はとっくに過ぎてんだよ」
「えっ・・・ってもう出発しちゃったかな〜って思って」
「そこの、」
顎をしゃくって、八戒を指す。
「出発を伸ばしてくれ、とか抜かしやがって」
「は?」
「あれから、ずっと待ってたんだぜ。八戒、」
悟空がとぼけた声で云う。
「え?」
「くだらねぇ」
「くだらないことじゃないでしょ、三蔵。もう戻ってこないかと思って・・・
心配したんですから、」
すくっと顔を上げた八戒は、少し赤く充血した目で悟浄を諫める。
「えっと・・・」
「でも、謝りませんよ。僕が昨日悟浄に言ったこと、 嘘じゃないですから」
その通り。
悪いのは、八戒ではない。子供のように拗ねた自分が悪いのだ。そんなことは判っている。
「てめぇらの事は、てめぇらできちんと始末しろ」
「そう云う言い方は冷たいだろ、三蔵。三蔵だって心配して、あんま寝てないじゃんかよ、」
「うるせぇぞ、猿。行くぞ」
照れ隠しのように悟空の後ろ襟を掴みながら、三蔵は八戒に目配せする。始末しろ、とは言葉が悪いが、きちんと仲直りをしろと云っているのだ。二人の喧嘩の原因に、三蔵も一枚噛んでいれば尚更で、三蔵は三蔵なりに気を使ってくれたらしい。
噛んでいる、と云っても、勝手に噛まされて迷惑千万な三蔵なのであったが。
さて、残された二人は、互いに視線をそらしながら重い空気の中にいた。どちらともなく、会話の切っ掛けを掴みかねて流れる沈黙に息を殺す。
「それ、」
はじめに沈黙を破ったのは八戒の方だった。悟浄の胸の前に大切そうに抱えられている包みを見咎めて、不信そうに眉を寄せる。
「それ、何ですか?」
「えっ」
「その大事そうに胸の前に抱えてる、それ」
「あぁこれ?・・・えっと、これは・・・」
本当のことなど言えるわけもなく。
この手の中にあるものの正体は・・・
「で?今度のはどう云う?」
手渡された燭台をまじまじと眺めながら、悟浄は卵屋の少年の言葉を待つ。少年は得意満面
に笑顔を浮かべるその頬をにぃと歪めた。
「この蝋燭を灯している間だけ、あなたの姿はあなた以外の誰かに見えてしまう・・・と云う。幻惑の卵です。範囲限定ですけど」
「範囲限定?」
「蝋燭の光が灯されている部屋の中だけしか効力はないんですけどねっ」
「それ、なりたい誰かになれんのか?」
「もちろんですとも。でなけりゃ意味ないでしょ・・・」
くくくっと笑いながら、少年は燭台が対の双組である意味を解く。なる程、と感心しながら、悟浄は自分の中に芽吹いた滾る煩悩に渇いた笑みをこぼした。
いかん。何考えてるんだ俺は
喧嘩をして、腹をたてていたんじゃなかったのか?
いかん、いかん、いかん。
それでいて、しっかりとその燭台を胸に抱きながら宿に戻る自分に呆れて。なりたい誰かになれると云うなら、自分は誰になり変わるのか。それはきっと・・・
「悟浄?」
「へ?」
「へ?じゃないでしょ、僕の云ってることちゃんと聞いてますか?」
「え〜と、こ・・これね。これは・・・」
態のいい言い訳を探しながら、悟浄は頭を掻いてへへっと表情を崩す。
「誕生日プレゼント」
その言葉に、八戒の整った顔が凍りついた。指先が、微かに震えているのが見える。
「た・・・誕生日・・プレゼント?」
「そっそう。誕生日・・・あれ?何か怒ってる?八戒・・・」
「あなた・・・昨日の喧嘩の原因を忘れたわけじゃ」
見開いた八戒の緑瞳が信じられないものを見る形相を呈して。
「僕のは、ダメで、何処かの誰かさんからのそれは受け取れるってことなんですか?」
「いや、そう云うんじゃなくて」
「じゃぁ、どう云うんですか、」
昨日と変わらず、やけにむきになって噛み付いてくる八戒を、頬杖をついた姿勢の悟浄がじっと見つめる。柔らかな視線が惜しみなく注がれて、悟浄は決めの一手でにっこり微笑んだ。
気にしてくれてるってこと?
