■+-+満月ノツクリカタ+-+■

 いつもより少し早めの足音が近づいて、何かを躊躇する間合いを図るようにして、一呼吸おいてから玄関のベルが鳴る。 訝って開けた扉の先に、泣きそうな顔の朱華(はねず)が立っていた。
  額に滲む汗を伸ばした手でそっと拭ってあげると、くしゃりと歪んだ頬が胸を求めて。
「何?どうした・・・」
「部屋に、明かり付いてないから、」
「ん?」
「居ないのかと・・・思った」

 ただそれだけで、そんな顔をして。

  その愛しい人は、少し強く抱いてあげると安堵の息で強張っていた肩の力を抜く。
「それで、こんな?」
 頤に添えた手で、朱華の顔を仰向かせて、浅葱(あさぎ)は意地悪な笑みを投げる。
「だって、今日は・・・ちゃんと浅葱と、」
  その先の言葉は、浅葱のやさしい唇に囚われて。
「続きは、後で」
「うん・・・」
  染まる頬に落とした指が、朱華の熱を絡め取る。
  手を引て招いた部屋の暗さに、朱華は不思議そうに眉を顰め、引かれた手甲が惑いに揺れる。
「明かり、付けないの?」
「勿体ないから・・・」
「え?」
「ほらっ」
  導かれた視線の先に、浮かぶ蜜色の満月を見つけて、朱華の瞳が大きく開く。硝子質の潤んだ瞳に柔らかな光が宿る。微笑んで、浅葱を見つめて。繋ぐ手に痛くはない力を込めて。

  その輝きを、 その微笑みを、 誰でもない、自分に向ける。
  それが見たくて。

  もう、不安は何処かに消えてしまって、甘えたような仕草で自分に縋る朱華が可笑しくて、浅葱は頬を緩ませた。

  開け放たれた窓の彼方で、半透明の玉盤が闇を照らす。
  ただそれだけで、もう、そんな顔をして。

「あっ。何か、いい薫りがする」
  すぃと細めた瞳で、朱華は大きく呼吸をした。
「桃の・・・薫り」
  満足そうにふふふと笑って、もう一度、深く吸う。
  小さなバルコニーの真ん中で、氷水を張った容器にプカリと3個の桃が浮いていた。水鏡の水面 に、夜天と月が載っていて、その肌が仄かな光粒を弾く。
「ちゃんと、憶えててくれたんだ」
「こんなもので、よかったのか?」
「これが、よかったから」
  嬉しそうに微笑んだ朱華の横顔に、浅葱はそっと頬を寄せて。
「安あがりでいいな。おまえ・・・」
  嫌みのない声で言って、頭を抱いて、肩口に唇を落す。
「じゃぁ、ちょっとだけ我儘言ってもいい?」
  肩を竦めて、朱華は浅葱の腰に腕を回した。
「何?」
「桃、剥いて」
「それだけ?」
「・・・俺の為に。で、一緒に食べよう」

  ただ、それだけ?

 一つだけ取り出して、浅葱は框に腰を降ろす。手の中の柔らかな果 実は、凛と冷えて、細くて長い浅葱の指を濡らした。
「おいで、」
 朱華は誘われるままに浅葱の立てた膝の間で、背後から廻された腕に抱かれる。朱華を抱いた姿勢で、浅葱は器用に桃果 の皮を剥く。熟れて弾力のある果肉から、指だけで易々と果皮が剥がされると、月の色に似た淡い乳白色の肉が浅葱の手の中で密を零した。滴る果 液が、指の間からとろりと流れて、甘い芳香を放っている。
「どうぞ、」
 朱華の白い手が、丸い果実を掴む浅葱の手をふわりと包み込む。
「一緒に、ね」
 そのまま口に運んで、肉を喰んだ唇が浅葱の指に微かに触れる。何度か繰り返す動作の中で、事故のように触れる唇が、くちゅり、と淫らな音をたててその果 肉ごと浅葱の指を含み取った。蜜に濡れた口腔で舌を使われると、浅葱の内側に抑えようのない波が生まれて。
「ちょっ・・・それ、まずい」
「・・・美味しいよ。とっても」
 悪戯な笑みを返されて、浅葱は耳殻を赤く染めた。

 誘われてるのか?

