■+-+夜啼鳥+-+■

「あなたのこと、好きじゃないですよ、」
 そう云って、背後から抱き締められている三蔵の首筋に、八戒はやわらかく唇を落とす。
抵抗する様子も見せず、三蔵は引き結んだままの口に力を込めた。好きではないと言いながら、それでいて何処までも優しく身体に触れてくる八戒の熱に、侵食されている自分を恥じて、三蔵は声を殺した。その手で、その唇で、触れられる度に従順に反応してしまう自分自身に狂ってしまいそうになる。
いや、それだけではなかった。
手を伸ばした先、声の届く距離にある寝台の中で、子供のような寝顔で眠りを貪る悟空の姿が見えた。この状況で、この男は何をしようと言うのだろうか。壁を隔てた隣室では、姿を消した八戒を訝しんでいる悟浄がいることも承知しているというのに。
 焦らすように加えられる愛撫に、どうしても腰が跳ねてしまう。
「・・・ふ・・あっ・・っつ」
 無理に押し殺ろした声が、逆に甘い声を誘発した。
「声、出してもいいんですよ。三蔵」
 八戒は意地悪な笑みを宿して、三蔵の上気した耳朶を食み、ふふっと可笑しそうに声をたてた。
「・・・やめろ、猿が、」
「悟空が起きたら、どうしましょうね。でも、」
 八戒の貴石のような碧色の瞳がすいと細められる。
「でも、それも面白いかもしれませんね。貴方の困った顔、素敵ですよ」
「何、言って・・・」
「だって、好きじゃないですから、あなたのこと。だから、ここ」
 薄く桜色に紅潮した三蔵の肌の敏感な部分に、八戒の細い指が這う。酷くはせずに、三蔵の欲しいところに与えられる感覚が、三蔵の胸を掻きむしった。
「虐めてあげます」

「こ・・んな・・・所でっ」
「 貴方、今止められると、困るんじゃないですか?」
 すでに変化を見せはじめている自身を、物慣れた手のひらにゆるりと握りこまれ、痺れるような衝撃に、三蔵の痩せた腰が崩折れた。我慢しきれずに、大きく開かれた唇からあげられた嬌声を、刹那に唇で塞ぎとめられた。
「ん・・・は・・ぁ」
 そうして与えられた深い口吻に、三蔵は誘われるままに歯列を割ってしまう。口腔へ抵抗なく招かれた舌先が、三蔵のそれを柔らかく絡めとる。好きではない、と八戒の吐いた科白に、自分は犯されているいるはずなのに、三蔵は、自身の示す反応の矛盾に恐ろしくさえなった。酷くされたほうがまだましなのではないかと、女のように八戒に抱かれいる自分を呪った。
「もう、限界ですか?」
 揶揄されるその言葉すら耳にやさしい。
「くそっ。さっさと終わらせろ、」
「じゃあ、」
「えっ」
 次の瞬間、身体が宙に浮いた。気がした。
 不意に抱き上げられて、三蔵は不安定な身体を支えようと、八戒の頸に腕を絡める。

「外で、しましょう。ねっ三蔵、」

 身体の力が、ふっと抜けた。

 