「もしかして、俺ってば、すげ〜困ったちゃん?」
とろんとした、誘うような悟浄の視線が八戒の瞳を捉える。
「えぇ、えぇ。まったく、子供みたいで。しかも、何なんです?昨日あれだけ怒りまくって、勝手に飛び出して行ったくせに、帰って来た貴方は、全然ケロケロって感じで。心配して損したとかは云いませんけど、」
滔々と言葉を吐く八戒の手に、悟浄はそっと手を重ねて。
「なっ」
「・・・・・ワリ。」
「えっ」
「俺の、ワガママ」
「悟浄?・・・」
「ただの、嫉妬です・・・」
素直になれなくて
重ねられた手の下で、八戒がゆるりと力を抜く。本当に心配してくれていたのだと、その手の強がりに示されて、八戒の寛容は、いつでも自分を守ってくれているのだと。
「それは、誰に対しての嫉妬ですか?」
八戒の、意地悪な質問に応えて。
「・・・クソ坊主・・・」
素直に
*--*--*--
ところで、昨夜の顛末をお話しておこう。遡れば、一昨日の深夜のこと。
真夜中、ふと目を醒ました悟浄は、隣のベットで眠っているはずの悟空の姿かないことを訝しんで廊下に出た。廊下の先、宿屋の厨房から薄い灯りが漏れていて、聞き慣れた声が楽しそうに笑っていた。悟空と八戒の声だった。
「美味しそうじゃん。すげーよ、八戒」
「そうですか?それにしたって悟空の鼻には叶いませんね・・・」
「だってさ、こんなに甘い薫りがぷんぷんしてたら、寝てらんね〜もん」
「味見、してみますか?」
「いいのか?」
「ええ。どうぞ、練習用ですから」
「練習用?・・・そっか、三蔵の誕生日はまだちょっと先だもんな」
誕生日。
八戒の口がそんな言葉を吐いていた。八戒は、夜中の厨房を借りて、三蔵の誕生日の為にケーキを焼く練習でもしているのだろうか。悟浄は、「誕生日」と云う言葉を噛み締めて溜息をつく。
「うっめ〜。甘くて、ほっぺた落ちそうじゃん」
「・・・悟空は、ほんと美味しそうに食べますよね」
「いいよな〜俺の誕生日の時にもつくってくれるか?なぁ、八戒」
「う〜ん。そうですね・・・考えておきます」
俺のは?
などと考えて、悟浄は苦笑を漏らす。別に、誕生日なんて誰かに祝ってもらおうとは思っていない。自分が生を受けた日に何かの感慨があるわけではなかったし、どちらかと云えば、悟浄にとっては、この世に生まれ居出た苦しみの方が深い。
母親から疎まれ続けた悟浄にとっては。
アンタナンカ、イナケレバヨカッタ
その言葉を思い出す度、心が痛くて堪らないのだ。
誕生日など、来なければいいと。
それなのに、三蔵の為に疲れた身体を押してケーキを焼いている八戒を見つけて、さもしく羨ましいと思ってしまった自分が可笑しかった。
揶揄ってやろうかとも思ったけれど、 悟浄はそのまま踵を返して、苦い思いで再びベットの中に潜り込んだ。
「ちょっと。それはダメですよ、悟空」
「え〜なんで。こっちのが、綺麗で美味そう」
「ダメです。食べていいのは、練習用の方だけですって」
「ちぇっ。つまんね〜のぉ。いいじゃん、ちょっとくらい」
「・・・こっちはきっと、悟空の口には合いませんよ」
「何で?」
「こっちのは、・・・悟浄のですから」
そして、その日の夜。これが昨日の晩の話。
「あ〜、喰った。喰った」
満腹満足に腹筒を打つ悟空の脇で、八戒は食後のお茶を入れながら、テーブルの脇に置かれていた白い箱を取り出した。方形の箱には、可愛らしい水色のリボンが結ばれていた。
「何よ。俺?」
その白い箱を差出された悟浄は、少し驚いて肩をあげる。
「悟浄、今日お誕生日でしょ?」
「俺の?」
「そうですよ」
「俺の?」
「・・・そうですてばっ」
何か、浮かない顔で悟浄は八戒の顔を見た。試すような強い目で見られて、八戒は分からずに首を傾げる。
「ふうん・・・」
解かれたリボンが脇に垂れ、開けられた箱の中から、綺麗にデコレートされたケーキが・・・
「あっ」
八戒が小さな声をあげて、悟浄はただじっとそのケーキを見つめて、悟空は邪気の無い顔で苦く笑って、三蔵は驚いたように眉間に皺を寄せた。
丸く、形よく整っているはずの生菓子は、端の一部分を虫食いのように消失していた。明らかに、つまみ喰われた跡を残して。
ゆっくりと悟空を睨む八戒の口が、何か言葉を紡ぐ前に。
「けっ」
悟浄の口が毒を吐いた。
えっ。
八戒の視線と、悟空の視線と、三蔵の視線が一点に集中する。
---「味見、してみますか?」
---「いいのか?」
---「ええ。どうぞ、練習用ですから」
「何か・・・気に障りましたか?」
「・・・俺の為?・・・別に嘘吐かなくたって怒ったりしねぇのに・・・」
「ご・・じょう?何を云って、」
「別に、俺の為じゃなくても、
ケーキ焼いたなら、それはそれで、みんなで食べましょうとか言い方ってもんがあるだろう?」
「僕は、貴方の為に・・・」
「嘘吐け、・・・三蔵の為だろ、
んなもん、喰いたかねぇよ」
俺は、何をそんなに怒っているのだろうか?