「美味しいのは結構なんですけど、俺の手まで喰わんでも・・・」
「これ。気持ち、いい?」
「おまえ、そう云う眼をして・・・」
 仰ぎ見る朱華の蕩けるような眼差しに、浅葱は困った顔でその額に優しく口吻ける。
「だって、今日は」
「今日は?」
 わかっているのにわざと忘れたふりをして。
「俺の、特別の日だから・・・」
「だから?」

 だから。ちゃんと、シテ。

 朱華の小さな声がそう囁いて。艶のある笑みを浮かべて、躰を委ねる。

「いいの?」
「いいよ、」

「じゃあ、とりあえず、全部たべちゃおう」
「うん」
  互いに頬を微かに染めて、朱華は形を崩した桃果の名残にかぷりと齧りつく。甘い薫りが鼻孔を擽り、未知なる領域への扉を叩いた。

 果実の甘さに溺れて。
 触れて、触れられて。

「・・・んっ・・」
  深く探られた口腔の感じやすい粘膜は仄かに甘くて、その甘さを食するように動かされる唇に、朱華の潤んだ声が漏れる。薄闇の部屋の中で、螢火のように浮かびあがる肢体が艶かしく匂いたち、淡い月明かりだけが朱華の滑らかな白磁の肌を犯す。
「背中、痛くない?」
  誘われるままに、床の上に組み敷かれた躰を案じて浅葱が問う。
  肉のある女の躰とは違う薄い背中が、硬い板間に痛まぬように、添えられた浅葱の腕が柔らかく腰を抱いた。弓なりに反らされた背中がひくりとしなって、朱華は深く息を吐いた。
「平気・・・だから、」
「ここでいいの?」
「・・ここで・・・シテ。あんなに・・・」

 視線の先にあるものを、
 掠れる声が言葉で追う。

「あんなに?」
「・・月が、・・・綺麗」
  とろりと潤んだ瞳が揺れた。
「綺麗・・・」
  浅葱の口に宿る言葉が、朱華の白い肌に墜ちて。抱え上げられた下肢の狭間に、まだ知らない感覚を与える。与えられた感覚に朱華の細い腰が浮いて、訪れた波の強さに驚いた腕が空をかいた。

 その手を取って、指を絡めて。

 安堵の笑みに緩んだ頬が、交差した視線を恥じて、俯いて。触れられた先から、痺れに似た快楽が這い上がる背に汗が滲んで、高まりを見せる下肢の硬直が耐え切れずにその身を爆ぜる。
「いっ・・・ぁ・・」
「痛い?」
「・・・んっ・・大丈夫、」
「恐くない?」
 きつくかぶりを振って、朱華は浅葱の腰を内腿で強く抱いた。

  確かめあって。
  恐くはなくて、
  愛しいものの熱を感じて。

「少し、我慢して」
  傷つけず、無理のないように施される優しさに息があがる。巧く呼吸が出来なくて、反らした喉に、浅葱の唇がそっと触れた。中央に突起した骨を口に含まれ、愛撫されると、流されていく意識が呼び戻された。
「力、抜いて」
  耳元で囁いた声に促されて、ゆっくりと浅葱を受入れた朱華の躰は、嫌ではない震えを感じながら、繰返し揺さぶられる肉の脆さに、上気した唇が甘い声を漏らし続けた。

 

 背を向けて眠る朱華の背中に、硬い床に押し付けられた薄紅の斑を見つけて、浅葱は優しく手を触れる。安らかな寝息は乱れることなく、穏やかに朱華の口に昇る。満足そうに笑み零れる寝顔を覗き込んだ浅葱の頬にも、柔らかな微笑が浮かんだ。
「お月さまみたいな顔・・・」
 浅葱は独りごちて、朱華の額に唇を寄せて。

 それは、俺だけに見せる顔?

 残った二つの果実を手に取って、小さい方の果 皮を剥いた。口に含むと、仄かに薫る芳香が、その中に満たされて、酷く幸せな気持ちになった。憶えた空腹感にもうひとくち口に含む。不意に、浅葱の背に、暖かな感触が触れて、伸ばされた手が腕にからんで。

「ずるい、独り占め?」
「あ・・・」
 朱華の意地悪な顔が見えた。
「それ、俺の」
「えっ。ケチくさいぞ。おまえ」
「でも、俺のだもん」
 冗談のように云って、掴まれた手をそのまま口に運ばれて。
「・・・おい。そうやってまた・・・子供みたいに」
「もう、大人だよ」
「どこが、」
 眉を顰めて、肩を竦めて。
「俺、今日で二十歳になったんだよ、」

 感情に流されるのではなくて、
 その道を、自分で選んで。

「だから?」
「だから・・・」
 その頬がにやりと歪む。

「もう一回、シテ・・・」
「は?」

 想いを叶えて。

 今度は少し多めに果肉を喰んで、貪るように口吻けて、 その甘い果液を共有する。嬉しそうに微笑んだ朱華の顔を認めると、何故だか胸が熱くなって、その躰を優しく抱いてベットに運んだ。

「いっぱい、シヨウ。ねっ」
「この・・・甘えたが、」

 

 天満月の夜が更けて、
 その微笑みに、月宿る。

 

 誕生日おめでとう。
 

 

【2001.10.02>>>hatohane tukuto】

初出:19XX.04.30「ムギワラボウシノウタ」
(『偏執狂(モノマニア)』発行 鳩羽ツクト個人)
コピー配付誌に収録されたものを大幅改稿、
加筆、除筆と云うか別もの?になって・・・

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