 塞き止められていたものが、堰を切って溢れ出た様に、頬を緩めた八戒は、乱れた三蔵の法衣を整えてやりながら、くつくつといつまでも笑っていた。
「貴方、今、すごいかわいいですよ」
「・・・お前が、甘やかすからだろ」
「さっきは、あんなに声出すの躊躇ってたくせに・・・」
 躊躇っていたわけではなくて、悟空や悟浄の手前、声を出す事ができなかったことくらいわかっている。それでいて、八戒は三蔵に質の悪い戯言を言った。
「今度あんなことしやがったら、殺すぞ」
「ふふっ。怖いですね、三蔵。ただ、ああゆう状況もいいものですよ。だってほら、スリルがあっていいでしょ。まぁ、結局、犯られちゃった貴方が言うと、その台詞も形無しですけど」
「お前は、」
 八戒にとっては平気なことだと言うのだろうか。三蔵は、その先の言葉を吐き出すことに惑って言葉を切ると、穿たれた痛みよりも増して、形のない胸の痛みに耐えきれなくなっていた。
「お前は、好きでもないやつと、ああゆう事を平気でするのか?」
 険を含み、相手を刺すためだけの言葉が、自分を刺す。八戒は少し呆れた顔をして、三蔵の濡れた前髪を掻き揚げた。その手の微かな動きにさえ、三蔵の胸は微かに疼く。
「好きでもないやつと?平気で?、じゃあ、貴方は、好きじゃないって言われた相手に、あんな風にして抱かれるんですか?自分がどんな声で、どんな顔で抱かれているか、わからないなんて言わせませんよ。」
「俺は、」
 所詮、自分は八戒の手の中の駒の一つにすぎないのかも知れなかった。それがたとえば悟空であっても悟浄であっても変わりが無いのだとすれば、自分の気持ちの鉾先を何処に向ければいいのだろう。
「くっ・・・」
 たぶん、自分は八戒が好きなのだ。自分の事を好きではないと言い放ったこの男を。
 そう思った瞬間、頬を温かいものが伝い落ちた。
「三・・蔵?・・」
 八戒の惑った顔が歪んで見える。ゆっくりと伸ばされた手に包み込まれるように頭を抱かれ、三蔵は八戒の胸に顔を埋めた。三蔵の肩口に額を充てた八戒は、壊れ物を抱くような手付きで三蔵の頭を撫でた。
「三蔵、何、泣いてるんですか・・・」
「お・・・俺は・・・」
 それから、子供をあやすのに似た仕種で、八戒は三蔵の背を二三度ぽんぽんと叩いて言った。
「すみません。少し意地悪が過ぎましたね。泣かないで下さい三蔵」
 耳もとを掠める八戒の声音は、際限なく心地よかった。堕ちて行く。三蔵は幻かもしれないその感覚を必死で繋ぎ止めようと、八戒の胸の上に置いた手に力を込めた。
「貴方を思う気持ちは、好きとか、そう言う感情とは少し違うんです」
「だったら、どうして俺を抱いた?優しくされたら、」
「優しくされたら?」
「迷惑だ」
 覗き込まれた視線が、哀しい色をして。
「それは、残念です。僕は、貴方を、抱いたんですよ。貴方だから、抱けたんですけど、」
 八戒は溜息のような言葉を漏らした。
「何、言って・・・る・・・?」
「三蔵を、三蔵だから、三蔵以外にあんなこと出来ませんよ、僕」
「好きじゃないって、言っただろうがっ」
「そうゆう風に言われて、ああゆうことされて、ゾクゾクしませんでした?陵辱されてるみたいで、結構、よかったでしょ」
「・・・よく、ねぇよ。んなわけねぇだろ、あんなに優しく抱いておいて」
「嫌、でしたか?」
「好きじゃないなら。だったら、もっと酷くされたほうがいくらかまし」
「・・・酷くなんて、できるわけないですよ。貴方にそんなこと」

「だって、貴方のこと、好きなんじゃなくて、愛してますから」

 囁く程小さな声が、三蔵の耳にだけ聞こえるようにそっと与えられた。
 三蔵の見開かれた双鉾に大粒の涙が溢れる。とめどなく流れる頬の上のひと粒に、八戒は謝罪のように唇をあてがうと、静かな微笑みで三蔵の濡れた瞳を捕まえていた。
 謀られたのかもしれないと思った。八戒の言葉の罠に嵌められたのかもしれないと。それなのに、何故だか酷く安らいだ気持ちになって、三蔵は声を出して八戒の胸を濡らした。

「今度は、もっと甘いので、しますか?」
「マジ、殺す」

 

 