八戒が、三蔵の為に何かをすることが嫌なのではない。
八戒がそれで幸せならば、俺も幸せなのだから。
俺は、何にそんなに脅えているのか。
アンタナンカ、イナケレバヨカッタ
居なければよかったと、存在理由を否定されて。それが辛くて。
誰かの変わりに、何かのついでに、そうされることが辛くて。
認めて欲しくて。
俺が、俺であることを。それが赦されることを。
だから・・・
俺の為なのだと、嘘を吐かれたことに腹がたって。
八戒に嘘を吐かれたことが。
「お前は、三蔵、三蔵って云ってればいいんだよ。
俺にまで優しくすんなよ。嘘吐かれてまで、優しくされされたって、嬉しくねぇよ」
その後、八戒が滅茶苦茶怒り出して。
売り言葉に買い言葉。ああ云えば、こう云うで、引っ込みがつかなくなってしまったのだ。
別に、そこまで怒ることでもなかったのに
なんで、八戒はあんなに怒ったんだろう。
*--*--*--
素直に、
そう思った先から、悟浄の頭に邪な考えが浮かぶ。手の中の燭台の硬さに身震いして。
誰かの変わりに・・・それならそれで、
わかっているのに、懲りない男。
三蔵の部屋の戸を叩く。
「もう、いいのか?」
「・・・出発、伸ばしちまって悪かったな。置いてってくれてもよかったんだけど、」
「俺は、端からそのつもりだ。八戒が死にそうな顔してなけりゃ、さっさと出発してる」
呆れた顔をして、三蔵は昨日の不始末を詰る。八戒は、激情にまかせて悟浄に向けて吐いた言葉に後悔して、一晩中蒼い顔をしていたのだと云う。
「何・・・云われたんだったっけか・・・俺憶えてないんだけど、」
これは本当のことで、見透かされた何かを八戒は言葉にして。
「ところで、何しに来たんだ」
「あぁ、これ。三蔵にやろうと思って」
悟浄は対になっている燭台の一つを三蔵の前に差し出した。手の込んだ細工に、珍しく三蔵が興味を示す。
「何だ、これ」
「卵の殻で出来た燭台だってさ。中の蝋燭に灯を入れると、なんか、ム〜ディになるらしいぜ。3時間で燃え尽きるらしいから、今夜あたり試してみたら?どうせ、出発は明日に伸びたんだし」
嫌らしい顔をして悟浄が云う。
「・・・お前、平気なのか?」
「は?」
「お前、八戒が好きなんだろ?」
「しょうがねぇじゃん、八戒はあんたが好きなんだし。幸せそうだし・・・」
「・・・・」
「何?」
悟浄は、じっと見つめ返して来た三蔵の視線に惑って無理に笑うと、頬が不自然に引き吊れた。冷静を装って、気がつかれないように、視線は逸らさずに。
「・・・くだらねぇこと、考えてんじゃねぇぞ」
「えっ」
すみません。
くだらないこと、考えてます。
*--*--*--
「おいっ」
もうすぐ眠りに就こうかと云う頃、三蔵が悟浄の部屋を訪れた。悟空は既に夢の中。
「・・・夜這い?」
ベットの上で煙草を吹かしながら、悟浄はくだらない冗談を云う。表情も変えず、三蔵はただ用件だけを言葉にする。
「火、貸せ」
「火?、何、あれ、使うの?」
「・・・殺すぞ。煙草にきまってんだろ」
「ちっつまんねぇやつ。折角、俺がやったってのに、」
「おしゃべりはいいから、火を貸せ」
三蔵は右手を差出す。
「ライター、無くしたの?夕飯の時は自分のやつ持ってたじゃん」
