繰り返される呼吸。
規則正しく、
穏やかに、
形の良い柔らかな口唇から漏れる淡い吐息が、
埋もれる胸の中で甘く渦をまいていた。
貴方が目醒めるまで、
僕はこうして貴方の細い金の髪を梳きながら、
安らかに眠る白い肌を汚してしまった罪を問い、
寂莫とした不安を抱く。
貴方は・・・
射し込む朝日に目を細めながら、八戒は三蔵の眠る寝台に腰を降ろす。身支度を整え、モノクルをかけることで、八戒は昨夜の罪を贖うように三蔵の「従者」としての顔に戻った。
そして、また一つ、罪を負う自分を責めて、ため息を零すのだった。後悔するくらいなら、三蔵の躰など抱かなければ良いのだと、何度自分に言い訊かせても、八戒はその行為を抑制することが出来なかった。
何故?
三蔵を抱いた後、八戒の中に生まれる疑問。
「何故ですか?」
いつでもそう聞いてみたくて。
三蔵の上に注ぐ光の反射が、緩く顔にかかる髪を繻子のように輝かせ、闇の中で蒼白く苦痛に歪んでいた表情を呑み込んでしまっていた。
今、三蔵の顔には苦痛の色はない。それどころか、微笑むように安堵した頬に昇る朱の色は、至福の時を与えられた余韻にさえ思えるのだ。
何故。
八戒の腕の中で、従順にその行為を受け入れる三蔵の身体は、決して八戒を拒絶することはない。示される反応は、慣らされる程に甘く、鋭敏になってゆく。八戒は、それを慈しみ、愛しく感じながら、いつでも優しく、丁寧に三蔵の躰を抱いた。
三蔵の躰を傷つけることのないようにして。
自らの口唇が吐露する淫猥な響きを嫌がる三蔵の為に、八戒は三蔵の吐き出す言葉を、重ねる口吻で喰み含む。そして、三蔵の躰は、少女のような可憐さで、八戒を求めるのだ。
それなのに、
貴方は、そんな苦しそうな顔をして僕に抱かれるの?
三蔵は、八戒に抱かれている間中、躰の示す反応とは対称的に険しい表情を崩さなかった。何度身体を重ねてもそれは変わることはなく、嫌悪するように浮かべられた苦い瞬きの中に、言葉にならない声を聞く。
「カラダ」が求めるものと、
「ココロ」が求めるもののアンバランス。
心は、僕を求めてはいないのだと。
これは、躰だけに与えられる施しなのだと。
だから、
八戒は意地悪な言葉で、恋しい人の「ココロ」を犯す。
愛しい人の「カラダ」は、あふれる程いっぱいに甘やかしながら。
そして、
また後悔するのだ。
何故?
あんなに苦しそうに抱かれた後、貴方はそんな風に安らいだ寝顔を僕に見せるの?
そんなに幸せそうな顔をしているのは・・・何故?
「貴方は・・・」
今日なら、その続きを聞いてしまえるようなそんな気がして。
幸せですか、と。
眼下に眠る三蔵の姿を、八戒の緑瞳がそっと見つめる。白布一枚を纏っただけの薄い躰が静かに上下して、八戒はその薄布の上から軽くその背を擦った。
「・・んっ・・・」
微かな声が桜色の唇を割る。薄く開いた肉の間に白く濡れた歯列が覗いた。八戒は、ふくよかな厚みに細い腕を伸ばす。頬を抱きながら、親指の腹で、その下唇にそっと触れて、柔らかさを確かめるように横に引いた。
誘うように浮いた白の奥に、甘い朱肉が垣間見える。
「さん・・ぞ・・・」