「なぁ、三蔵っ昨日の晩さぁ」
 眠たそうな眼を擦りながら食堂に顔を見せた悟空は、ぶすりとした表情で開口一番こう言った。
「よく眠れた?」
 何も無かったような顔をして、三蔵は広げた紙面から視線を移した。その横で、八戒が微かに口角を上げて含み笑いをする。
「何のことだ」
「何のことって、なんかさぁ昨日の晩、外で鳥がうるさくて、よく眠れなかったんだよ。俺」
「鳥・・・ですか?」
 八戒が不思議そうに悟空を見上げる。
「そうなんだよ、変な声で啼いてるんだよ。八戒は聞こえなかった?」
「あぁ・・・あれのことですか。そうですね。聴こえたような、聞いたような。でも、僕は昨晩はとても気分が良くて、ぐっすり眠ってしまいましたから。ねっ三蔵」
「・・・俺は、知らん」
 三蔵は慌ててつけた煙草を深く吸い込んでから、悟空に気付かれない程度に八戒の顔を睨みつけた。悟空が大きな欠伸をする。その後ろで、部屋から降りてきた悟浄もまた、大きく欠伸をしながら、手に持った、まだ火の付けられていない煙草を口に銜えた。
「何?朝っぱらから何の話よ」
「悟浄は聞かなかったか?変な声で夜中に鳥が啼いてたの」
「それで、悟空が眠れなかったって話しですよ」
 茶々のように口を挟んだ八戒に悟浄は意味ありげにニヤリと笑う。その表情
に、八戒はふわりと笑み返すと、悟ったように破顔した。
「昨日の晩ね、」
 無関心を装っている三蔵の脇に屈んだ悟浄は、わざと目線を合わせる位置で言葉を吐いた。
「火、くれない?」
 手元の小さな箱に伸ばしかけた手を人さし指で静止させながら、悟浄は三蔵のくわた煙草の先に自分の煙草を押しあてた。
「こっちで、いいよ。さんぞ、」
「なっ・・・」
 交差した視線がもう一度ニヤリと笑って、その様子を可笑しそうに眺めていた八戒を捉えた。
「悟浄、三蔵が困ってますよ。そんな、はしたないことして」
「あっ悪りぃ。つい、ね。それにしたって、このバカ猿が眠れねぇってことは、相当美味そうな声だったんじゃないの?それ」
「美味そうって言うんじゃなくて、何かこう・・・変な声なんだよ」
 悟空は真剣な顔で言った。八戒が堪えきれずにくくっと喉をならす。
「何、笑ってんだよ。八戒、悟浄もなんか俺にかくしてるだろ」
「隠すって言うかさ、知らねえのお前、」
「なんだよ」
「夜啼く鳥は、・・・美味いんだぜ。絶品、」
 美味い、と言う言葉に悟空は眼を輝かせる。
「美味いのか、あれ」
「・・・八戒が、よく知ってるんじゃないのか?昨日あたり、喰ったんじゃないの?」
「喰ったのか?八戒。ずるいぞ、一人で」
 悟空が増して眼を輝かせ、真剣そのものの表情で八戒に詰め寄った。その横で、三蔵の肩が微かに震えている。
「えぇ。でも、「喰った」と言うのは言葉が悪いですね。悟浄。美味しく「いただき」ましたって感じですかね。ただ、大人の味ですから、未成年の悟空の口には、ちょっと・・・ねぇ、三蔵」
 意地悪に目配せした八戒を、三蔵はあからさまに睨みつけた。
「何だよ、三蔵も喰ったのかよ」
 邪気のない悟空の言葉に、昨晩の痴態を覗き見られたような気がして、三蔵はおもむろに席を立った。八戒の柔らかな視線が身体の線を舐めあげるのが判って、背筋にゾクリとした感覚が甦った。
「・・・てめぇら、どいつもこいつも、喰った喰わねぇ、うぜぇんだよ」
 机上の灰皿に乱暴に煙草を押し付けた三蔵は、眉間の皺に一層力を込めて踵を返した。
「何怒ってんだよ、三蔵」
「喰われちまったからな、八戒に・・・」
 悟浄が意味深な言葉で揶揄するのを聞いて、三蔵はピクリと肩を揺らして足を止めた。
「何?何?、八戒が独りで喰っちまったのか?んで、三蔵の機嫌が悪いの?」
「いやですね。悟浄、人聞きの悪い。確かに、独り占めさせてもらいましたけど・・・三蔵、怒ってます?昨日の晩のこと」
 そんなことはないのだと分かっていて投げられる意地悪な問いに、身体が熱を持つ。何故、自分はこんな男のことが好きなのだろうか。三蔵は自分自身に呆れながら、不適に頬を歪ませた。

「怒ってねぇよ。怒ってねぇから・・・」
 三蔵は新しい煙草に火を付ける。
「次は、俺が喰ってやる」
 挑戦的な言葉を吐いた。
「えっ?」
「味付けは、激甘」
 その言葉に少し驚いた表情をすぐに崩した八戒は、怖いくらいの柔和な笑顔でひとりごちた。

「それは、美味しそうですね」

 

 

 西への旅路。
 夜を重ねて、夜啼く鳥に安寧の夢を。

 

【2001.08.25>>>hatohane tukuto】

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