などと、云う悟浄。実は、三蔵のライターは秘かに悟浄のポケットの中にあったりするのだ。全てシナリオ通
りだ。と思いながら、悟浄はほくそ笑む。
「まっ、どうでもいけど、ほいっ」
悟浄は自分のライターを三蔵に投げて寄越した。
「持ってッても、いいぜ。それっ」
「バカか、お前は。マジ殺すぞ、」
三蔵は眉間に寄せた皺を濃くしながら、紫煙を吐く。相当我慢していたのか、とても美味しそうに煙草を呑む。ちらり、と部屋の中を見回して、
「おい」
「ん?」
「それ、お前も使うのか?」
悟浄のベットの脇に置かれた燭台を顎で示した。
「あっ。試してみる?」
「誰と、」
きりりと片眉があがる。
「・・・嫌だな〜三蔵。そう云う意味じゃねぇって。火を灯けてみるか?ってこと」
三蔵は手に持ったライターを指されて、その燭台に歩み寄る。
「灯けてみてよ。綺麗だって話だし」
「・・・・」
あっ。ほんと綺麗。
三蔵の手で灯された蝋燭の灯が、部屋の壁に揺れる。思いの他、綺麗だったことに感心して、三蔵はくるりと壁面
を見回していた。
「ねぇ、八戒は?」
「ジープを休ませるって、自分の部屋に・・・」
そこまで云ったところで、奇妙な眠気に襲われて。力の抜けた身体が、悟浄に凭れかかる。悟浄の顔が、にこりと微笑んだのがわかった。
「・・・くだらねぇ・・こと、・・考えてん・・・じゃ・・ねぇぞ・・・」
三蔵の口を吐いたそれが、きちんと言葉になったのかどうかは、
悟浄のみぞ知る。
---こっちの燭台に灯をつけた人物に、為り変われますから、
---3時間だけですけど。
---こっちに灯を入れた後で、そっちの燭台に自分で灯をつけてくださいね。
チャンス、到来?
って何の、チャンス?
*--*--*--
三蔵の部屋の燭台に灯を入れてしばらくすると、その戸を叩く音がした。もちろん、八戒に違いない。悟浄は大きく息を吐いた。
鏡の中、確かにそこにいるのは三蔵だ。半信半疑だったにせよ、采は投げられた、と云うか投げちゃったと云うか。本当に、三蔵に為り変わってしまった自分を見て、少し怖じけづいている自分に気づく。はたして・・・これでいいものやら。
やっぱ、ヤバいだろ。これ、
「誰だ、」
とか、三蔵は云うのだろうか?
「三蔵?僕ですけど・・・」
そろそろと戸を開けると、不思議そうに小首を傾げた八戒がいた。
「何だ?」
三蔵っぽい話し方ってこんな感じか?
「何だ・・って、どうしたんですか?三蔵?」
うへっ。何か怪しまれてる?
「あっいや。」
つうか、緊張してんのか?俺。
「中、入っていいですか?」
やば。マジ緊張してきた。
「三蔵?」
間近で覗き込まれて、悟浄は顔を赤らめる。
落ち着け。今、俺は三蔵なんだ。堂々としていれば、大丈夫。
「顔、赤いですけど・・・具合でも悪いんですか?」
「なっなんでも無い。ちょっと疲れてるだけだ」
「そうですか・・・それなら、」
ふっと身体を寄せられて、八戒の唇が微かに触れそうになる。
「ちょっ、ちょっと待った、」
「えっ。・・・待っ・・た?」
「いや、えっと、ちょっと待て、」
何、云ってんだ。すげ〜いいとこだったじゃないか。
俺は、して欲しいんじゃないのか?
八戒とやりてぇんじゃないのか?