八戒は、頬を抱く手をゆるゆると動かしながら、何度か唇に指を這わせ、ただじっと三蔵を見降ろしていた。
指先に触れる三蔵の温みに躰の内部が淫らな疼きを覚えて、罪深き想いが八戒の胸を絞めつけてゆく。戯れの言葉で口を汚し、真意を覚られぬ
ように三蔵に触れながら、その不毛さを快楽で打ち消して。
ふっ、と躰の深い部分に沸いた渇いた息を吐き出すと、八戒は三蔵の額の上に静かに屈み込んでいた。
額をつけ、瞼を閉じる。
三蔵の鼓動を触れ合う距離で感じると、再び思考が混乱して、八戒はきつく唇を噛みしめた。
そして、
また誤解をする。
貴方のココロが何処にあるのかを。
貴方がそんな風に無防備に僕のそばで眠る理由を。
だから、
これは施しなのだと言い聞かせて、
この意地悪な口で、貴方を犯す。
貴方を傷付けたい訳ではなくて、
ただ、
貴方へ届くことを赦されない、僕の想いを見殺しにするために。
貴方が、「玄奘三蔵」であることを確認するために。
それでも、
何故。
その問いが、僕の中を支配する。
見てはいけない、
見られない、
見たくはない、
そして、僕は両目を閉じる。
法僧を辱める罪から目を逸らすために。
それなのに・・・
後悔と誤解の輪廻に惑わされ、再び、貴方を抱く罪を重ね続けてしまうのだ。抜け出せない輪の中で淫蕩な快楽に溺れるのは、僕の脆弱な心と、貴方の優しすぎるココロ。
甘やかしているつもりで、甘やかされて、僕は、貴方を満たす温い水の中に沈む。
大罪の源は、僕が貴方を愛してしまったこと。
三蔵・・・
「貴方は、幸せですか・・・」
不逞の言葉が、八戒の口を吐き、三蔵の下唇にあてがわれたままの指先が、力なくするりと顎を伝って堕ちた。
「おい、」
三蔵の声が不機嫌に誰かを呼ぶ。八戒はびくりと躰を強張らせて、ゆっくりと開眼した。驚く程近くにある三蔵の紫暗の双鉾が、強く、八戒を睨みつけていた。
重ねた額を、慌てて放そうとした八戒の首根が三蔵の手に固定される。
「なっ・・・」
「焦らしてんのか?八戒・・」
「え・・・うわっ」
角度を付けて、ずらされた唇が、軽く力を込めて添えられている三蔵の手に誘導されて重なりあった。幼子の口吻のようにチュと音を発てて放されると、八戒は狼狽えて瞳を逸らす。
「あ・・あの、すみません。起こしてしまいましたか?」
むくりと起き上がった三蔵の肩の白さが、その白の中に散る花弁の色を強調していた。八戒は気遣って、法衣をその肩に纏わせる。
いつもの笑みで薄く表情を崩しながら、頭を垂れる八戒を、三蔵は不機嫌そうな顔で眺め続けていた。居住まいの悪さを感じて、腰掛けていた寝台から立ち上がろうと腰を浮かした八戒の腕を、三蔵は少しだけ強い力で引き戻した。
「お前は、何を見ている?」
三蔵が口を開く。
「・・・あの・・何って・・」
「何故、眼をそらす?」
「え・・・」
「どうして、そんな顔をするんだ?」
三蔵の視線が八戒の戸惑う瞳の揺らぎをとらえて、酷く辛そうに細められる。
「俺が、玄弉三蔵だからか?」
「それは、違が・・・」
「違う?だから、そうやって俺から目を逸らしているんじゃないのか・・・八戒、」
「それは・・・」
「その眼で、何を見ているんだ?」
この人は、いったい何を言っているんだろう?
