強く、深く。日射しは木立を切り裂いて、朱華(はねず)の白い肌を焦がす。焼けない肌に一滴の汗が伝って、無気力な身体は水を失った魚のように、ふにゃりと歪んだ。
眼を閉じる。長くは無い命の限りを鳴き尽す勢いで、蝉の声が世界の終わりを告げていた。朱華にとっての世界の終わり。それは遠くて、近くて、怖くて、だから、ただ眼を閉じて。
それじゃあいけないってわかっているのに。
「こらっ」
頭上から注がれる声。呆れたような響きの中に含まれる優しさのカケラを見つけて、朱華はふっと息を吐いた。仰ぎ見た浅葱(あさぎ)の唇が、逆光で生まれた陰の中に埋もれて、輪郭線だけを残しながら言葉を紡ぐ。
「何やってんの、おまえ」
「現実逃避」
正直に言ってしまえば、そう言うこと。
「で、模試をサボってこんなところでお昼寝ですか?」
「だってさ。やっぱ、ダメだし。俺」
きっと、何処かで別れる路のはじまりは、手に届く程の距離にある。
「それで、拗ねてるのか」
「俺、頭悪いし。絶対ダメだよ。浅葱と一緒の大学なんて行けっこない」
「・・・一緒のね、お前、なんでそれに拘わってんの?」
こんなにも不安になるのは、ただその距離だけが、君と生きている証だと。
「離れたら、どんどん遠くなって。浅葱は俺のことなんて忘れちゃうんだよ」
「お前・・・」
駄々子のように言った朱華の瞳は、もう半分泣いていて、浅葱は惑って腰を屈めた。
「それじゃあ、身動き取れなくなるだろ。俺って、そんなに信用ないわけ?」
すっと顔をあげて、朱華は心細さを隠すこともせずに。浅葱を見つめる視線は何処までも真直ぐに伸びている。不意に、屈めた腰を落として、浅葱は朱華の正面
に向かいあった。浅葱の中で何かが弾ける。地についた朱華の細い指を、浅葱の大きな手のひらで包み込んで。
「なんだよ。最近、触ってもくれなかったくせに・・・」
朱華の頬がうっすらと桜色に染まる。
満たされることをおぼえてしまえば、手放すことが怖くなる。
「お前、だせぇよ。それ」
浅葱は朱華の頭に乗った鍔広の麦藁帽子に手を伸ばす。そして、朱華の顔がよく見えるように、上向きに少しだけ鍔をずらした。さらした頬に刺す紅に、浅葱は満足そうに微笑んだ。
「反則なんだよ。朱華は・・・」
その額に、触れるだけの口吻を。
「浅葱?・・・」
「そんな古いもの、いつまでもとっておくような奴の気持ち、」
その唇に、少しだけ深く口吻を。
「分からない程、俺は鈍くないつもりだけど」
与えられるもの。こぼれ堕ちてゆくもの。この手の中に残るもの。
「受験が終わるまで、そういうことしないって言ったの誰だっけ?」
「俺。」
浅葱は悪びれずに云って、朱華の絡めた指に視線を落とす。ゆっくりと顔の位
置まで近付けて、親指と人さし指の間に歯をたてる。そのまま舌を使って指間の柔らかな部分を愛撫されると、朱華の口が甘い吐息を吐き出した。
「・・・何?なにしてるの?浅葱?」
「気持ちイイこと」
「やっ・・・そんなことされたら、もっと、いっぱい欲しくなっちゃうよ、俺」
恥じらいで揺れる瞳がたゆたう水のようで。耳殻まで染めあげた肌に感じた愛おしさは、忘れずにいるあの日の記憶と重なって。
「痛いよ、」
透ける程の白い肌は、盛夏の太陽に汚されて。腫れあがる真っ赤な皮膚に、脅えて泣いていた小さな少年。放って置けずに、家から無断で鍔広の麦藁帽子を持ち出した。大人用のそれは、少年が冠ると不格好に大き過ぎて、それでも、出来るだけ太陽に汚されないようにと。
「ありがとう、」
その言葉に添えられた零れる微笑が、全てのはじまり。名前も知らず、それきり会うこともなかった小さな少年のことを忘れられずに。
再開は突然に。あの帽子が頭に馴染む程に大きくなって、それでも直ぐに、君だと気付いて。
「帽子の人、」
朱華は俺を見つけて、艶のある笑みを返した。
「ごめん、俺の方が我慢出来ないかも・・・」
細い躯を引き寄せて、白磁の肌に花を散らす。際限なく、欲されて、求められて。
「我慢なんて、はじめからしなきゃいいのに」
「・・・そうだよな」
「そうだよ」
無理をして歪みを生んで、余計なことを考える。不安になって、見失って。
だから、いつものように微笑んで。それだけで、もう。
この手の中に、残るモノ。変わらないモノ。
「信じていいの?」
「いいよ」
差し伸べられる手を。一緒に結んで。
いつまでも、どこまでも、連続する流れの中で、 その手を離さぬように。
この先を生きて行こう。
たぶん、それが俺達の日常。
【2001.08.25>>>hatohane
tukuto】
初出:19XX.04.30「ムギワラボウシノウタ」
(『偏執狂(モノマニア)』発行 鳩羽ツクト個人)
コピー配付誌に収録されたものを大幅改稿、
加筆、除筆と云うか別もの?になって・・・
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