「三蔵?可笑しいですよ」
可笑しいだろう。そりゃ可笑しいだろ。
「今日は、帰りましょうか?」
哀しそうな顔で問われて、悟浄の胸がちくりと痛む。
「三蔵?」
やはり、これは狡いことだ。
誰かの代わりが嫌だと云った自分が、三蔵のふりをして八戒に抱かれても、
きっとそれは、幸せではない。
虚しいだけで、ただ虚しいだけで。
でも、
でも、
でも。
許せ、三蔵。
「待て、八戒」
悟浄は俯いたまま八戒の袖を引いた。
「今日は・・・」
「はい?」
「・・・一緒に、」
「一緒に?」
その後、俺は何と云っただろうか?
ベットの中で、後ろから腰を抱かれて。肩に、八戒の額の温もりを感じる。胎児のように背を丸めて、悟浄は溜息に似た呼吸を繰り返す。
もう、1時間もこうして八戒の肌の暖かさを感じながら、悟浄はどうしたものかと考えていた。さっさと情事を終えて、部屋に引き上げなければ、蝋燭の寿命は3時間しかないと云うのに。
八戒の袖を引きながら、何を血迷って・・・あんな事を。
「何もしないでいいから、一緒に寝ててくれれば、いいから・・・」
八戒は柔らかく笑って、少し変な顔をしたけれど、
「添い寝だけで、いいんですか?」
と優しく聞いて、にっこりと頷いた。
それはそれで、ヤバいんだけど。
力を入れられて抱かれているわけではないのに、身体が思うように動かせない。このままでは、このままでは、三蔵じゃないってバレちまうじゃねぇか。
少し、腰を動かしてみる。誘っているような腰の動きに、自分で自分が恥ずかしくなる。
うっ動かない・・・
どうしましょう、ねぇ。
自業自得か?
また、やっちまたって感じか。
ふぅ。と大きな溜息を吐いた悟浄の背中が、小さな震えのような振動を感じて。続いて、八戒のくぐもった声がくくくっと笑った。
「八戒・・・起きてたのか?」
「もうそろそろ、いいんじゃないですか?」
「・・・何・・が?」
「まったく、貴方って人は。ほんと、お人好しですね・・・悟浄・・」
「えっ?」
「悟浄なんでしょ。三蔵みたいに、見えますけど」
もしかして、バレバレかよ。おいっ
「バレて・・・ました?」
「えぇ、バレてました。また、変なもの掴まされたんでしょ、あなたって人は」
腰を抱く手に心無しか力がこもる。
「人をあれだけ心配させておいて、生きる煩悩のようなその行動・・・まんまと騙されてあげてもよかったんですけど、悟浄がここまでいい人だとは思いませんでしたよ」
「・・・そんなに心配してくれたの?」
「僕も、ちょっと言い過ぎたかな・・・と思って、」
「お前、俺に何言ったの?」
「覚えて、無いんですか?」
「すげ〜ムカついた記憶はあるんですけど・・・」
やけに熱い言葉を投げ付けられて、確信をついたその言葉が痛くて。
「・・・覚えてない方が、正解かもれませんね」
「そんなに、酷いこと言ったのかよ、」
「・・・泣きそうな顔されて、最後までは言えなかったんですけどね」
「俺が?泣きそうな・・・顔?」
そういえば、俺、泣いてた・・・よな?あの時。
「あのさ、取りあえずその話しは置いておいて、手、離してくんない?バレちゃったんだし、こういうのちょっとマズくない?三蔵に叱れるでしょ?」
自分の愚行を棚にあげて、悟浄は八戒の身体を逃れようと腰を引いた。
「ダメです。まだ、2時間あるでしょ」
「あ・・・2時間って、何でそれ知ってんの?
って、俺が三蔵じゃないって、いつからバレてたの???」
引いた腰を引き戻されて。八戒は揶揄かうように深く腰を抱き直して。
「・・・この部屋に、入る前からですよ・・・」
「・・・それって?」
バレバレって、バレてんのはこいつだけじゃないってこと?
背筋に冷たいものが走る。
「もう少し、このままで・・居ましょうよ。折角だし・・ねぇ」
嗚呼。俺っていったい・・・
神様、
仏様、
三蔵様。
儘よ・・・
俺を殺して。
君の、その手で。
俺の弱さを、優しく殺して。
生きて、明日を迎える為に。
【2001.11.09>>>hatohane
tukuto】
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