「それは、何かのまじないなのか?」
三蔵の細い指が、八戒の鼻梁の上に乗ったモノクルに触れて、
「このレンズ越しに見えるものと、」
そっとモノクルを外す指が微かに震えて、
「片眼だけで見えるものの違いが、」
傷ついて、モノクルの奥に隠された緑瞳が三蔵の掌で包み込まれる。
「お前にそんな顔をさせているなら、」
「そんな・・・顔?」
「罪深き、罪人の顔で、お前は何を責めている?」
三蔵は、何を言って。
「僕は、何も責めてなんかいませんよ」
包み込まれている瞳が、微かな痛みを感じて、
「自分を、責めてるんじゃないのか?」
「自分を・・・責める?」
「抱かれる度に、そんな顔をされたら、俺はどうしたらいい?」
何を言って・・・
「俺が、お前をそうさせているのなら、」
「・・・違います。三蔵の所為ではなくて、ただ判らなくて、
間違えてしまうことが・・・怖くて、」
誰のものでもない、あなたを自分のものにしたいと言う欲望が怖くて、それが、叶うのではなかと誤解してしまう自分が怖くて。
瞳の中に映る「玄弉三蔵」の姿を認めるのが怖くて。
だから、僕は両目を閉じる。
「貴方が、あんなに苦しそうに僕に抱かれるのは何故なのか、それなのに、あんなに無防備な顔で眠るのが何故なのか・・・それを知りたいと思うことが、」
「だったら、両目を閉じるな」
「えっ」
「もしも、お前の目に映る俺が、苦しい顔をしているのなら、それは、俺のプライドだ。「玄弉三蔵」としての・・・快楽に溺れることを戒める為の鉄面
皮、俺の足掻きだよ、」
「足掻き?」
「それでも、俺は、「三蔵」である前に、ひとりの人間なんだよ」
足掻きだと言った三蔵の頬が、はにかむように少し歪んで。
人間なのだと言ったその顔が優しく綻ぶ。溜息に似た息使いで、なだめるような三蔵の声が、一息に想いを吐き出す。
「もしも、お前が両眼で「三蔵」としての俺を見ているなら、 その両眼でだけ「玄弉三蔵」を見ればいい。
俺を抱くことに罪を感じるなら、その片眼は閉じたままで、片眼でだけ、ただの人間でしかない俺を見ろ。両目を閉じて俺を抱くな。だから不安になるんじゃないのか?自分の手の中にある存在があやふやで、判らなくなるんじゃないのか?」
「三蔵・・・」
「お前は、その閉じた瞳で何を見ている? 誰を見ている?」
誰を・・・
「俺を見ろ。「玄弉三蔵」ではない俺を、俺自身を」
モノクルを外したその緑翠の片眼で。
「僕は・・・」
「お前にそんな顔をされたら、俺も判らなくなる。俺の居場所が何処なのか、確信が持てなくなるだろうが、」
三蔵の腕が、八戒の頭を抱く。しっかりと強い意思で、浄罪の言葉を投げる。
「お前の腕の中にいる俺は、いつだって、お前のものだろっ」
両眼を開けて
片眼を閉じて
見たくはないと瞼を閉ざして
誰をみる?
「お前が俺に、幸せなのかと問うなら、逆に俺は、お前に問いたい。
八戒、お前は幸せなのか?」
幸せでないはずはないのだ。
貴方がこの手のなかで身を委ねることの幸せと、
その行為が貴方を貶めていることの罪は、常に表裏一体なのだから。
「お前は、幸せなのか?」
「・・・僕は、・・幸せですよ、三蔵」
「じゃあ、」
「・・・はい・・・?」
「お前が幸せなら、俺はそれで、」
その言葉の続きは、八戒の耳元にだけそっと落とされる。
八戒は三蔵の躰を優しく抱いて、
片目を閉じる。
「いつだってそうしてるだろう?」
差し込む朝の淡い光の中で、三蔵は手の中のモノクルをそっと握りしめる。
*-*-*-*-*-*
「そうです。三蔵、今日お誕生日でしたね。
何か、お祝いをしなくちゃいけませんね。ケーキは・・・悟浄の時に色々ありましたから、何か他の・・・」
「いらねぇよ、」
「そんなこと言わないで下さい。今日は記念すべき日なんですから。ちゃんと、お祝いしましょうよ、ねっ三蔵?」
「んなもん、祝う程のものでもないだろうがっ」
「だめですって、僕の時にはちゃんとお祝いしてくれたじゃないですか」
「・・・あっあれは・・・」
「だから僕にも何かさせて下さいよ。何か欲しいものとかありませんか?今なら、出血大サービスですよ」
「・・・だったら、もう・・・」
「もう?」
「貰ったから、いい・・・」
「え?」
「・・・さっき、起きがけに、欲しいものは貰ったから・・・」
「貰ったって、何を・・・?」
「・・・・」
「あっ・・・」
軽く触れた三蔵の唇を思い出して。
八戒は少しだけ頬を赤らめて、モノクルに手をかける。
「あれだけで、いいんですか?」
「・・・沸いてんじゃねぇよ」
言葉とは裏腹に、三蔵の顔が珍しくにっこりと微笑んだ。
*-*-*-*-*-*
貴方に問う。
シアワセデスカ?
貴方は問う。
シアワセデスカ?
僕にとっての幸福が、貴方のための幸福なら、
僕は胸を張って、
シアワセデスと伝えたい。
あなたに出会えたことを感謝します。
【2001.11.29>>>hatohane
tukuto】
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